【隣の部屋の足音 ②】
【壁の向こうの街】
― Beyond the Wall ―
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第一章 ──目を開けたら、そこは
暗闇の中で、何かがひび割れる音がした。
目を開けると、
自分の部屋に“似ている”場所にいた。
壁紙の模様、家具の配置、デスクの位置。
すべて同じなのに──色がない。
世界全体がモノクロのフィルムみたいに、
灰色に沈んでいた。
耳を澄ますと、遠くで小さな音。
トン、トン、トン。
また、あの音。
けれど今回は壁の向こうではなく、
空の方から聞こえていた。
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第二章 ──無音の街
ドアを開けて外に出る。
マンションの廊下。
だが、どこまで歩いても出口がない。
階段は崩れかけ、
窓から覗く外の景色は──静止していた。
人も車も動かない。
風も吹かない。
まるで“時間が止まった世界”。
詩は声を出した。
「……誰か、いますか。」
その声が壁にぶつかり、反響して帰ってくる。
だが、それは自分の声ではなかった。
少し低く、どこか湿った声でこう言った。
> 「うたや、やっと来たんだね。」
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第三章 ──鏡の通路
声のする方へ向かうと、
廊下の突き当たりに鏡が立っていた。
ひび割れた姿見。
映っているのは、自分ではなく──
目のない男だった。
「……君は、誰だ。」
男は笑った。
「誰でもないよ。君の代わりになった人さ。」
鏡の中の男が手を伸ばす。
詩の胸の奥で、何かがズキンと痛んだ。
「外で、君が“押した”あの日から、
僕はずっとここにいた。」
──そうだ。
あの夜、壁を叩く音に応じて、詩はドアを開けた。
そして代わりに“誰か”が閉じ込められた。
「……あれは、お前か。」
鏡の中の男は頷いた。
「次は、君の番だよ。」
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第四章 ──街
マンションの外へ出ると、
灰色の街が広がっていた。
信号は赤のまま。
止まったままの電車。
通りの向こうに、動かない人々。
近づいてみると、それは“人の形をした影”だった。
輪郭がぼやけ、
顔はなく、手も指も途中で途切れている。
そのうちの一つが、ゆっくりと詩の方を向いた。
口が開く。
「かえして」
その瞬間、周囲の影たちが一斉にこちらを向いた。
「かえして」「かえして」「かえして」
声が重なり、空気がひずむ。
詩は走り出した。
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第五章 ──郵便局
逃げ込んだ建物は、古い郵便局だった。
ドアの上の時計は止まり、
中には無数のポストが並んでいる。
その一つに、見覚えのある名前があった。
> 「大隈 詩」
恐る恐る開けると、中に一枚の手紙。
> 『君が出られる方法はひとつ。
> “外の君”をここへ呼ぶこと。
> 君が叩く音を、
> あいつが聞けば、扉は開く。』
詩の顔が引きつる。
「……あいつって、俺だろ。」
この街は、“現実に取り込まれた声”の溜まり場。
誰かが壁を叩くたび、
この世界の誰かが入れ替わる。
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第六章 ──叩く
時計を見ると、十一時を少し過ぎていた。
詩はポストの前に立ち、
ゆっくりと拳を握った。
「戻りたいなら……呼べってことか。」
壁を見つける。
目を閉じて、拳を振り下ろす。
トン、トン、トン。
静寂。
どこからか、自分の部屋のような音が返ってきた。
トン、トン、トン。
音が重なり、空間が歪む。
床が波打ち、ポストが光を放つ。
詩は腕を伸ばした──
その瞬間、鏡の中の男の声が響く。
> 「ねぇ、どっちが本物なんだと思う?」
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第七章 ──二人の詩
光の中で、二つの影が重なった。
一人は灰色の詩。
一人は現実の詩。
互いに同じ顔をして、同じ声で叫んだ。
> 「俺が本物だ!」
鏡が砕ける。
世界が入れ替わる。
気づけば、詩は自分の部屋に立っていた。
壁も机も、すべて元通り。
窓の外では朝日が昇っている。
「……戻れたんだ。」
安堵の息をつくと、玄関の方から物音がした。
封筒が一枚、滑り込んでくる。
> 『ようやく、出られた。
> ありがとう──うたや。』
裏面に書かれた差出人名。
「大隈 詩」
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終章 ──壁の外
夜。
再び、壁の向こうから音がした。
トン、トン、トン。
詩は立ち上がり、
手を壁に当てる。
今度は──“中”から。
口元が、ゆっくりと笑った。
> 「……今度は、俺が呼ぶ番だ。」
音が、三つ鳴った。
壁が、再び開いた。
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【終】
『壁の向こうの街 ― Beyond the Wall ―』




