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王立病院にて

1-1

 足取りも重く、王立病院の廊下を歩いている。

 職務中に重傷を負った双子の妹を見舞うためとはいえ、ヴィゴが最後に彼女と会ったのはもう二年以上も前のことだ。


 おまけに妹であるアリシアは兄を兄とも思わず、ヴィゴの選んだ生き方をよしと受け止めていない。早い話が双子であってもまったく反りの合わない二人なのだ。

 もっとも、アリシアの方は自分が姉だと主張して譲らなかったのだが。


「気が進まなくて当然だろうよ」


 唯一の家族に対する態度としてはいささか情愛に欠けている。そこは彼も承知しているので、つい自己弁護のような独り言を口にしてしまう。


 廊下の天井は高く、格子状になって連なっている側面の窓からは儚げな陽光が射しこんできていた。とはいえ午後の短い間だけだろう。見舞いをすませたヴィゴが外へ出る頃には、いつも通りの灰色の曇り空が待っているに違いなかった。

 十年前の遷都の際に建てられたとあって、まだ重厚な雰囲気を醸し出すには至っていないものの、そこらの貴族の邸宅には引けをとらぬほどの堅牢な造りである。


 事前に教えられていたアリシアのいる部屋は、病院の中でもずいぶんと奥にあたる区域だという。その部屋のことならよく知っている。男女の別なく、重傷者が優先して割り当てられる場所だ。

 ほんの少しだけ、ヴィゴの歩みが早くなる。


 迷うことなくたどり着いたのは二十人ほどの患者が収容されているであろう、非常に大きな部屋であった。白衣に身を包んだ複数の看護師が忙しなく働いている。

 対照的にヴィゴが着用しているのは、まだ仕立てて間もない漆黒の団服だ。おまけに彼の髪は黒と見紛うほどに深い緑色ときている。まるで彼の方が病院の陰鬱な面を代表しているかのようであった。


 アリシアの寝台はすぐにわかった。入ってすぐ、扉の近くの左手側に彼女が体を横たえているのが見えた。目蓋も閉じられている。

 いくら二年も会っていないとはいえ、一緒に育ってきた双子の妹の姿を見間違えるようなヴィゴではない。


「アリシア……」


 彼の呟きに対する反応は小さな寝息だった。そのことに安堵しつつ、ヴィゴは妹の状態を努めて冷静に観察する。

 否応なく血の繋がりを感じさせる、深い緑色のアリシアの髪が乱雑に切り揃えられているのが目につく。ひどく短い部分と、そうでもない部分とが斑になっているのだ。尊厳を奪おうとするかのように。


 事前にもらった情報では、利き手である右腕の負傷だと聞かされている。

 アリシアの右半身の大部分は添え木と包帯とで分厚く覆われていた。どうやら執拗に複数個所を折られたらしく、おまけに右肩まで鋭い刃で貫かれている念の入れようだ。


 回復したとしても、もはや彼女が以前のように剣を振るうことは叶わないのではないだろうか。

 ヴィゴの体が芯から熱を帯びる。


 いざ本人を目の前にしてみれば、伝えるつもりで用意していた言葉の十分の一さえも口に出せる気がしなかった。月並みな気休めも、突き放したような叱咤も、幼い頃みたいな親密さも、すべてがこの場にそぐわない。

 ただ一つ、短い約束以外は。


「必ず犯人を見つけだして、償いをさせてやるからな」


 指先でそっと妹の頬に触れ、病室を後にする。

 アリシアの見舞いをすませたからといって、もちろんヴィゴの気持ちが晴れるわけではない。命に別状はなくとも彼女の負傷度合いは相当なものだし、身構えていた再会も次へ持ち越しとなってしまったのだから。


 加えて、いつ来ても王立病院の空気は息が詰まりそうだ。

 まとわりついてくるようなこの気配をヴィゴは苦手としていた。王立病院全体に漂っている、薬品の匂いに上手く紛れた死臭のような何か。

 三か月前に終結したニルデリク王国の南方、カンナス基地を舞台に繰り広げられた攻防戦の影響がいまだに色濃く残っているせいなのは間違いない。


 おそらくアリシアと同室だった負傷者の大半も、カンナス基地攻防戦に参加していた軍人たちであろう。それほど人的被害の大きい内戦だったのだ。

 激戦の舞台から遠く離れた新しい首都トゥオミであっても、戦場で流された血と無関係ではいられない。


「はあ、やれやれ」


 ため息を吐きながら早足で歩いている彼の脇を、大きな木箱を抱えた二人組がほとんど走るような歩調で通りすぎていった。

 よくある光景だ。薬品等を搬入するリンドベルイ商会の者たちである。


 世間では「リンドベルイに扱えぬものなし」と評されるほどの大商会なのだが、ここ王立病院の運営にも随分と出資しているらしい。リンドベルイが手を引けば、王立病院もすぐに立ち行かなくなるだろうというのがもっぱらの噂であった。


