第五話 退魔巫女
初登校に初下校を体験した俺は今日は終始緊張のしっ放しだった。
夢にまで見た学園生活を緊張のし過ぎでまだ実感できていない。これから何度も通えば慣れてくるんだろうか。
昼休憩以外の休憩時間は質問攻めに合い、気の休まる時間がなかった。ボロが出そうな時には逢花か水葉がいつもフォローをしてくれたのですごく頼り甲斐があったのが記憶に新しい。
「う~んっ!」
緊張感から解き放たれ思いっきり背伸びをする。
電車に乗って浅間の街に着いたところで、昨日、ここで小悪魔的な少女と会った時の姿が俺の脳裏をかすめた。
「クスっ。お疲れ様です、ナギトさん」
学校の件を言っているのだろう。
「ん、ありがとう」
昨夕、俺が烏に襲われた公園に向かう道中、逢花と水葉の二人に初めて通った学校の感想などを聞かれながら和やかな雰囲気で歩いた。
そうこうしてる間に公園に着き調査を開始するが、烏の姿を目にすることも、特に変わったところも見当たらなかったので、俺たちはそのまま噂の林へと向かった。
時刻は午後4時過ぎ。
林の前に辿り着いたものの思いの外、木々が大きく広がっていた風景を目にした俺たちは、調査に時間がかかると踏んで、あまり遅い時間に訪問するのは失礼だからということもあり、先に屋敷に向かうことにした。
しばらく歩くと遠目越しに建物が見えてくる。
地図ではわからなかったが近づくにつれ、どうやらそれが孤児院であることがわかった。言うのも悪いがかなりボロい。インターホンは無く、その代わりに呼び鈴が備え付けられている。
カランカランッ。
思っていたより低い音が鳴り響いてから、すぐに屋内から「は~い!」という女の子の元気そうな声が耳に届く。
間もなくして玄関の扉が開くと、昨夕見かけた時と同じ白い修道服を着た子が俺の瞳に映った。昨日と唯一違うのは頭にヴェールを被っていないことぐらいか。女の子のライトブラウンの髪色を目にした。
「あれ……君は……昨日の……」
目をパチクリとさせる女の子。俺の顔を確認すると一瞬目を大きく見開いたかと思ったら、ガシッと俺の足めがけて突進……もとい抱きついてきた。
何事かと銀と黒の髪を持つ二人が俺に説明を求めるかのように目で訴えてくる。
「え……と…………」
どうなってるのか、俺も説明して欲しいのですが……。
こういう時、幼い女の子に対してどういうふうに接して良いかわからず困惑する俺は、とりあえず昨日のように女の子の頭をゆっくりと撫でることにした。
猫のように気持ち良さそうに目を細め、思うがままに頭を撫でられることに身を任す女の子。
「珠々香~。お客様が困ってるでしょ? 早く離れなさい」
戯れる女の子を呼ぶ女性が玄関から姿を現した。黒い修道服を着ており俺は女の子同様に見覚えがある。こちらも今日は頭にヴェールを身に着けていない。パッと見三十代手前ぐらいの年齢だろうか?
「これは……昨日は危ないところをどうもありがとうございました」
「あ……いえ」
不思議がっていた逢花と水葉も女性の言葉で俺と修道服を着た二人との接点に思い至ったようだ。
公園で俺が昨日助けた、烏に襲われそうになった二人である。
「突然すいません。私たち、最近人を襲い始めた烏のことについて少し調べことをしてまして。この林で烏を見かけることが増えたとの報告を頂いたものですから、何かご存知ないかと今日は尋ねさせて頂きました」
普段とは打って変わって丁寧な物腰で説明する水葉。
いつもこれだったら良いのに……などと思っても口にはしない。
そうですか……と応える黒色の修道服の女性は嫌がる素振りも見せず、俺たちに協力してくれた。
彼女が言うには、林に烏が急激に増えたこと。動物の死骸があちこちに無造作に散らばっていること。倉敷から聞いていたことが本当に起きているようだ。そのことで小さい子が生活している孤児院では、何か大事が起こらないかと常々不安に思っていたとのことだった。
話をしている間、無言でずっと俺の足にしがみついている女の子を気にしながら俺は、結局新しい情報を手に入れることができなかったことに軽く落胆した。これがRPGゲームならヒントぐらいは得られるんだろうなぁと思いながら現実とのギャップを思い知る。
「お名前なんて言うのかなぁ?」
幼いシスターの目線の高さに合わして屈み、優しく声をかける逢花に女の子はおぼつかない感じで応えた。
「……八桜珠々香」
五指を広げて、もう片方の手は指を一本立て、逢花の顔の前に持ってきた。
「六歳かぁ。えらいね、すずかちゃん」
と言って、逢花も白いシスターの頭を優しく撫でる。その度に気持ち良さそうな顔を見せる女の子を俺は微笑ましく眺めていた。
「そう言えば自己紹介がまだでしたわね。私はここの孤児院を預かるシスターのミューと言います」
