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ブラックリング~赤き塔~

作者: 笹田 一木


 旅立ちにはきっかけが伴うものだ。

 そのきっかけはときに幸運なことであったりときに不幸なことであったりする。


 今から始まる物語。

 それはとある青年の物語。

 その青年がとある人物と出会って、そして旅立つまでの物語。





 遠くの教会からゴォーンゴォーンという昼の鐘が聞こえてくる。

 そこには廃れた街並みが広がっていた。

 辺りに立ち並ぶ四角い灰色の建物は、どれもこれもがボロボロだ。ある建物は木窓が欠け、ある建物は壁に亀裂が走っている。なかには外れた扉が入り口を塞ぐようにして立て掛けられているだけのものさえある。


 そんな建物に挟まれた石畳の道もまたひどく荒れている。石畳を成している石板は多くが欠けており、また所どころが盛り上がっている。このような道は馬車も安心して走ることはできないだろう。そして道のまわりにはゴミが散乱している。布切れ、石材の欠片、生ゴミ……

 そんな道にも点々と人影が見える。

 そのほとんどがチンピラだ。奇抜な格好をしている者、フラフラと手を広げて歩いている者、無気力に薄く目を開けている者……まだ昼間だというのに特にやることもなくヒマそうに歩いている。

 その中の一人にひときわ背の高い青年がいた。

 2m近くある長身を揺らしながら、荒れた道をドシンドシンと一人歩く。


 道ゆくチンピラ達もその長身に自然と目がいくが、それが誰なのか分かると素早く目をそらす。


 そんな様子には目もくれず、青年はゆっくりとした足どりで道を歩く。


「ふああぁぁぁ……」


 青年は歩きながら大きなあくびを一度した。





 ネシス歴1017年、グラウド帝国。

 この国はいまひどい状態にあった。

 皇帝政治の悪化により異常な地位の開きが生じ、国民は重い税に苦しんでいた。

 人々の心は乱れ、荒んでいき、そしてそれによって各地では内乱が起こっていた。

 過去最悪ともいえる今の国のこの状況を、ある哲学者はこう言った。国をまるごと覆う暗黒円『ダークサークル』と……





 大男が歩いていた道から少し離れた別の道、同じように廃れた町並みが広がるその道を、一人で歩く少女がいた。

 少女は年齢十六、七ぐらい、白く長い髪はサラサラと流れ、形の良いきれいな目には深い緑色の瞳が浮かんでいる。大人っぽい顔立ちをしているが、その表情には幼さを含んでいた。


 その少女は普通の人なら目をそらしたくなるような町の景色を、興味深そうに眺めていた。

 その少女の目にある酒場に止まった。周りの建物同様にボロボロな店だ。石壁の所々が欠けている。


「なにごとも経験だよね」


 白い髪の少女は吸い寄せられるように酒場に入った。


 酒場の中、中央には店主がいるカウンターがあり、それを囲むように木のテーブルがいくつも置かれていた。そのテーブルには昼間だというのに酒臭さそう男達が何人も座っている。

 その店の雰囲気とは場違いな雰囲気を持つ少女の入店に、客達は少し驚く。

 当の本人は自分が場違いな場所にいるという自覚はみじんもない。誰も座っていないカウンター席に軽い足取りで近づくと、ストンと座った。


 その様子を見て、男達がザワザワと騒ぐ。


 白い髪の少女はカウンターに座るとニコッと店主に笑いかける。


「ブルー・ティーをお願いできますか?」


 白い髪の少女の注文に中年の店主はキョトンとする。


「ブルー・ティー……? っていうとアルト茶葉だろ。おいおい、お嬢さん大丈夫かい? そんな高級なもんウチにあるわけないだろう」


「え……?」


 今度は白い髪の少女がキョトンとする。


「あの……すみません。こういうところに来たのは初めてだったので……」


「お嬢さんどこの人だい? あまり見ない顔だが、もしかして……」


 その店主の言葉を別の大きな声がさえぎる。


「おいおい、お嬢さん! ダメだな~、お嬢さんみたい子がこんなトコに来ちゃあ……!」


 大柄の男二人が少女の後ろに立っていた。


「そうそう、ここはお嬢さんみたいな子が来るところじゃねーんだよ。優しいオレ達がいいトコに連れてってやるよぉ」


 大柄の男の一人、頭に布を捲きつけた男がそう言うと、白い髪の少女の腕を太い腕で強く握る。


「あの、結構です。この店にはたまたま通りかかっただけなので」


 白い髪の少女は早口で断る。しかし布の男は腕を強く握ったまま離さない。


「おいおい、冷たいな。お兄さん達ショックで泣いちゃうよ……。嬢ちゃんみたいな子、ここらじゃ珍しいだ。オレ達とちょっと遊ぼうぜぇ」


 男達はニタニタ笑う。


 少女は男達のその様子と強く握られた腕の感触を感じ、恐怖を覚えた。


 酒場の店主は数歩退き関わらないようにしている。


「あの……やめください……離して!」


 白い髪の少女が声をあげた瞬間だった。店内に一人の青年が入ってくる。

 2m近い長身のその青年は、年齢は十五、六ぐらい、少しはねた赤い髪、鋭い眼には黒い瞳が光る。どこかのんびりとした雰囲気を持っている。



 青年はカウンターの前までゆっくりと歩く。男達より頭一つ分高い。その顔が男達の様子を見下ろしている。

 長身の青年はそれを見たあと、ゆっくりと口を開く。


「……何やってんだ?」


 長身の青年の黒い瞳が一瞬、少女の腕を握る男の手を見た。


「なんだおまえ! 取り込んでんだよ、ジャマくせぇ!!」


 布の男が怒鳴った。


「お、おいバカ! そいつは……」


 もう一人の男が焦った口調で何か言おうとしたその時、


 ゴッ!


