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さようなら、そしておやすみなさい。良い旅を

作者:

完全に私の自己満足で書いてる小説です。死ネタが苦手な方はご注意を。

私が人が亡くなるというのを経験したのは保育園に通っていた時だった。

当時の私は母親の実家で暮らしていて、その中でも一番最年少且つ、赤ん坊の頃から体にハンデがある人間だった為か構いかたはあれだが可愛がられていたとは思う。


母方の祖父方の曾祖父との一番古い記憶は曾祖父と曾祖母(此方の曾祖母はご存命です。)の部屋で曾祖父が布団で仰向けになりながら二人で笑点を観ているのを幼い私も観ていたというのが一番古い記憶だった。

私の物心がついた頃には既に癌で病に犯されていたらしかったので、あの時の記憶の一コマは曾祖父が一時退院してきた時の記憶なんだなと、学生になってから思った。


その次の記憶は曾祖父が入院していて病院のベッドの上で酸素マスクをつけていて、でも、私の姿を見ると酸素マスクを外そうとするから私も家族も外さないでと言ってずれた酸素マスクをつけ直していたという記憶。

後に他の人が来ても酸素マスクを外そうとする気配はなく、私がいる時だけ、まだ年齢一桁で小学校にも入学していない私と話そうとして酸素マスクを外そうとしていたと母親に教えられた。


その次の記憶は葬式の時の記憶。

「じいちゃんは何処にいるの?」

「じいちゃんは彼処にいるんだよ。」

そんなことを母親の当時の彼氏に聞いてそう答えてもらっていた。

その時は棺と沢山の花、曾祖父の写真があるなというくらいにしか認識はなかった。

だけど、火葬した時、火がついた機械の中に入る姿を見て、骨しか残ってない曾祖父を見た私は暫くの間「死」というものが怖かった。


幼い私は燃やされて熱い思いはしたくないと思って人が亡くなる描写のものは泣く程怖がっていた。その当時の私は焼かれる感覚があると思い込んでいたので余計に怖かったのだと思う。


余談だが、七歳になるまでは私は幽霊が見えていたらしく曾祖父が亡くなった後に

「じいちゃん、そこで新聞読んでるから電気消さないで!ドア閉めないで!」

と、祖母に頼み込んでいたらしい。

何も知らない人からすると子供の妄想だと思われるが、実査、私が産まれる前、まだ曾祖父が元気だった頃は私が電気を消さないで!と言った場所で新聞を毎日読んでいて、その話を私にした人は誰もいないから本当に曾祖父の幽霊がいるのだと信じてくれていたらしい。


それから暫くは誰かの訃報を聞くこともなく、祖母方の曾祖父と曾祖母の家に遊びに行って遊び、曾祖父の話を聞いたり、買い物に行く際は車の乗り降りや、歩く時は必ず曾祖母の手を繋いでいた。

手を繋いでいた理由はその時から曾祖母の足が少し衰えていたから私に必ず手を繋がせていたらしい。


因みにお正月は二人の家で親戚が集まり、関東にいる大叔母やその息子(私の一つ年下)等皆で曾祖母が作ったこづゆを食べたりしていた。


これは完全に余談だが、物心がつく前は曾祖父と曾祖母の家に行く時必ず秋刀魚を買って、二人の家で秋刀魚を焼いてもらって食べていたと周りから言われていたので、恐らくその時に魚を一生分食べたから私は魚が嫌いなんだなと考えている。


さて、話を戻して曾祖父と曾祖母、どちらも私が成人して成人式の振り袖姿を見るまでは死なないと公言していた程大切にしてくれていたのだと思う。まぁ、初曾孫だというのも状況も入っているからだと思うが…


そんな私も高校になった頃には毎週のように二人の家に遊びに行くのが嫌になっていた。

行く度に私だけ曾祖父の長い話を聞かされ、母親と小学生の時に出来た父親、そして妹はスマホを弄ったり、別の部屋に行って曾祖父の話を聞かないようにしてたのだから曾祖父の話し相手は私一人だけという状態で、戦争の時少年兵(海軍の方)にいた時に当たった銃弾がまだ小指に残っていると小指を見せてきたり、15分の休み時間の内10分は眠っておいた方がいいと戦争時の体験話をしてきたり、私は絶対大学か短大に行けと言ったり英語を勉強しろとラジオと英語のテキストを渡されてたのでそれはそれは疲れていた記憶がある。


二人の家の本当目の前で花火大会が開催された何回目かのある夏の夜で、花火が上がるのを部屋のなかで待ってる最中曾祖父からこういわれた。

「○○、お前がこの家を継げ。」

そう言われた時、丁度花火が上がったのでそれに返事することなく、寧ろ聞こえなかったふりをして外に出た。

「○○ははぐらかすのが上手だな。」

外に出て、花火を見てる時に曾祖父がそう言っていた。私が返事をしたくないから花火を理由にあの話から逃げたのがわかっていたみたいだった。


あの後、何で曾孫の私が継げと言われたのか理由が判明した。どうやら曾祖父は祖母に良く、「私は可哀想な子だ、本当の父親の顔も知らない。体にハンデがあるから叔母夫婦の養子にさせて、後々継がせる。」と言っていたらしい。祖母は昭和の男の考えだなと言いながら説明してくれた。