シスター・ミューが珠々香ちゃんをチラリと見る。それに気付いた逢花は若いシスターを俺たちの目の届く範囲内で連れて行った。
「……あの子……珠々香のご両親はすでに亡くなっていて、うちで預かっているのです。少し前までは珠々香以外にも孤児はたくさんいたのですが、里親になってくれる人が見つかって皆それぞれの里親に引き取られて行きました」
「じゃあ、今は珠々香ちゃんだけ……?」
「はい。私とあの子……二人だけで暮らしています。皆がいた頃はもっとしゃべる子だったのですが、それぞれ引き取られて寂しい思いをしてきたんでしょう。この孤児院を一人二人と去って行く度に珠々香の口数も減ってきてしまい…………」
……俺と同じ……か……
ここが孤児院だとわかった時点でそうなんじゃないかとは思っていたが、実際にそうだと言われるとなんだかやり切れない。隣りにいる水葉も同じことを考えているのか、どこか切なそうな気がする。
「けれど悪いことばかりでもないんですよ。あの子にもようやく里親になってくれる方が見つかりまして。明日迎えに来てくれるんですよ。私としては寂しくなりますけど、珠々香の幸せが第一ですからね」
「そうですか……」
今まで暮らしてきた人と今まで通りに一緒にいるのと、その人から離れ新しい家族を手に入れること…………果たしてどちらが幸せなのだろうか?
世間からすれば俺自信、まだ年端もいかない子供であって、そんな俺には答えを出すだけの経験も知識も持ち合わせていない。
果たして正解があるのかどうか…………そのため、ミューさんの言葉に俺は素直に笑顔を向けて良いのかわからなかった。
「ナギ、そろそろ……」
肘で俺の横っ腹を小突く水葉。そろそろお暇しようとのこと。
思っていた以上に話し込んでしまったし、まだ林の調査も残ってる。夕食の支度などもあるだろうから、これ以上お邪魔するのも悪い。水葉の言うとおり、ここらが潮時だろう。
承知したことの旨を水葉に伝えると、水葉は逢花を呼んだ。
すぐに逢花と珠々香がこちらに来たのだが、その二人の手は今一つに繋がっている。それを目にした俺は先ほどの逢花に習って幼いシスターの前で屈むことにした。
「お兄ちゃんたち、そろそろ行くから。珠々香ちゃん、待たな」
珠々香ちゃんの頭をポンポンっと数回軽く掌を被せ、後を引く思いで俺は立ち上がった。
「珠々香ちゃん、また来るから」
「待たね」「待たね~!」
それぞれが挨拶を済ましたのを確認後、俺たちは孤児院を預かるシスターに会釈をし、この場を後にした。
***
孤児院から街へと続く林の中を進む最中、俺たちは周辺に異変がないか注意深く歩く。しかし、今のところ行きと同じく特に何もなく、烏の姿さえ見当たらない。
「ねえ、ナギ……あれで良かったの?」
「…………何が?」
水葉が何に対して言っているのか、考えてみてもわからない。
「さっき、珠々香ちゃんにまた来るって約束したじゃない?」
「ああ。……そりゃあ…………」
それのどこがおかしいのか、やっぱりわからない。
「忘れちゃったの? 珠々香ちゃん、明日、里親に引き取られるってミューさん言ってたじゃない」
……確かに言ってた。
水葉が何を言いたかったのか、俺はようやく理解した。
もし会えなかったら珠々香ちゃん、悲しむかなぁ……そう考えたらいたたまれない気持ちに。
「大丈夫ですよ、ナギトさん。明日、今日より早い時間に会いに行けば良いんです」
「明日って……学校あるわよ?」
そう。水葉の言うとおり、平日なので普通に学校がある。明日は五時限まであるのでどうしても今日とあまり変わらない時間になる。
「そこはナギトさんの気持ち次第じゃないかしら?」
「……逢花さん……俺に初登校した次の日に学校をサボれと言いますか…………」
「私は何も言ってませんよ? あくまでナギトさんの『気持ち』次第です♪」
気持ち次第の部分をわざとらしく強調して言う逢花。この子もなかなかどうして……。
「待って!!」
穏やかな雰囲気を一気に壊す緊迫した声で水葉が静止をを呼びかけた。
「何が…………!?」
言いかけたところで俺も……そして、おそらく逢花も空の異変に気が付いた。
現在の時刻は午後5時過ぎ。春が終わりに近づきつつある季節だというのにいつの間にか空が真っ黒に染め上がっていた。これが陽が沈むのが早い冬の時期ならまだわかる。けれど、今はまだ春と夏の境なのだ。
「烏の……群れよ」
水葉の言うとおり、それは空を覆い隠さんとするかのように羽を広げて飛び交う烏の大群だった。周囲の木の枝にも数えるのが馬鹿らしくなるほどの数の烏が止まって、こちらを見ている。
これだけの数の烏が今までいったいどこにいたというのか……島中の烏がまるでこの浅間の林に全て集まったかのような…………まさか……そうなのか……?
