第六十二話 『敗因』
ホワイトアウトする視界。
気がついたときには身体を衝撃が襲っていた。
一体何が起こった?
手足を動かす。
大丈夫、両手と両足は健在だ。
身体に痛みはあるものの、感覚は無事に残っていた。
次第に視野が戻っていく。
砂埃が舞う中で、目に映るのは灰色の空だ。
その端には覗き込んでくる教師達の驚きに満ちた顔があった。
教師達? そうだ! 今は試験中だ。
オレはゴールしたのか?
慌てて上半身を起こす。
旗が倒れ、砂まみれのゴールテープが地面に落ちている。
ゴールテープが切られている状況を見るに、どうやらゴールすることはできたらしい。
オレはネオンより早くゴールするために、飛行中に瞬歩を発動した。
瞬歩によって移動距離を稼ぐことはできたものの、ブレーキを踏んでいる余裕はなかった。
猛スピードでゴール地点に突っ込んで、そのまま減速できずに地面にぶつかったのだろう。
試験開始前に学校から支給された魔道具による、身体全身を覆うバリアーは破れていた。
おそらく着地の衝撃で破れたのだろう。
バリアーのおかげで軽微な怪我で済んでいた。
バリアーが破れれば、試験はリタイアとなってしまう。
けれど、バリアーが割れたのはゴールした後だ。
そうであるなら、試験を失格にならないはず――。
違う。今、気にすることはそんなことじゃない。
ネオン・アスタルテより先にゴールできたかどうか。
そして、意識を失う前に聞いた、あのひと言の真意だ。
「なんとか間に合いましたね」
空を見ると、ネオンは箒に乗ったまま滞空していた。
そして、彼女がいるのは倒れたゴールの旗の向こう側だ。
ネオン・アスタルテは未だゴールしていなかった。
「なんで……」
オレに勝ちを譲った?
そんなことはあり得ない。
好戦的な彼女が誰かに勝ちを譲るとは思えなかった。
なら、どうして――。
「そんなの貴方が一番わかっているのでは?」
ネオンはこちらを見下ろしながら、淡々とした声色で答えた。
「なんでゴールしなかったかですか? それはあの状況でわたしが勝てる、一番の方法だったからです」
「お前が勝てる……?」
「はい。確かに順位点でポイント差をつけるというアイデアは面白かったです。正直、肝を冷やされました。でも、それが勝ちに繋がるのは、わたしがそのスピードレースに乗ったときのみです」
彼女は人差し指を突き出した。
「ゴールで得られる点は一位が1000点、二位が500点です。そして、今のわたしの得点は110点。貴方が一位で、わたしが二位だった時点でポイント勝負では負けてしまいます。でも、もしわたしがすぐにゴールせず、宝集めをすれば? 一位と二位の差である500点以上を集めれば、勝敗は逆転するんです」
彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
その笑みは自身の勝利を確信している者のものだ。
「おそらく貴方ほどの人間だったら、そのことにも気づいていたでしょう。だから、直前でわたしを挑発してきたんです。スピード勝負に乗ってくるように。こちらに気づかせないようにひっそりとゴールすればいいものを、わざわざ順位点狙いなことまで教えてきて」
こいつはあの状況で気づいていたんだ。
オレが潰そうとしていた負け筋を。
額に冷や汗が浮かぶ。
「あのとき、わたしが絶妙に追い越せそうな距離だったのも、狙ってやったことなのでしょう。スピード勝負で勝てそうな状況なら、勝負に乗ってくると。でも、わたしをここまで追い込んだ貴方が、最後にそんな計算ミスをするとは思えません。だから、何か秘策があるのだろうと。純粋なスピード勝負ではわたしは勝てないんだろうと理解しました」
目の前の少女の指摘はすべて正解だった。
オレはあの状況で、ネオンがスピード勝負に乗ってくるよう駆け引きをしていた。
峡谷内では最後の直線でギリギリ追い越されそうな距離を保って、先行して。
そして、わざわざ順位点狙いなことを明かした。
それらはすべて、ネオンに宝集めの時間を与えずにすぐゴールさせるためだ。
わざとオレを抜かさせて。
ギリギリのところで、障壁生成で空中に足場を作ってからの瞬歩による瞬間移動。
それによって、オレがゴールした直後にネオンがゴールするという状況を作れるはずだった。
……はずだったのだ。
「だったらわたしが取れる手段はただ一つです。スピード勝負に乗るふりをして、貴方が止まれない状況になったときに、急ブレーキをかけてゴール直前で停止する。だけど、わたしは急ブレーキをかける魔術なんて持ち合わせていませんでした。だから、そこは貴方が使っていた魔術を利用させてもらいました」
ネオンは両手を揉み合わせながら、口角を上げる。
