終わりに
小説家になろうを楽しんでいますか?
このエッセイを書くにあたっての一番の質問です。
小説家になろうには様々なスタイルのユーザーさんがいます。いえ、ユーザー登録していない人もまた、ユーザーです。
作者だけ見ても、人気ジャンルを王道で書いて人気の人、人気ジャンルのお約束を壊して自分のものとして完成させている人、人気ジャンルを書いているのに人気が出ない人と人気ジャンルを書く人だけでこれだけいます。
マイナージャンルを書いて人気の人、マイナージャンルを書いて人気が出ないことに不満を抱いている人、人気なんかどうでもいいから好きなように書いている人、書籍化を狙っている人。数え上げればキリがありません。
読む側の人もいろんなことを思ってこのサイトを利用しておられるのしょう。
掘り出しものを探すことを楽しむ人、人気作品で肌に合うものを読んでいる人、日間ランキングから気に入ったものを追う人。
このエッセイを見つけたのはどこからでしょうか。ジャンル別にエッセイの日間ランキングや週間、月間、四半期のランキングからでしょうか。それとも新着からでしょうか。もしかすると自分の好きな作品の作家さんのお気に入り小説からかもしれませんね。こんなことをいうとちょっと自意識過剰でしょうか。
私がこのエッセイを書いたのは、自分の小説に対する書き方を見直したり、一度自分の好きな小説や人気ジャンルの要素を解体することで好みの再確認をするという部分があったからだと思いますね。
で、こんな質問は何の疑問もなくこのサイトを楽しめている人には無用の長物です。
だってそうでしょう? こんな小難しいことをいちいち考えなくても小説は楽しめます。
面白い作品を面白いと思って終われるならば、幸せじゃないですか。
ふと思うのですよ。
かつて古代ローマ人が哲学もといありとあらゆる学問に没頭したのは、数学をまるで娯楽のように扱えたのは、暇だったからではないかと。
つまり考えるということはその状況に飽きた、満足してしまったが故の不満足の先にある贅沢の一つなのではないかと。
人間はただの葦にすぎない。ただしそれは考える葦である。いい言葉ですよね。
このサイトで「考える」ということに到達するとき、私たちは読みきっていないのに満足してしまっているとも言えます。
全ての異世界転生物を読んだわけではありませんが、ランキングにのる範囲のものをざっと読みきってその傾向を掴んで、そしてそれを「テンプレ」などと呼ぶのです。
作品を書くときに、確かに冒頭から気持ち良く主人公が活躍し、強さがインフレしようと安全地帯から余裕を持って問題を解決し続けたものが人気が出たとしましょう。
それは読んでいて楽しいのかもしれません。ただ、物語として累計や年間の上位にいるようなものの劣化でしかなく、それを超えることはないのでしょう。
私は主人公が勝つことを悪いとは全然思わないです。けれどそこに説得力のあるものの方がきっと楽しいです。
運が良いだけ、偶然だけの強さが主人公たる理由であるとはどうにも思えない時があります。
できるだけ生身で、等身大の人間のまま先に進んでほしいと願います。
ただそれは私個人の偏見というか意見であり、読んで楽しいものが読んでも楽しくないものに負けるなどとは思いませんね。
だって小説には二種類の意義があるのですから。
読者が読みたい、娯楽的要素。
作者が伝えたい、主題的要素。
この二つは両立こそすれど、決して相反するものではないと思っています。
しかしどちらかしかとれないとするならば、どちらかしか表現できないとするならば、上なのではないでしょうか。
もちろんここは無料投稿サイト。下の要素がいくら強くても問題はないのです。しかしどれだけ素晴らしい意味をそこに込めたとしても、それを理解し評価しろ、というのは作者の傲慢なのでしょう。素晴らしい含蓄があっても、それを楽しめる人のほうが少数派なんですよ。
だからこそ、エンターテイメント性のあるストーリーがまず評価されることは何も間違ってはいないのです。エンターテイメント性のある作品の中に気づかれない程度に主題をぶち込むのが物語を作る一つの技術としてあるのではないでしょうか。
よく言われる、
「作者は書きたいものを書け」
という意見と、
「読者の読みたいものを書け」
という意見がありますよね。
この二つの意見こそが、作者の伝えたいことと読者が読みたいことの話なんですよ。
自分が書きたいものを書くのって、モチベーションの問題なので一種の才能だと思うんですよ。特に続けようと思えば。
一方、周りの読みたいものってそれこそランキングにのるような作品を片っ端から読んで、文章力とストーリー、そして自分独自のオリジナリティー、つまりどこに力を入れて書くかなので、努力の問題だと思うときがあります。
じゃあ、それらを両立させられる人って?
