第十一話 マジョカルと巫女
学校でよく見かける昼休みのどこにでもある光景。
いつものようにベンチに腰掛け、逢花手作りの弁当を水葉は食べ終わるところだった。
ただ、今日はいつもと違い逢花がいない。
「もう! ……あいつのせいで一人で食べることになっちゃったじゃない」
逢花が昼で早退したことを知ったクラスメイトの友達に一緒に食べようと誘われたが、なんとなく断ってしまい、今に至る。
(今頃、逢花、ちゃんと神社に着いてる頃かしら)
あの男の弁当も実は作っていた逢花は、怪我の様子見も兼ねて最初から弁当を渡しに学校を早退して神社に帰るつもりだったみたい。
大人しい逢花があの男に変なことされないかと心配だったから私も一緒に帰ると言ったんだけど、逢花は心配しすぎと言い一人で帰っていった。
ああ見えて逢花は言い出すと頑固なところがあるので、私はしぶしぶ引き止めるのを諦めるしかなかった。
(全て、あいつのせいよ!)
スカートのポケットから自分のとは違うスマホを取り出し、画面を覗いてみる。
液晶画面には初期から設定されていそうな簡素な画面に、現時刻12時47分と表示されている。
(えい!)
私は指を数度動かし、それが終わると画面を閉じた。
(ふふ。びっくりするかしら、あいつ)
ちょっと子供っぽいかなぁと思わなくもないが、復讐せずにはいられない気分なのだ。
男に裸を見られるなんて…………初めてよ……こんなこと。乙女の肌はそんなに安いものじゃないんだから!
『トゥルルルル――!』
スマホに施した悪戯に満足している時、いきなりスマホが鳴りだした。どうやら音声通話の呼び出しらしい。
自分のスマホではないのでどうしたものかと躊躇ったが電話に出ることにした。
「……もしもし。えと……」
「瑞原くんですか? 昨日となんだか声が違うような?」
「い、いえ……私、音羽と申します。このスマホが落ちていたのをたまたま拾いまして、学校が終わったら持ち主に返しに行こうかと……」
「…………音羽? あの月之杜神社のですか?」
「はい」
「…………」
電話の声の主が黙り込んだので何かおかしなことを言ってしまったかなと、自分の会話を思い返してみたけど特におかしなことは言ってなかったと思う。……多分。
「これは失礼しました。ちょっと考え事をしてまして。瑞原くんはご存知でしょうか?」
瑞原という名の人が、今朝に出会ったあの男子のことなのだとすぐに私は思った。
「多分……その方なら気を失い倒れましたので、今は当神社にて療養のためお預かりしております」
まぁ、倒れたというよりも倒したんだけど。
「……なるほど。これはご親切にありがとうございます。……良ければ、瑞原くんのいるところまで案内をお願いしたいのですが。ああ、もちろん、そちらの都合の良い時間で構いませんので」
淡々と話す人だなぁと思った。
家族なのか友達なのかは分からないが、知人が倒れたと聞けば、もう少し慌てても良いようなものなのに。
それとも電話の声と違って、実は顔色が変わってたりしてるのかしら?
