第十三話 真実と口づけ
「……というわけで、さっきまで私と魔女の視界は共有していたのですけど、今はもうリンクは切れているので平気です♪」
数分前まで何十本……いや、百を有に超えて木が立ち並んでいたはずの景色が、今では綺麗サッパリ半分より上を吹き飛ばされ失っていた。
今では見晴らしがよくなったおかげで、神社の裏側の町並みが離れた山の上からでもはっきり見える。
夕方ということもあり、街中に点々と明かりが灯り始めていて、なかなかの眺望と言えよう。
その眺めの良い景色を逢花さんの話を聞きながら俺たちは二人並んで見ていた。
どうやら、逢花さんの目を借りて神社にいる魔女・音羽水葉がこちらの状況を見ていたらしい。
音羽水葉に俺が死んだものと思わせるため、逢花さんは一時的に目を閉じて視覚から得る情報を与えないようにしたうえで俺に攻撃したフリをしたというわけだ。
そのことを逢花さんから聞かされるまで俺は生きた心地がまったくしなかった。
今は共有が切れているので、彼女は瞼を上げて綺麗な景色を眺めている。
「逢花さんからも音羽水葉の視界は見えていたのかい?」
俺の疑問に逢花さんは首を横に振った。
ズルいですよね、と苦笑を浮かべて付け加える逢花さん。
「……あなたはどうしてマジョカルになったのですか?」
優しい表情をこちらに見せ、別に責めてるような感じではなかったが、はぐらかして良いものではないと感じ、俺は正直に答えることにした。
お互いが理解することができれば、戦わなくて良い方法が見つかるかもしれない。そのためにこちらのことを知ってもらうことから始めてみよう。
「…………俺には子供の頃からの憧れの人がいるんだ。……子供の頃、事故で瀕死だった俺を助けてくれたんだけど、何も言わずどこかへ行ってしまって。その人はおそらく魔女なんだ…………。俺はもう一度その人に会いたくて、魔女を専門的に追うマジョカルにいれば、何かしらの情報が集まるかもしれないと思った」
「……その方は見つかったのですか?」
「残念ながら……」
「もし見つかったら、あなたはどうするのですか?」
どうするとはつまり、マジョカルとして動くのかどうかということに違いない。
魔女狩り組織に組するということは魔女を退治するのが責務であり、憧れの人にそれができるのかを多分聞いているのだろう。
「何もしないよ。ただ……助けてくれたお礼を言いたい」
時折吹く強めの風で長い髪が流れるようになびくのを片手で押さえながら、逢花さんは物思いに更けている様子。
「君のその姿を子供の頃に見たことがあるんだ。本来、【戦舞衣装変換】は魔女にとって唯一無二の自分専用の衣装のはず。だから俺の探している人と同じ衣装なわけないと思うから、見間違いって可能性もなくはないけど……」
再び逢花さんは両目を閉じた。
さっきのように音羽水葉からの視界共有を防ぐためにではなく、ただ何かを思い出そうとしているような。
十秒も経たないうちに目が開かれる。
「この服に見覚えがあるのなら見間違いではないと思います……。瑞原さんには辛い話になるかもしれませんが……」
「それってどういう……」
「瑞原さんを子供の頃、助けてくれた人は女性の方ですよね? その人の名をご存知ですか?」
名前どころか何一つ俺が知り得る情報などない。
それ故、彼女のことを俺は幼少時に初めて見た時に思ったイメージである『天使』と今でも呼んでいるぐらいだ。
当然、逢花さんの問いに答えられるはずがなかった。
「……その女性の名は姫晶。私の母親であり……これは母から受け継いだ形見なんです」
言葉にすると短かった逢花さんの言葉は、けれど俺の思考力を奪うに十分な多量の情報量を含んでいた。
「……き……しょう……?…………」
形見? 言葉通りの意味なら、俺の探している人はすでに亡くなったってことか?
そんな!!
そんなことって…………!!
