第六十一話 『勝敗を分ける選択』
「離脱」
後ろから向けられる攻撃を、再度三秒前の位置に跳ぶことで回避する。
お互いの位置は反転。
オレの前にまたしてもネオンの背中が現れる。
「極雷奔走」
放つのは高速の雷撃。
雷は二本の翠色の軌跡を描きながら、空を飛ぶネオンへ向かっていく。
「超噴射っ!」
ネオンは咄嗟に推進力を生みだし、方向転換。
彼女を乗せる箒は極雷奔走の描く軌跡から逃れることに成功した。
離脱を用いた仕掛けも、これで二回目だ。
初見じゃないとくれば対処もしてくるか。
お互いに攻撃が当たらない膠着状態となった。
ネオンは口を開く。
「いやぁ、面白いですね! 最高ですよ、オーラルド君!」
「なんで楽しそうにしてるんだよ? 気持ち悪いな、お前」
「気持ち悪いって酷いですね! 当たり前のことじゃないですか! やっと張り合える人に出会えたんですよ! これを楽しまなくて、何を楽しむっていうんですか!」
ネオンは満面の笑みを浮かべながら言う。
「まさか貴方みたいな人に出会えるなんて。きっとこの瞬間のために、わたしはこの学校に入学してきたんですね。あの胡散臭い神の言うことを信じて正解でしたよ!」
あの緑髪の神が胡散臭いというのは同意見だったが、異世界転生者なんかに出会いを感謝されても困る。
オレは吐き捨てるように言った。
「出来ることなら、オレはお前らなんかと出会いたくなかったよ」
「つれないですねー。オーラルド君も一緒に楽しみましょうよ、この戦いを」
「嫌なこった。頼むからさっさと倒されてくれ」
会話をしながらも、攻撃を撃つ手は止めない。
次々と放たれる魔法をネオンは器用に躱していく。
「なんでですか。もっと楽しませてくださいよ。さてこれにはどう対処してきます?」
ネオンは両手を広げる。
両手の先には黒い球体が現れた。
魔力エネルギーを感じさせる球体は膨張しながら、こちらに迫ってくる。
二つの珠の迫ってくるスピードには差があった。
一つ、また一つと躱していき、ネオンに近づいていく。
「なんだ、その見たことない魔術? オリジナル魔術か?」
「これ自体はただのエネルギー弾ですよ。お楽しみはここからです」
ここからといっても当たっていないのだが?
無防備な状態の背中に聖槍投射を撃とうとすると、視界の左端に映る影が。
「――っ! 離脱!」
あまりの速さに何が起きたかわからなかった。
ただ何かが迫ってくる気配がしたため、即座に攻撃を中断。
瞬間移動で下がることにした。
先ほどまでオレがいた位置を、黒い軌道が通り過ぎていた。
「なんだよ、その攻撃……」
離脱によって距離を取ったことで、彼女の放った魔術の全体像がわかった。
さっき放たれた黒いエネルギー弾は、空を飛ぶ彼女を中心に回っている。
一つの黒球は水平に円形軌道。
もう一つの黒球は傾いた楕円形軌道を描いていた。
「周回軌道っていう私が考えた魔術です。どうです? これなら後ろからのプレッシャーもだいぶ取り除けるんじゃないですか?」
後ろを向いたまま、最高速度で飛行。
さらに敵に狙いをつけて攻撃するというのは、現実的じゃない。
よって、飛行を使う魔術師同士の戦いは、後ろのポジションを取った方が有利になる。
だけど、周回軌道という魔術の登場により、状況は一変した。
ネオンの周りには自動で周回する攻撃が漂うようになった。
要は後ろを向いて魔術を放つ必要がなくなったということだ。
周回軌道がどんな魔術か詳しくはわからない。
ネオン自身が公転軌道を自由に操れるのか、それとも白鳩索敵のように事前に定められた経路しか描かないのかは不明だ。
ただ前者ならかなりの脅威だ。
後者でも飛行でこちらとの相対位置を調節さえすれば、当ててくることは可能だろう。
これでオレはネオンからの直線的な攻撃だけでなく、上下左右から自動的に迫ってくる球にも注意を払わなければならなくなった。
ネオンは次々と周回軌道の球を生成していく。
彼女の周りを回る黒球は八個に増えていった。
