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センスなんかいらない  作者: 大宮聖
13/20

揺れる日常

 乾いた音が響く。残りのピンが全て飛び散る。スコアモニターに三角マークが刻まれる。長崎がスペアを取った――皆が喚き散らす。

「いったぞ」

 長崎が握りこぶしを作る。

「やったな」

 おれは腰を上げて長崎に声かけをする。今日は十月七日。歓声を上げながらも、頭の中に明日の試験のことが渦巻いている。おれの絡まる感情など知らずに、彼らは没頭している。上手になりたいとも極めたいとも考えていない。没頭とはのめり込むことだ。他のことを忘れることだ。彼らは忘れたいのだ――自分を取り巻く絶え間ない負を。彼らはボウリングで現実から逃避している。そのために、同じことを繰り返している。

 ボウリングしか彼らに没頭できる娯楽は無い。他のことは知らない。ボウリングをする理由――榮倉が与えるから。それ以上の理由は無い。榮倉が与えないものは出来ない――知らない。彼らは社会から逸脱していながら、自由とほど遠い存在だった。

「見ろよ」

 遠山が鈍色の光を湛える物体を翳す。人肌が映りこむ、鋭いナイフ。

「昨日、遼一と買ったんだ。やべえだろ」

 おれは遼一の方を見た。遼一はいつもと変わらない、控えめな笑みを浮かべている。遼一がクーラーボックスを渡し、缶ビールを取り出す。遠山は興奮すると酒を飲む癖があった。勿論遠山は未成年だ。社会のルールなど、彼には知ったことでは無いのだ。そのくせ酒癖が悪かった。酒を飲む時が大きくなるのか、鋭い言葉を使うようになる。

 明日は資格試験だった。総論の練習問題を繰り返したが、すべて満点が取れた。これなら大丈夫だ――心にいい聞かせた。本棚から漫画を取り出し、机の上に移してスペースを開けておいた。

「そうそう。みんなに残念なお知らせ。もう後、十五万円しかなくなったよ」

 沈黙がベンチを包んでいく。その異様な雰囲気に取り残されたように感じて、おれはおろおろとした。

「じゃあ、次が最後のボウリングだな」

 長崎がぽつりと言った。

「どういうこと?」

「知らねえのかよ。遼一、言ってなかったのか?」

「忘れてたよ」

「教えろよ、遼一」

「おかしいだろ、隆司? おれらのうちの誰も、働いてないのに、昼からずっとこれだけの人数でボウリングがだらだらできてるなんて」

「確かにそうだけど、それが何だっていうんだ?」

 言われてみればその通りだった。こんな風に日常を溶かし続け、おれやこいつらはどこへ行くつもりなんだろう――いつも、ぼんやりと頭の片隅に居座っていたしこり。それでも、おれは無性に遼一に反発したかった。そうせざるにはいられなかった。

「おれの父さん、死んだんだよ――川に落ちて。だから、おれに三千万の生命保険が相続されたんだ」

 初日に榮倉に聞かされた言葉――今の今まで忘れていた。榮倉自身もおれに話したことを忘れているようだった。

「でも、もうなくなっちゃった。だから、おれたち、テロを起こすんだよ」

「意味わかんねえよ」

 違和感が寒気に変わっていく。

「買ってきただろ、ナイフ。来週までに、全員分揃える。スタンガン。それ用にボウリング代とは別に、百万、残してるから」

 頭の中で選んでいた言葉が脳天を突き抜けていった。顔面を痺れが波のように駆け巡る。多分おれは、声だけでなく表情も失っているはずだった。そうなのか。皆、はなから未来など見据えずに――それを見ることを放棄して、ボウリングだけの刹那の日常に生きてきたというのか。おれにはそんな割り切り方はできなかった。

