追う者たち
1-3
扉を二つ隔てた礼拝堂の方からは、掃除をしているはずの子供たちのにぎやかな声が届いてくる。やけに楽しそうだ。
口元が緩みかけたヴィゴだったが、すぐに表情を引き締める。
「今日の議題はこれ。巷で問題になりつつある案件です」
向かいに座るミルカが先ほど同様、透明な硝子の小瓶を掲げてみせた。コルク栓で蓋をされた紅の〈燃える雪〉はきらりと光る。
応接室に顔を揃えた第八位騎士団の全員がまじまじと見つめ、それぞれの反応を示す。
ミルカの脇で立ったまま控えるノアは「ふむ」と呟き、ヴィゴの隣の椅子から身を乗りだしたラーシュは白々しくもひゅう、と口笛を吹いた。
だが一人だけ、まったく見当違いの感嘆をした者がいた。
「すごいっスねー、そんな透っけ透けの瓶が世の中には存在するんスねー」
行儀悪くもヴィゴの椅子の肘掛けに腰を下ろしているキルスティだ。活動的な印象を与える赤い髪が強く記憶に残る女性である。
彼女の言う通り、ニルデリク王国の首都トゥオミといえど透明な瓶にはそうそうお目にかかれない。大半が石炭混じりの黒い瓶だからだ。透明な瓶など、他国との貿易によって入手したものがせいぜい両手の指で足りるほどにあるくらいだろう。
本来なら王家や貴族、軍の要職に就いている者たちが所有する工芸品なのだ。
しかしミルカの手元にあるのも故あってのことだった。
「そりゃあれだ、何たってリンドベルイ商会だからな。多少珍しい程度ならどうってことないだろうよ。ねえ、ミルカ嬢」
リンドベルイに扱えぬものなし、と無精髭を撫でながらラーシュは続けた。一種の決まり文句だ。
世間でそのように称されるほどの大商会、それがリンドベルイ商会である。政商と揶揄する向きもあるほどの影響力を誇り、教団への多額の寄進も欠かさない。
ミルカ・リンドベルイという少女はつまり、そんな家に生まれながら信仰の道に入った変わり者といえた。
もちろん、リンドベルイ家の圧倒的な財力があったからこその葉導師抜擢であるのは、ヴィゴとしても否定できない。
葉導師となるための明確な規定は存在しておらず、ほとんどの者は重鎮たちによる推薦を受けてその座につく。例外的に「教団へ著しい貢献があった者」も資格ありと見なされるらしい。つまり多額の献金だ。
だとしても、異例の若さで次期教主候補に名を連ねるほどの地位までたどり着いたことには大きな意味がある。
「いいなあ。うちもそれ、欲しいっス」
指をくわえんばかりに羨ましがっているキルスティへ、ミルカは駄々っ子をあやすような口調で言った。
「かまわないですよ。じゃあ今度、入ってきたら贈ってあげるね」
「ほんとに? ほんとにほんと? ミルカさん、約束したっスからね。絶対に嘘ついちゃダメっスよ」
「はいはい。大丈夫だってば」
食いつきのいいキルスティの気持ちもわからないではないが、今やるべき会話ではないのは明白だ。
抑揚のない声でヴィゴが指摘する。
「話が逸れてるぞ。元に戻そう」
「真面目っスねえ……」
「いやあ、気が短いって言うんじゃねえかな。団長の場合はさ」
「で、この赤い粉なんだけど」
相変わらず混ぜっ返してくるキルスティとラーシュだが、今度はミルカも流すことに決めたらしい。
「触れると氷のように冷たく、でも体内に入れば全身の血を燃やすかのごとく熱を持つ。その特性からつけられた名が〈燃える雪〉。最近になって出回りはじめたようですが、非常に性質の悪い薬物とみて間違いありません」
使用者は全能感で満たされる一方、引きずられるようにして凶暴さも増す。おまけに肉体の能力がいくらか底上げされてしまうため始末に負えない。そして当然ながら中毒性も高いときている。
事例を適宜上げつつ、淀みなくこれらの説明を終えたミルカが四人の騎士団員の顔を見回した。
質問があれば受け付ける、という趣旨の仕草だろう。
すぐに傍らのキルスティが挙手をする。
「ミルカさんはその、〈燃える雪〉ってのを危険視しているわけっスよね。うちらで対処するつもりなんスか」
「はい。看過できない案件だと考えています」
