批判される文章 後半
※文章ルールなんてどうでもいいだろ!
と言われる方でメンタルの弱い方は閲覧をお控えください。
※わざと文章作法やルールを破っている場面が多々あります。
文章レベル、ですか。
ネット小説全般に言えることではあるんですけど、如何せん私自身が超絶文章うまいというわけでもございませんので、あまりに過激な意見は期待しないでほしいですね。
まあ書いている以上は平均よりはまともな文章になっていると信じたいものです。
ネット小説でまず最初に言われるのが文章レベルの低さなんですよね。
一般に発売されているライトノベルにも酷い文章というのはありますし、酷いとは言わずともまあ普通程度という方なんてゴロゴロしているので、完璧な文章でなければ投稿するなというのはかなり横暴ではありますがね。(某一瞬だけ肉体活性する探偵ラノベなんて結構残念な文章だった覚えが)
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これは本当に作者の技量というか、日本語の慣れなのですが、助詞、助動詞の使い方が変だとか、慣用句などの誤用ですね。
このサイトで投稿している人のほとんどがプロでもなんでもなく、編集者に見てもらってから出すわけでもありません。
結果、違和感のある文章が出来上がります。
個人の好みの範囲内でおさまる例をあげれば、
『病院の見える丘』
『病院が見える丘』
これってどちらでも構いませんよね?
しかし、この場合はどうでしょうか。
『食中毒を発生した』
『会社を倒産した』
この二つは見事に助詞の使い方を間違えていますよね。
上は『食中毒"が"発生した』か『食中毒"を"発生させた』ですし。
下は『会社"を"倒産させる』か『会社"が"倒産する』ですよね。
前後の文脈が云々といったこともありましょうが、見た人が一発でわかるような助詞のミスなどは読みにくくて読んでいる人に違和感を与えます。
これがキツい読者の方になったりすると、「日本語を勉強してから書けよ」とか「作者さんは外国人?」などと国籍まで疑われかねません。
辞書を使えだとか、本を読めだとか、こういった文章の力に対するアドバイスというのはどこにいっても月並みで自分の努力を促すものでしかないんですよね。
だからこそ、「無料で見るものに高いクオリティーを求めるな」などと言ってしまうのでしょうか。
この理屈って、読者側の理屈であって、「読んでほしい!」「楽しんでほしい」「良い作品を書きたい」と思っている作者が言ってはいけない部類の意見なんですけどね。
もちろん、これはセリフには適用されなかったりします。そして日本語にありがちな主語の省略なども一つの書き方なので、ミスには含まれませんかね。
口語特有の「いう」→「ゆう」などの書き換えなども、セリフや一人称視点でその人の口調としていれるならば一つの書き方に入ります。
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次に文章の書き方について、なども批判の対象になりがちですね。
一人称視点で書くときに、一話目で非日常にぶちこまれた主人公の困惑や焦燥を表すためにくどい描写や、地の文での絶叫連打などがこの分類です。
藁藁うっせーんだよ!などと言って叩かれていたのはどの作品だったでしょうか。
後は会話文と地の文のバランスにまで及ぶ人もいますけどね。
そもそもゲームみたいにステータスで主人公の強さを示すのが嫌い、文字稼ぎだろ、という方もいます。
まあ毎話最後に主人公のスキルとステータスとを全部入れていたらそのように思われるのも仕方ないのかもしれません。
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次に描写。私の場合苦手なのは衣服になりますが、情景描写の少なさについて「主人公の独り言みたいな」と揶揄されたりします。
ファンタジーが人気、という風潮のせいで情景描写の記号化などがなされている場合もあります。
例えば、一番言われるのが「中世ヨーロッパ風」。
なろうのファンタジー小説で最も多い世界観と言われ、その度に色々な場所で批判されます。
そういった批判には「普通の小説でもそんなに情景描写はない」などといった反論が出てくることも。
そもそも、どうして情景描写が必要なのか。そしてどうして情景描写が記号化、もとい省略されてしまったのか。
情景描写の必要性というのは、二つ。
一つは情景描写を通して世界観、つまりその世界の文明レベルであったり、その場所の人口、風土、文化から時間帯までを伝え、その場の状況を読者にありありと浮かべさせる役割です。例えば、
『赤い夕日が彼女の顔を照らしていた』
この描写からわかるのは、その時夕方であり、天気は晴れであったということですよね。