実は祖母には兄がつまり大叔父がいたらしいが、祖父と喧嘩して家の敷居を跨ぐな!と祖父に絶縁され残りは娘達だけ、その娘達も結婚してるから、まだ子供が産まれていない孫の養子として私を迎え入れさせ、私が成人するまでの数年間、叔母夫婦に家を継がせて、私が成人したら私に家を継がせる気だったらしい。

なんともまぁ…良くわからないなと思いながら当時の私はその話を聞いていた。その話は有耶無耶になり成人した私を見た二人は次は花嫁姿を見るまで生きると宣言していたが、それは叶うことはなかった。


成人して四年が経ったある日、曾祖母が雪で転んで足が不自由になっていくと同時に認知症も少しずつだが発症し、曾祖父は疲れからか倒れ、入院することになり、曾祖母は施設へ行き、一年後病室で亡くなった。節分の日で曾祖母との結婚記念日の日だった。亡くなる前、一度だけお見舞いに行くことが出来たがその頃にはもう曾祖父は話すことが出来なかった。


曾祖父が亡くなったと知ったのは仕事終わりに母親から教えて貰った。本当は私が仕事中に亡くなったらしいが、仕事中の私に連絡しても何にもすることがないとの理由で亡くなる瞬間に立ち会うことが出来なかった。


葬式の日、最初は何ともなかったのに葬式が進むにつれ曾祖父が亡くなったのを実感し泣いていたのを母や叔母は煩わしいと言って、泣くなら会場部屋の外で泣いてと言われて会場の外で泣いていた。大叔母と叔母の伴侶は「○○ちゃん(私のあだ名)に泣いて貰えて幸せだと思うよ」や「悲しくなったんだね」と二人だけが慰めてくれた。一番悲しいのは大叔母達だと思うのに大叔母は煩わしいと思わず慰めてくれた。


それから曾祖母の老人施設へ顔を出しに行ったりしたが、曾祖母は認知症が進み、私の名前が思い出せず、名前は出た時は、曾祖母の中の私は学生だったらしく「今日は学校休みか~?」とい尋ねていて、高校で認知症の人に対する対応の仕方を学んでいた私は修正することなく「うん。今日は休みだよ」と笑顔で答えていた。又たまに「ばぁちゃんなぁ、名前が思い出せないんだ。ごめんなぁ」と謝っていた。


曾祖父の四十九日になる頃には曾祖母は私の名前を完全に忘れていた。

四十九日の法事が終わり曾祖父達が住んでいた家に行った際、曾祖母が一人でとある部屋に行き、用事を済ませたのか部屋を出ようとしてるのを確認した私は電気を消そうとした瞬間、右手を握られた感触がした。

驚いて曾祖母の方を見るとにこにこと認知症になる前から変わらない笑顔のまま私の手を繋いで、部屋を出ようとしている曾祖母を見た瞬間、記憶としては覚えていなくても感覚的に覚えているんだと思った。


それからも曾祖母の施設に行き名前は呼んで貰えず、ずっと寝たきりでも曾祖母はたまにポツリポツリと話をしていたので相づちをうっていた。因みに母親も一緒に施設に行ったが、少し話した後、スマホゲームをして曾祖母の相手を私にさせていたので呆れていた事もあった。


ある日、曾祖母が私の手を握りしめたまま眠ってしまい、引き抜こうとすると起きかけるのでそのままにしていて目を覚ました時。

「○○ちゃんかぁ~。なんだぁ?いつの間に遊びに来ていたんだぁ?」


私の事を認識していた。その後少し話してまた眠って再び目を覚ました時は「だんじゃ、おめぇ?」と言っていたのであの一瞬だけ私の事を思い出していたのだと思う。


そしてその会話から二ヶ月後曾祖母が亡くなった。曾祖父が亡くなって、一年と五ヶ月後の日のことだった。


曾祖母が危篤と言われて施設にいたから今回は亡くなる瞬間に立ち会うことができた。94歳と大往生で月は違えど亡くなった日にちは曾祖父と同じ日だった。


次の日の告別式に母親からまた泣かれると面倒だから告別式に出るな、仕事に行けと言われたが仕事を休み告別式に参列した、その次の日の葬式も仕事を休み参列し泣くことはなかった。


だけど、葬式が終わった次の日仕事をしてる最中にふと、涙が込み上げてきて誰にも気づかれてはいけないと思い。職場なのに職場のトイレ少しだけ静かに泣いていた。その後は何事もなかったかのように仕事に戻ったので誰にもばれなかった。


これが私の経験した人の曾祖父二人と曾祖母の葬式の話。

書いたのは私が忘れたくなかったから。紙に書いていてもいつかきっと文字が掠れて読めなくなる。でも、ネットで書いておくと破損や削除されない限りはこの文章は残り続ける。ただの一般人の私の経験した事なんて興味ない事は百も承知だ。それでも残していたかった。


今日10月31日は世間一般的にはハロウィン。あの世とこの世の境が曖昧になると言われる日。もしかしたら三人がこの世に紛れ込んでいるかもしれない。だからこそ私は言うのだ。


「また逢うその日までさようなら、そしておやすみなさい。良い旅を」と。

私の自己満足に付き合って頂きありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
めっちゃ泣きました。 私は祖父母に育てられたも同然な所があるので、ふと思い出して泣いてしまいました。 上手く言えませんが、先に彼岸にいるだけで、いつか自分も同じ所に行く。そう思えば、なんとなくまた会…
死者は、時に、生きてた頃より近しく感じる事があります。 不思議なものですね。
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