泪酒
泪が零れるのである。
とめどなく、泪が溢れるのだ。
人体の6割は水分だというが、もう7割くらい流れ出たような気がしていた。
「ねぇ、みんな、あなたのこと、私が思うほどには、そんなに好きじゃなかったのかな……」
私が語りかけると、飼育ケースの中の昆虫が、「ん?」という顔で、こっちを向く。まるで言葉が通じているかのようだ。「何、なに?」「なんだって?」「なんて言ったの?」と、無邪気な顔で、聞いているようだ。
薄暗い独りの部屋で、私にとっては、パイソンカマムシだけが、友達だ。
私はこんなにもパイソンカマムシのことを愛しているのに……
他のひとたちは、この子について、あまり語りたがらないように、そんなふうに、思えた。
やっぱり……虫だからなのかな……。
こんなに見た目は確かにキモいけど──
こんなに心が通じ合える虫なのに──
外が暗くなってきた。
このままでは部屋の中は真っ暗になってしまう。
そんなことになれば、私も、パイソンカマムシも、世間から忘れ去られて、黒い泪の海の中へ、沈んでいってしまうように思えるから──
私はブラックライトを点けた。
照明でありながら、それは何も照らさず、ただ部屋の中を、青黒い闇で、満たした。
ブラックライトの中で見ると、パイソンカマムシは、まるで深海の中に浮かびあがるように、その無表情に、微かな笑みを浮かべた。華奢な躰は桃色に輝き、人間のような姿で、立つ。その背中の後ろには、無数の小魚が泳ぐような、金色の光を、纏わせている。まるで太宰治の御伽草子に出てくる乙姫のようだ。っていうか、まんまだ。
私は眠ろうと決めた。
お酒が私を無意識の海へと誘ってくれる。
逃げようと思ったのだ、こんなにも聖諦を纏った、無垢なる虫が、愛されない世界から。
おやすみ、パイソンカマムシ──
ごめんなさい、太宰治をパクって──
逃げよう
世界は
壊れているから──
私も
なりたかったよ
太宰のように
『浦島太郎』を「ハッピーエンドだ」と言えるようなひとに──