第二話 胎動
夕方ということもあり、俺は誰もいない公園内のベンチに腰掛けている。
赤いチャイナドレスを着た彼女に先ほど頂いた肉まんを頬張りながら、逢花が紙に書いてくれた二人のバイト先の住所を眺めているのだが、店名が記されていない。飲食店だとは聞いていたので住所さえ間違えなければなんとかなるか。
考え事をしていた俺の耳にまた烏の鳴き声が聞こえてきた。
声のする方を見ると、電柱の線の上に一匹こちらを見てるやつがいる。大きさもさっき見たやつと同じぐらいでなかなかのもの。
あれに襲われたら怖いだろうなぁとふと思ったのも束の間、烏が電柱から滑空して、嘴をこちらに向けて飛来する。
(おいおい、まさか…………)
思っていたことが現実になってしまった。
ラスト一個となった肉まんを狙って鋭い嘴が直線状に飛んできたのを、俺は腰を上げてなんなく避ける……のだが、避けられた烏はそのまま真っ直ぐ俺と反対の方へ飛んでいくのかと思いきや少し上に飛行した後、旋回して、またこちらを狙ってやってきた。
もう、こうなると意地でもこの肉まんはやるまい。
これはたまに怖い笑みを見せた金髪少女がせっかく俺のために作ってくれた戦利品なのだ。力尽くで奪おうというのであれば受けて立とう。
二度、三度の飛来を躱し続けていると、さっき俺がチャイナドレスの少女と行ったスーパーの買い物袋と同じものを手にした修道服姿の二人を目にした。
一人は黒い修道服を着た、服に合わした色のベールを頭に被った大人の女性。もう一人は白い修道服に白いベールを身に付けた小学生ぐらいの女の子。
黒色の修道服を着た女性は、同じく修道服を着たまだ幼い少女を連れて公園の中に運悪く入って来てしまった。
夕方という時間を考えると、夕食の買い物だったんだろうが、今はタイミングが悪い。
俺とのやり取りで殺気だった烏が目標を変えたことに俺は気付いた。
動物に危害を加えるのは気が進まなかったんだけど、こうなったら仕方ないか。
「なに! きゃっ……」
我が子を抱えるようにして庇う黒い修道服の女性に向かって飛ぶ烏を、俺は間一髪のところを手刀で叩き落した。
「大丈夫ですか?」
「……はい。……助けて頂いて、ありがとうございました」
深々と頭を下げて礼を言う女性とは別に、子供の方は何が起きたのかまだ把握しきれていないらしく、ポカ~ンと口を開けている。
黒の修道服の女性が見せる必死な姿を遅れながらも只事ではないと隣で感じたのか、白い修道服の子は連れの女性の足にしがみ付き、瞳を潤ませている。
少しでも安心させてあげようと俺は子供の頭を軽く撫でてから、黒い修道服を着た女性にこの辺りの烏の生態が変わったのかもしれないことを話し、しばらくこの公園には近づかない方が良いと告げた。
女性は返事をすると、もう一度礼を言い、公園から出て行こうとする。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
振り返って俺の顔を真っ直ぐに見据え、笑顔を向けてくれる女の子。
――――子供の顔って、こんなにも心に響くものだったんだな。
つい、この前までの俺には知りようがなかった情報。温もりのある記憶を色褪せることなく少しでも深く俺は胸に刻み込もうと思った。
笑顔で俺も応え、彼女たちの後姿が見えなくなるまで見送った俺は、烏の攻撃を躱している際に感じた視線を目で追った。そこには俺が叩き落した烏とは別の烏が一匹電柱の上でじっとこちらを見据えている姿が見て取れた。
何をするでもなく、ただじっとこちらを見続けている。
今まで俺が見てきた烏とここの烏は何かが違う気がするが、烏のことどころか動物全般に詳しくない俺には皆目見当がつかない。
腹を空かして気が立っていただけなのかもしれないが、それだけじゃない悪い予感がした。
