69 基礎を固めましょう
前回までの粗筋
貴腐ワイン開発に成功して資金に余裕が生まれたティアは、ヒューパの城に学校を作り、自分の家来にした子供達への教育に力を入れていた。
★帝歴2502年5月7日 ヒューパ・ジョフ親方の工房 ティア
私達は、川辺に建てられた水車小屋を利用したジョフ親方の工房にやってきていた。
工房へは男の子達ほぼ全員がここにいる。
女の子達はうちでとある物の開発をやらせていて、ここには連れて来ていない、基本的に危なくない実験なので任せている。
「こんにちはー、親方、ウチの職人見習いを連れてきたよー」
「おお、いらっしゃいませ姫様、こりゃまた可愛いチビも混ざってますな」
「えへへ、そうでしょ、この子達にもお仕事を覚えさせてあげたいの」
一緒に連れてきたのは、悪ガキ組と以前ホラの街の有力者達の家から救い出した少年達だ。
ホラの領内から救い出された彼らは、女の子達と違って、顔に傷は付けられていないが、栄養状態が悪かったらしく、まだちゃんと体は回復していないが、最近ようやく顔に表情が出るようになってきた。
今はしっかり食べさせて回復重視ですよ。子供はしっかり食べる、それがお仕事。
二ヶ月前、初めて彼らがうちに来た時の事だった、私が彼らに夢や希望を尋ねた時、いくら説明してもその意味を全く理解してくれずどうしようかなーって思ってたら、『彼ら自身あまりに過酷な環境で育ったため夢や希望その物が欠落してる』とゲネスに教えてもらうまで、彼らがなぜ理解できないのか私も分かってなかった。
子供には夢や希望が当たり前にあると、勝手に思っていた自分を反省しました。
悪ガキ組も含めて、これから私の庇護下で生きてもらうからには、無理やり夢や希望を持ってもらうつもりはないが、せめてその意味ぐらいは知ってもらいたい。それが主人としての最低限の義務だ。
私は彼らを率いる主人としてもっと強くならなきゃ。
彼らの引き継ぎをジョフ親方のお弟子さん達にお願いしてたら、うちのベック君がニコニコしている。
「親方ー、また一緒にお仕事できるのとっても嬉しいですー」
いつもよりずっと元気になっているのを見ると、工房での仕事が性に合ってるんだろうかな。
以前、親方との打ち合わせで工房に連れて来て仕事をさせてみたら、ベックは手先がかなり器用だったので、工房でのこれからに期待している。
…でも、工房での開発業を彼にやってもいたいが、勉強の方もしっかりやってもらわないと、これから私が作りたい物を理解するには辛いんだよねえ。
工房の奥に案内してくれた親方が口を開く。
「姫様、言われていた物の試作機ができました、こちらにきて御覧ください」
「うわ、本当に作れたのね、さすが親方」
私が案内されたのは、工房の奥に置かれた機械だ。
親方に開発を頼んでいた物、それは、旋盤。
水車の動力を利用して、工作したい材料を三点式の万力で止めて回転させ、それをハンドルを回しながら位置を決めた切削用の刃物で削る道具だ。
これを使えば、例えばネジや歯車軸のように同じ大きさで規格統一された部品が、いくつでも作れるようになる。
去年の年末、最初に親方との打ち合わせで描いたスケッチと、部品の方を回転させるために固定する万力部分の説明と、切削部分で部品を削るためにここを動かす方法を考えてもらっただけで、たった一冬の間に、かなりの物ができあがっていた。
親方が見せてくれた試作機はまだ精密な物は作れないが、この試作機で作った部品を使って、もっと精巧な物を作れる旋盤を作っていくのがこれからの目的。
「さすが親方ですね、ここまでの物を早くも作れるとは」
「姫様、まだまだ問題はあります、この旋盤その物の精度が足りませんし、何より、回転数を上げると刃物部分がすぐに焼き付いて使い物にならなくなるのです」
「旋盤の精度の問題は、この機械で精度を出した部品作ってもっと精度の高い旋盤を作れば解決しますね。
……問題は、刃物の焼きつきですか……油を挿しながら刃物部分の温度を下げれば良いのですが、燃えない油にするための薬品が作れないんですよねえ、水だけだと錆びちゃうし、うーん」
油類は鉱物油が手に入らない代わりに、木炭の乾留作業で出る油があるのでアレを使おうか。
うーん、ここは少々錆びてもいいから水と石油を石鹸で混ぜただけの物を使って、後で、拭きとって油砥石で油つけながら仕上げるといいのかな?
