第七話 『放浪少年』
フィナが部屋から立ち去った後、ニーネから軽く話された。
なんにもフィナはとある貴族の行いによって両親を失い、孤児になってしまったらしい。
そのことによって、彼女は貴族を恨んでいるとのことだった。
「ちょっと待ってて。フィナちゃんに話をつけてくるから」
そう言い残して、ニーネは逃げたフィナを追いかけていった。
部屋に一人残されたオレはフィナが置いていったご飯をお腹に入れると、孤児院を出ることにした。
オレの正体がバレてしまったからには、あの場所にいることはできない。
ここはアルジーナ王国でも有数の貧民街、オーギスなのだ。
フィナに限らず、この国の財を貪りつくしている貴族を毛嫌いしている人は山ほどいる。
だから、決してフィナが特別というわけではない。
強いて誰が悪いかといえば、貴族という立場を隠そうとしなかったオレに非があるだろう。
これから会う人には、少なくとも偽の苗字を使うべきかもな。
そんなことを考えながら、街の中心に向かって歩いて行く。
これからどうするか。
具体的な方策は立っていないものの、ひとまずは領主のところに行ってみようと思う。
勘当されたとはいえ、オースティン家の家名をちらつかせれば金くらいは貸してもらえるかもしれない。
そうでなくとも盗賊に襲われた被害を訴えれば、金を取り返してもらえる可能性はあった。
案の定、領主の家は街の中央に存在していた。
ボロボロの街にそぐわない綺麗な邸宅。
ここの領主はよっぽど金をためこんでいるらしい。
屋敷の周囲には幾人もの衛兵がいて、最新鋭の警備用魔道具システムの存在も窺える。
正面の門から入ろうとすると、立っていた衛兵に呼び止められる。
「おい!」
「なんだ? ここの領主に用があるんだが?」
「今すぐ止まれ! さもないと取り押さえるぞ」
そう言って、衛兵は持続強化の詠唱を口にする。
まだ何もしていないのに、あっという間の戦闘態勢だ。
ここでこちらも持続強化を起動すれば、すぐさま敵意があると見られて攻撃されてしまうだろう。
こんな辺鄙な街の衛兵一人相手なら倒せないこともないだろうが、仲間を呼ばれては困るし、何より喧嘩をしに来たわけではない。
オレは両手を上げて、戦う意思がないことを示す。
「そうじゃない。ただここの領主に話があるんだ」
「何を言っている。お前みたいな庶民にサゼス様が会うわけがないだろう」
「オレが庶民って……。まあ、無理もないよな……」
自分の身なりを見て納得する。
今のオレは魔道具も高価な服だって持ち合わせていない。
傍から見たら、オーギスにいるありふれた貧しい子供だ。
「一応、オースティン家の人間だったんだけどな……」
「オースティン家ってあのオースティン家か? ふっ、笑わせるな。嘘つきのガキ」
「嘘つきのガキって……」
嘘は言っていなかったが、現在オースティン家に身を置いていないのも事実である。
先ほどはオースティン家の人間だと思われたことが仇となったが、今回はオースティン家の人間だと信じられないことがマイナスに働くなんて。
なんとも皮肉な話である。
このまま言い争っていても信じてくれないだろうと判断し、攻め方を変えることにした。
「まあ、それはいい。実はこの前、街の外で盗賊に襲われたんだ。で、その盗賊を取り締まってほしい」
「はっ、知るか。そんな話」
衛兵は鼻で笑いながら言う。
「このオーギスでは盗みなんて日常茶飯事だ。一々、取り締まってられるか」
「ただの盗みじゃない。狼のマークのペンダントをしていた奴らだ」
「シルバーウルフか。なら尚更手が出せないな。あいつらは強いからな。簡単には捕まえられないだろうし、兵を出しても割に合わない。サゼス様は金にならないことは嫌いだ。ということで諦めろ」
「一億セス盗られたんだぞ? 取り返せれば、その半分はやる。それでも割に合わないか?」
「一億セス? 笑わせるな。いくらお小遣いを盗られたことが悔しいからって、嘘を吐いちゃいけないぞ、ガキ」
どうやらこの衛兵は領主に掛け合ってくれるつもりはないみたいだ。
それどころか、こちらの話を信じようとする素振りも見せなかった。
これは無理そうだな。
この衛兵を説得できそうもないし、説得できたところで話しぶりからしてサゼスという領主も期待できなそうだ。
こういう金にがめつい貴族は、自分にとって利益にならなそうな人間には目を向けない傾向がある。
以前のオースティン家にいた頃のオレだったら一番手を組みやすかったタイプだが、貴族という立場を失った今、一番力を貸してくれないタイプの人間だろう。
「わかった。諦める」
「ああ、そうしろ。帰って、ママのおっぱいでも吸って、慰めてもらいな」
うるせえ。内心で毒づきながら、領主の家を後にする。
すると、どうするか。行く宛がなくなってしまった。
街中を歩きながら考えることにする。
さっきの孤児院という存在は、完全に盲点だった。
確かに今のオレは身寄りがないし、孤児院に行けば住まわせてもらえる可能性はある。
