閑話、主人公
主人公とは何か。それを考えたことはありますか?
おそらく物語を書いたことのある人でも真面目に考えたことは少ないでしょう。書いたことのない人ならなおさら考えることはないのではないでしょうか。
時折、「デフォルト」の主人公に対しての既成概念に自身の作品で挑む人を見かけます。
例えばジャンプコミックの一つである『異常』と『過負荷』と『普通』などが戦う異能学園バトルもの。
たまにスキルについての作り込みの浅さを揶揄して「ギャグ漫画だ」という人もいますが、あれは一種の英雄に対する命題を投げかけたものでは?というのも一つの見方だと思いますね。
私が思う主人公の在り方の王道は二つ。
感情移入できるか。
憧れるか。
そして読者視点なのか、物語の中心にいるのかでその在り方は左右されるといっても過言ではないでしょう。
この二つの在り方は両立できるものです。
憧れる、という感情はおそらく「自分にないもの」で、「魅力」の部分にあたるものだと思います。
我が身を顧みず人を助けられる、とか、大切なもののために怒れる、などでしょうか。
その一方で感情移入、とは自分もその立場にあればそう感じるであろう部分に他なりません。
一見相反する部分ですが、何も全てをどちらかに偏らせる必要はないのです。
例えば、激怒とまではいかなくとも大切な物を奪われれば不快感があるのは多くの人に共通する感情だとしましょう。大切なもののために怒れることに憧れる、というのは実際はしがらみなどや自身の力不足が邪魔をして「できない」からに他なりません。
つまり、この状況における主人公は感情において「共感」され、行動において「憧憬」を抱かれるのです。
前々回、ご都合主義が苦手なのでしょう、と偉そうにのたまった覚えがあります。それについても少しここで解説を。
私自身は、物語の主人公には多少のご都合主義が入るべきだと思っている部分があります。
それは決して、神様のミスで転生する時にチートを与えるのが正しい、と言っているのではありません。
ある程度、他の人とは違う要素や、特別なシチュエーションに恵まれた人間が「主人公」なのではないでしょうか。
例えば、バトル物の主人公が「古の英雄の末裔」だとか、「忍者の家系」や「実験体で特殊な肉体を手に入れた」、「唯一宇宙から飛来したロボットの操縦適性がある」などといった性質があるとしましょう。
それを聞いた時、「そんなうまい話があるものか」と思ったことはありませんか?
違うのです。そういった「特殊な環境にある人間」を中心として物語は展開するし、そういった人間を主人公として作者は物語を描くのです。
そして、異世界転生物は「偶然または誰かの意図によって異世界に記憶を持って転生した人間」を主人公としているからそういう物語なのです。
ラノベ、と呼ばれる小説類を「中身スカスカ、読む価値なし」などと批判する人がいたり、「ハッピーエンドは飽きた」という方は悪意ある言い方になりますが、「捻くれている」と言いましょうか。
主人公に対して憧れや感情移入を前提として進めましょう。小説が娯楽である以上は快感を覚えたいはずなのです。ならば主人公は周りから好かれている方が良いし、敵に勝つ(必ずしも倒さなくても良い。精神的に負けを認めるのもあり)方が良いし、活躍したり物語の中心や重要な地位を占める方が見ていて楽しいはずでしょう。
私自身は必ずしも「ハッピーエンド」のみを好むわけではありません。
某魔法少女の物語なども作品として素晴らしいと思えるし、次々追い詰められる少女に胸を踊らせたものです。
恋愛物はともかくとして、バトル物や冒険における人気作品で「主人公が負けっぱなし」というものはまず見かけません。
最後に勝つなり、全体として勝ち越すなりとどこかで勝っているはずです。
勝つ人物を主人公とする、というもの一つの見方かもしれません。
つまり歴史ではなく物語の世界においても「勝てば官軍」のルールは適用されているといっても過言ではないでしょう。
次回はファンタジーにおける人気要素を幾つか。
次回、ファンタジーにおける仕組みや要素。
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