 鈍い音と共に腕を握っていた男の体が、少女を置き去りにして高く宙を舞う。

 カウンターを飛び越え、店主の隣に飛び込んだ。


「ひっ!」


 店主は思わず声を上げる。


 長身の青年は拳を前に突き出していた。


 もう一人の男の表情が恐怖でゆがむ。


「レ、『レッドタワー』……」


 その男と長身の青年の目が合う。


「ひっ……!」


 男は小さく叫ぶと店の外へと勢いよく飛び出し、逃げた。

 布の男の方は完全にのびている。


 その様子を他の客達はぼうぜんと見ていた。


 静まりかえった店内、長身の青年と白い髪の少女の目が一瞬合った。しかし青年はすぐに店主の方に目を移した。


「悪い……、邪魔したな」


 長身の青年は一言そう言うと、店の出口から身をかがめて外へと出ていった。


 その姿が消えると、店の客達がザワザワと騒ぎだす。


「クレイドだ。クレイド・アースロア……」


「あ、アレがか……」


「ああ、噂の『レッドタワー』だ」






 酒場の外、長身の青年クレイドは荒れた道を一人歩く。

 町を吹く弱い風で、少しはねた赤い髪が揺れた。


「待って! そこの高い人……」


 白い髪の少女があとを追いながら叫ぶ。


「高い人って……」


 クレイドが目を細めながら振り返った。

 白い髪の少女はクレイドと並ぶと少し息を乱しながら顔を見る。


「ありがとう……ございました。助けていただいて……」


「そんなにでかいか? オレって……」


 クレイドは自分の頭を触りながら言った。それを聞いて白い髪の少女は一瞬目を丸くする。


「え……あの……その……私は初めて見ました。こんなに背の高い人」


「そうか」


 クレイドは短く答える。そして言葉を続ける。


「あんた、どこの人だ? 見たところ、いいトコのお嬢さんだな」


「え……?」


 白い髪の少女は自分の服装を確認する。そして独り言のようにぼやく。


「おかしいな……、わざわざ西地区の服屋で買ってきたのに……」


「服はごまかせても分かるんだよ。口調とか、しぐさとか、それに雰囲気でな。だからあんなのに絡まれるんだ」


「そういう……ものなんですか……」


「そういうものなんだよ」


 クレイドはほほえんだ。

 その笑顔を見せた途端、少女の表情が急に緩んだ。

 クレイドが再び歩き始めると、少女はその隣について歩く。


「私はリィナ、あなたは確か……クレイドだよね」


 白い髪の少女リィナはさっきのほほえみで親しみがわいたのか、急に砕けたしゃべり方になった。 


「そうだ。クレイド、クレイド・アースロアだ」


「あなたもここの住民なの?」


「ああ、そうだ。この町にいるゴロツキの一人さ」


「……でも、さっきの人達とは違うよね」


「んっ? いや、あんまり変わらないねぇよ。俺みたいなやつにもあんまり関わらない方がいいぞ」


「変わらなくなんかないよ。全然違う! あなたは私を襲ったりなんかしない。むしろ助けてくれた」


「おまえ、だまされやすいタイプだろ」


「失礼な……! これでも人を見る目はあるの。ねぇクレイド、今ヒマ?」


「んー……」


「ヒマでしょ! 酒場に一人で入るぐらいだし。ねぇ良かったらここを案内してくれない? あなたと一緒なら安全だし」


「おいおい……」


「ねっ、お願いクレイド、お願い!」


「…………ふーっ、分かった。分かったよ。案内してやる」


「やった! うれしい。ありがとうクレイド。ねっ、言ったでしょ、私は人を見る目があるって」


「やれやれ……で、まずどこを回りたい」


「どこがあるの?」


「…………、そこからかよ」






 町に住む青年クレイドと、白い髪の少女リィナはこうして出会った。


 クレイドとリィナが出会った町の名はアルタ、ここは特殊な環境にある町だ。

 この町の構造は大きく東から三区間に分かれている。

 一番東は上流階級の貴族が住む住宅区間、西は平民が住む住宅街と商店街が混在した区間、そしてさらに西へいった区間……別名『西のはずれ』には廃れた町並みが広がっている。

 二人が出会ったのはこの西のはずれだ。

 貴族、平民、そしてゴロツキ達が共に住む町、しかしそれぞれの生活空間は、それぞれではっきりと区分される。その特異な環境がこの町アルタの特徴だ。


 クレイドが寝床にしているのは当然西のはずれだ。

 治安は最悪といえるこの区間だが、この区間で恐れられているクレイドにとっては、恐いものなどなにもなく、気ままな生活を送っていた。

 たまに自分の噂を聞きつけ襲ってくるゴロツキからサイフを奪えば、金に困ることなどほとんどない。

 気ままに町を歩き、気ままに町の人間と話し、気ままにゴロツキを返り討ちにしてサイフを奪う。

 それがクレイドの生活のほとんどだった。



 彼女と出会うまでは。


 クレイドは自分のよく行く酒場があった。リィナと出会った酒場とは別の酒場。

 あの日はたまたま店主が風邪をひいていたため、渋々いつものと違う酒場に寄ったのだ。


 店主の風邪もすっかり治り、いつものように昼の鐘が鳴るころ、奥のテーブルに座り、ブドウ酒を一杯注文する。

 ボロボロの店内で、一人で酒を飲む。

 いつもどおりの日常、のはずだった。



「クレイドー!」


 いきなり高い声で名を呼ばれ、三日前に出会った少女リィナが突然登場。クレイドは飲みかけの酒をグッとのどに詰まらす。

 


「……! なんでおまえがここに……」


「クレイドが教えてくれたんでしょう。この時間、この場所によくいるって」


「確かに教えたが……、だけどなおまえ、また一人で西のはずれに来たのか。危ないだろ。また襲われるぞ」


「大丈夫、ゴロツキの少ない安全なルートを通って来たから、それもあなたが教えてくれたんだよ」


「…………」


「それにもうクレイドと一緒だからさらに安全だし」


「だからってなー。なにしに来たんだよ。こんなトコに」


「このまえ回りきれなかった場所を案内してくれるんでしょ。約束してくれたじゃない」


「まあ、確かに言ったが……けどまだ三日しか経ってないだろ」


「善は急げってね。あんまりのんびりしてると、あっという間におばあさんになっちゃう。ほら、私なんかあっという間に十六才……」


「なんだそれ。まあ確かにあっという間にこうなったって気はするな」


「そういうことだから、いこ、クレイド」


「どういうことなのか分らないが、ちょっと待ってくれ、いま全部飲むから」


「もう……、この年でお酒なんて、余計に早くトシとっちゃうよ」


 クレイドはちびちびと酒を飲む。


(やれやれ、急に騒がしくなったな……)





「きゃーっ、なにこれ!」


 クレイドがリィナを西のはずれの市場へと連れて行った時だった。

 人の姿がまばらなボロボロの路地にいくつもの布が広げられ、その一つひとつにさまざまな物が並べられている。

 その一つに対してリィナが悲鳴を上げた。



「なんだ?」


 クレイドが聞いた。


「あの抹茶色の物体……なんか手足が見える……」


「あー、あれはカエルだ。カエルのくんせい肉」


「か、カエルッ!? カエルって、池とかに住むあのカエル!?」


「ほかにどのカエルがいるんだ」


「えぇー、た、食べれるの……?」


「俺なんかしょっちゅう食ってるぞ」


「えぇぇぇっ!? …………そ、そうなんですか」


「なぜ離れる」



 クレイドは別の店を指す。


「慣れないんだったらこっちはどうだ? 花屋」


「えっ、花屋、どこ?」



 布上には様々な花が置かれていた。

 クレイドはピンクの花を指さす。


「これなんか好きなんじゃないか? シャープスの花。女はみんな好きだよな」


「んー、私はシャープスあんまり好きじゃない」


「ぜいたくなやつだな。じゃあなにが好きなんだよ」


「うーん、ここには……あっ、これいいな、この水色の花」


「ああ、スカイパレットか」


「ときどき外で生えているのを見るんだけど、もらったことはないんだよね」


「じゃあ買ってやるよ。これなら買える」


「えっ! 悪いよ」


「エンリョすんな。わざわざこんな廃れたトコまで来てんだ。なんか残ったものがあった方がいいだろ。まあ長くは残らないが」


「あ、ありがとう。クレイド」



 クレイドは銅貨を払いながら考える。


(スカイパレットは平民の間でさえプレゼントとして一般的だ。それを名前も知らないし、もらったこともないって、やっぱり……)