さっきのウルター孤児院では身元を明かしてしまうというミスをしてしまったが、オーギスの街に孤児院が一つということもないだろう。
別の孤児院をあたってみるのもありかもしれない。
もし孤児院が無理だったら、どうするか。
あまり気乗りはしないが、道行く人の家に泊めてもらうというのもありかもしれない。
自分で言うのもなんだが、オレは顔がいい方だ。
あどけない美少年を装って、女の人に頼めば何日かは泊めてもらえるかもしれない。
となると、日中は孤児院探し。
夜は飲み屋帰りの気が大きくなった女性でも狙っていくことにしよう。
そう考えて、街中をぶらついていくのであった。
*
「全然、見つからないな……」
日が暮れ初めて、空が茜色になってきた頃合い。
オレは公園のベンチで一人、座って足を休めていた。
一日中、この街を歩き回っていたが、目当ての孤児院は見つけることはできなかった。
当たり前だ。ここはオーギスなのだ。
普段の生活すら、立ち行かない人が集まった街。
誰かに施しを与える余裕なんてある人はいないし、ましてや他人の子供を養おうなんて物好きは早々いるわけもない。
それこそ、ニーネくらいのものだろう。
そうなると、残るは泊めてくれる女の人を探すしかなさそうである。
正直、こちらの方は乗り気じゃない。
孤児院のようにタダで泊めてもらうということはできないだろうし、何を要求されるかわかったものじゃない。
それに見つけた相手が全うな女性だったらいいものを、加虐的な性癖を持つ変態だったりしたら命の危険まである。
そういった可能性も考慮すると、魔力を残さなくてはいけなく、無詠唱身体強化の練習もできないときた。
いち早く無詠唱魔術と魔力量を上げる修練に集中したいのに、安心できる宿がないとそれも叶わない。
本当に困ったものである。
「まあ、悩んでも仕方ないよな……」
気を取り直して飲み屋街にでも向かおうかと腰を上げようとすると、遠くから叫び声が聞こえてきた。
「あっ、いたっ!」
公園の入り口から姿を現したのは、先ほどの孤児院で知り合った女。
ニーネ・マルテッシュであった。
彼女は長い修道服の裾をまくりながら、息を切らして走ってくる。
「どうしたんだ?」
「『どうしたんだ?』じゃないよ! なんで急にいなくなっちゃうの? ずっと探してたんだから!」
「なんでって言われても――」
別に深い意味はない。
ウルター孤児院にいられなくなったら、別の泊まる宿を探すのは当然のことだろう。
曖昧に言葉を濁していると、ニーネが言う。
「もしかして、フィナちゃんに言われたこと気にしているの?」
「いや、別に」
「えっ、違うの⁉ じゃあ、何しに出て行ったの⁉」
「何しにって……。幼気な少年を装って、オレを養ってくれる女の人でもいないかなって街中を歩いてた」
「何、馬鹿なこと考えてるの」
思いっきり脳天にチョップをされる。
あの、痛いんだけど……。
暴力、やめてくれないか……。
「やめなさい。そんな危ないこと」
「そうは言われてもな……」
「あのね、言ったでしょ。オーくんの帰る家は、もうあの家だって。だから、気を遣わなくていいの」
別に気を遣っているわけでもない。
ただ、こちらの素性を知られたからにはいられないと思っただけだ。
そんなこちらの言い分を口にする前に、ニーネは言う。
「フィナちゃんともちゃんと話をつけてきたから。大丈夫だって。オーくんがうちに住んでも」
そうか。フィナも納得してくれたのか。
だからといって、ニーネの申し出に素直に従うことはできない。
たとえフィナが大丈夫だったとしても、他の子供が反対しないとは限らない。
そんなこちらの考えが伝わったのか、ニーネは言う。
「他の子達もみんないい子だからね。心配はいらないよ」
「そうなのか……」
それなら、何も問題はないのかもしれない。
行く宛もなかったことだしな。
魔術を安心して練習できる環境も欲しかったところだ。
他の知らない女の家に泊まるよりかは、ニーネの下の方がずっと安全なはずだ。
「じゃあ、世話になる」
「もう勝手にいなくならないでよね。心配しちゃったんだから」
そう言って、ニーネはオレのことを抱きしめる。
オレを探すために走り回っていたからだろうか。服越しでもニーネの体温が感じられる。
「暑苦しいな……」
「酷っ! ここは感動して、涙を流すところじゃない!」
どうやらニーネはベタベタの展開を期待していたようだった。
だから、オレはそういうキャラじゃないんだって……。
*
ウルター孤児院に戻ったその日の夜のこと。
生温い夜風に当たりながら、庭で無詠唱身体強化の習得に向けて魔術の練習を行っていたところ、背後から声がかけられる。
「ねえ、オーラルド」
後ろを向くと、そこにいたのはフィナだった。
夜風に攫われて短い金髪が空を舞う。
澄んだ茶色の瞳がこちらを見つめていた。
一体、なんの用だろう。
もしかして、何か嫌味の一つでも言いにきたのだろうか?
