【隣の部屋の足音③】
【設計者 ― The Architect of Silence ―】
― 大隈 詩 最終章 ―
⸻
第一章 ──音の消えた部屋
夜。
部屋の中は静まり返っていた。
時計の針は動いている。
外の街の灯りも見える。
だが──音がない。
風も、電子音も、呼吸すら聞こえない。
まるで世界が“ミュート”されたように、
詩の耳は完全な沈黙に包まれていた。
不思議と恐怖はなかった。
ただ、頭の奥で誰かの声が響いていた。
> 『ようこそ。設計の世界へ。』
⸻
第二章 ──白い空間
次の瞬間、
詩は真っ白な空間に立っていた。
上下も左右もなく、ただ白。
遠くに、人の影が一つ。
椅子に座り、机に向かって何かを書いている。
ペンの音だけが、はっきりと響いていた。
その人物は顔を上げ、ゆっくりと笑った。
「はじめまして。大隈 詩くん。」
詩は息を呑んだ。
それは──自分自身だった。
だが、こちらよりも少し年上のように見えた。
⸻
第三章 ──“設計者”との対話
「君が“どちらの詩”か、もう分からないよ。」
年上の詩──“設計者”は穏やかに言った。
「僕が作った世界は、音で構築されている。
叩く音、呼ぶ音、返す音。
そのすべてが、“現実を形づくるコード”なんだ。」
詩は言葉を失った。
「じゃあ、あの壁の音も、ポストも……」
「うん、全部、君の声から生まれたものだよ。」
設計者は机の上の図面を見せた。
そこには無数の線が交差し、
それぞれに「トン」「カタン」「ピンポン」などの文字が並んでいた。
「現実は“音の設計”によって支えられている。
でもね、欠陥がある。
“誰かが叩いた音”は、必ず“誰かが返さなければ”ならないんだ。」
⸻
第四章 ──呼応の法則
詩は理解した。
だから壁の音は繰り返されたのだ。
誰かが叩く。
誰かが返す。
その瞬間、二つの現実が重なり、入れ替わる。
「じゃあ、俺たちは……その“実験”の中にいたってことか?」
設計者は頷いた。
「君は“被験体0”。
君の声が最初の音を鳴らしたんだ。」
詩の胸が痛んだ。
「でも、なぜ俺なんだ?」
設計者は静かに笑った。
「簡単さ。
君が、最も静かな人間だったからだよ。」
⸻
第五章 ──音の果て
白い空間の端から、
ゆっくりと黒い波が押し寄せてきた。
「……これは?」
「この世界が崩壊している。
“音”が返されなくなったんだ。
呼びかける者も、応じる者も、もう残っていない。」
黒い波が図面を呑み込み、
ペンの音が途切れた。
設計者は立ち上がり、詩にペンを差し出した。
「続きは、君が書くんだ。」
詩は震える手でそれを受け取る。
白い紙に、
小さく──トン、トン、トンと書いた。
⸻
第六章 ──再設計
次の瞬間、音が戻った。
風の音。
遠くの車の走行音。
そして、自分の鼓動。
詩は現実の部屋に立っていた。
机の上には、一枚の白い紙。
そこには三つの小さな点が並んでいた。
・・・
ペンが自然に動く。
無意識に、言葉を書いていた。
> 『呼び鈴が鳴ったら、出ないでください。』
そしてその下に、名前を書いた。
大隈 詩(設計責任者)
⸻
終章 ──最後の呼び鈴
夜。
玄関の呼び鈴が鳴った。
ピンポン。
詩は静かに顔を上げた。
壁に手を当て、ゆっくりと目を閉じる。
音の向こうから、
かすかに自分の声が聞こえた。
> 「……開けてくれ。俺は、外にいる。」
詩は微笑んだ。
「今度は、返さないよ。」
ペン先で机を軽く叩く。
トン、トン、トン。
世界が一瞬だけ揺れた。
だが、音はもう返ってこなかった。
静寂が、完全になった。
⸻
【完】
『設計者 ― The Architect of Silence ―』