「ナギ……ナギと一緒にいたマジョカルが私を襲った時に使った、あの結界って使える?」
「ん? ……いや、あれは道具を予め設置して使うやつだから残念だけど」
俺と一緒にこの島に派遣されたマジョカルのレンは、魔女認定した水葉を予め準備していた結界に誘き寄せ、水葉を襲ったことがある。
この結界の中では外部の世界に一切影響を及ぼさないので何も気にせず派手に暴れることができる代物で、いわゆる結界内に存在する全てを丸ごとコピーし、もう一つの空間を作るものだ。結界に入れば、自動的にそのコピーされた空間に移動するという、かなり高度な物だったのだが残念ながらそんな準備してるはずがない。
「……そう。あれがあれば、逢花に一掃してもらえたんだけど」
そういうことか。
まだ夕方時で街には帰宅者が多い頃だ。そんな時間帯に逢花の力を使うにはかなり派手すぎる。それに、どこで人を巻き込んでしまうかわかったものじゃない。そのための結界を水葉は期待したんだろう。
「カアアアアアアァァァァァ――――ッ!!」
あまりに数が多すぎて、どの烏が発した声かわからないが、一際大きな鳴き声が聞こえたと思った瞬間、恐ろしいことに地上にいる俺たちに向かって烏が一斉に降下を始めた。
危険なこの場面で逢花が俺たちの一歩前に――
「【戦舞衣装変換】!」
変身時特有の渦状になった霊力が巻き起こす突風を突進してきた烏の群れにカウンターとして衝撃を与えた。次々と烏が墜落し、そうならなかったものは辛うじて再び飛翔する。
次第に霊力が帯のようになり逢花の全身を包む。
次に逢花が姿を現した時には、逢花の服装がアジア系の民族衣装のようなものに変わっていた。高位の魔女が使えるという極めて防御力の高い戦闘服……魔女モードになったのだ。いや、逢花は魔女と似て異なる仙女なので、仙女モードと呼ぶべきか。
「逢花、わかってると思うけど本気はダメよ!」
「うん!」
第一勢は凌げたけど、まだまだ数え切れないほどに烏が頭上に残ってる。このままだと絶対にヤバい……。
「ナギトさん、心配しなくても大丈夫ですよ」
俺の今の心情を察したのか、優しい笑顔を向けてくる逢花なのだが、何が大丈夫なのかわからないし、この状況ではまったく落ち着けない。
…………などと思っていたら、今度は水葉が前に出た。
「おい! あぶな……!!」
呼び止めようとする俺より早く、学生服のポケットから水葉が紙切れを取り出した。
札……か?
一瞬何かを念じたかと思ったら、頭上にいる烏を真下からスクエア状に囲うように四隅の木々に数枚の札を投げ飛ばした。見事に木の表面に張り付く。札には達筆な文字で『轟雷』と――
「滅っっっ――――――!!!!」
バチバチバチチチバチチチチ――――――――――ッッッッ!!!!!!
