闇の女王と、真実の鏡
鏡なんて嫌い。醜い自分を、ありのままに映し出すから。
14歳のその少女には、この世が地獄に思えてならなかった。生を受けた瞬間から、顔にはただれたような、醜い傷があった。そのせいで、誰も少女を受け入れようとはしなかった。誰もが少女を忌み嫌い、彼女を遠ざけようとする。そう、彼女の母親でさえも。
少女を見るたびに、母親は罵声を浴びせ、目を背ける。母親が少女に与えたものは、ただ一つ。少女の名前、だけだった。
闇珠。「お前は闇の中でしか生きていけないのだから」。母親は、いつも少女にそう言っていた。
闇珠にも、希望の光がないわけではなかった。彼女の父親だ。父だけは闇珠をかばい、優しい言葉をかけてくれる。彼女を愛してくれる。敵だらけの世界で、闇珠にとっての唯一の救いだった。父が支えていてくれたから、彼女は生きていけた。なのに。
「…どうして、あんな娘、生まれてきてしまったのだろう」
母親との会話の末、父はぼそりと、しかし確かに、そう言った。闇珠はその言葉を、陰から聞いてしまった。そして、頭が真っ白になって、苦しくて、辛くて、もう何もかも、どうでもよくなって。声を限りに、叫んだ。
力尽きて、はあはあと息を切らす。
「?!」
気が付くと、目の前で両親が倒れていた。まるでモノのように、びくとも動かない。闇珠は恐る恐る手を伸ばし、父親に触れてみようとする。その時。
「お前の両親は死んだ。…お前が、殺したんだ」
突然若い男の声が聞こえたかと思うと、闇珠と両親の間に黒い影が現れ、そしてそれは、人の形になった。
「…あなたは…?」
「私か?私の名は、オスクリダ。…ようやく会えたな、闇珠。闇の女王よ」
「闇の、女王…?私が…?」
「そうだ。お前は両親を殺し、その力を目覚めさせたのだ」
「?! 私が、両親を殺した…?そんなバカな…。だって、私は何も…」
「本当か?」
オスクリダと名乗った男は、闇珠を真っ直ぐに見つめて問う。闇珠は金縛りにあったかのように、目をそらせない。男は、もう一度繰り返した。
「…本当か?」
「……さっき、叫んでるとき…何か、得体のしれない能力みたいなものが、自分の中から溢れだしたような気がして…。まさか…それで…」
「そうだ。お前が放った邪気が、両親を死に至らしめたのだ」
「死…?私…の…せい…で…?」
闇珠は膝からカクンとくずおれ、地面に手をつく。全身が、震えていた。
「何を嘆いているのだ?美しいお前に、あんなにひどい仕打ちをした者達に対し、何を悔いる必要がある?」
「あなたは、何を言っているの…?! 私は、醜くて…だから…!」
「これを、見てみるといい」
オスクリダが胸の前で、円を描くように右手を動かす。すると、顔の大きさくらいの、派手な装飾がついた鏡が出現した。闇珠は反射的に、それから目をそらす。
「なぜ、目を背けるのだ」
「見たくない…。鏡なんて、愚かで醜い自分なんて…!」
「なぜ、愚かで醜い自分が映ると決めつける」
「だって、鏡はすべてをありのままに映し出すもの!」
「そうだ。だからこそ、見ろ!」
オスクリダの強い言葉に、闇珠はびくっとして思わず顔を上げる。そして、目を丸くした。鏡に映っていたのは、これまで見たこともないような、絶世の美少女だった。もちろん、顔に傷などない。
「これは、誰…?」
「それが、お前だ」
「う…そ…」
闇珠は恐る恐る、自らの右頬に触れてみる。鏡の中の少女も、同じ動きをする。いつも感じていた、傷の感覚が、ない。それどころか、いつの間にか髪は自分の背丈を超えるほどの長さになっており、民族衣装のような長いスカートを身にまとっている。
「本当だ。それが、真実のお前の姿だ」
「これが…真実の、私…?」
「そう。何とも美しい」
「でも、一体どうして…」
「これは『真実の鏡』だ。あらゆるものの、真実を引き出す」
「あらゆるものの、真実…」
闇珠は鏡を手に取り、倒れている母親の方に向ける。声が聞こえた。「なんでこの私の娘がこんなにも醜いの」「目障り」「汚らわしい」「近寄るな」…。
これまでも分かっていたはずの「真実」を改めてつきつけられ、闇珠は顔を歪ませる。そして、今度は鏡を父親の方に向ける。また声が聞こえた。「こんな子を愛さなければならないのか」「もう限界だ」「どこかへ消えてくれないか」…。
「そう、分かっただろう?これが『真実』。醜いのはお前ではない。お前の両親だ」
「……」
「お前の両親は、お前を必要としていなかった。他の者達だってそうだ。皆、我が身可愛さにお前を邪魔者扱いする。…人間とは、何とも醜いものよ」
「…私は、誰からも必要とされていない…。人間は、皆醜い…」
「そうだ。愛だの夢だの、表面上は何とでも言っているが、その奥底に眠るものは負の感情のみ。皆、闇を隠して生きているのだ」
「やはり、私は闇の中で生きていくしかないのね…。いや、もういいわ。私も…」
「なぜ、闇を拒む必要がある?」
「え?」
「闇はよいぞ。私は、闇の王なのだから。しかし、『こちらの世界』を支配するには、力が足りぬ…。だからこそ、お前が必要なのだよ。闇珠」
「…私が、必要…?」
「ああ。言っただろう、お前は闇の女王だと。その能力をもって人間共の闇を…不安を、恐怖を、嫉妬を、憎しみを引き出し、私と共に、闇の世界の頂点に立とうではないか!素晴らしいとは思わないか?お前を蔑んできた者達が、絶望に染まる様を見届けるのは…」
「……私が…頂点…。私は…闇の女王…」
「…どうだ?闇珠…美しき闇の娘よ。私のものとなれ…」
「…………はい。私はあなたのモノです、オスクリダ様。やはりこの世の真実は闇…。そのことをはっきりと教えてくださり、私を必要としてくれるあなたに、ついて行きましょう」
「…そうか…。では、こちらへ」
オスクリダが手で指した場所に、黒い渦が現れる。それは段々と大きくなり、やがて楕円形になって、その先に城の一室のようなものを映し出した。オスクリダは薄く笑みを浮かべた後、その場所へと消えて行く。
闇珠も続こうとして、一度足を止め、倒れている両親の方へゆっくりと振り返った。しばらく無表情のまま見下ろしていたが、やがて狂ったように笑い出す。笑い終えると、動かない二人に向かって言った。
「ありがとう。おかげで絶望の素晴らしさを知ることができたわ。じゃあね、お父さん、お母さん」
そして、くるりと向きを変え、闇の居城へと足を踏み入れた。『真実の鏡』と共に。
こうして、ここに闇の女王が誕生したのだった。
―――
ようやく、『こちらの世界』に蒔いた種に、芽を出させることに成功した…。さあ闇珠よ、私のために、『こちらの世界』の闇を広げておくれ。私のために、働くのだ…。
―――