 こいつらには今しかない。過去も未来も唾棄すべきものしか持ち合わせていない。

「おまえはどうするの、隆司?」

 おれの胸の内を見透かしているかのように榮倉が問いかける。

「おれは……」

 頭の中を明日の試験のことが渦巻く。試験は明後日。家族の喜ぶ顔を考える。達成感を得る自分を曖昧に想像する。

 全てを投げ出して彼らと一蓮托生になる覚悟はおれにはなかった。

「嫌なら別に参加しなくていいよ」

「それは――」

「怖いなら、おれたちが許せないなら、逃げてもいいよ。おれたちは隆司には何もしない。でもその代わり、来週はここに来ないでね」

 榮倉の声――頑なで、おれに対する強い断絶を感じた。また孤独に戻るのか――耐えられなかった。

 頭の中で白黒がぐるぐると回っている。居場所を失うなんて耐えられない。一人だけの日々にはもう二度と戻りたくない。しかし、ダイオキシン類の資格があれば。独りぼっちな状況は何も変わらない。それでも。家族と先生の顔が交互に浮かんではぼやけてゆく。彼らのことを想像できる限り、おれは一緒にやるとは言えなかった。

 おれはどうすればいいのかがわからない。巨大な不安がおれを押しつぶしていく。

「おまえらは?」

「やるっつうの」

「ほんとに、やるんだよな」

「あたりめえだろ。いまさら何を言ってるんだよ」

「おれも、やる」

 皆が口々に言葉を交わす。榮倉の問いかけは容易く喧騒を呼び起こす。

「そんなの、おかしいだろ。人殺しなんて。他に、もっと――」

 自分の声がかき消されそうな焦燥感から、おれは声を張り上げた。

「じゃあどうすればいいんだよ、教えろよ」

 答えられない。おれの足掻きは無残に砕かれる。

 さっきまでの騒がし――くなっているように思えた――周りは音を失っていた。喧噪は消え去り、ただ冷え切った瞳だけがそこにあり、おれをみつめていた。

 おれたちとおまえは違う――残酷な事実を叩きつけられたような気がした。その激烈なほどに冷え切った目線に、背筋の感覚が消えた。残ったのは身体の芯を貫く冷気だけだった。

「おれたちは何処へも行けないし、何一つ認められない。だから、この世の中を壊すんだ。世の中をさらなるクソで満たしてやるんだ」

 遠山は連中の中で一際いきり立っている。

「隆司はどうするの?」

「わからない。今はまだ、わからない。あのさ――次の、最後のボウリングはいつやるんだ?」

「来週の今日だけど」

「そこにおれが来なかったら、参加しないと考えてくれ。来れたら参加する。来れなくても勿論警察には言わねえよ」

 おれに向けられる視線の冷たさは変わることが無い。一人だけ結論が出せないおれ――ひよっている。そう思われているとわかっている。

「もし、おれが参加できなかったとして――」

 そこで言葉を切り、おれは遠山を見つめた。ここにいる人間は誰もかれもが屈折していた。センスがなくて、普通に生きたいという望みすら叶わず、社会からはじき出され、押し込められてきた人たち。その中でも遠山の凶暴性は、傍から見ても突出していた。こいつだって、生まれてきたときからこうであったはずはない。こんな生き方しか知らない遠山達。不意に哀れみが込み上げた。自分の言葉はその場の薄い憐憫に飲み込まれた。

「何だよ?」

「何でも無い」

 再び遠山が沈黙する。熟考する彼の姿はさっき見せた凶暴性とは全く結びつけられない。

「参加できるかもわからないのに、勝手なことを言ってごめん」

「気にすんなよ」

 ぎらついた、尋常では無い瞳――既に遠山はこちらを見ていなかった。思わず身震いした。遠山から目をそらすようにおれは自分の荷物を纏めた。

「とりあえず、今日は帰る」

「見送るよ」

 榮倉がついてきた。榮倉が立ち上がったときにたった雑音にすら怒りを覚えた。

「おれが警察に通報したらどうすんだ」

「しないよ」

 穏やかなその微笑みは変わることがない。

「なんでそう言い切れる?」

「隆司がおれたちに期待しているんじゃないかと思ってるからさ」

「どういう意味だ」

「この世界、嫌いだろ? 壊れてほしいと、思ったことない?」

 頭の中で榮倉の言葉を反芻する。大嫌いだった。自分だけが一人ぼっちで、何もできなくて、弱い。それをいやというほど痛感させてくるのがこの世界だ。今までは――

「ああ……まあな」

 おれは曖昧な顔と声色を作ってみせた。

「それはこいつらも同じさ。だから、やるんだよ」

 おれは答えずに個室のゲートをくぐった。

「シューズは返しとくから」

 どうでもいい言葉を最後に投げかける榮倉――胸のむかつきは増すばかりだった。

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