キルスティとおつかいへ
2-1
丸二日間、ヴィゴは誰よりも精力的に〈燃える雪〉の調査へ乗りだしていた。だが有力な手がかりはまったくつかめていない。
王立病院のときと同様、〈燃える雪〉を求めて暴れる若者には二回出くわした。だがそういった連中から得られる情報は微々たるものでしかなかった。
三日目にあたるこの日の朝は、まず拠点である〈祈りの家〉へ立ち寄るところから始まっている。名目上は仕える主にあたる葉導師のミルカに、そうするよう求められていたからだ。
「忘れてはいけないですからね、ヴィゴ」
強く念まで押されたというのに、いざヴィゴがやってきてみれば彼女は不在であった。ついでにノアの姿も見当たらない。
礼拝堂内はいつになくがらんとしており、耳をすませば不規則な寝息だけが聞こえてくる。よくあることなのでわざわざ確認するまでもない。ラーシュだ。
ヴィゴはまだ彼のことをよく知らないし、特に必要でない間は素性を詮索する気もない。しかしミルカとノアによれば、第八位騎士団において最も情報収集に強いのはラーシュだという。
実際、ミルカが小瓶で披露した〈燃える雪〉は彼が入手したものである。
「酒場で飲んだくれた挙句に喧嘩しているやつらが持っていたんで、隙を見つけてちょいと失敬したってだけよ」
ラーシュはそう煙に巻いていたが、運よくそういう状況に遭遇したわけではないのだろう。つまりはそれが彼の仕事というわけだ。
彼とキルスティはミルカによる勧誘でこの第八位騎士団に入ってきた。ヴィゴが直接声をかけたノアと違って、実力の程も定かではない。
けれどもミルカの眼力には信用が置ける。人を見透かすような彼女の眼差しに選ばれたのであれば相応の働きは期待していい。
騎士団の残る一人、キルスティも慈善院へと繋がる通路からぱたぱたと足音を立てて慌ただしくやってきた。
「来た来た。じゃあ団長、お願いするっス」
いきなり話を進めるキルスティに、ヴィゴは首を傾げて言った。
「お願いって、何をだよ」
「あれ? ミルカさんから聞いていないんスかね?」
キルスティの方もやや困惑気味だ。
「いやほら、うちって料理担当じゃないスか。慈善院の」
「ああ、それは知ってる。って、もしかして料理を手伝えってことなのか?」
慈善院の子供たちには不足のない生活をしてもらいたい、との葉導師ミルカの意向で、第八位騎士団が結成される前からここで働いている人たちがいる。教育や日々の掃除、料理などを担当する人たちだ。
そしてキルスティ自身も、元々は料理係として採用されている経緯がある。第八位騎士団の一員となった今でも、できるかぎり厨房に立ちたいのだそうだ。
彼女が言う。
「うーん、料理絡みではあるんス。いつもは食材がこの〈祈りの家〉まで届けられるんスけど、最近肉屋からの配達が滞ってまして。何でも主人が腰を痛めたからだとか。てなわけで、団長に手伝ってもらって一緒に運ぼうと思ってるんス。肉、かなり重いんで」
「そうきたか……」
額に手を当て、ヴィゴは天井を仰いだ。
アリシアの再度の見舞いも兼ねつつ、今日はもう一度王立病院を訪ねてみるつもりでいた。望み薄かもしれないが、例の青年が回復していれば何か聞けるかもしれないと期待してのことだ。
そんなわけで彼としては〈燃える雪〉の捜査を優先したいところではあったものの、子供たちの食卓の充実も大事な職務である。
「わかった。行くよ」
選択の余地なくヴィゴが受諾した。
「さっすが団長。じゃあすぐに用意してくるっスね」
くるりと背を向けたキルスティだったが、彼女がこの場を去る前に先ほどから気になっていたことを問う。
「そういや今日、なんでミルカとノアさんはいないんだよ」
動きを止めて振り返ったキルスティの横顔はやたらと怪訝そうだ。
「うわ、それも聞かされていないんスか。ねえ団長、もう少し第八位騎士団の長としての自覚を持ってほしいっス」
「おれに言うなよ、ミルカに言え。もっと葉導師としての自覚を持てってな」
「えー、それはちょっと。でもミルカさん、たぶんみんなの前で説明してたはずなんスけどね」
キルスティの説明によれば、ミルカはノアを護衛代わりに伴って公の場へ出席しているのだそうだ。第八位葉導師へ就任してから初の公式行事である。
遷都と同時に、つまり十年前から新都トゥオミで建設が始められた大聖堂の落成を祝う記念式典なのだという。ただし今回出来上がったのは尖塔だったか礼拝堂だったか、とにかく壮大すぎる全工程のまだ五分の一にも満たないらしい。
思い当たる節があった。
ミルカからその予定を告げられた際、ヴィゴは「あれの全体が完成するより、先にニルデリク王国がなくなってるんじゃねえの」と混ぜっ返していたような記憶がうっすらとだがある。
さすがにここは素直に己の非を認めるしかなかった。
「──すまん。それ、聞いた覚えがあるわ」
「ほらあ」
やっぱり団長失格っスよ、とキルスティにからかわれても反論できない。
元々、彼自身も団長という立場に据わりの悪さを覚えている。いくら小所帯といえど、八つしか存在を許されない騎士団の一つを率いるのだ。
年齢的にも実力的にも、王国軍で比類なき剛の者として勇名を轟かせていたノアの方がよほどふさわしいはず、そう感じていた。人の上に立つような人間ではない、という自覚もヴィゴにはある。
だが当のノアが彼を団長へと推挙した。
そしてミルカも「そのつもりです」と応じている。
二人の真意がどうあれ、形の上だけでも是非にと乞われたならば引き受けないわけにはいかないだろう。
第八位騎士団団長ヴィゴ・ノルドヴァル。
自分が置かれた地位を改めて認識しつつ、まず目の前の仕事に全力で当たらねばと気を引き締めた。