さあ、立ち上がろう!
僕たちは、大人になるときに
人類の持っている、あるいは自らの
盲目さによって
心身ともに、穢れる。
純粋無垢な子供から
穢れ、穢れて、墜落する。
罪だっていくらでも重ね
業だって、深めていく。
可愛い子には、旅をさせよ。
あるいは、
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす
とでも、言えるのかも知れない。
僕自身は、そこから立ち上がれるような
力は無いと、幾度も幾度も思っていた。
かなりドンずまりな時期があった。
実際に、寝たきりになり
生死を、さまよった。
いずれにせよ
人生をかけて、再び、洗練されていき
感動の心や、叡智を含めた
純粋無垢な心になるように
神様から引き上げられていくことが
人類の定めなのかも知れない。
人類はいつの日か
一度も、穢れない
純潔な人生を送れるような
教育体制作りや環境作りを
していくことが
必要になるだろう。
僕は罪意識から
解放されていく道が
ひとつの教育であると思っている。
罪意識からの解放とは
すなわち、良心による呵責を治めることにある。
人は良心の呵責によって、悲しみ、苦しむ。
元々、人間には清らかなものが宿っているから、呵責が起きるのであろう。
たとえば、清らかな水のなかに、わずかに色が付いたものがあれば、清らかな水は、濁り、そのわずかな濁りが気になって、気になって、仕方がなくなるように。
つまり、良心の泉に従って生きていくことが、罪意識からの解放のひとつであると、僕は思っている。
やはり自分を、誤魔化していては、駄目だ。
自分の良心に、誠実に、正直に生きていくんだ。
それから基本的には
カエルの子は、カエルなわけだから
親が先ず、愛と光の有りように
なる必要があるだろう。
子供に色々と後天的に植え付けようと
することじたいに、どこか無理がある。
先天的に良いものを宿すには
親の在り方も、重要だ!
また、ほとんどの世の中の教育というものは
まだまだ能力主義に自惚れていて
本当の総合の愛や
他を尊敬し合い、支え合い、寄り添い合い
違うテイストを出し合い、頭を下げ合う
和の心に
到達する教育というものが
欠如している。
しかも、社会に出たら、なおさら
自他を比べ合い、争う
ドングリの背比べをしている
とても残念な在り方の
競争社会が待っている。
元々、個性や違いや役割というものを
天から授かっているから
争う必要なんて、ないというのに…。 違いにより、補い、助け合えるというのに…。 さらに、競争したくないという
意志を示したら 「なんだ、使えない奴」
と言われて、ダメ人間のレッテルを貼られて
リストラにさえ遭うだろう。
が、しかし、ながら人生は
常に、自分次第である。
僕たちは、自分に、目覚めていこう。
情報に埋もれずに、自分を感じて、自分を愛そう。
必ず、自分にぴったりの働き方が
あるものだ。
無ければ、自ら、会社を興せば良い。
人間は可能性に満ち溢れた存在であることを
いつの日も、忘れてはならない。
僕らは、必ず、快活で楽しく
味わい深い、よろこびの人生を送れる。
この課題には、決して、屈してはならない!
もっと、楽天家になろう!
魂というものは、いつでもどこでも
明るく逞しい、光を放っている。
今、この言葉が厳しく感じるのなら
充分に休んでから、再び
実践していけば良い。
思う存分に、休んだら
自然と覚悟が定まるだろう
神様を味方につけて
天地一切のものを味方にして
友となり
さあ、立ち上がろう!
友となれない存在があったとしても
すぐに、諦めてはならない。
さあ、立ち上がろう!
愛から産まれた僕たちには
自分や世界を豊かにする
輝かしい創造力があるのだから
さあ、立ち上がろう!




