第十話 戻らない想い出
板張りの床の上に直に布団を敷き詰めた様子が部屋一面に広がる、ここは子供部屋。
部屋には子供が十三人おり正直かなり狭い。
もうじき消灯時間のはずなので、いつものようにミュー先生が「おやすみなさい」を言いに部屋に来てくれる。
コンコンッ。
部屋をノックする音。
「皆、もう寝る準備はできてるかしら~?」
案の定、ミュー先生だ。
「「は~い!」」
皆が皆、一斉に元気な声でミュー先生に返事をした。
「あら困ったわね。もう寝る時間なのにそんなに元気な声だして」
苦笑いする先生。でも次には笑顔の表情に変わった。
私は……ううん。私たちはミュー先生の笑顔が大好きだった。
先生の優しい顔。
私たちが困っている時、すぐに助けてくれるところ。
水作業のし過ぎで肌が荒れてしまっても嫌な顔一つしない優しい先生。
すごく綺麗で男の子から人気で、そんな先生を自分には関係ないのになんだか嬉しくなっちゃって。
抱きしめてくれた時に先生から良い匂いがするのも好きだし、温かい温度を身近に感じるのも好き。
――――先生の全てが大好きだった――――――
一緒にこの孤児院で一緒にご飯を食べて、遊んで、お風呂に入って……みんな、みんな、大好きだった――――
けど、ある日を境にそれは少しずつ変わっていった。
「お布団あったかいね、スズカちゃん!」
「うん! ミクちゃん、あったか~い!」
一つの布団に二人揃って潜り戯れ合う私と親友のミクちゃん。
次の日――――
ミクちゃんは私の前から姿を消した。
朝起きたら、すでに孤児院にはいない。
ミュー先生が言うには里親が見つかったって言ってた。その方がミクちゃんには幸せなことなんだって。だから私はすごくすごく悲しかったけど我慢した。
だってミクちゃんのためだもん。ミクちゃんが幸せなんだったら、私は泣いちゃいけないと思った。
一ヶ月後――――
今度は男の子のヒトシくんが朝、お別れの挨拶もすることができず、孤児院を去った。
今度もミクちゃんの時と同じで里親が見つかったってミュー先生が言ってた。
それからは日が経つ度に、朝になると突然に一人、また一人と友達がいなくなっていく。
私はある日から朝を迎えるのが怖くなってしまった。
気がつけば、私の周りには友達が誰もいなくなっていた。
最初は十三人いた子供も残ったのは私だけ。
今、孤児院には私とミュー先生しかいない。
その私にもとうとう里親が見つかってしまった。
明日迎えに来てくれるらしい。
「……ス……ズカ……珠々……香…………」
ウトウトと布団に寝転ぶ私を誰かが呼びながら身体を揺する。
誰かだなんて考えるまでもなくミュー先生だ。
「んん…………先生~?」
「ごめんなさいね、珠々香。昨日のはずのお迎えだったんだけど、今から来られるって話になっちゃったの……悪いけど起きてもらっていい?」
眠い目を擦りながら、私は首を縦に動かした。
「それじゃあ、私は向こうで準備しておくから、良い子だから珠々香は着替えていてちょうだいね」
そう言うと先生は部屋を出ていった。
「…………」
私は後ろを振り返って、今では『広々と感じるようになった』室内を見回した。
皆がいた一番楽しかった頃が思い出され、不意に涙が出そうになる。
けど、泣いちゃダメ――――
「……私も、皆とお別れだね」
***
陽が沈み、今は夜空に月が見える。
先に進めば、おそらく月の光も届きにくい暗闇が支配する林の中に入ることになる。そう思うとまだ六歳の少女は怖さが湧き上がり、隣にいる自分と色違いの黒の修道服を着たシスターの袖を自然と握った。
それに気付いてかどうかはわからないが構うことなく、目の前の初老のスーツ姿の男性と話をする。
「それではこの子のこと、よろしくお願いします」
「ええ、もちろんですとも。……ですが、こちらで少々予定外のことがありましてね」
「へえ~……」
周囲の気温が急激に下がったような寒気を感じた珠々香は助けを求めるように自分が慕うミューの顔を上目遣いに見た。その時、珠々香はさっきまでの寒さとは異質の悪寒を事もあろうに信頼する先生から感じてしまい、思わず掴んでいた袖を手放した。
掴まれていた腕が解放されたことに気付いたミューが再び笑顔を取り繕う。
「どうしたの、珠々香? 大丈夫ですよ」
珠々香の頭を優しく撫でるミューだが、珠々香は先ほどのように彼女の腕を掴んで怖さを免れようとは思うことができなかった。
「……ここで話すのは野暮なことでしたな。また後ほどということで」
「ええ……そうしましょう」
こんなに冷たい目で人を見るミューを初めて見た珠々香の不安はより強いものとなる。けれども、それでもミューと別れるのは辛かった。
「ミューせんせ……」
言い終わる前に初老の男に腕を軽くだが引っ張られてしまう珠々香。
「大丈夫だよ、珠々香ちゃん。辛いのは最初だけ……きっとすぐ慣れるからね」
「珠々香、良い子でしてるんですよ」
「…………うん」
「それでは行きましょうか」
小さな女の子はスーツ姿の老人に手を繋がれ、このまま歩き始めるのかと思いきやミューに顔を向けて精一杯の言葉を呪文のように心を念じて発した。
「ミュー先生!! お世話になりました!!」
我慢するつもりだった瞳はもう涙を堰き止めることを忘れたかのように止めどなく流れた。こんなに自分の目から涙が流れることを珠々香は初めて知った。できれば知りたくはなかったが……。
「……またシスターに会いたくなったら会えますよ。ですから今日は新しい家に帰ろう」
老人から発せられた言葉に珠々香の表情に明るさが少し灯る。
それはもう一度ミュー先生と会えるかもしれないという希望だった。
手を振り見送りをするミュー。
珠々香もそれを見て必死に手を振り返しては前へ進み、また振り返っては手を振り前へ進む……を繰り返し、ようやく林の暗闇の中に消えていった。
「……ふふ。ほんとに良い子。心配しなくてもすぐ会えますよ……きっとね」
珠々香とは対象的に心の動揺を微塵も感じた様子を見せないミューは、一目月を見た後、静かに孤児院へと戻った。