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第六話 『ゼロからのスタート』

 目が覚めると、そこには見知らぬ天井があった。

 手を伸ばす。

 ちゃんと指はあって、握ったり開いたりもできる。


 どうやらオレは死んでいないようだ。

 それどころか腕の骨も折れていない。


 身体にかけてあった薄手の布団をどけて起き上がる。

 どの時間寝ていたかはわからないが、腰や関節の痛みから推測するにそれなりの時間横になっていたようだ。


 お腹も空いているし、喉も乾いている。

 生理的欲求が現れているということは身体が無事な証拠だ。


「あれが夢だったってことはないよな……」


 意識を失う前の記憶を思い出す。

 オレは馬車に乗ってプリシラに向かう途中、盗賊に襲われた。

 金や魔道具を奪われた後にリンチを受けて――。


「そうだ! 一億セス!」


 布団の周囲を見渡すが、オースティン家から持ち出したものは何も見当たらない。

 それどころか服も質素なシャツとズボンに変わっていた。


 どういうことだろう?

 考えを巡らせていると、部屋の木製の扉が開いた。


「あら、やっと目を覚ましたのね」


 姿を現したのは修道服を身に纏った女性だ。

 年齢は二十代半ばだろうか。

 髪は淡いピンク色のロングヘアー。

 柔らかな顔立ちをしていて、美人の部類に入るだろう。


 あと特徴的なのは胸の大きさだろうか。

 修道服の上からでもわかるほどのサイズがある。

 だからといって太っているというわけではない。

 手足や腰のラインは引き締まっている。

 スタイル自体がいいのだろう。


「誰だ、あんたは?」

「あんたじゃないでしょ。初対面の、しかも命の恩人に向かって。その口ぶりはないんじゃない?」


 シスターは腰に手を当てて、ムッとした表情を浮かべる。

 この口調がオレの平常運転だったが、今は相手の素性もわからなければ置かれている状況も理解できていないときた。

 ここは彼女の言う通りにして、情報収集に努めるべきかもしれない。


「悪かったな。口が悪くて。で、君は?」

「年下の子に『君』って言われるのもどうかと思うけど……。まあいいや。あたしの名前はニーネ・マルテッシュ。オーギスにある、このウルター孤児院を取り仕切っているシスターよ」

