美人の膝枕は至宝
研究所にいる間、カルアは鬼気迫る勢いで資料を読み漁り、文献を調べ倒し、召喚陣をひたすら描いては破り捨てた。
あまりの迫力に気圧されたのか、普段は雑談を振ってくる研究所員たちも遠巻きだ。ごめんよ。
そうしながら、イオラの家にいる菊池さんに会うため必ず帰宅し、食事や会話をして、夜は持ち帰った仕事の続き。
日に日にひどくなるクマは、化粧で何とか誤魔化した。
「カルアさん」
近頃、母に習ってこちらの言語の発音を練習している菊池さんは、すごい勢いで言葉が流暢になる。
そのたび、彼がこちらに馴染んでしまうことに焦って、カルアはさらに必死に研究に没頭した。
「カルアさん?」
「あっ、はい」
ついぼうっとしていたカルアは、穏やかな声が戸惑ったことに気づいて、慌てて笑顔を貼りつける。
元々、表情筋をあまり動かさないタイプだが、彼が不安がるかと最近は笑顔を心がけていた。
食事を終え、ホットミルクを飲みながらリビングで話をしていて、つい気を抜いてしまっていたらしい。危ない。
心配そうに眉を下げる菊池さんに焦り、何か言わねばと口を開く。
「あの、菊池さんは、おいくつなんですか?」
「僕? 僕は、三十七ですよ。きみよりだいぶおじさんでしょう」
うわお。なんて理想的な年齢差。
なんて本音はもちろん表に出さず、カルアは笑う。
「あは。わたし、こう見えて二十四歳ですよ」
「えっ。十代かと思ってた。ごめんね」
「いいえ。こちらの世界では、もう行き遅れです。兄や姉が結婚してくれたので、わたしは好きな仕事ができています」
「そうなんだね……二十四歳なんて、まだまだ若いのにね」
「あは」
菊池さんのゆったりと柔らかい口調は、とても心地よい。
いつの間にか敬語もなくなって、気さくに話してくれるようになった。嬉しい。でも。
「心配しないでくださいね、菊池さん。きっと、ちゃんと帰れるようにしますから。本当にごめんなさい」
「カルアさん、そんなに無理しなくていいよ。僕、そこまで焦ってないし、急いでもないよ」
「あは。はい」
遠慮深いこの人は、帰りたいだなんて、きっと口が裂けたって言わないだろう。
元の世界の話すら、滅多に話題にしない。どこに地雷があるかわからなくて、カルアも聞けない。
優しいこの人を、これ以上傷つけてはいけない。
一緒にいる時間が増えるにつれ、交わす言葉が降り積もるにつれ、慕わしいと思ってしまう。
でも、決して表に出してはいけない。絶対、絶対。
カルアは熱いミルクを飲み干し、からりと笑って見せた。
「あんた、いい加減にしなさいよ」
急に首根っこを掴まれたかと思ったら、柔らかな太ももが頭の下にあった。
従姉妹のたわわなお胸を見上げて、カルアは力なく笑う。
どうやら、寝不足を心配されたようだ。申し訳ない。
「ごめん、イオ」
「ちょっと眠んなさい。一時間したら起こすわ」
「ありがとう……」
胸の上に本を置かれ、イオラは読書をする気満々だ。
でも、開いているそれは大昔の文献で、律儀に手伝ってくれるのが有難い。
素直に瞼を下ろすと、久しぶりに前世の夢を見た。
前世のカルアは、今と同じく仕事好きで、恋人はいても長続きしなかった。
別れる時は、決まり文句のように『俺がいなくても大丈夫なんだろ』と言われる。
恋人と仕事は別だよ。ベクトルが違う。
仕事帰りにも会いたいとか、夜遅くまで電話したいとか、そういうことが難しいだけ。次の日も仕事だから。
それって、社会人として働く上で、当たり前のことじゃないの?
休日なら、普通に会える。デートも楽しい。別に、ブラックな会社じゃないから、仕事でやめになることもない。
だけど、いつも決まって、仕事とどっちが大事なの? となる。
どっちも大事だよ。でも、生きて行かなきゃいけないから、生活しなきゃいけないから、選べと言われたら仕事を選ぶ。
それって、そんなに悪いことなのかな。
前世のカルアが付き合っていた人たちが特殊なのか、カルア自身が特殊なのか。
好きならどうして、と言われるたび、愛情を試されるようでしんどかった。
王子は、聖女を召喚すれば、カルアが嫉妬してくれると思った。と言っていた。
それくらい好きなんだ。子供の頃から、ずっと好きだったと。
それって、菊池さんを巻き込まないと、言えない程度のことだったんじゃないの。
カルアを嫉妬させるためだけに、異世界人を誘拐しようとするって、とんでもなく異常だ。
でも、それくらい好きだっていうなら、それも王子が言うなら、カルアは受け止めなきゃいけないの。
我慢して耐えて、飲み込まなきゃいけないの。
────わたしの気持ちは、いらないの。
前世から引きずり続けている問いの、答えはまだ出ない。




