48 撤退戦 その2
ホラの軍勢の前にヒューパの防衛軍は敗れ、後方支援部隊の名目上の指揮官をしていたティアは、有耶無耶な形で指揮権を行使して「ヤマタ作戦」を開始する。森を焼き敵の足止め、負けた味方を収容して治療、カタの村から後方に陣地構築してホラ軍を迎え撃つ。以上の作戦を各責任者にまかせ、自分は父親を救うべく森を焼きに最前線へと急行した。
★帝歴2501年 10月1日夕方 森→べケニ村 ティア
救援に来た私の顔を見てお父さんが怒り出す。
「ティア、あれほど危ない真似はよしなさいと言っただろう、それにその格好はなんだ、お父さんの軽銀の甲冑をあげたじゃないか、なんでいつものズボン姿なんだ」
あーうるさいうるさい、身体に何本かボウガンの矢が刺さっていて、青い顔をしているくせに小言なんかいいでしょ、まったく。負けている私達に選択肢は少ないんだからしょうがないじゃない。
私達は配られたカードで勝負するしかないの。
私は昔の偉人の言葉を思い出す。確か古代ギリシャの犬派哲学者スヌーピーの言葉だ。
犬派といえば、シニカルの語源にもなった、かのアレキサンダー大王が教えを請うた程の哲学者だったはず。…含蓄があるなあ、私は。
私はお父さんにポーションを手渡し飲ませると、さっさと森の外へと移動することにした。
このままここにいると、火事に巻き込まれてせっかく助けに来た私達が死んじゃう。
森から抜けだして、無人になったべケニ村に入ると、怪我人達の応急手当を行う。
森から続く道を見渡せる場所には、騎士のトートさんが立ち、警戒をしてくれている。激戦を戦った後なのにタフな人だ。
お父さんの怪我は、ホラの騎士の突撃の攻撃でプラーナ防御を突破されてできた物だと言っている。すぐにポーションを飲んだが中途半端な回復になり、何度も危険な状態になったそうだ。
もう、お父さんこそ危ないことしちゃってるじゃない、男の人って無茶するんだから。もう。
私がプンスカ怒っていると、兵士たちがお父さんの身体に刺さった矢をペンチの大きいので切り、鏃に縄を括りつけて引き抜こうとしていたので、私が持ってきたエチルアルコールで、矢と傷口を消毒をする。
身体の中にこれ以上ばい菌を入れる訳にはいかない。
腕の外に飛び出た鏃に紐を括りつけ、せいのっ、で引き抜くと、お父さんは小さくうめき声を出しただけで耐えている。
その傷口をもう一度エチルアルコールで洗い流し、薬草を塗った膏薬で貼り付けると包帯を巻いて終わり。
顔の傷も持ってきた無菌水で洗い流して、エチルアルコール消毒。その場で糸で傷口を縫い付けてしまう。
全部麻酔無しでやっていたので、この時代の人達は偉いなあと思った。
麻酔無しとか私には無理だわ、怪我しないようにしなきゃ。……無茶しぱなっしの自分の事は棚に上げている。
お父さんの治療が終ったので、他の兵士達の治療をすすめる間に、テーブルの上に寝させているお父さんに簡単な報告をする。
「お父さん辛い所ごめんなさい、後方の現状を説明します。今後方ではカタの村から5kmぐらい下がった、崖に囲まれた場所に後方陣地を築かせています」
地図をお父さんに見せて場所を確認してもらう。
「悪くない場所だが、兵は足りるのか? それと陣地を構築して兵を並べる時間の余裕はあるのか?」
「敗軍になった兵士をカタの村に集めさせ、治療を施しています。
少数でしたが予備の武器と装備が有りました、そちらを持たせれば……恐らく足りるでしょう(それだけ兵士が減ってしまったと言うことだ)
時間的余裕ですが、先ほど見ていただいた通り、森を焼き足止めを行います。カタの村の前にある森を焼けばもう一日は時間的な余裕が作れるでしょう」
私の言葉にお父さんの顔が少し曇る。
「ティア、そなた森を焼くと言う意味は分かっているのか? 森はそこに住まう村人たちの生命線であり、めぐみの地なのだぞ、簡単に焼くと言う選択を成すと後々に禍根を残すことになる、その覚悟はあるのか?」
……そうか、中世の森は住人にとって燃料の確保や、食料等を維持するための重要な共有財産だったな、ここに来る途中、べケニ村の人達に森を焼くと言った時の表情はそういう事だったのか……だけど。
「……焼きます…それでも焼きます。今は命を助ける方が優先されるべき事態です。