 それからというものクレイドとリィナは何度も会った。

 クレイドがいつもの酒場に行くと、少し遅れてリィナが顔を出す。

 リィナが顔を出すのは週に一、二回だ。その度に二人で町を歩く。

 西のはずれの景色は、見て回るにはお世辞にも良い場所といえるものではない。荒んだ町並みが広がり、見て楽しい所など無いに等しかった。

 しかし、それにも関らずリィナは興味深げに、楽しそうに町並みを眺めていた。


 二人は時に西のはずれの市場をまわったり、酒場や食堂をまわったり、そして時には町を少し出て、近くの大きな湖に足を運んだりもした。

 透きとおる水面を泳ぐカエルを見て、リィナは「やっぱりアレを食べるのは考えられない」などと言っていた。

 さまざまな所に足を運ぶたびに、リィナは子供のようにキャッキャッと嬉しそうにはしゃぐ。


 クレイドもそんなリィナの様子を見て、町を案内するのも悪くはないと思っていた。

 そのなかでクレイドはリィナに、町での自然な振る舞いや、住民の常識を教えた。






「やっぱりアレはいけないよね」


 二人が出会って一カ月、西のはずれの食堂。

 西のはずれでは比較的きれいなその食堂内で、リィナが勇気を振り絞りカエル肉の料理を注文した後のことだった。



「はっ?」


 クレイドは間の抜けた声で返事をした。


「やっぱりアレはいけないって」


「だから何がだよ」


 リィナは真っ直ぐクレイドの目を見た。


「私と初めて出会った時だよ。助けてもらってあの時はホッとしたけど、いま思うとあなた、手を出すの早すぎ。もっとなにか確認したり、説得したりするべきだったと思う」


「俺は昔から手が早いんだ。それに状況は確認した、三秒くらいで」


「三秒って……、それに昔からなんて理由にならないでしょ。悪い癖は直さなきゃ、だから西のはずれであんなに恐れられるんだよ。知ってる? あなた西のはずれで『レッドタワー』の異名で呼ばれてるの」


「『レッドタワー』…………、なんだよその変な異名、もっとしゃれたのつけてくれよ」


「あなたは、本当は優しいのに……絶対に間違ってる」


「いいんだよ。優しいなんて思われるより恐れられてた方が西のはずれじゃあ住みやすい」


「そんなこと……」


「まぁ、おまえには分かりづらいかもな」


「だって……、ねぇクレイド、あなたには家族だっているんでしょう?」


「いねぇよ」


「えっ……」


「親は俺が八才の時、俺を置いて街を出た。それ以来ずっと独りだ」


「そんな……」


「別にもう気にしてねーよ。戸籍印は残ってるからな、一応地位は平民だ。それに、この町には何人か俺と家族のように接してくれるやつがいる。俺はそれで十分だ……。おまえはどうなんだ?」


「えっ、どうって……」


「おまえには家族がいるんだろ。地位は多分、平民の上層か、それとも……」


「………………」


 リィナはうつむいて黙った。


「リィナ……?」


「……家族は……いるよ。でも……」


 リィナは辛そうな顔をしていた。


「言いたくなきゃ別に言わなくていい」


「……ごめん」


 少し沈黙が続いたあと、リィナが声を出す。


「あーあ、早く自由になりたいな」


「自由になって何するんだよ」


「この町を出たい。そしてこの国の各地を回る。ねぇ、クレイドは外の世界に出たいとは思わないの?」


「ぜんぜん、想像してこともねーよ」


「もう! 世界は広いんだよ。こんな町にずっと居たんじゃもったいないよ!」


「世界ねぇ、それじゃあ、その世界さまにはいったい何があるんだ」


「なんでもあるよ! それでね。私は国中をまわって、そこにあるさまざまな場所へ行くんだ。そしてそこにある美しい景色を見る。巨大クジラの群れが作るパシフィルド・ライン、様々な美しい建築物が立ち並ぶ首都ゴウドル-クス、そしてグラウドで最も巨大で優雅といわれるアルティマイアの滝……」


「へぇー、首都以外は聞いたこともないな」


「クレイドは常識がなさすぎだよ」


「俺に言わせりゃ、おまえだって常識がねぇよ」


「クレイドは変なところにだけ精通しているだけなんです。グラウドの人ならみんな知ってるよ。アルティマイアの滝だけは、私が生きてるうちに絶対行くんだ」


「ふっ……、そうか、行けるといいな」


「その時はクレイドも一緒だよ」


「なんでオレもなんだよ……」


「はい、お待ちどー」


「き、きたっ!! カエル…………」


「大丈夫だよ。腹に入ればみんな同じだ」


「その過程が大事だと思うんだよね」


「とりあえず食ってみろ、割とうまいから。……まぁ、そんな渋い顔で食ってもまずいだろうけどな」


「う~……」



 その後も二人の関係は続いた。







 二人が出会って三カ月か経とうとしたある日の午後。

 二人は珍しく西のはずれから出て、そのとなりに位置する西地区の商店街を歩いていた。

 多くの人が歩く道、そこに立ち並ぶ四角い灰色の建物には、店それぞれで様々な色の布が飾られている。黄色、緑色、青色、赤色、カラフルな色が商店街を明るく飾る。


 そんな街を歩いている時、リィナがある話を切り出した。


「ねえクレイド、知ってる……? 東の町ライゲンの住民が国軍に虐殺されたって……」


 リィナは暗い顔だ。


「そうか、また反乱の鎮圧か……。近頃じゃ珍しい話じゃなくなったな」


「ねぇ、クレイドはなにも思わないの?」


「なにがだよ?」


「この国の今の状況……、地位の隔たり、差別、人の心の乱れ。各地では争いばっかり。みんなが感じてる、今の国はおかしいって。そして恐れてる、この『ダークサークル』を」


「『ダークサークル』ねぇ、皇帝政治の悪化が原因なんて言われてるよな」


「……私は本当にそうなのかなぁって思うんだよね」


「……? なんでだよ」


「皇帝陛下だって、国のことを考えて動いてるんだよ。それでここまでひどい状態になるのかなぁ。私ね、今のこの事態には、何か違う根本的な原因があると思うんだ。皇帝政治の悪化とは違う、別の『真実』が……」