地面に倒れていた烏が目を覚ます。
手加減していたのでいずれ目を覚ますと思っていたが、起き上がった烏は、電柱の上で俺を見ている烏の下に飛んで行く。
そして二匹揃って、どこに行くのか夕焼け空に羽ばたいて行った。
(これ以上何も起きなければ良いんだけど)
「……っと、そろそろ二人のバイト先見つけておかないと」
まだ時間に余裕はあるんだけど場所だけでも先に確認しておきたくて、俺も公園を出て商店街へと戻ることにした。
「え~と…………」
商店街の中をのんびり見ながら歩いて十分ほど。
二人のいる住所が記されたメモを見ながら、ようやく……と言うほど苦労などしてないが目的地を見つけることができた俺なのだが、一時間前に見た覚えのある中華料理店を見て俺は呆気に取られた。
「あの野郎…………」
女の子なので正しくは野郎などではないのだが、俺は金髪ツインテールの少女の笑みを思い出していた。
店の看板には、金髪少女が俺を荷物持ちとして連れて行った店と同じ『猫熊』と書かれている。看板が同じなのではなく、店そのものが同じなのだ。
メモに書いていた住所を見て、彼女は自分の働き先だと気付いたのだろう。
あの笑みはそういうことだったのだと、今になって知った俺。
「人の悪い…………」
逢花も水葉もあの子とは顔を何度も会わしているに違いない。
二人から見れば、あの子はどんなふうに見えるのか聞いてみたい気もしたが、同時に怖い気がしてきて、やっぱり聞くのをやめようと思った。
バイトが終わるまで、まだ三時間はあるが、金髪少女がここに来るように言った時刻までは残り二時間。
二時間もここで突っ立ってるわけにもいかないので、俺は道に迷わない程度に再び街中の冒険を再開することにした。
実はこうやって知らない土地を歩いて見て回ることが好きな俺は、二時間も待ち時間があるのに苦には感じていない。まるで幼い子供が知らない場所を探索したがるように、冒険心が燻られるのだ。
ただ、今も働いているはずの逢花と水葉には、俺だけ遊んでいてなんだか悪い気がしないでもないが、この島のことを少しでも早く知ることが、今の俺には大事なことなのだ。
そう、言い訳がましく自分を納得させて俺は当てもなく歩き始めた。
二時間後――
金髪娘に言われた通り21時半に中華料理店『猫熊』の前にいる俺。
時間になっても彼女は現われる様子がない。
店の中を覗いてみようかとも思ったが、まだ仕事中だろうし邪魔しちゃ悪いと思って俺は外で待つことにした。
そして、それほど時間も過ぎぬ間に彼女たちが現われる。
「あれ? ナギ、どうしてあんたがここにいるのよ?」
このひどい言い様なのは音羽水葉。
まだ高校生なのでそうは見えないが月之杜神社の巫女で、現在の管理責任者でもある。見ての通り口が悪い。
「お迎え、ありがとうございます。ナギトさん」
水葉とは対になるかのような正しい挨拶を返してくれたのは、月之杜神社に数年前から居候をしている『剣撃の巫女』としてマジョカルからも魔女からも恐れられている仙女の逢花。
「私たち、今日は特別に一時間早く帰れるようになったんですけど、瑞原さん、よくわかりましたね?」
「そうよ。私たちですら、早く帰れることバイトが始まってから知ったんだから」
「んん……。ま、ここじゃなんだから、帰りながら説明するよ」
二人の疑問は当然のことなので、俺は駅までの道中の間に、今日駅前に着てから二人に会うまでのことを話すことにした。
「弥夕らしいと言うか……納得いったわ」
「ふふ。ナギトさんのおかげで私たち早く帰れたんだし良かったじゃない、水葉ちゃん」
バイト終わりの二人の話では、あの金髪少女の名前は『川澄弥夕』と言うらしい。
中華料理店『猫熊』の主人の一人娘で、父親と二人で切り盛りしていたところ、忙しい日に逢花と水葉がバイトにたまに入っていたとのことで、今日がその日だった。