ホラの騎士達の残酷な用兵ぶりや、以前私が経験したファベル村への襲撃事件を見れば、ホラの騎士達は人の命を恐ろしく軽く見ているのが、異世界の知識を持つ私にも分かります。
今は時間を稼ぐことが最善手と判断します」
「わかった、その方針で行こう。
次に、ホラの奴らの戦術は聞いたようだな? 味方の兵士の上を踏み潰しながら馬防柵を吹き飛ばして突入してくるぞ、それへの準備はどうする?」
「そちらも例のカガクの力を応用した物を準備しております」
「危ない物を作るのは禁止していたはずだが?」
「前に作った物程危ない物ではないですが、とある物を作っています……まあ危ない物なんですが……」
「……分かった、この際だ詳しくは問わない…崖の上で我々を支援していたムンドーが帰ってきたら一緒に移動しよう」
そうしていると、ベック少年が馬車に乗ってやってきたので、ベック少年が乗ってきた馬車の荷物と一緒にワインをベケニ村で放棄した他の荷物の中に、無造作に見えるよう置いてきた。
大変高価なワインだ、ホラの兵士たちには是非私の策にハマってもらい、その値段に見合うだけの対価を支払ってもらわなくてはならない。
そういう訳なので、ワインである事はお父さん達には知らせてない、知らせたら全部飲まれちゃう。
お父さんは、怪我してるくせにそのまま自分で歩こうとしていたので、強引に馬車の荷台に乗せて移動させる事にする。
外はすでに薄暗い、早く移動しないといけない。
私達は怪我をした他の兵士たちの簡易の治療を済ませた後、自分で動ける兵士と動けない兵士に分けて、動ける兵士に松明をもたせ、動けない兵士を荷馬車のお父さんと一緒に乗せて移動する。
私は、お父さん達と一緒にカタの村へと移動しようとしてたら、ムンドーじいじ達弓兵が山から降りてきて私達と合流する。
補給物資の中から、矢だけを急いで補給させると、もう暗くなってしまった。
「アルベルト様、ご無事で」
「上からの援護は助かった、良い仕事をしてくれたぞムンドー。
すまないが、ここからはティアの補助をしてやってくれ、俺はこの状態では思うように指揮がとれない」
ムンドーじいじの弓兵部隊は最初100名程だったのだが、大負けをしているのを見た兵士達に動揺が広がり、戦闘を停止後、崖から降りて帰ってくる間に、100名いた兵士の内、約20名ほどが逃亡してしまっていた。
兵力が減るのはかなり痛いが、それでも8割をキープした軍を一つ手に入れただけでも心強い。
まだ赤々と燃え盛る森を背にべケニ村を発ち、夜道をカタの村へと急ぐ。
★帝歴2501年10月1日夜 カタの村 ティア
カタの村に着いた時にはすっかり夜になっていたけれど、村にはまだ兵士達が残っており、中でも騎士のカインさんと合流できたのは頼もしいが、カインさんの怪我もかなりの重症だった。
私はまだ元気のある兵士を交代させながら、カタの村の手前の森の入口付近で警戒をさせて、他の兵士たちをゆっくり休ませる。いざとなったら森に火をかけるようテレピン油は用意させていた。
私は幼児なので、一番に眠気に襲われて、ムンドーじいじに後を頼んだのでそこからの記憶がない。良い子は早寝早起きなのだ。
★帝歴2501年10月2日朝 カタの村 ティア
翌朝、カタの村の兵士たちは起きていて撤収の準備をしている。
私は自分の直属のドワーフの石工達に指示を出し、先に準備していた物を持たせて予定していた場所へと行かせた。
「ベックー、どこにいるの、ベックー」
ベック少年の姿が見えないので探していると、特訓仲間のトラビスがいたのでベック少年の居場所を尋ねる、馬車で今から後方陣地へと移動しようとしていると言われ、慌てて捕まえに行った。
冗談じゃない、あいつ逃げようとしてたのか、まだ仕事が残ってるので逃げてもらっては困る。
馬車の上でニコニコと出発しようとしていたのを見つけ、荷台から飛び乗ってベック少年の後ろに忍び寄り抱きつく。
「ベーック君、なにしてるのかなあー」
私はベック少年の返事を待たずに、スリーパーホールドで絞め落として連れてきた。
お父さんの場所に大人たちが集まっていたで、私も一緒に混ざる、ベック少年は活を入れて蘇生して、とある命令をしておいた。
お父さん達の話し合いの中で、森の外の状況が入ってくる。
