ストーカー規制法の制定はいつですか
真夜中の研究所。珍しく遅くまで残業をしていたカルアの肩を、トントントンと早いペースで叩く手があった。
クマを飼育し慣れてきた顔を向ければ、イオラが真剣な表情で文献を差し出す。
「…………やっぱり、肝は王子か」
「だと思う。あいつ、能力だけは高いのよ。馬鹿なのに。一応、才人なの。馬鹿だけど」
「そうね……」
いらんことしかしないが、確かに能力だけはバカ高い。悔しいけれど。
「たぶん、あいつは魔力が相当高い。でないと、不完全な召喚陣が発動するわけがない」
「…………同じ条件で、帰還陣を描けばいいわけだ」
憂鬱だ。だって、同じ条件ってことはだ。あの、気色の悪い部屋を再現しないといけない。地獄か。
「帰還陣は描けてるんでしょ」
イオラの言葉は断言だった。少し苦笑して、カルアは頷く。
召喚陣を元に作ればいいだけだったので、帰還陣は割と早い段階で描くことができた。
あとは、菊池さんを帰す座標を設定するのみ。
「私と所長で、陛下に掛け合ってくる。あんたはさっさと帰って、キクチさんと話しておいで。明日は休みなね」
「……うん」
会って、帰す方法が見つかりましたと、言うだけだ。なのに、こんなに気が重い。
────帰ってほしくない。いや、一緒にいたい。
本来、決して交わることのない縁だった。だからこそ、結ぶわけには、いかない。
ずっしりと重い足取りで、カルアは帰宅するための準備に取りかかった。
帰還の日取りは、あっさりと決定した。
陛下としても、今さら聖女(?)の到来はこちらの世界の平穏に波を立てるものだし、帰せるなら早く帰したい。
拘束した状態だが、王子も同席する。
もちろん、あの部屋も再現した。心底気持ち悪いが、カルアの絵姿を描いたのは、無駄な才能を発揮した王子だという。
その真実は、教えてくれなくてよかったと思う。
真相を知る(知ってしまった)人間は全員、当時の再現のため集められた。みんな目が遠い。
さぞかししんどいことだろう。特別手当をあげてほしい。
カルアは、魔術研究所の正装とも呼べる白衣姿で、じっと床だけを見ていた。床に描いた、魔術陣を。
前世の言語を駆使した、けれど一度きりの使い切りという制限をかけた陣は、カルアの最大限。
大好きになった人と別れるための方法が、研究者としての最高傑作になるとは、皮肉なものだけれど。
「カルア、あ奴が帰れば、私たちも安心して結ばれるというものだな」
「無理」
「なぜだ。あ奴がおまえに言い寄るせいで、私はこうも縛りつけられている。恋には障害が付きものだな」
「黙れ変態」
馴れ馴れしく言い寄る王子に吐き捨てると、拘束していた騎士がさらに距離を取ってくれた。有難い。
口とか塞いでもいいだろうか。もうなんていうか、全部が気持ち悪い。
陛下に睨まれて黙ったが、ねっとりとした視線にカルアは吐く寸前だし、なんなら泣く寸前。
意地だけで唇を噛んで堪えているが、そろそろ限界だ。気持ち悪い。気持ち悪い。怖い。……怖い。
────わたしの心なんて、きっといらないの。
王子の執着は、カルアの心なんか全部無視した一方的なものだ。
結ばれて当然と思っているし、そうあるべきと本気で信じている。
だから、気味悪がられても意味がわからないし、理解しようともしない。
カルアの言葉は何一つ届かない。何を言っても、どう拒否しても、伝わらない。
権力があるから、無理やりでも掴もうと思えば掴める。今は陛下がいるけれど、それだって確実じゃない。
王子の才は、国にとって簡単に手放せるほど軽くなどないと、研究者であるカルアだからこそわかる。
人格が破綻していても、有能なのは変わらない。方法さえあれば、失われたはずの魔術を行使できるほどに。
この魔術陣は使い捨てだから、彼には描けない。カルア以外には描けない。そういうふうに作った。
たったこれっぽっちしか、カルアは自分を守る方法を持たない。
その精一杯で、菊池さんを帰すのだ。
後でどうなるかなんて、今は何もわからなくても。