考えてもせんないことだけど。
「わかりました。……15時半に神名駅の改札口で待ち合わせでよろしいでしょうか?」
「ええ、よろしくお願いします。では、これで失礼します」
電話が切れた。
そういえば名前を聞くのを忘れていたことに今になって気付いたけど、なんとかなるだろうと思い考えるのを止めた。
今はそれよりも休憩時間が残り少ないことの方が大事だわ。早く教室に戻らないと。
(今日は五時限で終わりだし、放課後すぐ帰れば時間は大丈夫よね)
さっきの電話の声を聞いてから、なんだか言い知れない不安を感じ始めた私は、その不安を紛らわすために無意識に首飾りの宝飾を人差し指と親指で挟んで、指の腹で転がし続けていた。
母が生前に贈ってくれた翡翠色のこの首飾りには退魔の力があり、私を守ってくれると母から聞かされていた。以来、肌身離さず首に身に付け、不安なことや寂しい思いをする度に、近くで母が守ってくれているような、そんな気がして首飾りを触る癖が私にはあった。
無意識下で行っているので、私に自覚はないのだけど。
「よし! あと一時間頑張ろっと」
充電完了し気持ちを切り替えた私は、弁当箱を小包に仕舞い、校舎に向かって歩き始めた。
午後03時17分。
神名駅下車し、スマホで時間を確認。
あとはこのまま改札口へ行くだけなので時間には間に合うと思う。
案の定、改札口前に待ち人らしい、この辺りでは見覚えのない男性が立っていたので、私は切符を改札に通して、そちらへ向かった。
男は背が高く180センチ以上はありそう。歳は二十後半? 三十いってるかも? 身長の割りに細く、髪が緑の青年がこちらに気付いたみたいでやって来る。
「はじめまして。私、電話でお話させて頂いたレンと言います。音羽さん……ですよね?」
「はい。お待たせして、すみません」
「いえ、こちらが急に言い出したことなので。……早速ですが、瑞原くんのいる場所まで案内お願いできますか?」
「……わかりました。少し歩きますので付いて来て下さい」
なんだろう。
この人とは初対面のはずなのに何か嫌な感じがするような。
電話でも、実際に会った時でも丁寧な物言いで別に不快に思うようなところはなかったはずなんだけど。
それなのに私の中の何かが警鐘を鳴らしている。
こういう時の私の勘はよく当たるので疎かにはできないのよね……。
たかが勘だからと言って馬鹿にはできない。
一見正しく思える選択でも必ずしもその選択が正しいとは、後になってみないと誰にも分からない。
人は選択を迫られた時、自分にとって良いと思える確率の高い選択を選ぶが、所詮は『確率』なのである。確率の高い選択を選んだからと言って必ず失敗しないとは限らない。
この世に100%わかることなんてそうそうないのだ。
それが重大なことであればあるほどに。
だからこそ、人は『勘』によって補足する。
経験や知識によって得た判断材料……つまり、経験に裏打ちされた勘と論理的選択が近ければ近いほど勘の精度は増す。
この世は確率に満ち溢れているのだ。
そう、私は思っている。
神社で巫女をしているという職業柄、地元の人に声を掛けられることが多い。
そのため、いろんな人の表情を見てきたが、後ろを歩くレンという名の青年の表情を見た時はゾッとした。
浮かべている笑顔とは違って、心は一切笑っていない……そんな『勘』が働いたのだ。
「どうかしましたか?」
突然、後ろから声を掛けられたので、自分の考えていたことが知られたのかと思い、ビクッとしてしまったけど、どうやらそんなわけではなさそう。
「……いえ、なんでも…………?」
随分長い時間、考え事に耽ってしまっていたのか、いつの間にか、駅周辺の商店街を抜け、住宅地も抜け、畑広がる道に辿り着いていた。
しかし、何かがおかしい。
もともと人の少ない道ではあるのだが、人の気配どころか鳥や虫の気配すら感じられない。
いつもなら、こんなことはなかったのだが……
私は直感した。
自分の身に日常とは異なる異常が今、起きているのだと。
「ふふふ……ようやくですねぇ。この時を待ってましたよ」
声のした方を振り返り見ると、その男は先程までの作り笑顔とは別の笑顔を浮かべていた。残忍で狡猾な……さっきまでよりもよっぽど表情に心が篭っており、それが逆にこの場に緊張をもたらしていた。
(こういう勘は外れて欲しかったんだけどなぁ……)
「あなたが授業を受けている間に、この辺にあらかじめ人払いの結界を用意しておきました。私がこの辺りの道を通れば勝手に発動するやつです。音も外に漏れないようになってますので、思う存分暴れられますよ」
「ふざけないで! いったいどういうつもり?」
目の前の男は異常よ。
我が家は退魔師の家系なのでそういう人ならざるものの存在は知ってはいたが、そのどれよりも男の目からは狂気を感じ、背筋が凍るような寒気を感じた。
「どういうもなにも……あなたから微量ですが魔力を感じます。……なので殺すんですよ。私は『マジョカル』でして。……聞いたことありませんか?」
マジョカル。
その言葉に聞き覚えがあった。
お父さんが仕事で家を出る前に、逢花と二人でお父さんからマジョカルのことを聞かされたことがある。不思議と逢花はマジョカルのことを知っていたみたいだったけど、その時の私は他人事のように聞いていて気にも止めなかった。
昔、実際に行われたという魔女狩りが由来の組織だと確か言っていた気がする。
魔女を殺して世界中を回っている組織だと。
ただし、平和に暮らす一般人に手をかけるような悪事を働く魔女が標的だとも聞いた。
それがなんで私を標的にしているのよ?
