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センスなんかいらない  作者: 大宮聖
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小さな嘘

 進学クラスのクラスメイトのことを思い浮かべる。橋本とはここ一か月で全く話さなくなっていた。呼び方もふっじーから藤沢くんに戻っていた。おれはそれに気づいたとき、深い断絶を感じた。

 まただ――最初は仲良くしてくれたとしても、いつの間にかまた、一人に戻っている。きっかけがわからない。

 思い至る点があるとすれば、おれは常にだれかに媚びていた。

 誰にも嫌われたくなかった。負の感情をぶつけられるのが怖かった。だから周りに気を遣ってきた。そうする生き方しか知らなかった。素のままをさらけ出す勇気なんて無かった。それだけ自分に自信が無かった。そうやって生き続けた結果、誰もがおれから離れてゆく。

 嫌われるくらいなら最初から関心を持たれない方がましだった。

 それでも、この試験に受かることができれば――何かを手に入れられそうな気がする。生まれて初めて、誰かの期待に応えることができる。この高揚した、熱を帯びた感覚。誰かを見返したい――そんな気持ちも含んでいる。しかし一番多くを占めているのは、自分を信じたい。追いつきたい。劣等感から解放されたいという願望だった。

 七時にもなると肌寒かった。冷たい風が容赦なくおれの顔に吹き付け、表情を奪っていく。

 LINEが来た。京子の絵、完成したんだって――母からだった。

 おめでとう――一言、それだけ返した。すぐ、返信が来る。今度は見ずに自転車を走らせた。ぼんやりとした感覚のままペダルを漕ぐ。物思いに耽っているとあっという間に家に着いた。

 自転車を庭に停めながら、自分の家を見上げた。二階にある、京子の部屋の電気がついていた。

 インタホンを鳴らしたが、いつもと違って出迎えは無く、窓から鍵だけ渡された。玄関の電気すら付けるのも面倒で、暗闇の中で靴を脱ぎ散らかし、リビングに入った。

「おかえりなさい」

「うん」

 荷物をその場で全部落とす。キッチンで母が晩御飯を作っている最中だった。妹は二階で勉強しているか絵を描いているか。帰宅したときに二階の電気がついていたから、見にいかなくても分かる。父はまだ帰ってきていなかった。おれはキッチンの向かいにある、ダイニングテーブルのほうに座った。全身が弛緩する。落ち着いたら微かに息苦しくなり、学生服のボタンの一番上を外した。

「今日どうだった?」

 母は手元のまな板に視線を向けたままおれに話しかけてきた。

「なんも――あ、でも一つだけあった」

「何があったの」

 おれはキッチンの向かいにあるダイニングテーブルに座る。

「おれ今日帰りに泥棒を捕まえて警察に感謝状もらったんやって。ほんまびっくりした」

 くだらない冗談を口にする――何か口にしないと今日はどこかこの空間にいることが後ろめたかった。

「嘘つき」

「ほんまやって」

 半笑いで惚け続ける。

「嘘をつくのはやめなさい」

 母の声色は厳しかった。いつの間にか母はこちらを向いていた。眉尻が上がった、咎めるような響きの籠もった表情。おれの求めている表情とは違っていた。今度はおれが視線を下げる番だった。

「別にいいじゃん」

 おれは食い下がった――あくまで些細な会話であることを装いながら。確かに、おれの発言は誰にでもわかる、浅はかな嘘だった。それでも、反発心が沸き起こる。些細なことなのに、自分が発端であるから傷ついた。嘘はやめなさい――欲しい言葉はそうじゃなかった。

「嘘ついたら信用なくすよ」

「別にばれんし。おれだって学校でちょっと嘘ついたけど、誰にもばれてない」

「嘘なんかほんとはばれてるんだよ。子供だなってみんな見逃してくれてるだけなんだから」

 目の前が暗黒に変わる。頭の中で地割れが起こったかと錯覚するほどの眩暈がのしかかる。頭から音が消えた。殆どの感覚を見失った。感じられるのは、おれに対する母の非難めいた言葉だけ。

 嘘は悪い――そうなのかもしれない。少なくとも、世間の方程式ではそうだとされている。おれは嘘つきだった。事あるごとに小さな見栄を張り、沈黙を選んだ――自分を隠して閉じこもった。だから、友達すらも作れなかった。年を重ねるごとに惨めさが募り、嘘に頼ることが増えていった。

 それでも――自分の生き方を変えられない。

 おれはコンプレックスばかりだった。嘘は悪い――何も考えずおれの全ては拒まれる。おれの人生は惨めな記憶の積み重ねでしかなかった。全部おれがなにもできないからだ。そんなことをおれは打ち明けることができなかった。嘘をついた。嘘をつくな――そんなことを口走る大人はおれの失敗ばかりの人生を担保してくれるのか。人におれは自分を守ろうとすることすら許されないのか?