彼女の父親が料理全般を担当し、彼女がフロア全体と人事を管理しているらしい。そういうこともあって、俺の事情を知っていた彼女が気を使ってくれて二人を早めに上がらせてくれたんだろう。
俺と逢花に水葉、三人揃ってびっくりさせようという遊び心も大いにあっただろうが。
なんとなく彼女の性格が分かったような気がした。
ちょっと素直じゃない子だが、今度会ったら礼を言わないとな。
「それよりも問題はナギが襲われたって言う烏の方よね」
「ああ……」
水葉の言うとおりだ。
「烏が人を襲うことなんてあるんでしょうか?」
「ん~、繁殖期に巣に近寄ると襲ってくることはあるって聞いたことあるけど、街中の公園で今までそんな被害聞いたこともなかったんだけどなぁ……」
逢花の疑問に答える水葉。
「明日、公園にもう一度行って調べてみようと思う」
「それでしたらナギトさん、私も付いて行っていいですか?」
「ああ、助かるよ」
ただの烏にありがちな問題だと思いたいが、これがもし魔女が関わることだとしたら大変なことが起きる前触れかもしれない。
その場合、逢花がいてくれるととても心強い。なんせ彼女の戦闘能力は俺よりも遥かに上だからだ。
もっとも、魔女とそう何度も出くわすとも思えない自分もいる。つい先日、俺たちは『新緑の魔女』と戦闘してばかりなのである。
あれから、まだ一週間足らずしか経っていない。
仙女なので正確には魔女とは違うのだが、マジョカルからしてみれば逢花も含めれば、既にこの島には二人の魔女がいたことになる。それだけでもとても珍しいことであり、三人目の魔女がいるとは考えにくいのだが可能性は0とは言えないのも事実である。
ちなみに巫女でありながらも、退魔巫女として霊力を持っている水葉もマジョカルから魔女認定されていたので、一週間前まで魔女は三人いたことになる。
ただし、巫女はマジョカルの中でも魔女として扱うか、神の御使いなのでそうではないという扱いとで分かれているグレーな存在なので、今でも組織内で論議を争っていて決着が付いていない。
一週間前にこの島に来たマジョカルのように巫女を魔女として退治しようとした者もいたが、巫女を退治非対象として考えるマジョカルも少なくないので、巫女である水葉を魔女として今は数に入れるのを俺は止めた。
当然、俺の中では巫女を魔女だとは思っていないし、仙女だってそうだ。
もし新たな魔女がいる可能性がある場合、それはこの島に新たなマジョカルが来ることと同義なのである。
俺がそうであったように。
マジョカルとは魔女を退治するために組織された者たちである。
人々に不幸をもたらすことを企む魔女を許さないというのが当初のスタンスであったはずだが、いつ頃からか魔女であれば全てを退治の目標にする組織へと変わっていってしまった。
その考え方に疑問を持った俺は組織を抜け、今ここにいる音羽水葉が管理している月之杜神社に、先に居候していた逢花と同様に現在住まわせてもらっている。
「公園で調べる前に、先に烏のことを詳しく聞けそうな人がいるわ」
水葉の言葉に、俺は逢花の方を見たが、逢花にも心当たりがないらしく首を横に振った。
「明日になればわかるわよ。さ、そうと決まれば、早く神社に帰りましょ」
「そうですね。私、お腹空いちゃいました」
テヘッ、っと後ろに付きそうな感じで水葉に同意する逢花に、もちろん俺も反対する訳もない。
夕方過ぎに肉まんを食べたとはいえ、年頃の男子がそれだけで足りるはずもなく、ましてや二人を店の前で待っている間、散々、料理の匂いを嗅がされていたのだ。俺のお腹は先ほどから空腹で限界を訴えていた。
「ちょっとナギ、今お腹の音聞こえたわよ……」
「いや~、ごめんごめん」
「まったく、もう……」
「それじゃ家に帰りましょうか」




