第十話 戦舞衣装変換(ドレス・フォーム)
今日だけで既に三度目となる滝壺までの道のりを、俺と逢花さんは耳を澄ましながら辺りを注意深く歩いていた。
聞こえてくるのは静寂、たまに鳥の鳴き声が聞こえるのみで、もう少し歩けば、そこに滝が水面に激しく打ち付ける音と川の流れる音も加わるだろう。
「なかなか見つかりませんね……」
これで実は電話番号を間違えてたら笑えないなと思いつつ、先程から逢花さんに俺の携帯を鳴らしてもらっているのだがぜんぜん見つからずにいる。
普段は女性が苦手な俺だが、見つからない携帯のことが気になって、苦手意識を忘れてしまうほど集中して探していた。
「滝の方なのかもしれないなぁ……そこで俺、あの子に石投げられて気失ったし……」
「あ~、水葉ちゃんの水浴びを覗いちゃった時ですね」
「いや、あれはだな!……」
逢花さんの方を反射的に振り向いて抗議しようとしたが、逢花さんの表情を見て軽い後悔をしてしまった。
非難されたわけではなく、ただ、からかわれただけなのだ。
ちょっと悔しい……。
それが表情に出ていたのだろうか? 銀色の少女が俺の顔を見て苦笑いを浮かべている。
そんな逢花さんの苦笑いを突然全身を通り過ぎていった冷気のようなものが吹き飛ばした。
もちろん、俺もいきなりの異変に気付く。
体感的に急激に周囲の温度が下がったような気がするが、これが自然が起こしたものでないことを薙斗は知っていた。
これは『魔力』だ。
魔力により生み出された『結界』の中に自分たちは今いる……
しかし、なぜ……?
そんなのは決まっている。
『魔女』の仕業に違いない。
では、魔女はどっちだ?
今ここにいる逢花さんだろうか? だとしたら魔女にとって、俺一人しかいない今の状況は好機といえる。
それとも音羽水葉だろうか? その場合は、昨夜のヘルハウンドの時のようにどこか離れたところにいる可能性が高い。
この様子を見られている可能性もある。
もしくは、逢花さんでも音羽水葉でもない、俺やレンの知らない第三の魔女の存在か?
しかし、この可能性は低いだろう。ただでさえ存在の珍しい魔女がそう何人も同じ地域にいるとは思えないからだ。
どちらにしても結界を張っただけで終わりはしないことだけは確かなはず。
逢花さんの動向に気を配りつつ、俺は逢花さんが魔女でない場合も想定して、何かあれば守れるようにしようと思った。
何かカタカタという音が前方から聞こえてくる。
硬い何かと何かがぶつかり合い鳴らす音。
それは次第に近付いてきた。
骨のみで出来た犬の姿をした魔物が一体……二体と後ろから薄っすらとした霧と共にゾロゾロ現れだした。その数十体。どれも肉や皮が無く骨のみである。
冷気の波らんだ霧は今は視界こそ塞ぐほどではないにせよ、周囲に徐々に拡がっており時間の問題だ。
誰の目から見ても普通ではない状況にも関わらず、なのに、彼女は静かな足の運びで薙斗の前に進み出た。
「ちょ、逢花さん、危な……い……!」
彼女の顔には怯えや恐れといったようなものは一切見えない。
ゆっくりとこちらに振り返る彼女の顔を正面から見据えた時に俺は気付いてしまった。
願いが叶わなかったことを。
彼女は……普通の人間ではない。
そう、直感した。
「こんな状況なのに瑞原さん、冷静なんですね? 普通の人なら、非日常的なこの光景に怖がってもおかしくないのに。やはりあなたは……」
やはり?
いや、それよりも彼女……逢花さんは『魔女』だ!