 それとも、いままでおれがひた隠しにしてきた弱さ、惨めさはすべて、触れ合ってきたすべての人に筒抜けだったというのか。最初から全部ばれていて、そのうえでおれをいたぶっていたというのか。

 屈辱と痛みに周りの輪郭が失われていく。身体の芯からふつふつと熱が沸き上がる。眩暈がする。動悸が激しくなる。まただ。また、この痛みと吐き気が。なんでこんな思いをしなきゃならないんだ――暗くなった視界の中でおれが顔を歪め、ひたすらに喚いている。

 いや、わかってる。おれが悪い。おれが何にも出来ないセンス最低野郎だから悪い。

 それでも理不尽すぎて認めたくない。

 こんなの生まれつきじゃねえか。才能とかセンスで全部決まるんじゃねえか。生まれつき何にも無い、おれみたいな奴はどうすりゃいいんだ――心のどこかで自分のせいじゃないと喚いているおれがいる。

 おれは嘘つきだ。嘘をつかなければ隠せないことが多すぎた。そうでなければ傷を隠せなかった。その嘘さえ、誰も許してくれないらしかった。

 何も言わず、おれはスマートフォンを開く。小説投稿サイトを開く。執筆中小説編集――無機質な表示を尻目に、書きかけの自作小説に、画面をタップして文字を打ち込んでいく。

 りそうのにんげん

 おれだって本当は、お祭りや学校行事をみんなで楽しめるような人間になりたかった。みんなの好きなものを同じように愛したかった。でも無理なんだ。おれがひとりぼっちで惨めだから。でもおれはみんなが当たり前に出来ることをいつも失敗して、怒られて白身で見られるんだ。それを家族には黙って押し殺す。

 お母さんがそれを望んでたってことは分かってる。だからおれをたびたび子供会に連れ出した。おれの為に。おれがみんなと同じように人として成長できるように。おれだって社交性が会って人間関係を苦と思わなくて度胸があって優しい人間になりたかった。

 でも出来る気がしない。最近また、心が辛くなってきた。毎日毎日独りぼっちでしかもそれを誰にも相談できない。もう辛すぎて学校も行きたくない。なんでおれは一人なの。

 おれの――

 唐突に集中力が切れた。スマートフォンを机に置く。感情は破裂しそうなほど滾ったままなのに、少し時間をおいただけで、何を書きたかったのかすら忘れてしまう。

 おれは小説とすら呼べないとりとめのない文章を、たまに小説投稿サイトに書き留めていた。設定は非公開にしていた。誰かに自分の弱さをさらけ出す勇気なんか、昔も今もこれからもおれにあるはずがない。だから、この吐露は誰にも知られることはない。

 おれはこれからもある人には馬鹿にされ、ある人には、何にも出来ないやつだと見限られながら忖度されて生きていく道しかないのか?――

 みんなには友達がいる。部活の仲間がいる。成績がある。おれはなんだ。この惨めったらしくて弱くて情けない生き物は何だ。消えたかった。何一つ人並みに追いつけないのなら、いっそのこと存在させないで欲しかった。

 何だっていいから、一つぐらい、おれにも、誇れる物をくれよ――呟きは何もないところへ吸い込まれていく。

「今日の晩御飯何だったっけ?」

 明るい口調でキッチンに向かっておれは声を投げかけた。自分の内面と切り離しきった、何一つ実の無いおれの言葉。

 自分でも驚くほどに空っぽな、胸奥にある感情と正反対のわざとらしい声だった。

「隆司の好きな鯖の塩焼きですよ」

「やった」

 再び、同じトーンの声を出す。また一つ、おれは嘘をつくことに成功した。

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