第十二話 逢花(あえか)
昨夜、戦闘があった鳥居を抜けて、山の出口に向かって薙斗は急いでいた。
逢花さんに山を下りるように言われたから、それに従っているわけではない。
山中探し回ったが逢花さんが見つからなかったので、仕方なく神社に戻ろうと思ったその時、山下の町の方角から強い魔力を感じたからだ。
探知系の能力が大して高くない……というか、どっちかというと苦手な俺でも、遠くにいて尚感じるほどの魔力の高まり。
気にならないわけがなかった。
逢花さんとはもう一度会ってちゃんと話をしないといけない……俺はそう思っている。
魔女に違いないだろうが、かといって悪いやつってわけでもなさそうだ。いきなり襲われるなんて心配はいらないと思う。
けど、今は町で何が起こっているのかの方が気になる。
さっきまで嫌でも感じていた魔力が今ではほとんど消えてしまっている。
いったい何が起きているんだ!?
今朝は霧が軽く霞み、昨夜は暗さで視界不十分だったが、今はまだ日中なので気兼ねなく山道を進むことができた。
おかげで山を抜けるとすぐに田園広がる光景に辿り着いたのだが、すぐにその場の異常を目の当たりにした。
マジョカルが魔女相手に戦闘をした場合に、周囲の人や物に被害を与えないようにするために、一時的にその場と擬似的な空間を作り、別次元にシフトする結界を用意するのが常である。
これは空間のコピーのようなもので、結界内で起こっていることを結界外にいる者は把握できず干渉も無理で、その逆も然りである。
結界のない場所と結界によって生まれた場所は、同じように見えて、まったく異なる場所なのだ。
よって、結界内でいくら物や建物を壊そうとも、そこはコピーされた擬似空間なので、結界外では結界内と同じ場所であったとしても厳密には違う場所なので、物が壊れたり建物が破壊されているなどということはない。
その結界が弱々しく目の前に展開されている。
結界を張った者の生命状態によって結界が弱まったり自然と解かれたりするのだが、この島にいるマジョカルは俺とレンの二人のみだ。
俺でないとしたら残りはレンが結界を張ったとしか考えられないのだが、結界の状態からして中にいるレンに何かあったに違いない。
俺は水面に手を入れるかのように結界にゆっくり触れていき、順に身体も通して、結界の中に入った。
十メートルも離れていない畑の中に血まみれの人が倒れているのが見える。
こういう距離がある時は普段以上に顔が分からないというのはやっかいだ。
遠くからだと相手の顔のパーツどころか癖や雰囲気すらも見えやしない。
目の前まで来て、そこでようやく俺は凄惨な姿で倒れている人物が誰なのか認識することができた。
衣服を血で染め上げ、左目を塞がれ、右腕は本来あるはずの肘から下を失っていた。肩を上下に揺らして息を整えようとしているところを見ると意識はあるようだが。
「レンさん!」
「……瑞原君ですか。見てのとおり派手にやられてしまいましたよ」
「傷に障るから、しゃべらなくても……」
「私の周囲をよく見てください……」
言われたとおりレンの周囲を確認すると、レンを囲むように四隅に小型のランプのような物が置かれており、四つ全てに灯りがともされていた。
これは持続回復結界【デュレイション・ヒール・フィールド】を発生させる装置で、この囲いの中で光を浴びていれば傷が癒されていくという便利なもの。
「魔女のように魔法が使えれば、こういう物に頼らなくても良いんですけどねぇ……」
魔女を肯定するような言葉は本来マジョカルにあってはならないのだが、それだけレンの心身が弱っているのだろう。
「……レンさん、誰にやられた?」
魔女との戦闘で負傷したに違いないのを知りつつ俺は尋ねた。
俺が知りたかったのは、レンと戦ったのがどっちの魔女かである。もし逢花さんであれば、逢花さんと戦う理由ができてしまう。
マジョカルが魔女を倒すのは絶対だと教え込まれてきたが、だからと言って理由なく魔女と事を構える気には俺には到底できないし、する気もない。
だが、マジョカルが退治すべしと唱える魔女そのものであれば、戦うことも辞さない。
山中で俺の落としたスマホを一緒に探しに行ったあの時、逢花さんの魔女としての資質に俺は驚いたが、落ち着いて考えてみれば、骨犬の群れから俺を助けてくれたように思える。
おそらく俺一人では危なかっただろう。
自分を助けてくれた逢花さんと出来れば戦いたくない。
その場合、逢花さんの親友、音羽水葉が魔女ということであるのだが、それも喜ばしいことではなく、それ以前に同じ地に魔女が二人もいるという椿事が起きているということになる。
「思っていたとおり……音羽水葉が『魔女』でした」
レンはまだ逢花さんが魔女であることを知らないので自体の深刻さが俺のそれとは違うだろうが、レンの告げる言葉は俺にとってとても重いものだった。