 現在、ヴィゴが着用している漆黒の団服もリンドベルイ商会によって仕立てられている。分不相応にも程がある最高級品だ。いまだに心地よすぎるその肌触りには慣れない。

 機会を見つけて早いとこ汚してしまおう、と最初に袖を通した際に彼は心に決めていた。ずたぼろになってこそ愛着も湧こうというものだ。


「邪魔だ、どけ!」


 突然後ろから体をぶつけられ、思わずつんのめりそうになるのを堪えた。この程度で体勢を崩してしまうような鍛え方はしていない。

 すぐに振り向き、よろめいている相手へ凄んでみせる。


「何だこのクソガキ。口の利き方ってのを知らねえようだな」


 そう語気を強めてはみたものの、おそらくヴィゴの方が年下であろう。

 焦点の定まっていない目つきに血色の悪い肌、口元には涎。異様な雰囲気ながらどうにか二十代の半ばと推測される相手に対し、彼はまだ齢十九だ。


 青年はとうとう刃物まで取りだし、振り回しはじめた。


「雪、雪が足りねえんだよ! 冷たい雪だ! ぶっ殺されてえのか!」


「おし、拘束」


 まともに話の通じる相手ではなさそうだとみればヴィゴの決断は早い。

 あっという間に距離を詰め、刃物を握っている青年の右腕をつかむなり、壁へと叩きつけることで即座に無効化させる。折ったのだ。


 互いの位置を入れ替えるようにそのまま背後へ回って左腕を捩じり、鈍い光を放つ廊下へ組み伏せ、がっちりと両膝で押さえつけた。

 非常に迅速な制圧劇であった。


「雪がほしけりゃおとなしく待ってろ。もうすぐ嫌ってほど降るだろうからな」


 院内での刃傷沙汰が起こったとあって遠巻きに囲んで騒然としている周囲をよそに、ヴィゴは落ち着きはらった態度を崩さない。


「悪いが誰か、憲兵隊を呼んでくれ。こいつを引き渡す」


 市民の安全を守り、街の治安の維持に努めるのは憲兵隊の役目だ。下手にその領分を侵しては揉め事の種になってしまう。

 アリシアの負傷が軽ければ憲兵隊の一員である彼女に後始末を任せたのだが、さすがにそうもいかないだろう。


「それはいいのですが、あなたはいったい……」と素性を問うてくる者がヴィゴの前へと進み出てきた。医師か看護師か、白衣を着用しているのでいずれにせよ王立病院の関係者に違いない。顔見知りではなかった。


「失礼。第八位騎士団にて団長を務めているヴィゴという者だ。今後もし何か問題があれば、第八位葉導師の〈祈りの家〉を訪ねてきてほしい」


 目礼とともに簡単な挨拶をすませた彼の下では、まだ先ほどの青年が振りほどこうとして必死にもがき続けている。

 さらに青年は早口でまくしたてた。


「なああんた、知らないなら教えてやるよ。雪といえば〈燃える雪〉さ。誰だってそう、一度知ってしまうともうあれじゃなきゃダメなんだ」


 やはり会話が成立していない。

 いったいこの青年は何について話しているのか、と訝しむヴィゴに構うことなく「雪だ」と再び繰り返す。


「雪だよ、雪なんだ。赤い雪が燃えて駆け巡っていくんだよ。冷たく燃えて、おれの肉体に神が宿るんだ。まさに、まさに今」


 その瞬間、信じられない力で彼がヴィゴを撥ねあげた。

「嘘だろ?」

 とっさに青年の肩を肉も抉れんばかりにつかみ、どうにか振り落とされることなく体勢を立て直す。


 油断したつもりはなかった。とはいえ逃げられかけたのも事実だ。

 二度はない、とばかりに青年の背へ馬乗りとなったヴィゴは、身動きがとれないよう先ほどよりも厳しく押さえつける。


 にもかかわらず、青年の意識はヴィゴへ向けられているわけではなかった。


「雪が燃えて、溶けて、流れだして、空っぽになる」


 口から泡混じりの涎を垂らしているのだが、当人には一切気にした様子がない。というよりも、自身を含めた周囲の状況にまったく関心がないように見えた。

 明らかに異常だ。


「おい、何言ってる。大丈夫か」


 慌ててヴィゴが拘束を緩め、彼の首筋に触れる。

 赤みを増したその肌は、およそ人とは思えないほどの激しい高熱を帯びていた。

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