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第九話 『孤児院での生活』

 このウルター孤児院に来て一ヶ月が経った。

 貴族だった頃は貧しい街の孤児院で生活することなんて想像もしていなかったが、一ヶ月も経てば人間意外に慣れるものだ。


 薄い味付けの食事も舌に馴染んできたし、薄い布団での他の子供達との雑魚寝もそう不快に感じることがなくなった。

 順応とは怖いものだ。

 もしかしたら二十五年分も藤村冬尊の地球世界での生活を覗いていたせいで、貴族としての感覚を忘れかけているというのもあるかもしれないけど。


「ごちそうさまでした」


 朝食の時間が終わると、食堂にいた子供達は両手を合わせて食事終わりの挨拶をする。

 朝ご飯の次は孤児院での家事の手伝いの時間だ。

 もちろんレイルを倒すという目標があるオレが、孤児院の手伝いなんかにかまけている時間があるわけもない。


 食器を流しに置くと、身を潜めながら玄関に向かうことにした。

 自分の靴を取って踵を入れると背後から気配が。


「ちょっと、オーラルド! どこ行くの?」


 やっぱりバレてしまったか。

 ため息を吐きながら後ろを振り返ると、そこには両手を腰に当てたフィナが立っていた。


「外だよ。庭掃除でもしようと」

「箒も持たないで? 嘘つかないで。どうせまたサボろうとしているんでしょ?」


 毎日のように家事をサボっているうちに、どうやらフィナに目をつけられてしまったみたいだった。

 フィナに外出を止められるのもこれが初めてのことじゃない。

 毎日の出来事である。


 止められることもあるが、上手く逃げ出せるときもある。

 この前は朝食後すぐに抜け出すパターンでいけたんだけどな……。

 やっぱり何度も同じ手を使うと見破られてしまうようだ。


 肩をすくめながら、口を開くことにした。


「人間、他人を信じられなくなったら終わりだと思うぞ?」

「それはそうだけど……。毎日のように嘘をついている人に言われたくない!」

「悪いな、フィナ。今まで嘘をついていた。実はオレって家事をすると死ぬ病気なんだ」

「逆にそれで信じてもらえるとでも?」


 フィナに首根っこを掴まれて、廊下へと引きずり込まれる。

 おい、いきなり実力行使かよ!

 文句を言いたかったけど、シャツの襟が締まって上手くしゃべれない。


 力技でも行使しない限り、オレを止めることはできないと一ヶ月の攻防で学んだようであった。

 あと、意外にフィナって見た目の割に力強いんだよな……。


「まあ、プランAは失敗したけど、まだ方法はあるしな」


 フィナから連れ戻された後、オレは食堂で一人呟く。

 朝食後に無詠唱身体強化(レイズ)の練習をすることだけは絶対に譲れない。


 無詠唱魔術は発動に莫大な魔力を必要とする。

 一ヶ月もの魔力消費が激しい練習によって、だいぶ魔力量は増えてきたが、それでもレイルに比べたら微々たる魔力量だ。


 無詠唱身体強化(レイズ)の発動時間にしておよそ一分。

 無詠唱魔術の練習にかけられる時間はまだまだ短かった。


 とはいえ午前中に魔力を使い切れば、夜にはある程度の魔力が回復する。

 朝早くに練習を行えば、一日に二セットの練習回数を稼ぐことができるのだ。


「おい、ちょっと」


 近くにいた男の子を手招きして呼ぶ。

 周りにいる他の子供に聞こえないよう、かがんで耳打ちすることにした。


「なあ、いい提案があるんだ」

「なに? 提案って?」

「オレの分の午後のおやつを全部あげるから、フィナの気をちょっとの間だけ引いてくれ」


「おやつ全部ってほんと⁉ ケーキでも⁉」

「ああ、ケーキでもだ」

「わかった」


 そう言って、男の子はキッチンにいるフィナの下へと駆けていった。

 よし、作戦成功だ。

 今のうちに外に抜け出すしかない。


 さっき連れ戻されたときに履いていた靴を手にして、近くにあった窓へと向かおうとすると先ほど耳打ちした男の子が戻ってきた。

 しかも、その隣にはフィナまで来ている。


「ねえ、聞いたよ。私の気を引くよう、アールに頼んだんだって?」

「お、お前裏切ったのか?」

「だって、フィナ姉ちゃんから、オーラルドが逃げ出そうとしているところを捕まえたら、午後のおやつくれるって約束してたんだもん!」

「まさか先に買収していたとは。お前、純情そうな顔しておいてやることえげつないな!」


「オーラルドだけには言われたくない! そもそもオーラルドがこの前この子達を買収したから、私まで買収しなくちゃいけなくなったんだよ! これで私のおやつなしになっちゃったんだよ!」

「だったら、買収なんてしなければいいじゃないか。自業自得だ」

「いや、どう考えてもサボろうとするオーラルドが悪くない⁉」


 細かいことを気にするやつだ。

 フィナの肩を叩きながら言う。


「おやつがなくなったからって、そう怒るなって。オレの分、分けてやるから」

「ありがとう……。って、元々の原因は全部オーラルドにあるんだけどね!」

「その代わりなんだが――」

「サボるのは見逃さないよ?」


 抜け目がなかった。

 勢いでいけば誤魔化せると思ったんだけどな……。

 やっぱり駄目だったか。


「というわけでこれ没収ね。これで逃げられないでしょ?」


 そう言って、フィナはこちらの持っていた靴を取り上げてしまう。

 なんと横暴な奴だ。

 この孤児院ではいじめが許されているのか?