読まれる作品が書きたいのでしょうか。それとも自分が書いた作品を読まれたいのでしょうか。
私は少なくとも「自分が書きたい作品」と「読者が読みたい作品」が近似するようにと思っています。
自分で言うのもなんですが、自分は好き嫌いこそあるものの、許容範囲は広い方だと思うんですよ。
ややスポーツ物は苦手なんですけどね。
私が異世界転生といった人気ジャンルを書くとき、好みの作品群から好みのど真ん中の作品ではないものを私は自分の執筆の材料にしています。
普通は好みのど真ん中の作品を参考にするんじゃないのか?と聞かれそうですよね。違うんです。
本当にその作品が好みのど真ん中であった場合、私がそれを超える作品は書けないと思うんです。だってそれが完成形だと思っているんですから。それを超えるためには、その作品とは別のものにするしかないのですよ。
その点、人気ジャンルの好みから外れた作品群って便利ですよね。
どうしてこうなのか、こんなところが嫌い、ストーリーが王道を踏襲しているだね……自分の好みの部分があれど、そこに欠点があるならば、もしもこうだったらもっと面白いのに、もっと好みなのに、と思うのではないですか?
この思考ってかなりギリギリなんですよ。
一つはこのサイトにおける禁止事項の「感想欄での展開の強制」。これって禁止していてもかなり多いんですよ。「まさか○○なんてしませんよね?」「主人公が○○してから急に面白くなくなった」「○○はいらなかった。二章までは面白かったけど、残念です。読むのやめます」
かなりひどいコメントの数々。私は言われたことはありませんが、人気作品だとよくある光景です。
もう一つがこれこそ掲示板などで叩かれがちな「二次創作的要素」。
オリジナル作品の話で批判に上がるのがこれです。
この思考って「○○の作品は好きだけど、ここの部分が気に入らないから二次創作で変えてしまえ」という二次創作の思考に近いものがあるんですよね。
キャラ名前、世界観、設定、ストーリーと何もかも違えばもうそれを二次創作と言うことは不可能ですが、好きな小説の数々を否定する行為ではあるのですよ。アンチテーゼ、とでも言えばわかりやすいでしょうか。
先の読めてしまう展開、伏線も前フリもなく次々と出てくる独自設定、説得力のない強さ、主人公を尊敬させるためのお約束、お人好しすぎて窮地に陥る、逆に主人公の一番大切な軸がすぐにブレる……自分の苦手な要素をできるだけそぎ落とそうとして、あえて自分の感情のままに自分の最善を選ぼうとし、打算と策略に満ちた主人公などと自分の好きな要素を詰め込もうとしました。
あまり奇を衒って描写過多にならないように、説得力を失わないように気をつけていても微妙に説得力を失うこともあります。
王道の冒険物を書くつもりでも、いつのまにかそれは「埋もれないように気をつけた」作品となっていたようです。嬉しい誤算というか、気がついたのは書き始めてしばらくしてからのお話です。読者の方に言われて自覚した部分もあります。
オリジナリティー、それは大切だとは思いますが、特殊すぎる設定やあり得ない展開をオリジナリティーだとは思ってませんか?と言うのも王道展開を支持する考えとしてよく言われる話です。
簡単に言い換えるならば、私は私が読みたいものが読者が読みたい作品になるようにと努力している形になります。
このエッセイもそういった部分があります。
私は変な感性を持っていると友人や家族に言われることがあります。
多分そうなのでしょう。多少は自覚がないこともありません。異世界転生が好きで、読んで、書くところまでいくくせに、それが感情のままに叩かれ、批判される掲示板のまとめサイトに足を運び、こんなエッセイを書いているのですから。
だからこそ、自分の好みが一般だなんて口が裂けても言えませんが、一般的な感性も持っているんですよ。