当然、自分は魔女でもなければ、人に危害を加えるようなことをしたこともない……はず。今朝のことはカウントに入れないでいいわよね。
何かの間違いだと思った。
「私は魔女なんかじゃないわ! 退魔巫女よ! 私に魔法なんて使えないんだから」
「魔女でなくても良いんですよ。あなた達巫女は、魔力を用いないにせよ怪しげな術を使う者もいますからね。私達マジョカルにとって魔女もあなたも大した差異はありません」
この男に何を言っても無駄だと悟った。
犯人ありきで最初から考えているレンという男の中では、すでに自分は犯人として決定している。
そして最悪なことに、犯人を捕らえるのではなく殺すことしか頭にない。
そう思ったら恐怖で足が竦みだし、立っているのも辛くなった。
早く、ここから逃げないといけないというのに。
「きゃっ!」
突然、何か硬い物でなぎ払われ、道から外れた畑の中に落とされた。泥が衝撃を抑えてくれたので痛みはあまりなかったが、手足に泥の不快感が残る。
男の手にはいつの間にか長棒の先に大鎌が付いた、まるで死神が手に持つ鎌を持っているんじゃないかと連想してしまうほどに、男の姿が死神そのものに私の目には映った。
「おかしいですね。あなたからは僅かに魔力を感じるのですが。そろそろ本気で向かってもらわないと死んでしまいますよ?」
「ぐっ!」
再度、棒の部分で殴り飛ばされ横に倒された。
鎌の方で攻撃されていれば、死神らしく命を刈り取っていたと思う。そうしないのは私を痛ぶって楽しんでいるんだ。
二度三度と畑内で左右に飛ばされる。
悔しい。
何か男がしゃべっているようだが聞こえなくなってきた。
瞼も重く。
迫り来る『死』を身近に感じるのに身体が言うことを効いてくれない。
ここで気を失ってしまっては本当に命が奪われる。頭ではそう理解しているのに、反して意識は遠のいていく――――
「あっけなかったですねぇ。もう少し遊びたかったのですが」
止めを刺そうとレンは近付こうとする。だが、すぐに思い止まった。
「なんですか? この魔力の高まりは……」
気を失い倒れたままの音羽水葉の周囲に突如『魔力の渦』が渦巻き出す。
魔力の奔流が時々ぶつかり合い、その度に激しい火花が飛び散り、レンは思わず後ろに下がって一定の距離を取るしかなかった。
「「……眠っている間に好き放題してくれたわねぇ。まぁ、おかげでこんな日中に動くことができるのだけどね」」
渦の中から女の声に違いないが、けれどさっきまでの少女の声に重ねるようにして別の女の声が、同じ人間の口から発せられた。まるで悪霊に取り憑かれたかのように。
魔力の渦は収縮を開始し、水葉の首飾りの翡翠色の宝石に吸い込まれるように消滅した。すると、驚いたことに倒れたままの姿勢で水葉が宙に浮き、ゆっくりと起き上がる。
いよいよもって悪霊に取り憑かれてる説が現実味を帯びてきて、レンはこの異常な状況を瞬きするのも忘れて凝視した。
少女の目には精気がまるで感じられない。視線がまるで定まってなかった。
「…………これからが本番と言ったところですかねぇ」
魔力の渦は収まったとはいうものの、肌を刺すような強大な魔力をレンは身体中で感じていた。
さっきまでの少女とはまるで別人だ。
力を解放したとか、目覚めたとかそういった類のものではない。
本当に中身が違うのだ。
泳いでいた目と焦点が一箇所に合わさる。
途端、強烈な殺気を放った。
これまでのレンの人生で体験してきた、どんな殺気よりも強く、感じたことがないほど強大な悪意。普通の人間ならこの場で正気を保つのも困難なほど息が詰まるような重圧感をレンは感じていた。
そしてレンは戦わずして悟ってしまった。
「あなたの望みどおり相手をしてあげましょう。ふふ。私とあなた、どちらがこの舞台を楽しめるのでしょうね」
自分がこれから何もできずに一方的に殺されるであろうことに――――――