 靴まで取り上げられてしまったら仕方ない。

 サボることは諦めて家事をすることにするか。


 まあ、家事もやることを選べば隙間時間を作れないこともない。

 トイレ掃除かなんかをやるついでに、個室にこもって無詠唱身体強化(レイズ)の練習をすることにしよう。


 魔術を練習する時間を取りたいオレにとって、真面目なフィナは天敵のような存在なのであった。




     *




 治癒術の知識の学習については想定よりも難航していた。

 魔術戦に用いる魔術を学んでいた身だ。

 巷では難解とされている治癒術だってなんだかんだ理解できるだろうと思っていたが、現実はそう甘くなかった。


 魔術戦に用いる魔術は基本的に詠唱が定められており、それに準じて現象を発現させる。

 対する治癒術は患者の怪我や病気の状態に応じて魔法陣をいじったり、一から構築したりして現象を発現させるのが一般的だ。


 要は体系そのものが別物なのだ。

 治癒術師として求められるのは、どちらかというと魔道具製作や魔術戦魔術を新しく開発するクリエイタータイプの才能だ。

 現存する魔術や戦法を最適化させることに特化した、典型的な魔術戦魔術師みたいなオレにとっては一番苦手ともいえる分野であった。


 とはいえ、苦手だからといって避けていては成長はできない。

 それに治癒術以外に勉強できることもないしな。

 ということで、無詠唱魔術と筋トレやランニングといった基礎トレーニング以外の時間はすべて治癒術の勉強に当てていた。


 おかげで今は、最初に渡されていた一冊を読み終えたところだ。

 ニーネから見たら進捗は随分早い方らしいが、オレとしてはあまり満足していなかった。


 ニーネ曰く、治癒術は実際に使ってみたら理解がスムーズになるとのことであったが、かく言うオレは魔力量が限られている身。

 治癒術を使ってみたい欲望をグッと抑え、今は無詠唱身体強化(レイズ)に魔力消費を全振りしていた。


「藤村冬尊がもっと医療的な知識を学んでいたら、話は別だったんだろうけどな……」


 過去視の魔眼は地球世界の知識をもたらしてくれたが、それは藤村冬尊が目にした知識に限られている。

 彼が医学部などに通っていたら、肉体構造や向こうの世界の医術の知識によって治癒術の理解も高まっただろうが、あいにく彼は高校にも通っていない。


 そう考えると、レイルの持っている知識もそう多いわけじゃないんだよな……。

 彼の持つ知識は専らネットや漫画で学んだものだ。

 学業の専門的な知識は持ち合わせていないに等しい。


 これはレイルを倒すという目標を持つオレにとって、プラスにもマイナスにも捉えられる要素であった。


「オーくん! いいところにいた!」


 ニーネから渡された次の一冊を読んでいたところ、その当人から声をかけられる。

 その隣にはフィナがいる。


 なんか嫌な予感がした。

 今は治癒術の勉強中なのだ。

 確かに孤児院で設けられた勉強の時間は過ぎ、午後の自由時間になっていたが、そんなのはオレに関係なかった。


「なんだ? 今、忙しいんだが?」


 口を開くと、ニーネは片目を閉じながら両手を合わせた。


「実は買い物に行ってきてほしくて。フィナちゃん一人だと大変だから、一緒に行ってくれる?」

「話聞いていたか? 今、忙しいって――」

「ということで、よろしくね!」

「全然話聞いていないな……」


 こちらが断り切る前に逃げられてしまった。

 これは確信犯だな。

 オレのような相手には、変に言い訳をさせる前に押し切った方は早いと知ってのことだろう。


 さすが何人もの子供を育ててきただけはある。

 サボり魔の扱いはフィナより優れているようだ。


「で、どうするんだ?」

「どうするって? ニーねえの頼みなんだから行くしかないでしょ」


 目配せをすると、フィナがこちらを睨んできた。

 天敵であるフィナと二人で買い物なんて御免被りたかったが、それはフィナにも言えることだろう。


 頼んだときのニーネの表情を見るに、この組み合わせは意図的なものかもしれない。

 いつも言い争いばかりしているオレ達を見かねて、仲良くさせようと買い物を頼んだといったところか。


 正直余計なお世話だ。

 オレはこの孤児院にいる人達と、仲良しごっこをしたいわけじゃない。


 オレにはやらなくちゃいけないことがある。

 自分の残りの人生を全て捧げて、人智を越えた能力を持つ異世界転生者を倒すと決めたのだ。


 ここに住まわせてくれていることには感謝しているが、それとこれとは話が別。