マジョカルとして一人立ちしているレンを倒せるほどの魔女の他に、上位魔女がもう一人いる現状。
レンの傷からして、徐々に癒えてきているとはいえ、しばらく戦闘なんてできないだろう。まして魔女クラスを相手にするには厳しすぎる。
今からマジョカル組織に応援を頼むにしても到着まで時間を要するはず。
陸続きの本土ならいざ知らず、ここは本土から海を隔てた孤島なのだ。交通の便が不自由すぎる。
自分たちが来る前にすでに現地にマジョカルがいるとした場合。
これもないだろう。
それなら最初から自分たちがここに来ることはなく、現地にいるマジョカルに依頼を頼んでいたはずだ。
よって、この島にいるマジョカルは自分とレンのみ。
出来ればレンが完治してからこちらも動きたいのだが、魔女がレンと接触した以上、魔女がいつまでもこの地に留まってくれるとは限らない。
すぐ何かしらの行動を起こしてもおかしくないのだ。
魔女を逃がしてしまえば、いつ災厄が起きるかわかったものではない。それだけは阻止せねば。
状況は最悪だ。
レンが動けない今、自分一人でなんとかするしかない。
「レンさん、魔女はどこへ?」
「……神社の方へ向かいましたよ。そこが本拠地で間違いないでしょうねぇ。……言わなくても分かっているとは思いますが、深追いは禁物ですよ。危なくなったら戻りなさい。私も後で行きますので」
どうやらレンはこちらの考えを察してくれたようだ。なら話は早い。
レンには悪いがここに置いていかせてもらおう。下手に動くよりも回復結界の中にいる方が良い。
「動けるようになったらで良いので、マジョカル組織に応援をお願いします。今回の一件に間に合わない可能性が高いとは思うけど念のために」
間に合わなくとも、俺たちが全滅した時のことも考えて、今までのことを連絡しておいた方が良いだろう。もっとも、やられるつもりなどないが。
一度、俺は神社のある辺りを首を上げて一瞥し、すぐに神社へ引き返すべく山の中に戻ることにした。
逢花さんを先に探すか、音羽水葉のとこへ先に向かうか、正直まだ迷っているがとにかく神社を目指そう。
***
日が沈み始め夕日となって空を赤く染め上げている。
時間があれば、ゆっくりとこの綺麗な夕焼け空を見ていたいが今はのんびりしている場合ではないので、俺は意識を再び山上へと向けた。
俺の見つめる先には月之杜神社がある。
そこに音羽水葉がいるはず。
神社とは本来、神聖な場所として大昔から語り継がれてきた場所だというのに、今や魔女の本拠地として使われているとは皮肉なものだ。
茂みを両手で掻き分けながら俺は道なき道を突き進んでいた。
参拝客用の道を通れば楽に行けるのだが、それでは昨夜のように罠に当たる可能性があるので、多少手間でも余計な危険を減らすためにもこうして獣道を選ぶことにした。
「ハァハァ……もう大分歩いたはずだけど、そろそろ神社の裏側が見えてくる頃か」
普通の道を通るより何倍も疲労を感じる。
疲れたまま神社に乗り込んで戦闘にでもなったら堪らない。ここらで休憩を入れたほうが良いだろう。
「ふぅ~……」
「大分お疲れのようですね」
「!! あ、逢花……さん」
「はい♪」
地べたにどっしりと尻を置き、両足をピンっと伸ばし完全にリラックスモードだった俺の背後から突然聞き覚えのある声がし、びっくりして振り向くとそこにはいったいどうやって気付かれずにここまで来ることができたのか、襟を着衣の乱れなくしっかりと閉じた着物のような【戦舞衣装変換】をしたままの銀髪の少女がいた。
「瑞原さん…………私、言いましたよね? 山を下りるようにって」
顔は笑顔を浮かべていると思われるが、目に殺気のようなものが篭っている……ような。なんだか背後に『ゴゴゴゴゴゴゴ!!』みたいな効果音が見えてきた…………のは気のせいか。
…………怖い。
「いや、言われたとおり、ちゃんと下りたぞ! うん! ただ、その……その後すぐにまた登っただけというか……」
「…………」
あ。呆れられた……。
「もう! それじゃ意味がありません!」
本気で怒っているわけではないのだが、出来の悪い子供を嗜めるような、そんな感じで注意されるとたじたじになってしまう。
だが、こんな何気ないやりとりができるのなら、何も戦わなくたって話し合いで解決できるんじゃないかという希望が持て、少し気分が楽になった。
「それよりも! あんたに聞きたいことがあるんだ」
俺の周りの温度が瞬間下がったような気がした。
実際にはそんなことはなかったんだろうが、少なくとも逢花さんの表情が真剣なものに変わった途端、言い知れぬ寒気を感じた。
「……良いでしょう。その代わり、あなたのことも教えてもらいますよ?」