昔化学工場で働いていた頃、この手の切削油に入れるケミカル類を扱っていたけど、切削油に防腐剤入れないと廃液が腐るし、錆止めがないとすぐ錆びる、他にも色々と大量の薬品が入ってるんだよね。
本格的に工業化した時の環境汚染が怖いなあ、絶対に後から支払うコストの方が高くつくし。
これからの課題がまた増えたよ、子供達の家来は増えたけど彼らは基礎の勉強を始めたばかりだし、上手い知恵を出せるようになるにはまだ先の話だなあ……まいったね。
親方には、石鹸を使って油を水と混ぜ合わせた物で、刃物部分の冷却と抵抗を減らす方向でお願いした。
切削油に関しては、色々と試していくしかないかな。
とにかく今は、もっと精度が高い旋盤を作ってもらうのが先です。
「ジョフ親方、旋盤の開発お願いします、これからは午後からベック達をこちらへ寄こしますので使ってください」
「了解しました姫様、あいつらを鍛えてやりますよワッハハッハハ。
それから姫様、以前言っていた製鉄の高炉建設の件ですが」
「ああ、あれどうなりそうですか?」
「ええ、姫様のおっしゃった石炭を使うのと水車動力で空気を送り込む高炉は、今回見合わせる事になりそうです。
製鉄用の10mぐらいの高さがある大型高炉は、昔から使い方を知られていますが、ヒューパで使わなかったのは、木炭が大量に必要なのと、火精霊魔法で使う大量のマーヤ魔力が必要だったのが大きいです。精霊魔法使いを大勢雇うとコストに見合わないので、恐らく他の国々でも使ってはいないはずですよ」
鉄を溶かすためには大量の熱が必要だ、高炉を運営するにはフイゴで空気を大量に送り込んで中の燃焼温度を上げる必要があるが、この世界では魔法があるので物理で空気送り込む方法は使ってなかったみたいだね。
「ですが、去年ホラとの戦で大勢の冒険者の奴隷が手に入りました。彼らの視力を奪って鉱山奴隷にしましたが、やっぱり目が見えないのであまり使えません、ですが大なり小なり精霊魔法を使えるので、彼らのマーヤ魔力を使って高炉を運営させるのが決まりました」
あー、あいつらか。新しい資源としてみたら有効活用したいよねえ。
「それに、できることなら、高炉を建設するのは鉱山から近いファベル村にしたいですしね、となると、あそこでは水車が使えませんから」
「分かりました親方、近い将来もっと鉄が必要になったら私の方法を考慮してください。恐らく近い内に木炭を大量に消費するので森林資源が足らなくなるはずです、そうなる前に石炭を使った方法に切り替えられるよう、実験を進めて準備はしておいてくださいね」
鉄の大量生産となると、木炭はダメだね。日本でも江戸末期や明治の頃の山の写真を見ると、どこの山も木が伐採されすぎてハゲ山になっていた。
映画のも○のけ姫の世界でも、たたら製鉄用に大量の木を伐採して炭を作っていたからなあ。
地球上で人口の上限を決める要素の中で一番大きいのは、水でも食料でもなく、燃料だと言われている。
燃料は生活を支えて、その上文明を支える。
この世界では、魔法で燃焼温度上げられるって素敵手法が使えるので、大変便利そうですよね。
多分、以前読んだこの世界の歴史にあった、旧帝国の魔法文明にはこの辺りの技術も含まれているんだろうかな、出来ることならその頃の本を読んで研究したいよお、何もかも1から開発するのは辛いもん。
