私は他人に興味がない
私は幼い頃から他人に興味というものがなかった。
興味とは辞書によると『物事に惹きつけられる、面白いと感じる』ということらしい。それがないのである。
例えば凄い功績を出した人物がいたとしよう。もちろん、その人のことを凄いな、とは思う。だけどそれだけ。
その人を羨ましく思うだとか、これからも応援しようとか、あるいは妬ましいとか、そういう気持ちまでは発展しない。
逆に、何らかの失敗をして落ちぶれてしまった人がいたとしよう。やらかしたんだな、とは思うけど、叩こうとか見下したいとかまでは思わない。そこまで感情が高ぶらない。
人は他人の話が大好きだ。
学校で、サロンで、夜会で――
「ロイズの奴、絵がコンクール入賞だって! すげーよなー!」
「ミオーネさんったら、試験で不正してたらしいわ。人は見かけによらないわね」
「クリス君とファメルさん、付き合ってるんですって! もうかなり深い仲だとか……」
みんな、そこにはいない誰かの話をしている。それで盛り上がる。
私も「ふうん、そうなんだ」くらいのことは思う。だけど、それだけ。
誰かの話題に熱中するみんなとは、明らかに温度差があった。
なんとか混ざろうとしたこともあったが、どうしてもできず、ただただ疲れるだけだった。
ある令嬢との会話。
「……さんったら、婚約もしているのに浮気してたそうよ! 不潔よね! 婚約は当然なくなるでしょうし、きっとこれからは社交界で居場所なんてなくなるわよね~」
盛り上がっている相手に、私はつい気のない返事をしてしまう。
「そう……」
「そう……って、フリジットさん、興味ないの?」
「……」
私は少し考えた後、こう返す。
「どうして他人の浮気に興味があるの?」
純粋な疑問だった。すると相手は――
「だって浮気よ? 絶対やっちゃいけないことだもの。あなただって、もし自分のフィアンセが浮気していたら嫌でしょ?」
「うん……そうよね」
こう言いつつ、私は「付き合っている男に浮気された自分」を想像してみた。
私はまだ16で、誰かと交際経験がないのもあるけど、「ふうん、浮気したんだ」ぐらいにしか思わない自分が思い浮かんでしまった。
浮気されて悔しいとか、あの男絶対許さないとかになる自分が想像できない。
もしかしたら、私は自分にもあまり興味がないのかもしれない。
そんなことを考えていると、自分がどんな人生を歩むのか、少し怖くなった。
いつだったか、「あなたって冷めたポタージュみたい」と言われたことがある。
冷めたポタージュってどういうことなんだろう、と私はレストランへ行き、頼んでみた。私にしては珍しく能動的な行為だった。
ウェイターさんに怪訝な顔をされつつも、注文通り冷めたポタージュが運ばれてきた。
薄い黄色をした、お芋のポタージュだった。
見た目は悪くない。匂いもいい。スプーンですくって飲んでみる。
……うん、冷めている。
見た目も匂いもよく、味もしっかりついている。だけど冷めてしまっては、どうしても味は落ちる。
私だって――子爵家に生まれ、令嬢として見た目は気遣っている。ベージュの髪を毎日時間をかけて整え、ドレスをしっかり纏い、礼儀作法だって身につけている。それぐらいの自負はある。だけど、心のどこかがどうしようもなく冷めている。令嬢としての味は落ちる。
なるほど、まさしく私のようだわ。
腹は立たなかった。
むしろ納得がいきすぎて心地よい。薄い笑みすら浮かぶ。私は“冷めたポタージュ”のような令嬢なんだ。
***
そんな日々を過ごし、私はある夜会に参加していた。
さまざまなグループが出来上がっていたが、私はどのグループにも馴染めず、ぽつんと会場の隅に立っていた。
ここでいい。ここがいい。
他人に興味を持てない私が雑談に混じったところで、きっと空気を読めていないリアクションをしてしまい、浮いてしまうものね。
ぼんやりと辺りを見回す。
どこもかしこも楽しそう。きっとどこかの誰かの話題で盛り上がっているに違いない。
すると、一人だけ私のようにぽつんと立ち尽くしている人を見つけた。
男の人だ。
雪のような白肌と、それに似合う銀髪で、瞳は澄んだ水色。青いスーツと白シャツを纏って、清涼感のある神秘的な外見でありながら、どこか退屈そうに壁際で佇んでいる。
私は思った。
――まるで、冷めたポタージュのよう。
ちらちら見ていたら、目が合ってしまった。
向こうもこっちをじっと見つめてる。
どうしよう……。
よし、いっそ話しかけてみよう。
私は人に話しかけるのは苦手ではないしね。
それに、こんな風に人に興味を持つのは生まれて初めてかもしれなかった。
私はつかつかと歩いていき、ゆっくりと話しかける。
「初めまして……フリジット・レイシャルと申します」
「初めまして」
向こうも煙たがらずに応じてくれた。
お互いに自己紹介をする。
彼の名はリオート・ヴィンテル。伯爵家の令息だった。
ただし、社交らしい社交はここまで。
私はあくまで目が合ったから話しかけただけだし、向こうも私にさほど興味はなさそう。
