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肉屋の少女ロッタちゃん

2-2

 揃いの団服を着用した二人が人通りの少ない道を歩く。

 道案内はキルスティに任せていたが、目的の肉屋は教区内にあるため場所ならヴィゴも承知している。とはいえ〈祈りの家〉からそこそこの距離はあったのだが。


「ここっスよ」


 立ち止まったキルスティが、汚くも勢いのある字で『肉売ります』と殴り書きされた木の看板を指差す。

 川にかかった橋の側で佇む、よく言えば年季の入った、悪く言えばおんぼろの建物。ただ奥行きは結構ありそうだ。


「まあ、見かけはこんなっスけど、リンドベルイ家が贔屓にしているくらいだから味については信頼してもらってかまわないっス」


「キルスティの腕も確かだしな。いつも旨いメシを食えるのはありがたいよ」


「え、ちょっと、なんスか。急に褒められると恥ずかしいんスけど」


 両頬へ手を当てて照れている彼女を横目にし、ヴィゴは店先から中をうかがう。

 腰を痛めているらしき店主の姿はない。その他の店員もだ。どういうわけかまったくの無人となっている。

 四つ足の獣たちが枝肉となり、所狭しと店頭に並べられているのをざっと眺めながらヴィゴは「不用心だなあ」と肩を竦めた。


「おーい、誰かいないのか?」


 壁際にある通路の向こうへ呼ばわってみるも、返事はない。


「ありゃ。留守っスかねえ」


「そんなバカな。肉が盗まれ放題じゃねえかよ」


 あけすけな物言いにも中から反応は返ってこなかった。

 本当に取っちまうけどいいのかい、と冗談めかしてヴィゴが奥へと足を踏み入れる。店の人間と顔を合わせなければさすがに持ち帰るわけにもいかないのだが。


 外からでははっきりと様子がわからなかったのは当然だ。明かり取りもなく、暗い廊下が奥へと長く伸びている。

 おそらく運ばれてきた獣を解体するための作業場へと繋がっているのだろう。行き止まりのように見えている両開きの扉から漏れてきた、強烈な血と肉の匂いが鼻をつく。


「悪いけど邪魔するぜ」


 ヴィゴが両手で扉を押し開けた瞬間だった。

 目の前に立っていた小柄な少女が突然何かを横薙ぎにしてくる。まさに一閃だ。すんでのところで踏みとどまり、上体を目いっぱい後ろへのけ反らせたヴィゴは紙一重の差で事なきを得た。


「待て! 待て待て、待って! お願い!」


 慌てて敵意のないことを示すべく両手を上げる。

 けれども少女は無表情で黙ったままだ。

 つい今しがたまで獣の解体をしていたのだろうか。横長の長方形を歪に反り返らせたような刃物を手に持ち、白い前掛けにはべったりと血がついている。


「おれはそこの──うおっ!」


 今度は肉切り包丁を下から振り上げてきた。どうにか避けてもまた次、その次と間髪容れずに繰りだしてくる。

 本気で殺しにきていると感じさせる、矢継ぎ早の斬撃だ。

 ほんの少しでも対応を間違えれば即、死に直結するのは確実だった。

 受ける得物を持たないヴィゴとしては逃げの一手である。


 やってきた通路を後退しながら曲芸のようにかわし続け、どうにかキルスティが待っている店頭へとたどり着く。

 後ろを振り返る余裕もなくヴィゴが怒鳴った。


「頼むキルスティ、説得してくれ!」


 言い終わると同時に、彼の深い緑色の髪の毛が幾筋か宙に舞う。

 これにはヴィゴも心底肝が冷えた。背中にも冷たい汗が流れる。

 路上でもおかまいなしにさらなる追撃態勢に入る少女だったが、そこへようやくキルスティの声が割って入った。


「あれ、ロッタちゃん。その人が何かやらかしたんスか?」


 切羽詰まっているヴィゴとは対照的な、やたら呑気な声である。

 ここで初めて、ロッタと呼ばれた肉屋の少女がその動きを止めた。


「ど、ど、泥棒」


 俯き加減になり、たどたどしく言葉を発する。

 これを聞いてキルスティは大げさに眉をひそめてみせた。


「うわ、最低っスね。団長が本当に肉泥棒をやらかしたなんて」


「やるわけねえだろ!」


「冗談じゃないスか。もう、すぐむきになるんスから」


 べ、と舌を出しながらキルスティがロッタに近づき、彼女の肩をそっと抱く。


「大丈夫っスよ、ロッタちゃん。この人は一応、うちの上官にあたるヴィゴさん。ロッタちゃんに危害を加えたりなんかしませんから」


 絶対にね、と言い添える。

 彼女にしてはらしくもなく強い表現を使うんだな、とヴィゴは感じた。しかしすぐに思い直す。そんなことを傍から論評できるほど、キルスティという人物を知っているわけではないのだ。


 こくり、と頷いたロッタはようやく肉切り包丁を下ろす。

 ヴィゴとしてもやっと人心地がついた。大きく息を吐き、呼吸を整える。

 そんな彼へ、小柄なロッタの両肩に手を置いたキルスティが満面の笑みを浮かべて言った。


「ロッタちゃんは以前、森で猟師をやって暮らしていたそうなんスよ。見事な包丁捌きだったっしょ?」


「見事すぎて本気で死ぬかと思ったわ」


 思い返しただけでも冷や汗をかく。

 あれほど鋭い斬撃にはそうそうお目にかかれるものではない。


 どうやら親しくしているらしいキルスティの前ではおとなしい少女なのだが、先ほどはまるで別人だった。恐ろしく俊敏に動き、迷いなく相手を仕留めにくる。

 かつては猟師をしていたと聞かされればそれも納得だ。獣の解体なんかもずいぶんと手慣れているに違いない。


「んじゃまあ、用件をすませるとするっスか」


 伸びをしたキルスティが店頭を指差して言う。


「ロッタちゃん、頼んでおいた肉をお願いするっス」


「う、うん」


 消え入りそうな声でのロッタの返事だ。

 すぐに彼女は小走りで駆けだし、店の奥へと消えていく。

 しばらく手持ち無沙汰になりかけたヴィゴだったが、肌をちりっと刺してくる気配を敏感に感じとった。

 素早く周囲に視線を走らせる。


「その前にキルスティ、どうやら客が来たみたいだぜ」


「ほえ?」


 肉屋への客か、それともヴィゴたち第八位騎士団への客か。

 四人組の男たちが石畳の道いっぱいに広がり、不敵に笑ってどんどん近づいてくるのを目にすれば、後者の可能性が高いのは嫌でもわかる。


 そうであってくれ、とヴィゴも願った。

 このタイミングで彼を狙ってくるとすれば、十中八九〈燃える雪〉に利害が絡んでいる勢力のはずだからだ。

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