もうネオンの真後ろを取ることは難しい。
攻撃を当てようと近づけば、周回軌道の球の周回軌道上に入ってしまう。
全方位から襲ってくる八個の球を避けつつ、ネオン本人から繰り出される攻撃も避けるというのはまず無理だ。
幸いにも周回軌道には射程があるようだ。
球の周回半径はネオンから見て、百メートルから三百メートルほど。
近づきさえしなければ当たることはないようだ。
だからといって放っておくわけにはいかない。
ただでさえお互いの攻撃が当たらず勝負が長引いている状態なのに、これ以上距離を離して戦ったら、さらに決着がつかなくなってしまう。
「とりあえず削っていくか」
攻撃をネオン本体に当てることは諦めて、周回軌道の黒球を狙う方向性にシフトする。
連続して、戦術級魔術を放つ。
高速で回る球を狙うのは難しかったが、ネオンも黒球に向かう攻撃までは回避するつもりがないようだ。
三発目にて破撃砲がヒットする。
「撃ち落しても無断ですよ。補充はできますから」
黒球が一つ爆発して消えたことを確認すると、ネオンは新たな球を生み出して宙を漂わせた。
クソっ、消えた分を補うこともできるのかよ。
これじゃあ、周回軌道の球を削っていって、接近戦に持ち込むことは不可能だ。
同時に四、五個の球を撃ち落とせば近づけないこともなそうだが、一個撃ち落とすことにも三発もの攻撃魔術を必要としたのに、その倍以上の数を撃ち落とすというのは現実的じゃなかった。
打開策を見つけるために探りを入れることにする。
「いいのか? 毎回補充していたら、魔力が底を尽きるんじゃないか?」
「心配しなくていいですよ、まだ九割以上ありますし。日をまたいで戦いでもしない限り、私の魔力が切れることはありません。思いっきりかかってきてください」
化け物かよ、おい。
あんだけ無詠唱の戦術級魔術を連発して、まだ九割以上残しているのかよ……。
オレの現在の残り魔力は五割を切っている。
リソース勝負になる可能性も考慮し、戦術級魔術の中でも比較的消費魔力の効率が良いものに絞ってこれである。
オレより魔力量が多いことは知っていたが、まさかここまで差があるとは。
というか、九割以上という自己申告が正しいなら、保有魔力量だけ見たらレイル・ティエティスを超えているんじゃないか?
発言の真偽は不明だが、ネオンの性格からして、嘘を言っている可能性は薄い気がする。
彼女は明らかにこの戦いを楽しんでいる。
ブラフなんて小賢しい真似はせず、正面から全力でぶつかってくるはずだ。
「本当、ふざけんなよな……」
口からつい愚痴が漏れ出てしまう。
オーギスの街でシェン・アザクールを相手にしたときは良かった。
奴はこの世界に来て、二年くらいしか経ってないひよっこの異世界転生者だった。
保有している魔力はオレより劣っていただろうし、無詠唱魔術もろくに使えなかった。
生体術式に頼った戦いをしているだけだった。
あのムカつく神がチュートリアルと表現するに相応しい、格下の相手だ。
だけど、ネオン・アスタルテは違う。
彼女はレイル・ティエティスと同じ側の異世界転生者だ。
オレより格上。完全な強者である。
飛行や周回軌道というオリジナル魔術を駆使し、さらに魔力量や同時に使える魔術の数といった基礎能力でもオレを上回っている。
そして、オレはこういう相手を一番苦手としていた。
かつて貴族時代は魔術戦の世界で「常勝」なんて異名で謳われていたオレだけど、意外にも格上相手の戦績は悪かった。
同年代や格下の魔術師にはまず負けることはなかったけど、逆に年上の強い魔術師には勝てないことが多かった。
オレは良く言えばオールラウンダー、悪く言えば特別に秀でた能力がない魔術師である。
地力の差を活かして相手を完封することは得意だが、逆に地力で負けている相手には強みがなく、そのまま負けてしまう。
今回の試験でクルシャと戦ったときのように、人読みや事前の研究量で一矢報いることもあったが、全部が全部そうできるわけではない。