私は、このまま子供達を親方にお願いして、トラビスと一緒に城に帰えることにした。
★帝歴2502年5月7日 ヒューパ城 ティア
城に帰ると、チュニカ達女の子組にお願いしていた、あるモノの実験の結果を確認する。
「チュニカー、どう? 上手くできてる?」
「姫様、おかえりなさいませ、前の物よりかはマシなのですが、なかなか泥臭い味は抜けきれてないです」
彼女達に命じて作らせていたのは、甜菜大根を使った砂糖の採取だ。
この子達は鼻がきかない事情はあるが、この酷い味は、臭いがダメでも舌先で分かるから彼女達でも大丈夫。
以前、ブドウ狩りに行った時食べた甜菜大根、あの時食べた味は忘れられない。
エグい! 味は泥そのものでエグい。
舌の上で踊るようなエグさだったのよねえ。
去年の年末、あのエグさ体験をアルマ商会さんに話したら。
『ああ、あれを食べたのですか、アハハハ。あれはですね、輪切りにしてから一度焼いて食べるんですよ、そうすると甘さが引き立ってですね、あのエグさと泥臭さが減ってなんとか食べられるようになるんです。ただし、焼いて熱々で食べないと冷えるとまたあの泥臭いのが復活しますよ』
と言われて、笑われたのが悔しかったので、私も試しにやってみたら、確かに泥臭いエグみは少し残ってるが、甘みが強くなっていて食べられないことはない。
この時、閃いたんですよ。
もしかしてこの甘味って砂糖の甘みじゃないのかと。
確か大根から砂糖が採れる種類がある雑学を何となく覚えていた。多分近世のヨーロッパで開発されたはず。
何とかしてこの泥臭いエグみを取り除けないか、食用油に漬け込んでみたり、お酢で漬け込んでみたりとエグみ成分を抽出してみようと実験してみたのだけれども、どうやら煮汁に溶け出す砂糖分だけを取り出す方が確実ではと方向を変えていた。
大量に買ってきていた甜菜大根を使って実験を冬から春の間、首都でやってる春の社交界にも行かず、ずっと実験をやってていました。
春の社交界…行きたかったなあ、お父さんに『お前は大暴れしすぎたので今年は連れて行かない』って言われてお留守番をしていたのよねえ。はあ……
結局ですが、細く千切りにした物をお湯で煮出した液が一番マシな物ができたのですが、まだ泥臭いエグみが抜け切れなかった。
この煮出した液をさらに煮詰めてみたり、アク取り用の灰汁を入れて不純物を沈殿してみたけど、成分その物が取り除けなかった。
実は何度か、上手く泥臭さが抜けた砂糖液ができた事があったのですが、同じ大根で次に作ると全く再現できない。やっぱり泥臭いエグみが残ってこのままでは使えそうにない。
しょうがないので、煮出しの時間の問題なのかと、沸騰する時間を砂時計で図らせて実験を繰り返しているのが今の状況です。
砂糖の事は置いておいて、工業化の方はどうやら一歩ずつ動き出している。
ジョフ親方に作ってもらってる旋盤ができたら、色んな機械が作れるようになるはず……多分。
水車動力を使った遠心分離器を作って、成分を分離すれば、この泥臭いエグみを取り除けるかもしれないな。
この砂糖造りに成功したら、子供達の服を買ってあげられるし、もう少し大きな建物を建てて、街の子供達や、各村々にも読み書きソロバンを広めたい。
派手な改革はやれてないけど、私が知っている文明の基礎部分を作り上げてる手応えは感じている。
開発回です。
タイトルは後で変更するかもしれません。