「国全体を覆う『ダークサークル』の真実ねぇ。おまえの言うことはいつも壮大だよな」


「なんか他人事……」


「だってよ、そんなモン、俺達にどうにかできるモンじゃないだろ」


「あなたにだって関係のない問題じゃないでしょ、地位の隔たりや差別だって、今のあなたの立場を考えれば……」


「地位の隔たりね。確かに異常って言われるのもわかる気がするな。町を歩く貴族の服に泥をつけちまった農民が、その日のうちに首を落とされたなんて話も聞くぐらいだ」


「あなたはこんな世界でいいと思うの……?」


「おまえは良くないって感じだな」


「私は……私だって、もし、こんな世界じゃなかったら、私は……」


「…………」


 少しだけ沈黙が続いた。


「まぁ、お互い色々立場があるってことだな。とにかく今日は楽しもうぜ」




 その言葉を聞いて、リィナはかすかに不自然さを感じた。


 二人はその後、今度は明るい会話をしながら商店街を回った。


 けれどリィナは少しだけ、いつもとクレイドの様子が違うことを感じていた。なにが違うのかはっきりとは分からない。ただ確かにいつもと違っていた。





 街は夕焼け色に染まり始め、あたりにコウモリが飛び始めた。



「それじゃあ私はそろそろ帰るね」


「……………………」


 クレイドはなにも答えない。


「クレイド……?」


「最近、会いに来る回数が減ってるな」


「……もしかしてクレイドさびしがってるの?」


 リィナは少し笑みを見せた。

 しかしクレイドは無表情だ。


「おまえが西のはずれに何度も来てること、親は知ってんのか?」


「……! 親は……、ク、クレイドが気にすることじゃないよ。大丈夫、なにも問題ないから」


「親には黙って来てるんだな」


「…………、だから?」


 リィナは少しクレイドをにらんだ。

 クレイドは口を開く。


「親には黙ってきていた。だけど今は違うよな。もうバレてる。だからさいきん急に来れなくなった、いや、バレてるにもかかわらず、無理やり来てるって言うべきだな」


「……!」


 リィナは言葉が詰まる。

 クレイドはなおも表情を動かさない。口がゆっくりと開いた。


「俺達が会うの……今日で終わりにしよう」


 クレイドの発した言葉で、リィナの動きが止まる。そして少し間が空いて、声が漏れる。


「え……?」


「リィナ・フォーネルクリフ。調べさせてもらった。聞いても教えてくれないんでな。正直驚いた。町で一番の大貴族だ」


 リィナはその言葉を聞いて驚く。


「今のこの国を知ってるだろう。この異常な地位の隔たり。貴族と平民が関わるのは法律じゃあ禁止されてない。だが実際は法律以上厳しい」


「でも……」


「終わりにしよう……」


「…………いや」


 リィナはポツリと言った。そして今度は大きな声を出して叫んだ。


「絶対にいや! なんであなたと別れなきゃならないの! 私達が悪いことした? こんなの絶対に間違ってる!!」


 リィナの叫びにクレイドは眉一つ動かさない。


「もし間違いがないとしても、俺達が会うことはお互いにいいことじゃない。それは確かだろ」


「いいことじゃない……? クレイドは本当にそう思ってるの?」


「思ってる。たったの三カ月だ。そう長い付き合いじゃない。今なら……」


「そんなこと! そんな言い方……クレイドらしくないよ。時間とか、そういう問題じゃ……お互いのためとか……、おかしいよ、なに言ってるの……?」


「この三カ月、俺はそこそこ楽しめた。おまえだって楽しめただろ? それでいいじゃねぇか」


「違うよ、クレイド……違う……! 私は……私は……!」


「すまないリィナ、言い方が悪かった」


 クレイドは大きなため息をはいた。


「俺達が出会ったこと、それ自体はただの偶然だ。別にそれは悪くない。けど、そのあとも会おうとしたことが間違いだったんだ。おまえは自分が貴族で俺が平民だって知っててもう一度会いにきた。俺もおまえのことを貴族なんじゃないかと感づいていた、それでもおまえに関わった。それが間違ってたんだ」


「私と……あなたがもう一度会ったこと……今までの関わりが、間違っていたって言いたいの……?」


「ああ、間違いだよ。どうぜ遅かれ早かれこうなったんだ。今ならたったの三カ月だ。お互い無かったことにするには都合がいいだろ?」


 クレイドがそう言った瞬間だった。


 パンッ!


 リィナの平手がクレイドのほおを叩いた。


「最低……」


 リィナの口元は震えていた。


「私……あなたを誤解してた。あなたがこんな……こんな人間だったなんて思わなかった」


「そいつは良かったな、誤解が解けて。もういいだろ、これでさよならだ」


 リィナはクレイドをにらみつけた。それでもクレイドの表情は動かない。冷たい目でリィナを見ている。

 リィナは背を向けた。そして駆け出した。


 リィナはクレイドの前から立ち去った。



 リィナの姿が見えなくなるのを確認すると、クレイドもゆっくり背中を向け、西のはずれへと歩き出した。





 少しだけ歩いた時だった。クレイドは商店街の景色を見た。日は少し暮れ、周りの景色は少し暗くなり始めていた。人影は一つも見えない。

 クレイドは突然足を止めた。

 そして近くに立っていた店の壁の方に向き直ると、次の瞬間その壁に、拳を勢いよく叩きつけた。

 壁がわずかに揺れ、鈍い音が辺りに響いた。


 拳からゆっくりと血が流れる。

 しかしクレイドはその痛みをまるで感じてないかのようだった。再び道の方へと向き直り、何事もなかったように歩き始めた。

 クレイドの視線は地面だけに向けられていた。歯がわずかにきしむ、まるで大きな苦しみに耐えるかのように。


 クレイドのその姿を見ていたのは、夕焼けの光だけだった。





 日は完全に落ち、辺りは夜の闇に包まれていた。


 西のはずれの廃れた道、クレイドはその静かな道をぼんやりと歩いている。その瞳は何を見つめることもなく目の上をさまよっていた。


 その時、向かいを歩いていた男と肩がぶつかってしまった。


「……すまない」


 クレイドは静かな口調で謝ると、そのまま通り過ぎようとした、その時だった。


「なんだおまえ、それで済むと思っているのか」


 その言葉にクレイドは振り向き、肩をぶつけた相手を見る。

そ の男は年齢三十代前半、少し面長の顔と鋭い目つき、黒い帽子を頭の深くまでかぶっていた、黒いマントを羽織っており、腰には剣を付けている。

 黒いマントの男は冷たくさげすむような目でクレイドを見る。


「クズが……見たところ町のチンピラか」


「なんだと……!」


 クレイドは男の発した言葉に敏感に反応した。殺気に満ちた表情で男をにらむ。


「気に入らねぇな、その目、俺達を完全に見下してやがる……」


「それがどうした。クズをいくら見下したところで一体何が悪い。それより先ほどのこと、もっとしっかり謝ってもらおうか。顔面を地面にこすり付けながら謝れば許してやらんこともないぞ」


 マントの男は腰にある剣をチラつかせながら言った。男の顔から歪んだ笑みが漏れる。

 その言葉を聞いたクレイドは眉をつり上げ、ゆっくりと男に近づく。


「悪いな、普段ならおまえみたいなドアホは無視するんだが、あいにく俺はいま死ぬほど気が立ってる……」


 そんなクレイドを見て男はニヤッと笑うと、腰にある剣を抜いた。

 それにもかまわずクレイドは突っ込んだ。一瞬で男の目の前に立つと、拳を突きだした。


 ビュンッ!