特にネオンのように、戦いの記録が残っていない格上の魔術師との戦績は悲惨なものであった。
しかも、彼女が使う魔術の大半はオリジナル魔術だ。
使ってくる手を読むことすら許されない。
空中戦という魔術戦からかけ離れた戦いを強いられていることも鑑みると、レイル・ティエティス以上にやりにくい相手だった。
「だからといって、負けるわけにはいかないよな……」
これは異世界転生者との戦いだ。
オレが人生を懸けて倒すと決めた相手との戦い。
人生で何度かしかない絶対に負けてはならない勝負である。
それにこの決闘には退学もかかっている。
負けたら学校を離れることになり、ネオンに再挑戦することはできなくなる。
加えて街を出るという条件から、フィナとも離れることになってしまう。
彼女を悲しませないためにも、ここはなんとしても勝つ必要があった。
「こうなったら仕方ない。あの手でいくか」
彼女の周りを飛ぶ周回軌道によって、近づいて戦う急戦は封じられた。
リソース勝負の長期戦でも勝つことはできない。
なら、第三の勝ち方を狙っていくのみだ。
「流星矢」
もう出し惜しみはしない。
魔力をふんだんに使って、全力で勝負を決めにいってやる。
百を超える青い光の矢を放つ戦術級攻撃魔術、流星矢。
それをネオン目掛けて掃射する。
いくら数や範囲の大きい攻撃だといえども、機動力に長けたネオンを捉えられるとは思っていない。
案の定、彼女は上方に飛び上がることで流星矢を回避してみせた。
大丈夫。これでいい。
大事なのは攻撃を継続して、狙いの状況を作り出すこと。
そして、こちらの作戦を直前まで悟らせないことだ。
大量の光の矢を放つ魔術、流星矢を撃ちつつ、ネオンを追うように自らも高度を上げていく。
しかし、以前とは違ってネオンは周回軌道を展開しているため、距離を取りながら追わなければならない。
飛行の旋回性能に差があるオレとネオンの距離は、どんどんと開いていった。
「隙ありですね」
超噴射を使ってループを描き、後ろへと反転しようとしてくるネオン。
ただでさえ周回軌道が邪魔で後方に付けられないのに、彼女に背後を取られるのは危険である。
ネオン本体から飛んでくる魔術に、上下左右から来る周回軌道の黒球。
それらすべてを、背を向けたままやり過ごすのは不可能に近かった。
「ここで切るか。加速飛行」
飛行の推進力を上げる魔術を用意していたのは、何もネオンだけじゃない。
魔力を多く消費するため今まで温存していたオリジナルの加速技を、ここに来て発動することにした。
オレの加速飛行とネオンの超噴射は似て非なるものだ。
原理が一緒かどうかはわからない。性能にだって差がある。
見たところ、ネオンが生みだす推進力の方が上のようであった。
このまま背後の取り合いをしていても勝ち目はない。
そう判断して、ネオンの描くループを追いかけることはせずに、逆に前へと出る。
彼女が悠長に一回転している間に、オレは距離を離すことで安全域へと逃れていった。
「私から逃げ切れるとでも思ってるんですか?」
超噴射で加速して追ってくるネオン。
対するオレは高度を下げて、位置エネルギーを運動エネルギーに変えることでさらに速度を上げていく。
高度を下げたことで、オレはケスラ大森林の奥地にある峡谷へと入っていく。
ネオンも追従するように機首を下げ、峡谷内に突入した。
「なるほど。考えましたね」
自身を起点として公転する球を周囲に展開する周回軌道は、周りに何もない空中でこそ真価を発揮する魔術だ。
地上戦や狭い場所では黒球が邪魔となり、移動を制限されてしまう。
このまま黒い球体を展開したまま、障害物の多い峡谷内の空中戦をするのは不利である。
彼女もそう判断したのか、周回軌道が解除された。
これでネオンの有利が一つ消え去ったことになる。
もちろんこちらの誘いに付き合わず、峡谷内に入らないで開けた上から爆撃するという方法もあった。