人気のない場所を選んで庭に出たのにと思いつつ、このまま背後にいられるのも面倒なのでこちらから問いかけることにした。
「一体、なんの用だ?」
「さっきのことで……」
さっきのこと? そうは言われてもピンと来ない。
そもそも夕方に戻ってきて以降、フィナとは言葉を交わしていない。
貴族嫌いのフィナのことだ。
オレがこの孤児院にいることが許してくれたといっても、あまりいい気分はしないだろう。
そう思い、意図的に近づかないようにしていたのだ。
そういった配慮をしているにもかかわらず、向こうから来られたら困る。
そうまでして、オレに言っておきたいことがあったのだろうか?
手で制しながら、フィナの言葉を遮ることにする。
「待て。言わなくてもわかってる」
「ほんと?」
「ああ、あれだろ? ここにいることは許したけど、あまり関わってこないでほしいってことだろ?」
オレがいることをフィナが許したのも、ニーネの説得があってのことだ。
一瞬だけの会話だったが、フィナがニーネに尊敬の情を抱いていることは推測できる。
尊敬している人間に説得されたら、たとえ嫌な提案だとしても頷くほかないだろう。
「そこはオレとしてもわきまえるつもりだ。まあ、自分がこの場にそぐわないっていうのは百も承知だしな。迷惑かけないようひっそりと生活していくよ」
「……違う」
フィナは俯きながら呟く。
あれ? 違ったのか。
となると、一度はここに住むことを了承したけどやっぱり撤回したいとかだろうか?
こちらの疑問を他所に、フィナはたどたどしく言葉を紡いでいく。
「そうじゃなくて……。謝りたいっていうか……」
「謝る? 何を?」
「酷いこと言って、コップを投げちゃったこと」
「ああ、そんなことか」
「そんなことって……。自分で言うのもなんだけど、結構酷いことしちゃったと思うんだけど……」
このフィナという少女は、ニーネの言う通り心優しい性格の持ち主なのだろう。
わざわざ嫌いである相手に謝罪の言葉を口にするなんて。
フィナの貴族嫌いはオレの異世界人嫌いみたいなものだろう。
オレはレイル・ティエティスと一緒の屋根で暮らすなんて勘弁ならないし、ましてや謝罪の言葉を口にすることなんてあるはずがない。
それを許容できる辺り、フィナという人間の度量は広いのだろう。
だけど、生憎オレはフィナに言われたことを気にしていない。
悪役貴族として生きていれば、陰口を叩かれることなんて日常茶飯事だ。
それくらいの悪意を受けることは慣れ切っているし、なんなら生温いまである。
「オレにとっては、そんなことだったってことだ。お前は気に病んでいるのかもしれないが、正直こっちは全く気にしていない。それどころか、そんなこともあったなって忘れていたくらいだ」
「本気で言ってるの?」
「ああ、本気も本気だ。だから、謝られても困る。そんな申し訳なそうな顔もしなくていい」
フィナはゆっくりと顔を上げる。
瞳はうっすらと潤んでいた。
「だから、泣くな。こんなことで泣かれても困る」
「泣いてないから! ちょっとツーンときちゃっただけで!」
フィナは鼻を軽くすすりながら、大きく声を上げる。
感情が乱高下しすぎだ。
もう少し落ち着きを持ってほしいものだと思いながら、尋ねることにした。
「で、話ってそれくらいか?」
「まあ、そうだけど……」
「用は済んだわけだな。じゃあ、さっさと別のところに行ってくれ」
「……は?」
こちらの言葉に今度は唖然とした表情を見せていた。
「いや、今取り込み中だから。邪魔しないでくれってことだよ」
「取り込み中って……。一人で座っているだけのように見えるんだけど……」
「お前にはそう見えても、こっちはこっちで色々忙しいんだ」
これは本当のことだ。今は無詠唱身体強化の練習中だ。
やっと感覚が掴めそうだったのに、話しかけられたことで感覚が逃げちゃったじゃないか。
どちらかというと、酷い言葉をかけられたことよりこっちの方に謝ってほしい。
「あり得ない! せっかくいい人なのかもって思い直してたけど! やっぱり嫌い!」
「勝手に期待されて、失望されても困るんだが?」
顔を真っ赤にしながら建物の中に戻っていくフィナの後ろ姿を眺めながら、あいつと仲良くするのは無理かもしれないと思うのであった。