 クレイドの拳は驚くほどの速さで空気を切り裂き放たれた。しかし男は拳をヒラリとかわす。その直後、


 ヒュンッ!


 一瞬の風切り音がした。その瞬間クレイドの体が切り裂かれ、血が噴き上がる。


 クレイドは一瞬地面に膝をつき、そして倒れた。





 それから数日が経ったある日、遠くの教会から昼の鐘が聞こえる。

 西のはずれの道を一人の少女が走っていた。

 そしてある酒場へと入る。自分のよく知る人が通う酒場、その奥のテーブル。

 しかしそこには、いつもいるその人はいなかった。


「どうして……」


 リィナは悲しい表情で空いた席をみつめる。

 空いたテーブルを前に、ただ立ち尽くしていた。




「よう、久しぶりだな」


 突然背中から声が聞こえた、リィナはすぐに振り返る。

 しかしそこにいたのはクレイドではなかった。

 リィナが初めて入った酒場で絡んできた、リィナの腕をつかんできた頭に布を巻いた男。その布の男が 複数の仲間を連れリィナの前に立っていた。

 布の男は不気味に笑う。


「探したぜぇ、お嬢さん……。楽しいショーに案内してやるよ。安心しな、あんたの大好きな男も混ぜる予定だ……」






 クレイドが目を覚ましたのは西のはずれのとある診療所だった。

 体を起こそうとすると、胸のあたりに強い痛みが走る。思わず顔を歪めた。


「よう、クレイド。お目覚めかい」


 近くに座っていた年老いた医師が気さくに話しかけた。


「…………、オレは何日寝てた?」


「二日だなぁ。久しぶりだな、おまえを世話するのは。三年ぶりぐらいか。昔はよく世話したもんだが……」


 クレイドは二日前の夜の出来事を思い出す。悔しさが込み上げる。


「クソ……!」


「ぶったまげたよ! 道を歩いてたら、やけにでかいやつが倒れてるもんでなぁ。顔を見たら見覚えがあるじゃないか。剣で斬られたんだろ? その傷。この町のモンじゃないな」


 クレイドは痛みをこらえながら体を起こした。

 そしてそのまま部屋を出ようとする。


「世話になったな。オッチャン」


「おいおい、金を払えよ」


「今はムリだ。今度しっかり払ってやるよ。俺が踏み倒したことなんかあったか?」


「いっぱいあるぞ」


「……わりぃ、今度まとめて払うよ」




 診療所を出たあと、クレイドは道を歩きながら考えていた。


 リィナは今どうしてるだろうか? 何を思っているのだろうか?

 自分に会いにまたここに来てしまうのではないか?

 いや、大丈夫だ。あの様子なら自分のことを憎むことはあっても、もう会いに来ようだなんて思わないだろう。

 仮に会おうと思っても、あの酒場には二度と行かない。

 自分が会おうとさえしなければ、もう会うこともないだろう。

 これで良かったんだ。

 これで……



「久しぶりだな、クレイド……!」


 突然クレイドを呼ぶ声が聞こえた。

 クレイドがその方向を向くと、ほおのこけたチンピラがクレイドの方を見てニタニタと笑っている。



(……誰だ? 知らない奴だな。いや、やっぱり見覚えがある………………そうだ、昔ぶっ飛ばしたやつの一人だ)


「……何の用だ」


 クレイドは興味なさそうな顔で言った。


「何の用だ、じゃねえよ、クレイド。大事な彼女が大変なんだぜぇ」


 男はニタリと笑った。

 その言葉を聞いた途端、クレイドは一瞬で男のえりをつかみ、軽々と持ち上げた。

 クレイドの眼がギラリと光る。

 男はグウゥと苦しそうにうなる。


「ま……て……まてってクレイド……オレになにかあったら……あの女は」


 男がそう言いかけるとクレイドは歯をギリっと鳴らして、男のえりから手を離した。

 力が入り過ぎたせいで、包帯に血がにじむ。


 男は苦しそうに息をしながらしばらく地面にひざをつく。


 そして息が整うと男は再びニタリと笑う。


「クレイド、いいからオレについてこいよ。楽しいことが待ってるぜ」



 クレイドはいますぐにでも男を叩き潰したい気持ちを押さえ、黙って男のあとについて行く。





 町の西のはずれのさらにはずれ、そこは廃墟が広がるゴミ捨て場。いくつもの石材の破片や木材の山があり、痩せた犬が徘徊している。

 そこの一番大きな廃墟、チンピラはその正面の扉を開け、クレイドを招き入れた。

 チンピラはクレイドが入ると、扉を内側から閉めた。


 クレイドの目の前に朽ち果てた広間が広がる。その広間に大勢のチンピラ達が立っていた。数は十人以上。


 クレイドはチンピラ達の顔を見回す。


(全員どこか見覚えのある顔だ。ここにいる全員、たぶん過去に俺が殴り倒したやつだ)


