第六十話 『ラスボス』
「やっとラスボスのお出ましか」
クルシャにとどめを指した後、森の奥へと進むと一人の少女が待ち構えていた。
木の枝の付け根部分に座って、こちらを見下ろす彼女こそがネオン・アスタルテ。
オレが倒すべき異世界転生者の一人であった。
「まさかクルシャさんが負けるとは。意外です。貴方を相手するのが面倒だったので、とっておきの秘策を伝授したんですけどね」
彼女は気だるそうな表情を浮かべている。
二つ結びにした黒い髪を指でいじりながら、ため息をついた。
「期待外れでしたね。この程度の邪魔者を排除できないとは。秘策を使う間もなく負けちゃったんでしょうか」
「同じペアの仲間なのに随分な言い方じゃないか。薄情なんだな」
「別に友達でもなんでもないですし。貴方を倒したいからペアになってくれ、と頼まれて組んだだけの関係ですから」
相変わらず、こちらの世界の住人を見下した物言いをするやつだ。
見下すのはオレに限らず、同じペアの仲間であるクルシャ相手でも同じらしい。
「まあ、クルシャさんを倒したからには、約束通り相手をしないわけにはいかないですか。はぁ、気乗りしないですが、仕方ないですね。ジロー、危ないのでちょっと避難しておいてください」
ネオンは肩に乗ったフクロウに声をかける。
ジローと呼ばれたフクロウは飛び立ち、深い森の中に消えていった。
「期待はしていないですが、精々退屈はさせないでくださいよ。飛行」
そして、ネオンは虚空から箒を取り出し、そのまま宙へと浮かび上がっていく。
足を組みながら、横向きで座って余裕綽々な表情を浮かべる。
そんな彼女を見上げて言う。
「空を飛べるのがお前だけの特権だと思うなよ」
クルシャと戦った後、十分以上かけてなんとか氷墓之翼の氷漬けの中から取り出した飛行用の棒。
それに跨り、飛行を発動した。
空へと浮き上がるオレの身体。
ネオンの目がゆっくりと見開かれる。
「すみません。前言撤回させてください」
そう言う彼女の口元には、微かな笑みが浮かべられていた。
「多少は期待してもいいかもしれません。わたしを退屈させないでくれると思っていいんですよね?」
「お前が退屈するかどうかなんて知るか。オレはお前に勝つ。ただそれだけだ」
二重の螺旋を描きながら、二人は高度を上げていく。
連なる木々の背を越え、オレとネオンは灰色の空の下に現れ出た。
冷たい風が辺りに吹きすさぶ。
「そうですか。じゃあ、遠慮なく行きますよ」
ネオンは制服をはためかせながら、手のひらを前に突き出した。
すると太陽が雲に覆われ、空一面に影が差す。
「天雷」
空から降りかかる一筋の雷光。
落雷を発生させる戦術級魔術、天雷である。
「絶対防御」
戦術級魔術に対抗するには、こちらも戦術級魔術で対抗するしかない。
防御系戦術級魔術、絶対防御を展開する。
上空に張られた最高峰の障壁魔術。
絶対的な隔壁に阻まれ、目を刺すような雷光が頭上で弾けとぶ。
「へぇ、これも難なく防いできますか。やるじゃないですか」
「別に難なく防いだわけじゃないけどな。全くもって油断ならない威力だ。もう真っ正面から受けてやらねえからな」
飛行のスピードを上げ、上空を大きく旋回する。
いくら最上級の防御魔術といえど、攻撃力に全振りした戦術級攻撃を受け続けてしまえば、破られる恐れがある。
相手の攻撃を障壁魔術で防ぐというのは、最善といえる対処法ではなかった。
そもそも飛行で前後左右上下、三次元的に動くことができる。
相手の攻撃を躱していくのが一番合理的な方法だ。
繰り出す攻撃の的にならないように、加速しながらネオンの周りを回っていく。
「破撃砲」
今度はこちらが攻撃を仕掛ける番だ。
超高火力のエネルギー砲をネオンに向けて放つ。
「絶対防御、天雷」
ネオンは障壁魔術でこちらの放ったビームを防ぎつつ、先ほども見せた雷魔術で攻撃をしてくる。
器用な奴だ。飛行に加えて、防御魔術と攻撃魔術。
計三つを同時に使用してくるなんて。
飛行は翼を動かすだけではない。
推進力を発生させたり、気流を制御したりと、見た目よりもずっと繊細な魔術だ。
コントロールするにあたって、結構な量、脳のリソースを割く必要があった。
今のオレでは飛行ともう一つだけしか魔術を発動できない。
ネオンのように魔術を三つ同時発動することはできなかった。
だけど、攻撃は当たらなければ意味がない。
高機動で動いているオレに落雷は当たらない。
絶対防御を発動するまでもなかった。
「天雷、天雷、天雷、天雷」
すかさずネオンは攻撃魔術を連続で放ってきた。
なんでもありかよ、こいつは。
初っ端から飛ばしすぎじゃないか?
