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センスなんかいらない  作者: 大宮聖
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再会

見飽きた進学クラスの教室――帰りの会で先生が受験に対する心構えを喋り続けている。全ての言葉は耳まで届かず、ただ音としておれの横を通り過ぎていく。

 ようやく帰れる。おれの頭にはそれだけしかなかった。学校はおれにとって疲れるだけの場所だった。進学クラスに入ってからというもの、おれはため息ばかりついていた。

 こんなはずではなかったのに。おれは何のために大学進学を選んだのか。心の底から大学に行きたいという熱意も無いくせに。何も考えていない――考えたくもない。

 おれは自分の斜め後ろに座っている橋本を見つめた。橋本と会話することは一週間のうちに数回というところまで減っていた。

 彼の横顔がやけに冷たく見えた。

 一人で所在がなかったおれは、授業が終わった後によく勉強をしていた。勉強がしたいわけでも、受験について真剣に考えているわけでもなかった。他にすることがなかったからだ。皆は授業が終わったら部活に行くか、友達とカラオケに行ったり、ラーメンを食べに行ったりしている。おれには何もない。何もないから何も出来ない。

「おい、藤沢」

「はい」

 唐突に岸川先生がおれに声をかけてくる。ただの音だった声が途端におれに集中する。ぼんやりとしていた感覚が瞬時に明確になる。自分に向けられる厳しい感情には機敏な臆病者のおれ。

 浅黒い日焼け顔に険しさが浮かんでいる。おれは全身が緊張しているのが分かる。

「おまえだけやぞ、模試の手続きしてないの。まとめて郵送するんやから、一人でも出してないと記入して送れんのや」

「すいません」

「もう三年生なんやからそういうとこきちっとせえ」

 先生のきつい語調に、おれは何も言えず、ただ頭を下げる。進路なんてどうでもいい――口には出さない。自分の人生すらどうでもいい。

「それではお疲れー。最後の人カギ閉めといてな」

 岸川先生の声がいつもの調子に戻る。

「藤沢くん、ちゃんとした方がええで、ほんま」

 橋本がおれを一瞥し、いった。鋭かった。先生に叱られるより何倍も傷ついた。ついこの前まで親しかったのに。どうしてそんな風に言うんだ――とめどない感情が噴き出す。

 それは怒りでもあり、悔しさでもあり、悲しみでもあった。いつもこうだ。少しだけ仲良くなって、いつの間にか見捨てられる。それならもとからおれに構うなよ――理不尽な殺意が喉元を熱くする。理不尽な願いであると分かっていても、募る思いはとめどなくておれの心臓を焼き尽くした。


 暗い感情がペダルを踏む足を重くする。下を向きながらおれは自転車で商店街の人混みをすり抜けていく。ここのところ人混みを感じると殺意が沸き立った――それほど余裕が無くなっている。他人の声、表情、気配――それらがおれの五感に入ってくることが耐えがたい。

 足に力を込める――スピードを上げていく。誰かにぶつかるかも知れない――うっすらとそう思っていた。それでもいいとすら思えた。視界が明るくなった。商店街のちょうど半分の地点――赤信号。

 苛立ちが広がってゆく。帰っても何もやることもないくせに。何処へ行きたいのかも分からないのに。そのことに一層、腹立ちを覚える。きちんとせえ――岸川先生の険のある言葉がおれを突き刺す。

 今日はいつものように居残りをせず、真っ先に教室から飛び出した。居残りをするとなると最後に教室を出るはめになり、職員室まで鍵を返しに行かなくてはならない。そのときには岸川先生に職員室で会う羽目になる。今日は怒られた手前、顔を合わせるのが嫌で、早く帰ることを選んだ。

「よう、おまえ隆司?」

 背後から声が投げかけられた。聞き覚えのある声。自転車のハンドルに伸ばした手を止めた。

 一瞬、躊躇する――会ったことがある人の声だということはわかったが、記憶をたどれない。

 あきらめて振り返る。

 目を瞬かせた。懐かしい顔だった。今後再会するとは露ほども思っていなかった顔だった。片足を地面に付けて自転車を停めている男――榮倉遼一。小学校時代の同級生。

 学校では目立たない奴だった。かといっていじめられているわけでもなかった。それでも、ふとしたときにはいつも一人でいる奴だった。それなのにおれをしょっちゅうからかってくる、変な奴だった。いつも一人――おれと同じ。

 いじめられるほど悪目立ちしているわけでもない。勿論、人気者なんかであるわけがない。榮倉はそんな奴だった。

「おまえこそ、もしかして榮倉?」

「そうだよ」

「久しぶりすぎやろ」

「おれも、一瞬本当に隆司かどうか迷って、緊張しちゃったよ」

 お互い、顔を向き合わせて軽く笑った。いつの間にか信号が青に変わっていた。隣にいた自転車に乗ったサラリーマン達が一斉に走り出していた。

 隆司、という響きが心地よく、体温が微かに上がった。隆司――名前で家族以外に呼ばれることは数年ぶりだ。みな、おれのことは苗字にくん付けでしか呼ばない。

 当たり前のように名前で呼び、呼ばれるクラスメイト――別世界だった。誰も彼もがよそよそしい。誰も彼もおれを親しい人間として扱ってくれない。藤沢くんという呼び名――おれの惨めさ、孤独が浮き彫りになるだけだった。

「おれ、あそこのラウンドワンでボウリングやっててさ、途中で買い出しに来てる帰りなんだけど。一緒に行く?」

 ラウンドワン――オレンジと黒の、四角い建物。知っている。入ったことはなかった。ボウリング――多人数でやる遊び。カラオケ、ボウリング、喫茶店――当たり前に高校生が経験している場所の全てとおれは無縁だった。何も知らなかった。

 時計を見た。五時過ぎ――やや空も暗を含んでくすんでいる。居残りして勉強していたとお母さんには言えばいい――

「行く」

 咄嗟に口にしていた。榮倉が微笑んだ。また信号が青に戻った。

「付いてきて」榮倉が横断歩道を渡ってから商店街から右折し、細い通路を自転車で駆け抜けてゆく。おれも必死にペダルを漕いで後を追う。吹き付ける風と微かな期待感が胸の中でない交ぜになっていく。

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