 クレイドの視線がチンピラ達の奥へといく、その瞬間クレイドの目の色が変わった。


 奥には縄で縛られたリィナの姿があった。口には布が巻きつけられ、クレイドの方を見てウンウンと何か言っている。


 クレイドの顔に殺意が満ちる。おまえら、ぶっ潰される覚悟はできてるんだろうな……!! クレイドはその言葉を飲み込んだ。


「俺に……何をしてほしい……何をすれば、リィナを逃がしてくれる」


 クレイドは必死に感情を押し殺す。

 その様子を見てチンピラ達がワッと笑う。


「はははは、効果抜群! だな」

「あの顔、ホントさいっこうだぜ!」

「見ろよ、あのマヌケの縮こまりよう、傑作だな」


 チンピラ達はゲラゲラと笑う。

 クレイドは体を震わせながら怒りに堪える。


「安心しろよ、クレイドぉ。オレ達は、女を助けたかったら一切手を出すな、なんてセコいことは言わねぇ。おまえを正面から堂々と潰すために集まったんだ」


「そう……正面からなぁ」


 すると広間の横にある扉が突然開く。

 そしてそこから黒いマントを着た男が現れる。男はクレイドをさげすむような冷たいまなざしで見た。


「なんだ、こいつか」


 黒いマントの男は吐き捨てるような口調で言った。


「サイフォさん、こいつを知ってるんですか?」


 チンピラの一人が黒いマントの男サイフォに尋ねる。

 サイフォはつまらなそうな顔で口を開く。


「先日道でたまたま会ってな。生意気だったから斬り伏せたんだ。生きてたのか」


 サイフォはため息を吐く。


「つまらない。強い強いと聞いて見てみれば、こんなザコだとはな」


 チンピラの一人がクレイドの服からわずかに見える包帯と、にじむ血を見て口を開く。


「なるほどぉ、それでこの傷ですか」


 チンピラ達が興奮した様子で大声をあげる。


「いいぞ、クレイドー! リベンジマッチだぜぇ! 包帯ぐるぐるのリベンジマッチ!」


「女を助けたいんだろー。じゃあ逃げらんねぇよなー? それとも逃げるかー?」


「逃がさねーけどなっ!!」


 チンピラ達は一斉にゲラゲラと笑う。


 サイフォがゆっくりと剣を抜きながらクレイドの正面へと歩く。


「つまらん、今回の仕事もまた、はずれか……」


 クレイドはゆっくりと口を開く、サイフォに向けてではなく大勢のチンピラ達に向けて。


「おい……、俺が手を出しても、本当にリィナには何もしないんだな」


「はははは! なに言ってんだよ。この状況で」


「ああ、なにもしないぜ、いまは、な。ただしすべてが終わったあとはどうなるか分からねぇぜぇ」


 クレイドは静かにぼやく。


「なにもしない、それだけ聞ければ十分だ……」


 クレイドはゆっくりとサイフォの方に視線を移した。


 サイフォはため息を一つ吐くと、つまらなそうに剣を構えた。

 クレイドは静かにサイフォをにらむ。


 二人は向かい合ったまましばらく止まっていた。



「ほう……、今回は前のように考えなしに突っ込んではこないのか」


「…………」


「まあ、どうしようが結果は同じだ」


 サイフォはゆっくりとクレイドに近づいてくる、一歩一歩、まったく恐れることなく。

 それに対し、クレイドは全く動く気配がない。

 サイフォはどんどんとクレイドとの距離を縮めてくる。

 一歩、また一歩と……

 クレイドとの距離があと三歩分まで近づくであろう距離、サイフォの踏み出した足が地面に着地するかしないかのその瞬間、

 クレイドが動いた。

 一瞬でサイフォの懐に飛び込む。クレイドは拳を弾丸のように突き出した。


 ビュンッ!!


 サイフォはそれをヒラリとかわし、斬撃をクレイドに放とうとしたその瞬間、クレイドの突き出した腕がすぐさま曲がり、ひじが剣を握る拳をとらえた。サイフォの斬撃が止まる。


「な……っ!」


 クレイドのもう片方の拳は、すでにサイフォに向けて放たれていた。空気を切り裂き一直線にサイフォの顔面へと向かう。


 ゴッ!!


 大きな音をたてサイフォの体が宙に舞い上がる。

 そしてそのまま床へと転がり落ちた。



 床に倒れたサイフォは顔を宙に向けたまま、口をあんぐり開け全く動く気配がない。


 それをチンピラ達はぼうぜんとした様子で見る。

 次の瞬間、クレイドはチンピラ達の方向へ一気に駆けだす。

 驚くチンピラ達には目もくれず、その集団をかき分け進む。


 そしてリィナの前にドシンと立った。

 一瞬リィナと目を合わせたあと、背を向けチンピラ達の方へと向き直る。

 そしてゆっくりと息を吸うと次の瞬間、


「おまえらーっ!! ぶっ潰される覚悟はできてるんだろうなあああッッ!!!」


 鼓膜が破裂しそうな大声が広間全体に響き渡った。







 ……日が暮れかけてきた。

 夕焼けの優しい光が、ゆっくりと廃墟の広間を照らす。


 廃墟の広間は静寂に満ちていた。

 床に無残に転がっている無数のチンピラ達。

 それに背を向けクレイドは、リィナを縛っていた縄を解いていた。

 縄をほどくと、クレイドは声をかける。


「大丈夫か……? リィナ」


「うん、大丈夫。またクレイドに助けてもらったね」


 リィナはニコッと笑う。


「すまない……、俺のせいで、本当にすまない」


「ううん、気にしないで、今回のことは私のせいでもあるんだし。それにクレイドは私を助けてくれた……」


 リィナはほほえむ。しかしその後、うつむいて辛そうな顔をする。


「あのね、クレイド。私は、本当はもう、あなたと会う気はなかった……あの日言ったクレイドの言葉。あれを聞いたとき、私はすごくショックだった。正直あなたを憎んだ……」


 リィナはゆっくりと言葉をつなげる。


「だけど、ゆっくりと頭が落ち着いてくると気づいたんだ。あれは私のために言ってくれたことなんだって……。クレイドが自分を傷つけて私のために言ってくれたことなんだって……」


 クレイドは黙っていた。硬い表情をしている。

 リィナは言葉を続ける。


「だから私も、あなたをこれ以上傷つけないように、あなたを苦しめないように、あなたの前には現れないつもりだった。……でも……だけど!」


 リィナの口元が震える。


「クレイド、私ね……、昨日、お父様からある話をさせられたの。私の……結婚話。私には断る権利の無い結婚の話……。覚悟はしてたの、昔からわかっていたことだった。大丈夫だって思ってた。だけど、それをされた時、どうしてもあなたの顔が見たくなった。もう会わないって決めたのに、もう関係ないはずなのに……!!」


 リィナの目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。リィナはそのまま涙でぬれた目で、ゆっくりとクレイドを見つめた。そして、わずかに笑顔を見せた。


「だって……私……あなたのことが好きだから」


 その言葉を聞いた途端クレイドの表情が急に緩んだ。

 そしてそのままリィナの体を力強く抱きしめた。


「俺も好きだ……! おまえのことを、愛してる。誰よりも、どんなやつよりも」


 クレイドは力強く言ったつもりだった。しかし口元は震え、声も震えていた。

 それを聞いたリィナの目から、さらに大粒の涙がこぼれる。


 二人は黙って互いを抱きしめていた。

 窓からこぼれる夕日が、二人を照らす。


 二人の間を、ゆっくりとした、静かな時間が流れていた。







 それから三週間が経ったある日の午後、クレイドはいつもの酒場の、奥のテーブルに座って、いつものブドウ酒を飲んでいた。



 あれ以来、リィナと会っていない。

 リィナは決して酒場に現れることはなかった。


 あの日、あのあと、クレイドとリィナは本当の『別れ』を果たした。

 二人は互いに、特別な言葉を贈ることもなく、静かな別れを果たした。

 それでも二人にはわかっていた。二人が共に愛し合っていること、二人が互いのことを決して忘れないであろうことを……


 同じ町に住む二人の人間、しかしその距離は限りなく遠いものだった。


(これで良かったんだ。これで……)


 クレイドはゆっくりと立ち上がると、お金を払って外へと出た。

 道を歩き出そうとしたその時だった。


「クレイド・アースロアだな」


 突然背中から男の声が聞こえた。

 振り返ると水色の制服をきた三人の男達が、クレイドの後ろに立っている。町の治安を守る警察だ。この西のはずれに来ることなんてほとんどない。


「クレイド・アースロア、署まで来てもらおうか。リィナ・フォーネルクリフ嬢誘拐事件の実行犯の疑いでおまえを逮捕する」


「……!!」




 クレイドはおとなしく警察に従った。

 手錠をかけられ警察署まで連れていかれた。

 