まだべケニ村の向こうの森は燃えていて、ホラの兵士たちの姿は見えてない、恐らく昼過ぎぐらいまではかかるだろうと、ムンドーじいじが言っている。
私の希望として、ホラの軍勢のみなさんには今晩、べケニ村で一泊してもらいたいので都合が良さそうだ。
後方陣地へと全員移動する話になりそうになったので、私は時間稼ぎの方策を提案する。
「はい、はい、提案があります」
「話を聞こう」
今までとは違い、お父さんが皆の前で私の話を聞いてくれる。
「後方陣地の準備のためにもう一日欲しいです。なのでカタの村の手前の森で明日一日敵を翻弄してしまいたいので、弓兵を貸してもらえませんか」
「却下」
さすがに私が直接指揮するのは速攻で却下された。
だからと言って、諦めるわけには行かないので、別の方法を提案するために食い下がる。
「なら、弓兵の指揮はムンドーじいじにお願いして、時間稼ぎをするべきです。危なくなったら油で森を燃やしてしまいましょう。昨日の火災でホラの兵士たちも警戒しているはずなので、なんとかなると思います」
隣で聞いていたムンドーじいじがフォローを入れてくれる。
「アルベルト様、姫様の案も悪くはありません、後方陣地の構築に時間は欲しいですし、森の中から弓兵を使えば、粘ることもできそうです。
森に配する弓兵と後方陣地との連絡を密に取り、こちらからも斥候兵を走らし敵の動向を監視しましょう」
「うむ、ムンドーの案を採用する。弓兵は再度ムンドーの指揮下に入り森のなかでの散兵戦を行う。
危なくなればティアの提案通り、油を使って森を焼き、時間稼ぎを行え。
その他の者は後方陣地へと引くぞ、急げ」
お父さんの号令で全員が動き出す。
私はムンドーじいじの元に行って、テレピン油とメチルアルコールの入った小さな樽を手渡す。
「ムンドーじいじ、この樽に火をつける時は気をつけてください、一瞬で周りが燃え上がるので近づいて火を付けてはいけません。
そしてこの樽を、敵の軍勢から見える森の入り口付近の道の真中に置いてください。昨日の被害を受けた傭兵たちが警戒するので、敵の騎士もいきなり突撃はしてこないでしょう。危なくなったらさっさと火を付けて逃げてきてください。できれば明日の昼前ぐらいまで粘って森に火を付けてくれたら助かります。
敵の軍勢が明日の夕方にこのカタの村に入ってくれるように誘導してください」
ムンドーじいじは、私の頭を撫でながら『かしこまりましたお嬢様』と言って出て行く。
残された私と直属のドワーフ達、そしてベック少年で少し作業をしてからカタの村を出て後方陣地へと下がっていった。
後方陣地では、少し問題が起きていて、お父さんとカインさんの具合が悪くなっていたので、さらに後方へと下げられてい行く事になった。
私はお父さんの代理として、ヒューパ軍の旗頭となり、陣地構築の責任者はジョフ親方に任せ、実際の戦闘指揮は森で足止め作戦をしているムンドーじいじに任せる事になる。
慌ただしく陣地構築の作業をしている中、ムンドーじいじとの連絡線により情報が送られてくる。
ホラの軍勢は結局、夕方になって現れ、べケニ村へと入っていった。
べケニ村に入ってしばらくすると、中で何か喧騒が起きていたらしいと報告されたが、斥候からの情報ではそれ以上の事は詳しくわからなかった。
この日は結局、戦闘は起きず、後方陣地の強化を続けることができた。
私は斥候からの報告を聞いて頬が釣り上がる。どうやら第一段階は上手くいった兆候が見える。
ヤマタ作戦はまだ継続中だ。
私の隣にいたベック少年がまた『姫さま悪い顔をしている』と言っていたので、肘の上筋にある手三里のツボを押して健康促進をしておいた。彼は大きな声で泣いて喜んでくれて、主人として大変頼もしい。
最初のあたりに書いた。
『古代ギリシャの犬派哲学者スヌーピーの言葉だ』は嘘です。配られたカードで勝負するしか無いってっセリフはアメリカの漫画ピーナッツに出てくる犬のスヌーピーの言葉ですね。
古代ギリシャに本当にいた犬派哲学者といえばディオゲネスです。欲望から開放されることを欲して、本当に犬のように外でくらし世界をシニカルに眺めた賢者です。アレキサンダー大王がコリントスに攻め込んだ時、大王が彼に教えを請うた逸話も残っています。