本当は嘘でしたと言って欲しくて、まるで懇願するかのように俺は逢花さんの顔を見た。
この時の俺は自分の変化にまるで気づいていなかった。
逢花さんの顔が、そして表情が見えるようになっていたということに。
いつもみたいに顔を部分的に見ているわけでもなく、癖を見つけて判断してるわけでもなく――――
――――この時の俺は本当に逢花さんの顔が見えていた。
だから逢花さんの顔を『初めて』見た時、それはきっと嘘なんかじゃないというのも『同時に』わかってしまった。
だって、あの時見た『天使』と逢花さん…………
すごく似てるんだもんなぁ…………
…………どうりで見覚えがあるはずだ……
俺は彼女にあの人の面影を見ていたのか――――――
「瑞原さんが幼い頃に見た母は……立派でしたか?」
あの頃の……五歳以前の頃の記憶を俺は正直ほとんど覚えていない。
にも関わらず、俺が『天使』と呼んでいた逢花さんの母親のことだけは今になってもはっきりと覚えている。
出会った時間はほんの僅か……一瞬でしかなかったはずなのに、それでも子供ながらに俺は命を救ってくれた彼女との記憶を大事な宝物として、しっかりとこの胸に刻み込んでいた。
なんだろう。
全身から力が抜けていくような……頭も真っ白になって、思考が鈍くなっていくのがわかる。
これが喪失感というやつか?
思考も身体も痺れに似たような鈍い感覚に捕らわれながらも、どういうわけか目頭が熱くなるのだけははっきりと知覚できた。
「ああ……」
顔をまるで逢花さんから隠すように返事をして、夕焼けに染まった空を俺は仰ぎ見た。
「…………ありがとうございます」
涙を止める術を見つけることができず困っている俺の耳に、吹きつける風の音と、優しい少女の声が静かに届いた。
沈んだ気持ちはまだ完全に払拭できたとは言えないが、聞きたいことは山ほどある。そろそろ話を進めるべきだろう。
……と思って逢花さんを見るのだが。
「あれ?……」
「……どうかしましたか?」
……顔がわかる…………。
そういえば、さっき逢花さんと『天使』の顔が重なって見えてたな……ってことは、認識できているってことか!? 俺!
本当に相手の顔がわかるようになったのかを知るため……もとい、十数年ぶりに見る人の顔への興味が抑えきれない俺は、失礼なことに目の前の女の子の顔をジッと見つめ続けてしまい、時折お~! や、ほ~! など本人のいる前で感嘆を漏らしてしまった。
「え……と、瑞原さん……さすがにそんなに顔を見られると恥ずかしいですよ~…………!」
言われてみて、やっと自分がしてることに気づく俺。途端に恥ずかしさがこみ上げてきて、今度はさっきとは真逆で逢花さんの顔を見れなくなってしまう。
「あ~……ご、ごめん!」
これじゃあ、顔がわかるようになっても前と大して変わらないじゃないか、俺! などと一人でツッコんでみる。
「……もう! …………瑞原さん」
呼ばれたので、そーっと顔を上げ、逢花さんを遠慮がちに見てみる。
「やっぱり、こうやって顔を見て話しが出来るのってなんだか良いですね♪」
あ、ダメだ……恥ずかしすぎる…………。
直視してる状態で今のは反則だ。
「……その様子だと私の顔、ちゃんと見えているみたいですね」
今度もまた逢花さんの言葉は俺の心情を忙しなくするのに十分な威力を持っていた。
この子はもしかしたら神社で一緒に弁当を食べてた時から俺の病気のこと知ってたんじゃ……今思えば、あの時も俺が顔を認識できないことに気付いていた節があったし。
「…………ああ。……おかげさまで。切っ掛けは想像つくけど、理由はまったくわからないんだけどな」
先ほど逢花さんから聞かされた話の内容が切っ掛けで間違いないのは確かだ。だが…………
「切っ掛けも理由もきっと同じですよ」
「え……?」
「ん~……そうですね~…………」