だけど、彼女の好戦的で驕り高い性格なら、提示した土俵に乗ってくれるという確信もあった。
いくらネオンのことを知らないといえど、これくらいの読みは押し通せる。
「流星矢」
オレが狙うのはネオン本体じゃない。
周りの地形である。
魔術で崖を攻撃することで、追ってくるネオンの下に岩石を降らしていく。
「嫌らしいことしてきますね」
峡谷内に入ったことで、後ろを取るのが有利というセオリーは崩れ去った。
前を進むオレは周囲の崖を壊すことで、後続を飛ぶ敵に攻撃することはできる。
後ろを追従するネオンは落ちてくる岩石の破片に対処しながら、進んでいく必要があった。
超噴射の速度を落とし、降ってくる岩を器用に避けていくネオン。
峡谷内は障害物や曲がり角が多いため、フルスロットルで進んでいくのは不可能だ。
速度を落として、回避にも気を払わなければいけない。
オレの誘いに乗ってこの地に入った時点で、速度勝負をするのは不可能になった。
推進力が勝っているというネオンの有利はまた一つ削られた。
近くに降ってきた岩石を撃ち落としながら、何もないように見えるところでふわっと上昇するネオン。
こいつ、オレのもう一つの仕掛けにも気づきやがったか。
「油断ならないですね。進行方向上に透明な障壁を置いてくるなんて。気づかずぶつかっていたら、大変なことになっていたじゃないですか」
峡谷内は飛ぶ経路が限定される。
ということは、先行するオレは障害物が置き放題ということだ。
高速移動している間は空気抵抗の問題で障壁魔術を張って身を守ることは難しいが、その場に障壁を設置することはできる。
そして、飛行の速度で障壁にぶつかれば、それだけで戦闘不可能なダメージを負うことになる。
障壁魔術の透明性と耐久力を活かした、空中戦用の罠であった。
「でも、無駄ですよ。魔力を感知すれば、置かれている場所はわかりますから」
オリジナル魔術かなんかだろうか。
ネオンは魔力自体を感知できるようであった。
そういえば、クルシャにオレの居場所を教えていたな。
異世界転生者なら、魔力くらい探知できて当然か。
魔力が探知できるネオン相手では、障壁の透明性なんてあってないものだ。
障壁は多少の妨害にはなるだろうが、戦いを決めるような致命傷にはならない。
「確かにこの場所なら前を飛ぶ方が有利かもしれません。でも、落ち着いて対処すれば、撃墜されることもありません。そして、勝負が長引けば、追い詰められるのは貴方の方です」
ネオンは口元に笑みを浮かべながら言う。
「この山地は無限に続くわけじゃありません。このまま進めばいつか谷から出てしまいます。そうなったら、後ろを取っている私に有利な番がやってきます。そうでなくても、その前に試験エリア外に出てしまうでしょう。そうなったら失格です。貴方はどこかで反転してくる必要がある」
いつまでもこの状況を維持できないことくらい、オレだってわかっている。
だからオレは、出し惜しみなく攻めているのだ。
もうすぐ狙いのポイントにつく。
そうなれば、勝負は一瞬で決まる。
前方に目を向ける。
両端の山が途切れ、谷底を流れる川に空からの光が差していた。
よし、やっとここに来た。
光が照らす空間にオレは飛び込んだ。
視界が開けたことで、目の前に広がるものにネオンは気がついたようだった。
彼女の目が見開かれた。
「これが狙いですかっ!」
オレ達二人の前には大きな山が立ちふさがっている。
その中腹。五合目のなだらかな地点には無数の教師がと大きな旗が立っていた。
「ゴール地点っ! 最初から正々堂々勝負するつもりなんてなかったってことですか⁉」
お互いが接近して戦う急戦では勝てない。
リソース勝負の長期戦でも勝ち目はない。
なら、残る第三の勝ち目。
それはネオンを倒すことなく、ポイント差で上回る特殊勝利であった。
オレとネオンは予めペア同士のポイントの合計で勝敗をつけると決めていた。
そして、この学科特殊試験においてポイントを稼ぐ方法は宝を見つけることと、他の生徒を倒してポイントを奪うことの他にもう一つだけある。