行動や風景、光や音を表す描写というのは物語に臨場感を与えてくれます。
全くない、というのはいささか味気ない印象を受けますね。
もう一つが、情景描写が登場人物や場の雰囲気、主人公の心象風景をそのまま表す役割を持つ、ということですね。
代表的なのが天気です。
『雨がしとしととコンクリートを染めている』
と書くと、主人公が憂鬱であったり、物思いにふけるシーンであるということがあります。
私もついつい一人称視点では面倒くさくってついそのまま主人公に説明させてしまいますけど。
かの有名な森鴎外さんの舞姫でも『烱然けいぜんたる一星の火』に始まり
『たちまちまた顕れて、風に弄もてあそばるゝに似たり』といった表現で、先行きに対する主人公の不安や心の揺れを表しているなどといった話も。
まあこれは文章の技巧のお話です。
あるジャンルの小説において描写が少ない、という点を「読者のレベルが低くなったからだ」という方もいますが、別にそうではないだろうと思いますね。
むしろ、「読者に、読者の想像力に依存している」というべきでしょうか。
ライトノベルなどでよくあるのが、無理に人物の顔立ちを描写しないことで、挿絵に人物のイメージを任せてしまう、といったところでしょうか。
つまりは、「中世ヨーロッパ風」というだけで、その時話している相手の身分、戦っている相手、いる場所によって文明レベルから着ている服まで読者の想像に任せてしまっているのです。
ここで一つ。もしもあなたが小説家になろうで異世界ファンタジーを読み慣れている場合にお尋ねしましょう。
『冒険者ギルド』
この単語を聞いた時にどんな場所を思い浮かべましたか?
木造で丸い机が並ぶ広い部屋の奥にカウンターと掲示板がありましたか?
それとも石造りの無機質な神殿のような場所でしたか?
もしかして、小さな屋台や露店のような場所を想像しましたか?
私は木造でした。
これ一つとっても、同じ描写から違うことを感じとれる、と見るのか、端的な情報から同じ物しか想像できない、ととるのかはその人次第です。
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誤字や誤変換に関しては書いている身として言わせてもらえるならば、作者も人間です。ミスもしますので、優しく指摘してやってくださいと頭を下げさせてもらいます。
もしも読んでいる人の中に指摘してくださった方がいるのであれば、いつもありがとうございます。
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最後に。文章作法です。
こればっかりは守ってなくて指摘されるとどうにも擁護しきれませんかね。
なぜなら一般的な文章作法というのは読者に読みやすく、誤解がないように文章を明確にするためのものですからね。
ネット小説だから……という方はここをすっ飛ばしてくださって構いません。やや過激にいきます。
まず句読点をつけないなどは論外。もう文章というか独り言を書いているように見えます。
句点は文章の終わりを、読点は文章の句切れを示すために使われます。多すぎるのはかえって読みにくくなりますが、文章の意味が変わる転換の部分で入れておくぐらいでちょうど良いでしょう。
。(句点)はともかくとして、読点は本当に個人の采配に分かれます。自分が読みやすいように文章に誤解がなくなる範囲でつけていくのが基本です。
ちなみに、会話文における句点については。
「会話文の最後にも句点をいれる。」
「いや、会話文なんだから入れないだろう」
どちらも正解なんですよね。
文章ルールは前者で、出版ルールは後者といったところでしょうか。
見る場所によっても違うために、混乱される人も多いんじゃあないかと。
私はこれを「こうした地の文章の中に全ての会話文をいれる。」形式の時は句点をつけて、
「このように会話文の前後で改行して独立させる」
時はいらないものなのかなーって思ってますね。
基本見やすさ重視で会話文を改行しているので、たまに地の文の中に「かぎかっこ」を入れていても句点をつけない方で通していますね。
統一するならどちらでも構わないかと。
次に段落初めに をいれる。
これは段落初めに、という言葉を使うことで勘違いされた作者様は少し異なる書き方をされる場合があります。
それは「改行」と「段落」を分けて書く場合ですね。改行はするけど段落は変わってないから、段落初めにだけスペースをあけて、改行した後にはスペースを入れない、などといった文章でしょうか。
こんな感じですね。
かなり私的な意見にはなりますが、それをするぐらいならいっそこまめに改行だけしてスペースを入れない方が見やすいんじゃあないかと。
個人的には、ネット小説は縦書きでも横書きでも読みやすいようにと意識して書きたい、書いてあると良い、と思っています。