「ギブアンドテイクか。わかった、それでいこう。それじゃあ、まずは俺から聞かせてもらって良いかな?」
両目をそっと逢花さんが閉じた。
それを俺は肯定と受け取ることにした。
「単刀直入に聞く。……あんたは『魔女』か?」
突然、逢花さんの周囲から突風がこちらを吹きつけた。これは二時間ほど前に骨犬に襲われそうになった時、逢花さんの身体に渦巻いていた魔力の奔流そのものだ。
もっとも、あの時は骨犬に対して魔力のプレッシャーを与えていたが、今、ここにいるのは俺一人である。当然、この魔力は俺に向けられたもの以外ありえない。
先ほど前までの和やかな空気が嘘のようだ。
「待った! 俺はあんたと戦う気なんて……」
「見てのとおり、あなた方から言えば私は魔女です。…………あなたなら私の力も感じられると思います」
「ああ。今なら分かるよ。……すごい魔力だ」
正直、想像以上だった……恐ろしいぐらいだ。…………それでも退くわけにはいかない。
「それで、まだ交渉は継続中だと思って良いのかな?」
両目を伏せたままでも分かる笑顔を向けながら。
「ええ」
と言いながら、なぜか彼女は左腕を空に向かって上げ、骨犬との戦闘で驚異的な威力を見せた、あの時と同じ構えをとった。
逢花の上空に魔法陣が浮かぶ。
おいおい。言ってることとやってることが違うんですけど……。
さすがにあれはヤバいだろ…………
彼女が上げていた左腕を振り下ろす。
それを合図に俺の目の前が真っ白な閃光に包まれた。
***
月之杜神社裏手側から離れた山中の一角で激しい爆音が山を震わせた。
山にいた鳥が一斉に他の場所へ飛び立つ姿を神社の本殿から音羽水葉は眺めていた。
「どうやら終わったみたいね」
学生服から巫女服へ着替え中に起きた出来事だったが、その場にいなくても何が起きたのかは『この子の能力』で分かる。
逢花がマジョカルの残り一人と戦ったのだ。なぜ過去形かというと、逢花と戦って無事に済むわけがないからだ。
すでにあの少年はこの世に存在しないだろう。
「あの子ったら私に嫌がらせのつもりなのかしらね。あの少年の苦痛に歪む顔、最期まで見たかったわぁ」
右目を瞑り、その上に右手の掌を被せることで逢花の視界から見えるものを共有していたのだが、逢花が視界を塞いだことで肝心の少年の最期が見れなくなり、楽しんでいた子供がおもちゃを取り上げられたようなそんな気分を受けた。
逢花は私と違って誰にでも優しいのでそういう態度も仕方ないのかもしれないけど。
「あの子使えるのだけど、もう少し逢花には自分の立場を分かってもらった方が良いのかもしれないわね」
着替え終わった私は備え付けの鏡に映る自分の巫女姿を見て苦笑した。何度見ても慣れないものだ。
「まさか魔女である私が巫女の真似事するとはね」
けれど、それももう少しで終わりよ。
マジョカルにこの場を嗅ぎ付けられた以上、例えマジョカルの二人を始末したとはいえ、その二人がいつまでも戻らなければ不信に思って、いずれ新たなマジョカルを派遣するに違いない。
そうなれば、また常に身の危険に怯えながら過ごすことになってしまう。
ここでのやるべき事を早急に済ませ、この地から離れなければならなくなった。
「本当はまだ早いのだけど仕方ないわね……」
再び、片目を瞑り掌を被せる。今度は意識を離れた場所にいる逢花に届くように集中して。
『逢花、そっちはどう?』
呼びかけた後、ゆっくりと向こう側の視界が開いていくのがわかる。
逢花から見える視界が完全にこちらと共有した時、そこに見えたのは半扇型に範囲内の全ての木々が太さに関係なく真っ二つに薙倒された光景だった。
緑の映える山の一面は、伐採後の不自然な半扇状の一帯が広々と刻まれており、それは山の四分の一近くをも占めていた。
今日の昼過ぎまでは確かに辺り一面緑が広がる美しい山だったというのに。
こんなとんでもないことができるのは逢花しかいない。逢花の攻撃によって作り出された傷跡だとすぐに私は気付いた。
これではひとたまりもあるまい。
『相変わらずでたらめな力ね。あなたのは』
『……見てのとおりです。あの人も』
『そう。なら疲れるから視界を元に戻すわ。これ使うと、私とあなたが見ている情景を同時に見てしまって、脳が軽いパニック状態になるのよね。あなたからは共有していないから分からないでしょうけど。……まぁいいわ。逢花戻ってらっしゃい』
『わかったわ』
そこで視界の一方的な共有は終わった。
巫女が水晶を使用して行う【遠視】を、魔法で他者と視界を一方的に共有できるように改良したこの術は便利なのだが、ちょっとした乗り物酔いに近い状態になるのが欠点だ。
(少し休んだら、さっさと目的を果たすとしましょう。……二年かけて準備したのです。今更、邪魔などさせるものか)
「ふふふ。『水葉』、長かったですが今日であなたともお別れです」