水葉の発した声と共に、四隅の木が囲う一帯に電流のような霊力が流れた。感電したかのように空を飛んでいたもの、木の枝に止まっていたものらが次々と落下する。すぐにおびただしいほどの烏で土剥き出しだったはずの地面が黒い羽で埋め尽くされた。
「……すごい…………」
「今の烏たち『妖気』を宿してましたからね。水葉ちゃん、霊気や妖気、邪気の類を有してる相手には退魔巫女としての力を発揮できるんですよ」
妖気……そのままだが妖魔や魔獣のような化物が発する気みたいなもので、これが魔女だと魔力を発し、仙女である逢花の場合は霊気や仙気を発する。これを強く感じれば感じるほど、そのものの実力は大抵強い。
魔力と霊気は感覚的に近いものがあるから、なんとなく俺でも感知することはできるのだが、烏が有していたという妖気は正直俺にはまったくわからなかった。烏から殺気は感じてはいたが、妖気と殺気とはまた違ったものだ。
退魔巫女としての水葉の力を俺は今まで見誤っていたのかもしれない。普通の口の悪い巫女さんぐらいにしか思っていなかったが、マジョカルに魔女認定されていた理由を垣間見た気がする。
「ふっふん~だ! ナギ、どう?」
まったく遠慮する様子もなく胸を張る水葉に、素直に賞賛の言葉をかけるのが癪な気がしてきた俺は、現状の把握に努めることにした。
大半は水葉が倒し先ほどまでの脅威は感じなくなったが、まだ烏は残っているのだ。それでも真っ黒だった空は今では夕焼けの色を俺たちに見せているので幾分気分はマシだが。
「……ところでナギ、安心したような顔してるけど、本番はこれからよ」
「!? それってどういう意味?」
「やっぱり、あなた妖気を感知できなかったのね」
「ああ」
さっきの水葉のようにまったく遠慮することなく俺は答えた。
「近くに大きな妖気があります……多分すぐに…………」
逢花が全て言い切る前に『それら』は木々の上から現れた。
背中に黒い羽が二つあり、羽ばたかせながら俺たちの前にゆっくりと降下を始めた。烏ではない……人の……成人男性ほどの背格好をした二体の人型。ただし、どちらも手足の先には鳥類特有の鉤爪があり、何より頭が烏のそれなので、人とも断じて違う。
異形の妖魔そのものだ――――
二体の妖魔が烏で埋め尽くされた地に足を付ける。手にはどちらも長さ二メートル近くある錫杖を持つ。
「……ヨクも我ガ眷属ヲ傷つけてクレタな、人間ドモよ」
嘴を上下に開け、辿々しいが人間のようにしゃべりだした烏の親玉みたいな見た目の妖魔。
いつ戦闘になってもおかしくない緊迫感が辺りに漂う。
「先に手を出したのはあんたらじゃなかったか?」
「ン? お前……ソウか。……覚えテイる、覚えテイるゾォォ……昨日ノ公園ノやつダろう」
「昨日の公園? あの時、近くで見ていたのか?」
「我々、眷属は絶対に受けた恨みも狙った獲物も忘れはしない! ……絶対にだ! 我々三羽烏が息の根を止めてくれるわ!!」
聞き間違えじゃなければ、今、確かに三羽烏って言ったよな……つまり三体。けど、目の前にいるのはどう見ても二体だけ…………今だに俺たちを敵視している烏たちまで数に含めるわけないよな? その場合三体どころでは済まなくなるはずだし…………
「何が三羽烏よ! 二人しかいないじゃない!? ……それとも今そこで倒れてる烏たちの中にでも混ざっているのかしら?」
……さすが水葉。化物相手でも物怖じしないんだ…………
「言ったハズだゾ、人間…………我ラハ狙った獲物ヲ決して忘レナイと!」
狙った獲物…………それは昨日、公園で襲われた俺……だよな……
いや…………あの時、俺以外も…………くそ!!
「逢花! 水葉! あの子とミューさんが危ない!!」
「「!!」」
そうだ! あの時、公園にいたのは俺だけじゃない……ミューさんと珠々香ちゃんもいたじゃないか!
「ナギトさん、先に行ってください!! ここは私と水葉ちゃんで食い止めます!」
「わかった!!」
もと来た道を俺は駆け出した……が、その隙を突かんと烏の化物一体が俺の真横から迫ってくる様子を視界の隅に捉えた。
――――これぐらい予想してなかった訳じゃない。
「閃瞬!!」
得意のエネルギー操作による脚力強化を施した俺は、化物の攻撃を振り返ることもなく難なく躱し孤児院へと突っ走った――――
「くそ! ……間に合ってくれよ…………」