少なくともこのエッセイを書くことはとても楽しいですが、それと同時に身悶えするように恥ずかしく、労力がいります。
自分の好みを、自分の作品を感情任せに語りつつも一般の批判とこれまでの考察、自分の批判と擁護を混ぜて考察し続けるなんてかなり大変です。一度やってみるとわかります。
このエッセイは比喩も対話形式も寓話も使っていません。ただひたすらに自分の一人語り風に仕上げております。そういった意味ではややエンタメ性には欠けるのでしょう。
それでもそのように書いたのは、誤魔化したくなかったからでしょうか。
登場人物に代弁させたり、寓話を使うことで意見の婉曲表現などせずに全てを私の言葉と引用だけで仕上げた形になります。いや、それらが誤魔化しだというわけではないんですよ? 自分がすると誤魔化しになりそうだというだけで。
とは言えど、自分の意見が蝙蝠のようにどっちつかずであるからして、さほど直接表現の意味はなかったのかもしれません。
最初に言ったように、特定のサイトでの流行について語られる時には語る人は流行を考察するか、二元論で立場を決めます。
二元論での立場とは、批判するか、擁護するか、です。
お約束やテンプレを批判する人はより大雑把にまとめて、それをオリジナリティーがない、などと批判するんですよね。批判じゃない、考察だと言いつつも皮肉がこもっていたり、「こうしておいたら人気がとれるんだろ!」みたいな投げやりな感じが見受けられます。転移一つとって、人気がでない、つまりはそのジャンルでのランキングにのれるほどの評価を受けることのない作品がどれほどあるのか。
そして擁護する人や考察する人は批判の否定と流行の理由などに偏るんですよ。だから面白い、だから批判している人は間違っているなどと。
で、何がありきたりな展開なの?
で、どうして「嫌いなら読まなければいい」と批判意見が封殺されるの?
そんな風に問いたかったのです。もっと具体的に。
作品に貴賎はありません。
人気ジャンルに対して「何が面白いかわからない」と言うならば考えてみてほしいのです。
自分が好きな作品の好きな理由を。
自分が嫌いな作品の嫌いな理由を。
どのような物語も、あらすじを三行にまとめれば、さほど目新しさのないテンプレ作品になります。
あなたはどこまでをオリジナリティーとしているのでしょうか。
好みの作品を見つけるのは楽しいですし、自分の作品がブックマークされたり評価されたり、感想で応援されていると一喜一憂しています。
自分の作品がより多くの人に楽しんでもらえたら、自分の意図したものが読者に伝わっていればありがたいです。
この作品に限らず、読んだ人の抱いた想いを含めて、作品は完成であると思えます。
タグこそ完結済みにするものの、この作品は未だ完結はしていません。これからもお気軽に声を聞かせていただければ嬉しいですね。こんな展開が好きだとか、こんなジャンルが好きだとか、メジャーマイナー関係なく叫んでいただいても構いません。
小説家になろうへの愛を込めて。
そしてあなたの「小説家になろうを味わう」一助になることを願ってこの作品の後書きとさせていただきます。
ご愛読ありがとうございました。
この作品は完結となりますが、ご要望などがございましたら感想やメッセージにてどうぞ。追加投稿や編集にてこのエッセイはまだ変わります。
目録はありますものの、作品名がわからない、気になる、という方も聞いていただければ教えます。
このような考察というか意見文といっていいのかわからないエッセイ、ここまで読んでいただきありがとうございます。重ね重ねお礼申し上げます。
この作者は他にも「弱者は正義を語らない〜最悪で最低の異世界転生〜」という作品が完結しております。200話、75万字オーバーと長い作品ですがよろしければそちらもどうぞ。