「離脱でしたよね? 自分が前にいた位置に戻る魔術。見たことない魔術で最初はびっくりしちゃいましたが、いざ自分で使ってみると便利なものでしたね」
「は……? 初見で真似してみせたってのか……?」
「初見じゃないですよ。三回使ってたじゃないですか。そんなに見せられれば、真似できるようになりますよ」
なんだよ、それ……。
たった三回見せただけで、知らない魔術をコピーしてくるなんて。
正真正銘の化け物じゃないか……。
「なんですか、その文句を言いたげな視線は? 仮にもわたしは天才なんですから。それくらいのことができないでどうするんですか?」
異世界転生者が人智を超えた存在だということは知っていた。
だけど、オレはシェン・アザクールに勝って、心のどこかで彼らの存在を侮っていたのかもしれない。
奴らはただ異世界での知識を持ち合わせているだけの人間だ。
神によって特別な生体術式を与えられ、あとは膨大な魔力量と無詠唱魔術を使うくらいの相手だと。
でも、それは間違っていた。
数多の異世界転生者もので、現地の人々が主人公に敵わないことが約束されているように。
オレとネオン・アスタルテの間には決して埋まることのない力の差があった。
「というわけで試験時間も限られていますし、そろそろ宝を探してきますね。言っておくけど、卑怯だなんて言わないでくださいよ。特殊勝利を先に狙ってきたのは貴方の方なんですから。正々堂々戦うつもりだったら、わたしもそれに乗ってあげたんですけどね」
そう言い残して、ネオンは箒に乗って去っていく。
小さくなる背中を眺めながら、オレは自身の完全敗北を理解したのであった。
*
それからの記憶は定かでない。
ただネオンが得点をゲットして、オレのポイントが追い抜かれるのを呆然と待つことしかできなかったのは覚えている。
一体、どうしてオレは負けたのだろう。
考えられる敗因はいくらでも湧いてくる。
もし、あのときネオンが離脱を使ってくることを予測していたら。
それは無理だ。彼女が離脱という魔術を知らなかったのは、オレが最初に繰り出したときの反応からも明らかだった。
まさかたった三回見ただけで習得できるようになるなんて、それこそ予測できるはずもない。
じゃあ、あのとき瞬歩じゃなくて、同じように離脱を選択していたら。
もちろんネオンを先にゴールさせて、自分はポイントを充分集めた後にゴールさせるという計画も頭の中にはあった。
ただ、オレは一位と二位の順位点差、500点を宝探しで集められる自信はなかった。
宝探しの難易度は試験序盤に探っていた。
70点。それが試験開始三十分で、オレが集められたポイントだ。
試験時間は三時間。
試験時間をフルに使っても、420点しか集められない計算になってしまう。
もしかしたら、高得点の宝を見つけられるかもしれない。
そうしたら、500点を超えることもあるだろう。
けれど、それは不確定な条件だ。
運否天賦に頼った選択。
自身の勝利をより確実なものにするため、自分が一位でゴールする方法を選んだのだ。
けれど、ネオンの場合、置かれている状況が少し異なる。
言動から彼女は魔力を感知する、オリジナル魔術を覚えていることが推測できた。
そして、ポイントの宿る宝は魔道具だ。
魔力が込められており、それを察知できれば、位置を容易に見つけることができる。
宝の位置を把握できるネオンは一位を取っても、ゴールを譲っても、どっちを取っても悪い選択ではなかったのだ。
あり得ない話だけど。
万が一にも、ネオンがゴールしない選択をすることを予測できて、自分もゴールしない選択を取ったなら。
何かが変わっただろうか。
いや、変わらない。
その状況でもオレに待っているのは敗北だ。
両者ともにゴールしない選択を取ったなら。
再度、空中戦が繰り広げられることになる。
純粋な空中戦で勝ち目が薄いと判断したから特殊勝利を狙ったのに、再度空中戦に引き戻されてしまっては勝てるはずもない。
魔力を感知できる魔術を使って宝を見つけられる時点で、ネオンはゴールしないことが安定の選択だったのだ。
特殊勝利を目指したこと自体が悪手だった。
それは認めるほかない。
自分自身が退学を賭けたにもかかわらず、心の奥底では学校を辞めなくないという気持ちがあったのだろう。
フィナと学校に通う生活が案外悪いものじゃないと思ってしまった。
もう少しだけ続けたいと思ってしまった。
だから、オレは絶対に勝つために、逃げの一手を用意してしまった。
この先の人生をすべてを、打倒異世界転生者に捧げると決めたにもかかわらず。
我が身可愛さに正々堂々勝負することを諦めて。
確実な勝利を得ようとして。
結果的にそれが仇となって負けた。
いや、それも間違いか。