少し考え込んだ後……と言っても十秒にも満たない時間だが、言葉を選んだ後に逢花さんは再度口を開く。
「瀕死だった瑞原さんを助けるためにお母様は瑞原さんに力の一部……つまり剣を渡しました。」
まるでその目で見てきたかのような口ぶりだが、実際のところ俺は剣? ……なんてもののことを知らない。
「その剣には二つの力が備わっています。一つは肉体に作用する癒しの力……この力があるからこそ、お母様は瑞原さんの傷を癒やすのに用いたんだと思います。そして二つ目の力……これが今回問題となっていました」
ここまで聞いても俺にはなんのことかまったく見に覚えがなかった。
いったい彼女は何を知っているのだろう…………。
「二つ目の力は、精神に作用する力……心の傷なんかを和らげたり、場合によっては相手を気絶させることもできます。この二つの力を持って瑞原さんの治療は完璧に成されるはずでした」
肉体と心を癒やす剣――――それはまるで古に存在したような神器級の武器だと俺は思った。そんな物が存在してたなんて。
「ですが、お母様にも思いもよらぬことがありました。……それは瑞原さん、あなたの中でお母様の存在があまりにも大きかったことです。この剣は先ほども言いましたがお母様の力の一部……そして精神の力はそんなお母様の影響を受けやすくもあったのです。……瑞原さんがお母様と出会ったのは随分と前だと聞きましたが、お母様のことに関する記憶はどうでしたか?」
普通、年月が経てば経つほど記憶というのは想いの強さ弱さに関係なく薄れていってしまうものだ。
それが良いか悪いかは別として。
なのに俺の中の『天使』の記憶は薄れるどころか、鮮明に覚えていた。
今まで出会ってきた相手の顔もわからなかったというのに、十年以上も経つのに恩人である彼女の顔だけは忘れたことは一度としてなかった。
顔がわからなくなる前に認識した顔だからというわけではない……なにせ俺は『天使』の顔を一目見ただけに過ぎないのだから。
……今の俺の記憶のあり方は自分でも異常なことだと思えた。
ここまで考え、ようやく逢花さんが言おうとしていることがわかってきた。
「つまり俺の想い……執着と言っても良い。君のお母さんに会いたいと強く想うあまり、俺の行動の全てにおいて俺は自分の願望を叶えるためだけに行動してきた…………そんな俺の気持ちに応えるかのように……精神に作用する力を持つ剣が俺の望みを叶えてしまった…………彼女への想い入れに比べて想い入れの薄い情報を不要なものだって認識してしまった……ってことなのか……?」
そうだ……。
俺は自分の記憶の中では鮮明に彼女に会うことができていた。
それは彼女に会いたいと想う俺の気持ちを感じ取った剣が俺に幻を見せていたからだろう……と思う。
その代償が『天使』に関することを最優先としてきた俺の……他への優先度の低さが、剣に『必要ないもの』と認識させてしまうほど俺の中で『天使』への気持ちが飛び抜けていた……。
「……多分。お母様が亡くなったことを知ったことで、気持ちの揺らめきが精神の呪縛から解き放ったんだと思います。……私がお母様と似てたということもあるかもしれませんね」
確かにそれはあるかもしれない。
現に俺は逢花さんの顔が初めて見えた時、彼女の母親と重ねて見ていたからだ。
「実は私、お母様が亡くなる前にあなたのことを聞いていました。小さな命を救えたことが誇らしかったようです。でも気がかりもあったって……。それが瑞原さんの中に残したままの剣のことです」
「俺の……中に…………?」
「はい。実は私もその剣が必要でして、お母様がおっしゃっていた子を探していたんですが……まさか、ここで出会えるとは思いもしませんでした」
「ん……ちょっと待った! もしかして最初から俺のことマジョカルだって知ってたのか?」
「いえいえ。昨日、電車の中で会った時はぜんぜん知りませんでしたよ~。知ったのは昼ですね♪」
へ? 知ってたのか?