互いに互いを深掘りするような会話はしない。
「夜会、よく来ます?」
「いや……あまり来ないかな」
「僕に話しかけたのはどうして?」
「見かけたので、つい……」
「みんな、盛り上がってますね……」
「そうだね……」
こんな具合の「投げる、投げ返す」で終わるキャッチボールのような会話が続く。
話題がまるで広がらない。
だけど、それが私にとっては快適だった。
『夜会? 週に一度は参加してるかな。やはり貴族としての嗜みとして……』
なんてノリノリで返されてたら、むしろ戸惑ったかもしれない。
ぽつぽつと会話をしつつ、私は確信を深めていく。
この人は私に似たタイプの人だ。
そして、私にしては思い切って――
「私、他人に興味を持てないんです」
と言ってみた。
夜会でこんなこと言うなんて、はっきりいって自傷行為だ。
自分はつまらない人間です。あなたにも興味を持ってません。と名刺に書いて渡すようなもの。
だけど、リオート様は――
「僕もなんだよ」
はにかむような表情で答えた。
この瞬間、私の心がドクンと波打ったのが分かった。
嬉しかった。やっと理解者に出会えた、と思えた。
他人に興味ない者同士、興味のないという一点で結びつきが生まれ、ここからは嘘のように会話が弾んだ。
「誰々さんが浮気したなんて話を聞いても、ふーんとしか思えなくて……」
「僕もそういうところがあるよ。その人の人生だしね、ぐらいにしか思わなくて……」
「その感覚、分かります!」
「……ホント?」
夜会が閉幕する頃にはすっかり打ち解けて、私たちはデートの約束をした。
そう、他人に興味がない者同士――
***
赤いレンガ道が美しい街で私たちは待ち合わせた。
お互いにほぼ待ち合わせ時刻通りに到着した。
互いに必要以上に張り切っていないことが分かる。
なぜだかそれが嬉しかった。
まずは商店街を歩く。
ほとんど喋らない。
普通だったらここで「趣味は?」「好物は?」とお互いに探り合いをして、互いのプロフィールを掘り合い、理解し合っていくものなのだろう。
だけど私たちはそういうことはしない。
なぜなら、デートはしているけどリオート様にそこまで興味がないから。
リオート様の半生や私生活について根掘り葉掘り聞こうとは思わない。
きっと向こうもそう思っている。
余計なことは一切喋らないデートだった。第三者が見たら「これのどこがデートだ」と思うかもしれない。
でも……楽しかった。
一緒にいるだけで楽しい。こんなことは初めてだった。
二人でお洒落なカフェに入る。
私は紅茶を頼み、リオート様はコーヒーを注文した。
だけど「好きな銘柄は?」「コーヒーを飲む頻度は?」「砂糖はどのぐらい入れる?」なんて会話はしない。
この会話の弾まなさが私にとっては居心地がよかった。
だけど――
「決して“無関心”ってわけじゃないんですよね!」
「そうそう! いいニュースを聞けば嬉しくなるし、悪いニュースを聞けば嫌な気分にもなるんだよ」
「だけど、それ以上の興味が持てないっていう……」
「そうなんだよ。その当事者の問題だから、それ以上は踏み込まないっていう」
「分かります! どうしてみんな、そんなに踏み込むんだろう、盛り上がれるんだろうって思っちゃうんですよね」
他人に興味のない人間同士、他人に興味のないトークで大いに盛り上がった。
実に楽しいひと時だった。
その後、私たちは幾度もデートを重ねた。
それでもお互いにお互いを深掘りしなかった。
私はリオート様がどんな人生を送ってきたかほとんど知らないし、私もほとんど聞かれていない。
それでよかった。
それでも私たちの仲は確実に深まっていった。
やがて――
リオート様が言った。
「僕は……こんな男だ。他人への興味は薄いし、君のことでさえ何もかも知ろうとは思わない。だけど、君といると楽しい。落ち着くし、ほっとする。だから……」
リオート様が私を見据える。表情には若干の緊張が見える。
「僕と一緒になってもらえないか」
私はほんの少し顔に熱を帯びると、うなずく。
「私も……あなたに興味津々というわけではありません。きっとこれからもそうでしょう」
「……」
「だけど、あなたが他の女性に目を向けたら、きっと悲しいだろうなとは思います。ですから……どうか一緒になって下さい」
「……ありがとう」
私たちは抱きしめ合った。
この期に及んでどこかぎこちない、よそよそしい抱擁だったが、それでよかった。
二皿の冷めたポタージュが、ほんの少し温かみを帯びた瞬間だった。
こうして私はリオート様と結婚し――今に至る。
結婚したら性格が大きく変わった……なんてことはなく、私はまだまだ冷めたポタージュだ。
だけど少しずつ、婦人仲間とも打ち解けられるようになってきた。
そうして人との輪を広げていくのも、貴族としての務めだものね。
私は未だに他人にそこまで興味は持てていない。
だけど一生を添い遂げたいという人はいる。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。