ですので、本来の段落である改行を一場面の描写使い、本来の話の区切りである行間を段落の代わりに用いたりします。
まあ何が言いたいかというと、多少不恰好かもしれなくても、全ての改行でスペースを入れてしまうのが本来のルールというお話です。
ネット小説の特徴として、改行が多い、というものがあります。
とあげてみたはいいけれど、それって最近の会話文の多いライトノベルに多いよねって付け加えておきましょうか。
この改行の多さって、携帯、パソコン、スマホのどの媒体でも読みやすいようにと配慮された結果なんですよねえ。
だって本来ならば意味的な段落以外で改行なんてする意味ないですし。国語の教科書とか見てれば何文もまとめて一段落ですしね。
文章が終わっていないのに改行。
これは私は読みにくいですが、
読みやすいという人もいます。
そしてこの改行の仕方でもすごく読みやすい作品を一つ知っているだけに、
ネット小説であれば一概には否定できませんね。
あくまで文章ルール的には反していますし、
出版作品ならあり得ないとは思いますよ。
こんな感じです。
読者から批判されても正統に反論できるように、と思う作者は改行して空白あけて統一させておけばいいんじゃないかと。
他にも、!(感嘆符)や?(疑問符)の後にも空白を一文字あけるだとか、──や…(3点リーダー)は二つ一セットで使う、とかでしょうか。
前者は私自身はかなりどうでもいいと思っているルールですね。読んでいて守られていなくとも気にならない範囲です。
……は一度知ってしまってから気になってしまった表現の一つですかね。
前から酷いと思っていたのは、3点リーダーを・・・・・・で表してしまうものでしょうか。こればっかりは、面白いとわかっている作品でもなければ途中で読むのをやめたくなる原因の一つです。
他にあげるのであれば、(≧∇≦)などの顔文字や(驚愕)、wwwなどのネットスラングと言われる表現の使用でしょうか。
描写で済むものをわざわざ俗語に落とせば作品の質が低下したと言われても反論はできないのでは?
小説、と名乗るのであれば、そういった批判は受け止めるべきものなのでしょう。
私が許せるのは(笑)などのもはや形容詞と化したものなどを名詞に罵倒的意味合いを持たせるのに使う時や、特定のキャラ(ネラーやオタク)を表現する時にセリフの中で使う場合でしょうか。
どちらにせよ説明の中で省略や隠語を多用すると、ギャグとしてでなければ安っぽく見えてしまうかもしれませんね。
見えるだけだろう? こういった文章は見えるということが重要だと思いますけどね。理解した上で、ネット小説なら身内ネタとして使っても良いとするのもまあありっちゃありですか。
こういった文章作法のルール、守らない人が投稿するのは自由ですが、全く守らない状態で評価されたい、読んでもらいたい、感想が欲しいなどと言っている方はいかがでしょうか。
守っていない、それだけで一話目を読み終えることもなく引き返す方もいらっしゃいます。読者にも選ぶ権利があります。読みやすい綺麗な文章の作品を好むとすれば、それは決して悪いことではありません。
つまりは、読んでほしいのであれば、内容もしくは文章だけでも見直すべきなのでしょう。文章の上手さはともかくとして、ルールばかりは誰でも守ることができるものです。その努力さえ怠って、評価されないことを嘆くのはお門違いというものです。「読めば面白い作品なのに、作法を守っていないぐらいで読んでもらえない」などと不満を抱くのはなんとも妙な話です。
もちろん、文章作法を無視してでも読みやすくて面白い物が書ける!もう僕の作品はブックマークがたくさんついているからいいんだ!という方は是非スルーしてください。
もしもあなたが小説を書いたけど、これらのルールを一切守っていない状態で人気が出ないことを寂しく思うのであれば、次回作からでも守ってみてください。それだけで閲覧数はおそらく上がるはずです。
顔文字や()を使っても違和感なく書ける作者というのは存在します。改行の初めに空白がなくとも読める文章はあります。
累計ランキングや年間ランキングのトップ5を見てもらえるとわかりますが、ほとんど段落最初に空白をあけていると思います。
もちろん、…(3点リーダー)や文章が終わっていないのに改行などと全ては守っていないかもしれません。
しかし、せいぜい破っているのは一つ、二つで、一つも破っていないものもあります。
改行の数などはその時の自分の作品内でのテンポや雰囲気に合わせて、そして破るのであればより多くの人に読みやすくなる方向で破ってほしいものです。
守るに越したことはありませんが。
ブックマーク、評価、感想ありがとうございます。
好きで書いているとはいえ、とても励みになっております。