 取り調べが始まる。

 石壁の狭い部屋で、クレイドは取調官二人と机を挟んで向かい合って座る。

 取調官がクレイドの調査書を読み上げる。


「クレイド・アースロア、西の外れに住み、町のチンピラに『レッドタワー』の異名で恐れられている。気性は荒く、乱暴。何人もの住民を診療所送りにしている」


 それを聞いてクレイドが笑う。


「びっくりするぐらい合ってるな。あんたら警察がこんな西の外れについて知ってるなんて思わなかったよ。それともがんばって調べたのか?」


「口を慎め!! きさまは重大な罪を犯したんだぞ!」


 別の取調官が怒鳴った。


「何度も言うが、俺はそんな事件起こしてない。そんなのさっき聞くまで知りもしなかった」


「嘘をつくな!! もう調べはついているんだ!」


「へぇ、じゃあどんな調べがついているのか聞かせてくれよ」




 その後、取り調べは続いた。

 しかしクレイドはリィナとの出会いのことも、その事件が西の外れのチンピラ達が起こしたことも、一切口にしなかった。そしてひたすら話をはぐらかした。

 警察側も、クレイドが起こしたと言い張る事件の証拠で、具体的なものはなく、あるのはクレイドとリィナが町を歩いているところを見たという住民がいた、ということくらいだった。



 取り調べの最中、ふとクレイドの頭に一つの疑問が浮かんだ。

 あの事件、いったいどんな形で警察に伝わったんだ?


 リィナの口から……? いや、それはありえない。

 チンピラ達か……? 警察がとり合うはずがない。

 あのマントの男……? やつがこの街の事情に精通しているとは思えない。

 なら誰だ……? それ以外で、あの事件の存在を知る者……。

 クレイドは考える。


 近くで取調官の大声でほえる音がするが、全く気に留めることなく考える。


 そして気付いた。

 いる……

 リィナはあの事件の日、家に帰るのがだいぶ遅かったはずだ。

 その異変をリィナの親はおそらく見逃さない。

 リィナの親は知っている、リィナが外で誰かと会っていることを。


 そして、そのことを警察に調べさせれば……

 あの日のリィナの異変、あの日のチンピラ達の動き、自分とリィナが街を歩く目撃情報、自分とリィナの大きな地位の違い。

 なるほど、情報を集めれば自然とこういう方向にいく。

 おそらく今の状況をリィナ自身は知らないだろう。知っていれば、どんな状況であろうとここまで駆けつけてくるはずだ。


 クレイドは大きなため息をはいた。


「やれやれ」


「きさま……! なんだその態度は!!」


「あっ、わりぃ」




 その後、取り調べは延々と続いた。

 しかし結局大した進展も見せず、取り調べは終了した。


 そしてクレイドは手錠をかけられたまま署の地下牢へ閉じ込められた。


 暗い牢獄で一人、クレイドは石壁にもたれかかる。


(大丈夫だ。俺が起こした事件じゃない。とうぜん確かな証拠だってない。疑いは必ず晴れる……)






 クレイドが牢に閉じ込められて三日が経った夜のことだった。

 警察官が三人、クレイドの牢屋の前に現れた。

 三人の真ん中に立つ警察官、その警察官から発せられた言葉は、クレイドにとって思いもよらぬものだった。


「来たまえ、クレイド・アースロア。今から刑を執行する」


 牢屋の扉がギィと音を立て開かれる。左右に立つ警察官が剣の柄を握る。


「刑……? おい、そんなの聞いてないぞ」


 困惑するクレイド。

 その様子を真ん中に立つ警察官は冷静に見つめる。その目にはクレイドをさげすむ感情が宿っていた。


「おや……? 君の耳には届かなかったのかね。そうか、なら教えてやろう。君に執行される刑は……」


 警察官の口がニタリと歪む。


「絞首刑だ」


 その言葉を聞きクレイドの顔が固まる。そして少し間が空いてあと、大きな声が牢獄に響く。


「おいっ、どういうことだ!! 俺はやってねぇ! 証拠だってないはずだ!!」


 左右の警察官が剣を鞘から少しだけ抜いた。

 クレイドの様子を見て真ん中の警察官は楽しげに笑う。


「証拠など必要ない。君はあろうことかフォーネルクリフ様の御令嬢に手を出した。理由はそれで十分だ」


 それを聞いた瞬間、クレイドは全てを悟った。


 そうか、この逮捕は、捜査の末に必然的に起きたミスなんかではなかった。この逮捕そのものが初めから仕組まれていたことだったんだ。リィナの父親は俺を消そうとしているんだ。そのためにこの罪をでっちあげたんだ。


 クレイドはうつむいた。

 そして素直に警察に従い牢を出た。

 その直後だった。

 クレイドのひじが先ほど笑った警察官のアゴを貫いた。警察官はあっさりと意識を飛ばす。残り二人の警察官が驚いたスキに、気を失った警察官を一方の剣の盾にする。もう一方の剣がクレイドを斬りつけようとした時、それより早くクレイドの蹴りが剣を飛ばした。クレイドは気を失った警察官を軽々持ち上げ盾にしながら、上の階段に向かって駆けだす。

 駆けながら気絶した警察官の制服のポッケから手錠の鍵を抜き取った。

 階段に着くと、持っていた警察官の体を追ってくる二人の警察官に叩きつけ、全速力で駆け出した。

 背中から警察官が仲間に向かって叫びかける声がする。


 署の出口に向かって走るクレイドの前に、数人の警察官が立ちふさがった。しかしクレイドはその警察官達を蹴りとばすと、そのまま署を飛びだし逃げだした。







 そして一週間が経った。

 クレイドは西の外れの廃墟に身を隠し、追ってくる警察の手を逃れていた。

 最初のころは数人の警察官がクレイドを捜索しにときおり姿を現していたが、一週間も経てばその姿を目にすることはなくなった。


 もともとでっちあげた罪だったんだ、捜索が長く続くとは思えない、そうクレイドは考えていた。

だが、このまま身を隠し続けるわけにもいかない。


 クレイドはゆっくりと考える。


 これからどうするか……? 捜索が続こうと続くまいと俺はもうお尋ね者だ。

 いっそこのまま町を出るか。

 けど生まれて馴染んだ町だ。こんな形で出るなんて……



 クレイドはもう一つの選択肢に気付いていた。しかし、それをとることをひどくためらった。


 それはリィナに会うという選択肢。

 リィナがこの状況を知れば、父親に訴えかけてくれる。そうすればこの状況を変えることができるかもしれない。


 クレイドは迷った。


 ずいぶん迷って考えた末……


 リィナに会おうと決断した。

 決断した直後だった、クレイドの頭にふとある考えがよぎった。

 自分はこれを理由にしてリィナと会おうとしているだけなのではないか?