「そういうのって、本来なら憲兵隊の仕事じゃないんスかね。うちらが出張って問題になるのは避けたいっス」
もっともな疑問だ、とヴィゴも思う。
憲兵隊の一員である妹のアリシアが襲撃されていなければ、彼だって同じように考えたはずだ。
「動けないのよ、憲兵隊は」
ミルカは即答する。
リンドベルイ商会を通じての独自の情報網を有する彼女によれば、アリシアが襲われたのは単独で任務外の捜査中だった可能性が高いのだ、とヴィゴも先ほど聞かされていた。
つまり、憲兵隊には〈燃える雪〉の蔓延阻止へ本腰を入れて取り組む意思を期待できないということだ。
立ったままのノアは腕組みをして渋面を作っている。
「致し方ないでしょう。憲兵隊は総力を挙げて別件にかかりきりになっていると耳にしておりますし」
「ってことは例の連続要人狙撃事件かい。さすがに旦那は情報通だねえ」
からかい混じりのラーシュの反応に、ノアが珍しく肩を竦める。
「おまえと比較されても困るがな。まあ、素直に称賛と受け止めておこう」
それからミルカへと向き直り、彼は言った。
「狙撃されて生き延びた者が一人もいないというのは、さすがに憲兵隊、ひいては軍の体面に関わる問題ですから」
このあたりの解釈はやはり元軍属ならではだ。
ヴィゴも「そういや」と思い浮かんだことを述べる。
「先のカンナス基地攻防戦、あれで派手に名を上げた狙撃手の関与を疑う声もあるって聞いてますよ」
「ええ。『死神』ですね」
「ほんと、物騒な異名だな。結局最後まで正体不明だったそうですが、そもそもニルデリクに銃の扱いに長けた人間がどれほどいるのやら」
この会話にすかさずラーシュも口を挟んできた。
「ま、王国軍の装備なんて百年前と変わっちゃいないもんな。古色蒼然、爺さまのそのまた爺さまと同じ格好で戦場に出てるだなんて、笑い話にもなりゃしねえ」
ニルデリク王国において、銃は非常に珍しい武器である。
近隣諸国では銃を装備した部隊の編成も始まっているようだが、その点でニルデリクが遅れをとっているのをラーシュは揶揄していた。
現在は地域の大国として君臨していても、十年先はわからない。
元軍属としては痛いところを突かれたのだろう。ほんのわずかに表情を歪めたノアだったが、再び狙撃犯について言及する。
「わずか半年ですでに伝説上の人物になったかのような『死神』ですが、カンナス基地で猛威を振るったその卓越した技量であれば、ここ首都トゥオミで要人たちの狙撃を成功させ続けることも容易いでしょう」
王立病院で多数のカンナス基地攻防戦での負傷者を目にしただけに、もしそんな事態が現実であったならと想像するだけで寒気がする。連続要人狙撃事件の解決を優先する憲兵隊の判断も無理からぬことだ。
「でもでも、うちらの団って、どちらかといえば狙撃事件の恩恵にあずかった側っスよね。『死神』様様、みたいな」
思ったことをそのまま口にしただけだろうが、今のキルスティの発言は団長のヴィゴからすれば容認できるものではなかった。
「おまえな、そういうことは外で口にするもんじゃないよ」
「……あい。考え足らずでした。すんませんッス」
ミルカ・リンドベルイが第八位葉導師の席を得たのは、つい最近の出来事だ。
四名の死者を出している連続要人狙撃事件、まさにこの犠牲者の一人が前任の第八位葉導師だったのである。立場としては真っ先に疑われてもおかしくない。
そうなっていないのは、ひとえにミルカの出自ゆえだ。王侯貴族をも凌ぐほどの財力を誇るリンドベルイ商会当主の娘が、露見する危険を冒してまで出世を目指す必要などどこにもないのは誰だってわかる。
空気が落ち着くのを待って、ミルカが話を引き取った。
「憲兵隊が動いている以上、連続狙撃事件については静観するしかありません。ですが、〈燃える雪〉はすでに私たちと無関係な問題ではなくなっています」
そう言って彼女はヴィゴを見る。
「葉導師ミルカ・リンドベルイが第八位騎士団に命じます。神樹の摂理に反する、非道な〈燃える雪〉を追い、首謀者を裁きにかけること。できますか」
「ああ。望むところだ」
真っ直ぐにミルカへ強い視線を送り、騎士団の長として受諾の意を告げた。