先にゴールに到着することで得られる順位点だ。
一位にゴールした生徒には1000点、二位にゴールした生徒には500点といった形で得点が入ることになる。
宝の得点が一つ10点~100点なことを考えると、破格ともいえる得点量だった。
もちろん、順位点が桁外れな得点設定になっているのは理由がある。
ゴールはスタート地点からかなり離れた場所に設けられている。
試験時間全部を使って、やっとたどり着けるといった難易度になっているからだ。
要は一種のボーナスポイントみたいなもの。
だけど、過酷な地形を気にすることなく、高速で飛び回れるオレ達にとってはゴールに着くことなんてそう難しいことじゃない。
飛行で直線的に進めば数十分で辿り着ける距離であった。
おそらくオレ達より先行している生徒はいないはずだ。
空を飛ぶのと、陸路を進むのでは果てしない差がある。
よって、このままゴールすれば、オレとネオンが一位と二位を取ることになる。
一位と二位の順位点の差は500点。
オレがクルシャと戦っている間にネオンは多少の宝を見つけているはずだが、一時間そこらでは500点に届くことはまずあり得ない。
試験開始直後に宝を見つける難易度と得点分布は探っていたため、断言することができた。
「正々堂々も何も特殊勝利も勝ちの一つだろ。さあ最終コーナー、どっちが先にゴールにつけるかのスピード勝負と行こうぜ」
「わかりました。その勝負乗ってあげましょう。先に特殊勝利を仕掛けたのはそっちですから、私が勝っても後で文句を言わないでくださいよ」
「加速飛行!」
「超噴射!」
オレとネオンはフルスロットルで加速していく。
もう攻撃魔術は必要ない。
減速の原因となるようなものはすべて取り除く。
ただ相手より早くゴールできるか。
戦いは複雑さを捨て、よりシンプルなものに成り代わった。
ネオンのジェットの音が近づいてくる。
後ろを見なくてもわかる。確実に距離を縮められていると。
スタート時点ではオレが先行していた。
けれど、生みだす推進力はネオンの方が上だ。
速度に差がある分、奴が追いついてくるのは当然のこと。
重要なのはゴールに着くまでに追い越されるかどうか。
ゴールに着いた後に追い越されても、それはこちらの勝利である。
そして、予想ではゴールギリギリの場所で抜かされると踏んでいた。
「輝く六面、不変の理――」
だから、オレは障壁生成の一節目の詠唱を口にする。
風切り音と共に後ろからネオンの呟きが聞こえる。
「障壁魔術の詠唱? この状況で障害物を置いてくる? いや、違う。それならわざわざ詠唱を口にする必要はない。これは嘘ね!」
ネオンは構わず、突っ込んでくる。
別にこれはブラフなんかじゃねえよ。
詠唱魔術じゃなきゃいけない理由があるから、詠唱を口にしているだけだ。
視界の端にネオンの姿が映る。
さすがは異世界転生者。
彼女はオレに追いついてきた。
ネオンの黒い瞳と目が合う。
お互いを乗せる箒と棒の先端が並びたった。
ゴールまで後二百メートルほど。
今だ。この瞬間にすべてを懸ける。
「その姿を現したまえ――障壁生成」
オレは飛行と同時に、もう一つしか魔術を発動できない。
でも、それは無詠唱魔術に限った話だ。
詠唱魔術を組み合わせれば、合計三つの魔術を同時発動することができた。
オレが同時に発動するのは、現代の魔術戦において五本の指に入るほど有名な魔術。
異世界転生者であるシェン・アザクールとの戦いにも用いた、あのお馴染みの魔術だ。
障壁生成の面が自分の右足の底に来るように。
これで接地制限は満たすことができた。
地面に足がついていなければいけないという、あの魔術特有の発動条件は障壁魔術を空中に固定し、足場とすることでもクリアできるのだ。
そして、オレはその瞬間移動魔術の名を叫んだ。
「瞬歩!」
「離脱!」
だから、そのとき。
オレはハモるように被せられたネオンの声に気づけなかった。