ネオンの猛攻に思わず、目を剥いてしまう。
いくら速いスピードで飛び回っているといえど、落雷を経路上に置かれては堪ったものじゃない。
S字カーブを描きながら躱していく。
落雷をすんでのところで躱しながら、魔術の起動準備をする。
「聖槍投射」
光の大槍を射出する戦術級魔術、聖槍投射を発動する。
狙いは滞空しているネオン。
大槍はその場でギュルギュルと高速で回転した後、狙い通りに放たれた。
「絶対防御」
ネオンは障壁魔術で対処しようとする。
けれど、聖槍投射は貫通力に特化した戦術級魔術だ。
いわば障壁魔術のカウンターとなる攻撃魔術。
最上級の障壁に穴を空けながら、そのまま突き進んでいった。
「絶対防御、絶対防御、絶対防御」
槍の進行方向上に何度も障壁魔術を張るも、結果はすべて同じだ。
多少の運動エネルギーは奪われていくものの、透明の壁を次々と打ち破っていく。
「超噴射」
このまま槍の進行方向上にいてはまずい。
そう判断したのか、ネオンは別の魔術を起動した。
箒の穂の先端が赤く光る。
超噴射。
見たことも聞いたこともない魔術だ。
オリジナルの魔術であろうか?
こちらが訝しんでいる間に彼女の身体は移動して、槍の射線上から逃れていた。
「推進力を得る魔術か。あそこから避けんのかよ」
「あんまりこの魔法使いたくないんですよね。身体にGがかかりますし。これを使わせてくるなんてやるじゃないですか」
ネオンがホバリングを止めて動き出したことになる。
これで、ようやくお互いが飛び回る状況になった。
ここからが本当の空中戦の始まりだ。
魔術の撃ち合いだけでなく、飛行技術も加えた総合力のぶつかり合い。
飛行の軌道を変えて、ネオンの後ろを取ることにする。
戦闘機同士の戦いを意味するドッグファイトという言葉は、互いが後方を取ろうとして激しく旋回し合う様子が犬同士の喧嘩に似ているから名付けられたという話があるくらいだ。
背後のポジションを取ることが有効なのは、魔術での空中戦でも同じはず。
継続的に攻撃するためにも、箒に乗って空を飛ぶ少女を前方の視界に収めようとする。
「破撃砲」
飛行中に使用できる魔術には制限がある。
地面を離れているため土系魔術は使えないし、風系魔術も翼の表面を流れる気流に影響を与えてしまうため使いづらい。
今回に限っては試験のルール上、炎魔術ですら禁止されていた。
攻撃に使える魔術は限られている。
だけど、それは防御側も同じことだ。
ホバリング時と違って高速移動時は障壁を張る魔術、絶対防御は風の抵抗をもろに受けるため使用することが難しい。
よって、一番の方法は被弾を回避することだった。
ネオンは箒を傾けながら、右へと躱していく。
こちらも追従しながら、エネルギー砲を撃ち続けた。
「やりにくいですね」
ネオンも攻撃を撃ってきているが、後ろ向きに放っているため、狙いを定めるのに苦戦しているようだ。
それに比べて、追っているこちら側は正面を向きながら攻撃ができる。
有利な状況を築き上げることに成功していた。
「そうくるなら、わたしもこうしちゃいますよ」
箒の先端がまたしても赤く光る。
さっきの超噴射を使ってくるか。
ネオンは大きな弧を描きながら、旋回していく。
そして、すれ違うように真横に。
オレの背後を取ってくるつもりのようだ。
「そうはさせねえよ」
推進力を得る魔術を用意していないわけではないが、急な旋回はかかるGやロスするエネルギーが大きくなってしまう。
ここはレイル・ティエティスの前世で得たオタク的知識の使いどころだ。
一度高度を上げ、運動エネルギーを位置エネルギーに変換。
その後、降下しながら旋回することで、貯めた位置エネルギーを運動エネルギーへと戻していく。
エネルギー損失の小さい旋回機動で、再度ネオンの背後を取った。
「やっぱりついて来ますか」
相手もオレが意図的に後ろのポジションを確保していることに気がついたようだ。
引き剥がそうと、急な旋回で何度も挑んでくる。
その度にこちらは効率的な旋回方法で追っていく。
このまま追いかけっこが続けば、勝つのはオレの方だ。
ネオンは急な旋回で損失した運動エネルギーを、魔術で強引に作り出した推進力で補っている。
要は魔力を多く消費しているということ。
ネオンの魔力がオレより多いのは入学試験の結果でわかっていたが、このままリソース勝負をしていけば有利な状況に持っていけるはずであった。
「このまま押し切ってやる」