「いえ……あなたも非日常と戦う力を有した者なのですね」
腰の下辺りまで周囲を満たしていた霧が、突然、逢花の足元を中心に光の帯状に変化し、ゆっくりと螺旋状に流れる。
その流れは次第に早くなり、逢花さんの姿を覆い隠した。
突風が巻き起こり、強い風が俺の頬を打ち付ける。
時間にして一瞬の出来事であったが、逢花さんを包み込んでいた光が霧と共に弾け飛び、次に逢花さんが俺の瞳に映った時には驚いたことに逢花さんの服はさっきまでの学生服から胸元が少し開けた着物のような、どこか中国や韓国の民族衣装を思わせるような服装に変わっていた。
当然、着替えたのではなく『変化』させたのだ。
【戦舞衣装変換】……高位の魔女が己の魔力で物質変換させて作り出すと言われる戦闘衣装。
物質変換だけでもかなりの魔力を必要とし相当な実力がないとできないと言われている。
それを戦闘用の対物&対魔抵抗に優れた衣装にまで昇華させたのがこの【戦舞衣装変換】だ。見た目は普通の衣服に見えても性能は天と地ほどの差がある。
この【戦舞衣装変換】を使えたというだけで上位魔術師というのが一目でわかる。
だが、それ以上に驚くべきことがあった。
似ているのだ。
俺が追っている、憧れている、『あの人』の服装とそっくりなのだ。
いや。
瓜二つと言っても過言ではない。
けれど、俺が探している『天使』とは別人だ。
顔の認識能力が欠如しているはずの俺の心の中にあの人の面影のようなものが浮かび上がる。別人なのは間違いないが、それでも少なくとも無関係とも思えない。
「君はいったい……!」
逢花さんが散らしてばかりだというのに、いつの間にか霧がまた急速な早さで逢花さんが散らす前の状態に戻ろうとしていた。
逢花さんを目で捉えることは今は可能だが、問題は先程現われた十体の骨犬もだ。
骨犬の全身が霧ですっぽり覆い隠されており、今でははっきりと姿を見ることができず、影としてしか目で追うことはできない。
犬型なのだから俊敏さに優れていると思われ、こういう視界に不自由する戦闘で相手となると驚異である。
昨夜のヘルハウンドのように数が少なければ先手必勝でなんとかなるが、数が多いとなるとさすがにそうはいかないだろう。
スッと逢花さんが左腕を上に上げた。
それに反応してか、骨犬が思い思いの方向に一斉に動き出した。
せめて同方向から来たら対応もできるのだが。
「――――――」
突然、逢花さんの半径180度の範囲内で順番に爆発が起きた。
あまりの早さで爆発が扇状に見えるが、俺の目にはかろうじて骨犬が一体一体何かしらの攻撃を受けて爆散したのが分かった。
恐ろしいことに一秒にも満たない時間でなんと十体全てが爆散したのである。
爆散と同時にその衝撃から生まれた突風で逢花さんの周囲の霧までも吹き飛ぶ。
俺には逢花さんが何をしたのかまでははっきり分からなかったが、逢花さんが腕を上げた時、彼女の背後に自分の身長よりも高い魔法陣が現われたのを見た。
初めて見る型の魔方陣に思えたが、一瞬のことだったので本当にそうであったか定かではない。
そして上げた腕の掌の中が金色に輝き周囲を爆散の嵐が襲った。
これが逢花さんの『魔法』なのだろうか? だとしたら、まさに目に見えぬ攻撃というやつだ。
逢花さんが骨犬を全滅させたのは間違いない。
霧の晴れた先で目にしたのは、木漏れ日を背に受けて立つ、こちらを見る逢花さんの、境内で話していた時と変わらぬ優しい微笑みだった。
その姿を俺は素直に美しいと思った。
「瑞原さん、すぐに山を下りてください。……その後はしばらくの間、ここに来てはダメです」
「それはいったい、どういう……」
吹き飛んだ霧が再び元の位置に戻ろうとしているかのように、また集まろうとする。
逢花さんは俺に背を向けると返事をすることなく、霧の奥へと進みだし、そしてすぐに姿を消した。