 しかしクレイドはそれを素早く振り払った。

 いや違う、そんなことではない。たった一度だけだ。たった一度だけあいつにあって伝えるんだ。「俺は無実の罪で追われているんだ、頼むから父親を止めてくれ」と。それで終わりだ。問題だって解決する。


 早朝、クレイドは廃墟を出た。

 注意深く辺りを警戒しながら、貴族のいる東の住宅地へと向かった。





 巨大で立派な純白の屋敷が軒を連ねる住宅地、白い石畳の道を挟むのは建物ではなく、屋敷を囲む高い石の塀だった。

 クレイドはここに来るのが初めてだった。クレイドみたいな平民がここを下手にうろつけば、警備の者があっという間に飛んで来てつまみ出されてしまうからだ。

 今の自分の立場を考えるとつまみ出されるだけでは済まないだろう。


 クレイドは警備の者を警戒しつつ住宅を見回す。

 ときどき遠目で警備の者の姿に気付き、素早く身を隠しながらも住宅地をまわった。



 しばらくまわった時だった。

 大きな屋敷が並ぶ住宅地の中で、ひときわ巨大な屋敷がクレイドの目に飛び込んだ。


(アレだ! きっとアレに間違いない)


 クレイドは屋敷の門へと駆けだした。


 門の近くまで来ると、奇妙な光景が目に飛び込んだ。

 屋敷の門の周りを黒い服で身を包んだ人々が囲んでいる。

 警察ではない、みんながみんな高貴な雰囲気を漂わせている。おそらく貴族だ。


 クレイドはゆっくりと慎重に慎重にその集団へと近づいた。

 その時だった。黒い服の貴族達が囲む門、そこから大きく立派な棺が道へと運び出されてきた。


(これは一体……?)


 クレイドは大きな体をかがめて、棺を見つめる貴族達の話声に聞き耳を立てる。


「自殺ですってよ」


「えっ!? 本当っ!」


 さまざまな話声がクレイドの耳に入る。

 そして……その話の一つがクレイドの耳に突き刺さった。


「フォーネルクリフ様もお気の毒に、まさかあのお嬢様が……」


(お嬢様!? いや、違う、そんなはずはない、焦るな……落ちつけ……落ち着くんだ)


「しかしあのリィナ様が自殺するなど、あんなに元気で明るかったのに」


 その言葉を聞いた途端、クレイドの思考は止まった。


「でもなぜ自殺を……」


「さあな」


「あの事件が関係しているのではないか? あの、例の誘拐事件。犯人はまだ逃走中なのだろう?」


「いや、どうもあれは違うようだぞ。無実だと。父親あての遺書にそう書かれていたそうだ」


「遺書!? またなんで遺書になんかに……」


「直接は言わなかったのかしら」



 違う……


 言ったんだ。


 そうだ、リィナは言ったんだ。

 なにかのきっかけでこのことに気付き、それで訴えかけたんだ、俺のために。

 だけど相手にされなかった。

 リィナは言ってた。父親に結婚話をされたとき、私には断る権利がないのだと。

 町で両親の話を振った時、辛そうな顔をして何も話そうとしなかった。

 リィナは始め、なんで屋敷を飛び出して、西の外れなんかに来たんだ。

 そうか……そうだったんだ。


 リィナは訴えかけた。

 けれど相手にされなかった。

 途方に暮れたに違いない。絶望したに違いない。もしかしたらリィナは、自らが俺をこの状況に陥れたと錯覚してしまったのかもしれない。


 そしてリィナは最後の手段をとった。



 クレイドは静かに悟った。




 リィナの棺はゆっくりと運ばれ、棺運搬用の馬車に乗せられた。

 白いきれいな道路を馬車はゆっくりと走り始めた。


 クレイドはその時、馬車を見つめる一人の紳士に目がいった。

 中年の紳士、眉のあたりに少しだけリィナの面影を見た。

 その紳士は悲しげな目で棺を見つめていた。

 片時も目をそらさず、悲しい目で、けれどそれを愛でるような目で、ずっとそれを見つめていた。



 棺は馬車と共に、住宅地の道路の中へと消えていった。



 クレイドはそれに背を向け、ゆっくりとその場を立ち去った。







 それから一週間が経ったある日の午後。

 緑の芝がおいしげるある敷地、そこにあるリィナの墓の前にクレイドは一人立っていた。

 その純白の墓はとても美しく、とても立派なものだった。


 クレイドはそっとリィナに向けて話しだした。


「悪いなリィナ、ずいぶんここに来るのに時間かかっちまった」


 クレイドはまるでそこに本人がいるかのように話しかける。


「情けないやつだよ、俺は。おまえの死を受け入れることができなかったんだ。ずっと否定し続けてた、ずっと……。そんなこと、できるはずないのにな……」


 クレイドは少しのあいだ黙った。



 クレイドは悲しい顔をした。


「なんでこんなことになっちまったんだろうな。なにが間違ってたんだろうな? おまえと関わろうとした俺か? 俺と関わろうとしたおまえか? それともおまえの父親か? それともこんな世界か? なんでこんなことが起こっちまったのか。どうしてこんな結果になっちまったのか。俺には分からない。どんなに考えても分からないんだ」


 クレイドはまた少し黙った。



 そしてクレイドは墓をしっかりと見つめた。


「俺は行くよ。俺はこの町を出る。おまえが前に話してくれたよな、この国を覆う暗黒、『ダークサークル』、俺にとっても、そしておまえにとっても無関係じゃないって。この出来事もそれの一部だというのなら、俺はそれを見極めたいんだ。その中心にいったいどんな『真実』が存在するのか」


 クレイドは少しだけほほえみを作った。


「おまえのためじゃねぇよ。俺のためだ。俺がただ知りたいだけなんだ。それを知れば、このことを少しだけ見つめることができるかも知れない。少しだけわかることができるかも知れない。だから俺は、俺のためそれを探しに行く。そして、その『真実』を知ることができたなら、おまえにも教えてやるよ。その時、俺はここに帰ってくる。必ず帰ってくる」


 クレイドの口元がわずかに震え出した。


「大丈夫だ。俺はまたここに来る。だから、だからさびしがるなリィナ。さびしがるな……さびし……………………」


 クレイドの言葉が止まった。二つのしずくが墓前に落ちた。

 クレイドは墓の前に立ち尽くしていた。

 まるで時間が止まったかのように墓の前で立ったまま動かなかった。





 長い時間が経った。冷たい風が吹く中、クレイドはようやく動き出した。墓に背を向け、ゆっくりと歩き出す。


 しかし途中でその足は止まる。

 クレイドは最後に少しだけ、背中を向けたまま口を開いた。


「リィナ、俺はおまえと出会えたことを決して後悔はしない。おまえだってそうだろう?リィナ。だから最後に言わせてくれ。二言だけ言わせてくれ」


 クレイドは背中を向けたまま言葉をつなげた。


「ありがとう。そして……愛してる」


 クレイドは再び歩き出した。もう立ち止まることはなかった。



 クレイドはその日、旅立った。

 いつ終わるかも知れない旅に、いつ見つかるかも知れない『真実』を求めて……

 しかしその眼には、強い強い光が宿っていた。








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