まるで機関銃から放つかのように、次々と攻撃魔術をぶつけていく。
向こうの世界の戦闘機同士の戦いとは違って、こちらの攻撃にレーダー機能はない。
大部分の攻撃は明後日の方向に進んでいったが、段々と素早く飛び回るネオンに照準が合わさっていく。
「このままじゃまずそうですね。こんな感じですか?」
ネオンが垂直方向に柄を上げた。
そのまま彼女の高度は急上昇していき、すぐさま降下して旋回してみせる。
奴もこちらの効率的な飛び方を真似てきたか。
人が何日もかけて習得した飛行方法を、ネオンは一発で成功させてみせた。
旋回に失敗して墜落しないところが、さすがは異世界転生者ってところか。
やっぱり簡単には勝たせてくれないな。
彼女の後に続くように高度を上げ、同じ経路を辿っていく。
「どうやら飛行の性能はわたしの方がちょっとだけ上のようですね。このまま続ければ、いずれはわたしが背後を取れるんじゃないですか?」
ここ数分の空中戦でわかったことがある。
悔しいことに飛行の練度に関しては、ネオン・アスタルテの方が一枚上手だ。
推進力や揚力の発生度合いでは、オレの飛行が劣っていた。
さすがは飛行を開発した主というだけはあるようだ。
飛行の純粋な性能勝負では勝ち目がなさそうである。
「残念だが、オレが飛行で勝てないことなんて想定済みだよ」
空を飛ぶ原理について、ネオン本人に教わったくらいだ。
専門的な知識を持ち合わせていないオレが、飛行での勝負で彼女に適うはずがなかった。
一年近く空を飛ぶ研究していたからといって、オリジナルを越えられるなんて驕っていない。
ネオンはオレ以上に、飛行という魔術に慣れ親しんでいるはずだ。
だけど、オレは彼女が持っていない知識を持っている。
この世界で発展した魔術戦の知識が。
「離脱」
ネオンがちょうどオレの後ろに来たタイミングを見計らって、ある魔術を発動する。
一瞬で視界が切り替わる。
目の前に、箒に乗った制服姿の少女の背中が現れる。
――離脱。
それはフレディから教えてもらった、近年開発された瞬間移動魔術だ。
瞬間移動魔術として最も有名なのは瞬歩である。
使用者を一歩分だけ瞬間移動させる空間魔術。
対する離脱は使用者を三秒前にいた地点に瞬間移動させるものだ。
前に跳ぶのが得意なのが瞬歩だとしたら、後ろへ跳ぶことに特化したのが離脱である。
このように瞬歩と離脱は対を成す魔術だと思われがちだが、厳密には違う箇所もある。
最も大きなのは接地制限だろう。
瞬間移動距離が歩幅換算である瞬歩で跳ぶときは、地面に足がついていなければならない。
けれど、瞬間移動距離が時間を参照する離脱は、地面に足がついていなくても発動することができる。
要は空中戦でも使えるということだ。
後ろに戻るという魔術戦では逃げでしか使えない効果も、空中戦では化けることになる。
後ろを追ってくる敵の背後を一瞬で取れるという、超攻撃的な魔術に変貌を遂げるのだ。
「聖槍投射」
障壁によって生まれる風の抵抗を無視して、強引に絶対防御で対処される可能性もある。
攻撃魔術には、貫通力の高い聖槍投射を選んだ。
「――っ⁉」
突然背後から迫ってきた攻撃に、ネオンは虚を突かれたようだ。
ネオンは障壁を張るという選択肢すらも思いつかなかったようで、無理やり箒を傾けた。
急な方向転換だ。
しかし、この至近距離で放たれた攻撃を避けられるわけもない。
光の槍は一直線に進み、箒に生える透明な翼を撃ち抜いた。
ネオンの身体ごと、箒が空中で錐揉みする。
「これで終わりだ! 破撃砲!」
「飛行っ!」
ネオンの発動タイミングの方が一瞬だけ早かった。
上下百八十度回転している状態から、飛行を再発動する。
無理な体勢で飛行を発動すれば、コントロールもままならない。
けれど、結果的にその判断が吉だった。
体勢が悪いまま飛行を発動したことで、箒は無軌道な動きを描く。
奇跡的にネオンの身体は、破撃砲の射線から逃れていった。
「あー、冷や冷やしました。危うく撃ち落とされてしまうところでしたよ」
「くそっ、今のでやれないか」
箒から振り落とされそうな状態から、腕全体を使ってよじ登っていくネオン。
ものの見事に体勢を立て直されてしまった。
これで手の内を一つ見せてしまったことになる。
こちらとしては、不幸な展開であった。
やっぱりそう簡単には勝たせてくれないか。
異世界転生者の手強さを改めて思い知らされるのであった。




