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センスなんかいらない  作者: 大宮聖
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停滞

皆から「センスがある」なんて褒めそやされるもの、もう見たくも知りたくも、感じたくもないんだ――

 おれの歪んだ精神世界には、何一つとして、邪魔でないものはない。それが大切なものだったとしても。










 はっきり言って全部もうおしまいにしたい。

 おれは絵を書いている紙をまとめたファイルを床に落とした。紙はたやすくファイルから滑り出し、床マットにぶちまけられた。自分で書いた絵――どれもこれも稚拙なものばかり。書いたその瞬間は良くても、数日もすれば嫌気が差す。しかしここ最近描いた絵は、瞬間的にすら良く見えない。ペンを白紙の上で走らせる。出来上がる絵はどこか歪で、ごちゃついている――苛立ちが募る。

 どうしても目指している形にならない。何かが足りないからだ。何もかもが足りないからだ。

 思えばおれは、嫉妬深い性格だった。嫉妬とはすべて、劣等感からくるものだ。おれはそう信じていた。少なくとも、ここ最近のおれ自身の精神の歪みぶりはそれをどうしようもなく裏付けていた。

 小学校のころから絵を書くのは好きだった。趣味はそれぐらいしか無かった。恐竜の絵を書くと皆からうまいと言われた。おれは昔から控えめな性格で、小学校一年生のときは登校の際に毎回泣きだしてしまうほど小心者だった。

人見知りで、喜怒哀楽を表に出すのが苦手で、周りに馴染みにくい性分――おれの閉塞は小学生時代から既に始まっていた。そんなおれでも感情がないわけではなく、絵について褒められたときは内心は褒められて得意になっていた。運動も勉強もできないおれにとって、人より優れているといえるのは絵ぐらいのものだった。

 ただ、書いていたら周りからうまいと言われ、褒められる。それがうれしかった。その時は本当にただ、それだけだった。絵を本当に純粋な気持ちだけで好きでいられたのは少年時代のほんの僅かな期間だけだった。

「小原うまっ」

 おれより絵がうまいやつは小学校高学年になると容易く現れた。おれの絵が相手にされなくなるのも容易かった。小原にロボットの絵を描いて欲しいとせがむクラスメイトの溜まり場をおれは、ただ見つめることしか出来なかった。

 別に悔しくもなかった。おれは絵について特別な誇りを持っていたたわけでもなかったからだ。ただ、寂しかった。自分には絵の才能は無いんだと突きつけられた気がした。小学生の頃は毎日、暇さえあれば絵を書いていた。

 その時まではただ漠然と、自分の絵は上手いのかも知れないと思い込んでいた。現実は違っていた――容易く、誰かに越されていく。的確な言葉にはできなかったが、その時からおれは人の才能には差があることに気づいた。今でも的確な言葉は見つからない。

 思えば、おれが家族以外から褒められたのは、小学二年生までだった。

 昔からどんくさいおれは、誰からも下に見られていた。要領が悪く、機転が利かない。皆の真似をして、同じように振る舞うのに、明後日の方向に行ってしまう。

「またアホなことして」

 小学四年生の時、国語の授業中にみんなの前できつく叱られた。目尻にきつく寄った皺――怒りを露わにした表情。北川先生の叱責に、おれは両手を机の下で握りしめ、縮こまる。何を失敗したのかは覚えていない。それでも、怒られたことは今でも思い起こされ、たやすくおれの胸くそは悪くなる。怒られたこと――ショックだったことは、いつまでも死神のようについて回り、影を落とす。拭いたくても消せない自分の汚点。

 自分ではその場その場で精一杯やっているはずなのに、空気が読めず、または他人の認めてくれる水準に届かず、そして見放され、また一人に戻る。物事の分別がある程度着くようになって気づいたのは、おれの人生はそれの繰り返しでしかないということだ。

 些細なことだった。普通の人間ならすぐに忘れられるほどの。それでもその些細が無限に続いていくと、どうしようもなく気力が奪われた。

 小学校六年生。音楽の授業でのクラス発表。班でリコーダーを演奏する授業があった。曲をパートごとに順番に演奏していく――すぐにおれの番が来る。指がちっとも思うように動かない。焦ってリコーダーに息を吹き込む。擦れた、間抜けな音。教室に響くのはリコーダーの音でなく嘲笑。

「わからないならなんで聞けないの」

 先生に一言、鋭く浴びせられた。なんで聞けないの――聞けるはずがなかった。皆、自分で練習して、できている。おれだけが先生に教えを請えば、惨めさ、おれの情けなさが浮き彫りになる。それがたまらなく怖くて、言えなかった――だからできなかった。

 音楽の授業の帰りに渡り廊下を歩いた。続皆は複数で、おれだけ一人で。なんで聞けないの――非難を含んだ強い口調がおれの肩にのしかかり、怠かった。クラスで一番身長の高かった、堂本が連れの西村とともにおれに近寄ってきた。そして柔らかい笑みを浮かべた。

「ださ」

「藤沢ってなんでそんなキモいん?」

 それだけ言って、二人はおれから離れてゲームの話を続ける。秋晴れの中、おれだけ真っ暗な場所に突き落とされたかのような錯覚を抱きながら教室に戻る。

 全部おれのせいだった。おれがみんなに追いつけず、足を引っ張り、癪に触らせるから悪いのだ。それでも、辛かった。おとなしく誰にも迷惑をかけないように生きていこうとしても、おれには能力が足りない。なんでこんな風にしか生きていけないのかと自分を呪った。

 家に帰ったおれは、家族の中で誰よりもやかましく振舞った。隆司はいつも元気だと母親に笑顔で呆れられ、安堵し、そして暗くて重たいしこりが心の底にできる。家族だけがおれを軽蔑しない。だからこそ、惨めな自分を見せられなかった。失望された時の恐怖が膨らんだ――自分を覆い隠した。

 誰も彼もがおれの全てを容易く踏みにじっていく。見ためも良くないし運動も勉強も出来ない、気の利いたことも言えないおれはただ、ただ、へらへらと愛想笑いをするだけ。それがよっぽど惨めで、憎たらしくて、なおさら他人のかんに障るのだ。わかっていても生き方を変えられない。

 一回、クラスメイトにトイレで蹴られて愛想笑いをしたときに、洗面所の鏡に映る自分と目が合ったことがある。とんでもなくみすぼらしくて、弱かった。何より醜かったのが精一杯隠しているのにはみ出ている弱さに気づいていない、痛々しい笑顔だった。

おれに絡んでいた男子生徒が帰り、トイレで一人きりになった後、一人で吐いた。そのときは何故あんなにも不快だったかが分からず、途方に暮れ続けていた。今ならそれなりの理由を頭の中に並べ立てることが出来る。それでも途方に暮れ続けているおれ。何も変わっていない。

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