「だって、瑞原さん、水葉ちゃんのことを何度か音羽って言ってましたよ。私一度もそうは呼ばなかったのに。家の名札だって神社名と下の名前しか表記されてませんし。魔女が活動を起こしているこんな時に怪しさプンプンです」
……え……と…………そうだっけ……。
「コホンッ! ま、まぁそれはいいとして……俺の中に剣があるって話。それなんだけど……悪いけど、まったく心当たりがないんだけど……ほんとにあるの?」
「……ありますよ」
クスっと笑って、笑顔のまま俺に近寄る逢花さん。
その距離は俺のすぐ目の前まで詰めており、人差し指を立てて、俺の胸にトンっと当てたまま上目遣いにこう言った。
「『ここに』」
昨日の電車内で見た時のような前屈みポーズで上目遣いにこちらを見る逢花さん。
ただし刺激さはアップしている。
逢花さんの【戦舞衣装変換】は胸元が開いたタイプの着物だ。よって、この角度からだと豊かな谷間を拝見することに…………
「……う…………」
まさか表情を全体で捉えて見えることがここまで破壊力を増すものだとは思わなかった……。
電車の中で見た時は他人事のようにモテそうだとは思ったけど……この子、こんなに可愛かったのか……。
「あ――っ! また顔を逸らす~! ダメですよ? せっかく人の顔がわかるようになったのですから……ね?」
……なんか俺、あやされてないか?
「お母様の頼みでもありましたし……それにもう大丈夫とはいえ、精神に作用してしまうその剣をいつまでも身体に残しとくのはよくありませんので、それ抜いちゃいましょうか」
「それって、俺の中にあるっていう剣のことだよね? ……どうやって?」
俺の問いに一瞬笑顔をこちらに向けた後、なぜか逡巡する逢花さん。
時間が経つにつれ頬を赤く染め上げる。
考えが纏まったのか、俺の胸に突き出したままの人差し指を今度は掌いっぱいに広げて、俺の胸に軽く押し当てた。
「…………【接続】………………」
俺の瞳に映る逢花さんの姿がゆっくりと大きくなっていく。
薄い光の膜のようなものが逢花さんの華奢な身体を包み始めた。
掌を押し当てたままの右手はそのままに、もう片方の手が俺の頬に触れる。
「……剣の巫女たる、母なる龍姫の主命により、盟約を受諾せよ…………」
逢花さんを纏う光はやがて俺にも伸び、同様に包み込む。
眼前には二十センチほどの距離にまで寄った逢花さんの顔。
動揺する俺の意識は無意識に逢花さんの唇に目を奪われた。
「……我が前に顕現し古き盟約に従え…………」
徐々にその距離は零へと近づく……。
その頃には俺たちを包む光は最初の頃よりも大きさが増しており、まるでこれから起こるであろうことまでも周囲から隠そうとするかのように光を強めた。
「我が名は……逢花…………」
…………そして二人の間に距離は存在しなくなった。
頭が真っ白になってしまった俺の意識は今、彼女の体温しか感じられない。
すぐ目の前で俺に身体を預ける逢花さんの体温を感じ……押し付けられた豊満な胸が、俺の胸に挟まれ拉げている。
柔らかな唇は今、俺と互いに繋がり合っていた。
呼吸をするのも忘れて、目の前の少女のことしか考えられないほどに俺の意識は奪われてしまう。
時間にして数秒のことなのに、彼女の甘い匂いを間近に感じる俺には長い時間が経過したように思えたが決してそうではない。
頬から……胸から……そして唇から逢花さんの体温が離れる。同時に光も収束していき、ついには消滅を迎えた。
彼女はぴょんっと後ろに一足し俺と距離を取った。
顔を俯けて恥ずかしそうに。
動揺の収まらない俺も次第にではあるが現状を理解しようと頭が回り始めた。
冷静になろうとすればするほど、先ほどの光景を思い出し、またぶり返す。
けれど、俺と同じように恥ずかしさに耐えている少女の姿を見てると、俺もあんな感じなんだろうなと他人事みたいに思え、そこでようやく俺は落ち着きを取り戻しつつあった。
「な……なんで……?」
今だに恥ずかしがりつつも、妬ましそうな目で逢花さんは上目遣いに俺の顔を見てきた。
「う~~~…………失敗……しました」
「…………は?」