 果てしなく強大な敵を相手に、時間を無駄に使っている余裕なんてどこにもなかった。


「そうか」


 だからといってここで大っぴらに拒否すれば、後でニーネに何を言われるかわかったものじゃない。

 ニーネには治癒術を教わっていることだしな。

 これで本を与えられなくなってしまえば、時間を持て余すことになる。


「じゃあ、とりあえず行くか」

「うん」


 彼女が遠くからオレ達の様子を窺っている可能性も考慮して、ひとまずはフィナと家を出ることにした

 どうやら買うものと店の場所はフィナが知っているようだ。

 浮浪者や獣の死骸が横たわるオーギスの路をフィナと共に進んでいく。


 ニーネはオレとフィナに仲良くさせたかったのだろうが、あいにくこの二人の間柄だ。

 特に話すことがあるわけもないので、無言の道中であった。

 ウルター孤児院からしばらく離れたことを確認すると切り出すことにした。


「今日の買い物って、そんなに買うもの多いのか?」

「ううん。いつも通り、今日と明日の食料を買うだけ」

「なら、二人も要らないよな」


「まあ、一人で持てないこともないけど……」

「だったらさ、フィナ一人で買いに行ってくれないか?」

「えっ?」


 フィナに怪訝な顔をされる。

 彼女は眉をひそめながら言った。


「またサボるつもりなの?」

「そういうわけじゃない。正直フィナだってオレと二人で買い物するなんて嫌だろ? いくらニーネの頼みとはいえ」

「そういうわけじゃ……」


「で、オレはこの街の買い物事情なんて知らないし、ついていったところで荷物持ちくらいにしか役に立たない。で、フィナは荷物を一人で持てるときた。行く必要あるか?」

「でも……」


 フィナは言いよどむ。

 おずおずとこちらを眺めながら言った。


「そんなことしたら、ニーねえに怒られちゃうよ」

「大丈夫だろ? 予め孤児院に戻る前に落ちあっておけば。二人で別行動をしていたことなんてバレるはずがない」

「けど……」

「まだなんかあるのか?」

「ニーねえに今日の買い物で余ったお金、二人で使っていいって言われてて……」


 なるほど。そういう魂胆か。

 ただ一緒に孤児院の必需品を買うだけでなく、個人的なものも買えば距離が縮まると考えたのだろう。


 確かに決められたお金を二人で自由に使えるとなると、何に使うか、どう配分するかなどの話し合いは必須だ。

 互いが互いを思いやらなければ、上手く折半できない。


 そういう意味では効果的な仲の縮め方なのかもしれなかった。

 だけど、それはお互いがその報酬に魅力を感じた場合だけだ。


「じゃあ、それ全部フィナが使っていいぞ」

「えっ?」

「オレはいらないって言ってるんだ」

「いいの? うちの家はあんまりお金ないし、こういう機会ってあんまりないよ?」


「それは知ってる。だけど、余ったお金って言っても大した金額じゃないだろ?」

「それはそうだけど……。でも、これだけあったら、外で売っているおやつとか食べられるよ?」

「あんまり興味ないな……」


 菓子を食べたところで、魔術戦が強くなるわけでもないしな。

 カロリーを摂取するという意味では全く無意味ではないんだろうけど、それでも菓子である必要は全くなかった。

 栄養面と金銭効率だけを考えるなら、もっと効率がいい食事があるはずだ。


「じゃあ、他に欲しいものとかないの?」

「ないこともないけど、到底買える金額じゃないものばかりだな。強いてその金で買えそうなものといえば靴くらいか? 誰かさんに没収されても外に行ける用の」

「そんなのオーラルドが手伝いサボんなければいいだけじゃん!」


 異世界転生者との戦闘で役に立ちそうな魔道具や、巷で出回っている最新の魔術戦の試合動画など、欲しいものはたくさんあったが、どれも手に入れようとすれば大金を必要としてしまう。


 金銭的に余裕がないウルター孤児院にそこまでの期待はしていない。

 雨風を凌げる家を提供してもらっているだけで充分だった。


「というわけで、残ったお金は全部フィナが使いな」

「でも……」

「よく考えてみろ。フィナは使えるお金が二倍に増えるし、ムカつく奴と一緒に行動することもない。オレとしても使える時間が増える。二人にとって得じゃないか?」


「それはそうだけど……」

「だろ? というわけで、夕方の五時くらいか? それくらいに孤児院近くの公園で落ち合おう」


 そう言って、オレはフィナの下から離れていくのであった。

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