正々堂々戦ったとしても、オレがネオンに勝てることはなかった。
奴との実力差は、そのくらい隔絶していた。
つまるところ、クルシャに言った言葉がそのまま返ってきたのだ。
人生をすべて捧げたからって、勝利を掴めるなんて決まりはどこにもない。
血の滲むような努力をして、全力を尽くしたところで勝てない相手はいる。
才能だったり、環境だったり、運だったり。
どうしても乗り越えられない壁はあるのだ。
その壁が今回は異世界転生者だったというだけ。
選ばれし者と選ばれない者の宿命だ。
「クソっ……」
自分が天才じゃないことなんてわかっていた。
選ばれし者じゃないことだって百も承知だった。
だけど、負けて悔しいものは悔しい。
レイル・ティエティスに負けたときは、何もわからないまま一方的に倒された。
そのため、理不尽さを感じる気持ちの方が強かった。
けれど、異世界転生者の存在を知って、万全の準備を行って挑んだ今回は違う。
ただ純粋な力勝負で勝てなかった。
その分、感じる悔しさは上回っていた。
試験時間は終盤に差し掛かっていた。
他の生徒に倒されてリタイアしていった生徒も増え、ケスラ大森林の試験エリア外にある待機所にはたくさんの人が集まっていた。
そこに現れる箒を持った黒髪の女。
無詠唱魔術を使えるネオンが他の生徒に倒されるということはまずあり得ない。
必要なポイントを集め切ってゴールしたのだろう。
オレは渇いた笑みを浮かべながら、失意の中、声をかける。
「随分、早く戻ったんだな」
「宝探しも重要ですが、さすがに二位の順位点を取っておかないと厳しいですから。他にゴールしそうな生徒が出てきたんで、必要な分の点数を取って、すぐに切り上げることにしました」
ネオンが来た道から現れる見知った顔が。
毎日のように見る顔である金髪姿の少女が駆け寄ってきた。
「オーラルドー! ゴールしたよー!」
「お前が三位でゴールしたのか……」
「うん! 身体強化の生体術式を使って一直線にゴールを目指したからね! それより聞いたよ! 一位でゴールしたんでしょ? やったじゃん!」
確かに生体術式の恩恵で他の生徒より身体能力が高められるフィナなら、順位点を狙ってゴールする方が確実にポイントを稼ぐことができる。
目を輝かせながら近寄ってくる彼女に向かって、残酷な真実を告げる。
「いや、オレの負けだ。そうだろ? ネオン」
「はい、私の稼いだポイントは順位点を合わせると1530点です。オーラルド君は?」
「1070点だ」
その差は460点。惨敗ともいえる結果だった。
「う、嘘でしょ……。オーラルドが負けたなんて……」
へたりと床に崩れ込むフィナ。
いくら悲しんだところで、もうゴールしてしまったオレ達には得点を変えられる術はない。
結果を受け入れるほかなかった。
「それでは試験終了です!」
無情にも試験の終わりがアナウンスされる。
これで苦い思い出となった異世界転生者との三度目の戦いは、正式に幕引きとなった。
「それじゃあ、退学の手続きでもしてくるよ。ごめんな、フィナ」
呆然とする彼女の頭を軽く撫でながら、その場を去ろうと背を向ける。
こうして彼女に触れられるのも最後のことなのだろう。
オレは学校を辞め、この街を出ることになる。
約束を反故にしたり、先延ばしにしたりするつもりはなかった。
フィナとはこれからはもう一緒にいられない。
思い返せば、フィナとはオーギスの街で出会ってから、三年近く一緒にいたことになる。
数え切れないほど言い争いをし、一時は仲違いしたこともあった。
けれど、彼女と過ごす時間は案外悪いものではなかった。
この先異世界転生者と戦って死んでいく中で、最後に思い浮かべる走馬灯の中に、きっと彼女の姿はあるだろう。
そう言い切れるほど、オレなんかに優しくしてくれるフィナに感謝していた。
この別れは仕方ないものだ。
オレとフィナはずっと一緒にいれるわけじゃない。
いつかはやって来る別れ。
それが今訪れたに過ぎない。
オレの人生はすべて異世界転生者を倒すために捧げると決めている。
それに関係ないものは、総じて削ぎ落としていくべきだ。
今回の戦いでは退学になることを恐れて、特殊勝利を狙うという逃げの姿勢を取ってしまった。
フィナという守りたいもの存在が、心の足枷となることもある。
だったら、ここで別々の道に行くのが正しい選択だ。
「オーラルドぉ……」
後ろからの鼻を啜る声を無視して、歩みを進めていく。
フィナとはもうお別れだ。
彼女との別離を惜しむ気持ちがあったからこそ、オレは次に聞こえてきたアナウンスに耳を疑った。
「それでは結果速報です。一位はオーラルド・オースティン、ユネ・ボーシャン、ペア! 1615点です!」