「ここはオーギスなのか……」


 扉の反対側にある窓の外を眺める。

 道路は舗装されておらず、道の向こう側に見える家屋の壁は塗装が剥げていた。

 屋根が傾いている家もある。


 目に入る通行人の服装も穴が空いていたり、布が継ぎ接ぎしてあったり。

 洗ってなくて黒ずんでいたり、見るからに貧しそうな装いをしていた。


 確かにここはオーギスのようだ。

 一角を切り取っただけでも、富んだ王都の街並みとは違っていた。


「そうよ。街の外で倒れていた君を知り合いの商人が見つけてね。ここに運んできてくれたの」

「じゃあ、怪我は?」

「あたしが治した」

「すごいな。治癒術が使えるのか」


 治癒術とは身体の怪我や病を治す魔法の総称だ。

 この世界の治癒術は向こうの世界の物語でよく見かける剣や魔法のファンタジー世界と違って、唱えればあっという間に傷が癒えるといった単純なものではない。

 数年に渡る高度な専門の魔術知識を学ばなければ会得できないものであり、使える者も数が少ないときた。


 発動方法も簡単ではない。

 基本的には大規模な魔法陣を用いた法陣術式によって発動され、怪我の種類や重症度をもとに魔法陣を調整しなければならないという、非常に繊細な術式だ。

 軽度な怪我の応急処置程度なら詠唱術式で治すことができないでもないが、それでも普通の攻撃魔術の倍以上の詠唱と魔力を必要とする。


 例えるなら向こうの世界の医術のようなものだろうか。

 医者になるためには相応の勉強が必要であり、限られた人しかなることができない。

 また医術のように万能ではなく、治せない病気も多い。


 強いて異なるところを挙げるなら、医術より怪我の治療を得意としていることだろうか。

 向こうの世界の病を治す医術の発展はこちらの世界と比べ物にならないが、怪我を治すことに関してはこちらの世界の治癒術が上回っている。


 モンスターや魔族、はたまた人間同士の魔術戦といった争いが絶えないこの世界。

 病より外傷で命を落とす人間の方が多いため、怪我を治す(すべ)が発展するのは当然のことだった。


「あら、褒めてくれるの?」


 ニーネが笑って答える。もちろんこれは素直な称賛だ。

 治癒術をマスターする者で、戦闘向け魔術に通じる者は数少ない。

 というのも、治癒術を極めるには莫大な時間と労力が必要であり、その他の魔術体系を学んでいる余裕がないからだ。


 逆もまたしかり。

 魔術戦を極めるとなると、治癒術を覚える時間と労力を取れなくなる。

 よって魔術戦を専門としていたオレも、治癒術は使えないでいた。


「だけど、残念だったな。助けてもらったところ悪いが、オレは一文無しだぞ?」


 そして治癒術のもう一つの特徴を挙げるなら、行使に莫大な魔力を必要とする点だろう。

 怪我の程度にもよるが、瀕死の人間を治療するとなると術者一人分の魔力を丸ごと消費してしまうこともある。


 魔力の回復には時間の経過が必須だ。

 治癒術師の数が限られているこの世界では治癒術によって救える命の数も限られていた。

 さすれば治癒術に決して少なくない値段がつけられるのも自然の成り行きだった。


 自分が治してもらった怪我の程度はわからないが、決して軽傷ではないはずだ。

 それを完治してもらったときた。

 相場で言うと、百万セスは超えるんじゃないだろうか?


 昔の自分だったらその程度の金額は問題なかったが、今のオレは一セスも持ち合わせていない。

 ない金を請求されても困ってしまう。

 途方に暮れているオレに対して、ニーネは苦笑を浮かべる。


「あたしが子供からお金を取ろうなんていう悪魔に見える? いいわよ。感謝の気持ちだけで充分だから」

「本気で言っているのか?」


 オレはニーネというシスターの正気を疑っていた。

 タダで人に治療術を施すなんて何を考えているんだ?


 確かに治療術師は金を持っている者が多く、懐に余裕があるのかもしれない。

 だとしても本来ならオレを治療した分の魔力を使って、他の人を治療することができたはずだ。

 なんの利益を得ることもなく、せっかくの金を稼ぐチャンスをふいにしたニーネの意図がわからなかった。


「本気よ、本気。というか、君に限ったことじゃないからね。ほら、この街はお金を持っていない人が多いから。あたしは治療術にお金を取らないことにしているの」

「……とんだお人好しだな」

「そのとんだお人好しに助けられたんだから、もうちょっと感謝の気持ちを見せてみたら? まあ、生意気なところも年相応の子供って感じでかわいいけど」

「まあ、感謝はしている……」


 そう指摘されると恥ずかしい気もして、つい感謝の言葉を述べてしまう。

 別にオレの物言いが上から目線なのも、長年の貴族生活で身についてしまったものだ。

 決してグレているわけではない。


 だけど、年上のニーネにとっては生意気盛りの少年といったように映ってしまうのだろう。

 顔を背けるオレに、ニーネは尋ねてくる。


「そこは素直にありがとうでいいと思うんだけどね。で、君の名前は?」

「オーラルド・オースティンだ」


 そこまで言って、ミスったと思う。

 思いっきり本名を名乗ってしまった。


 オースティンといえば、この国でも有名な家名だ。

 いくらここがオースティン家の影響力が強い王都ではないといっても、勘のいい人間だったらオレの素性を推測できるはずである。


 さすがにまだオレが勘当されたことまでは世間に知れ渡ってないだろうし、現当主の長男という身分もバレないかもしれないが、それでも四大貴族の関係者なことはバレてしまう。

 だけど、こちらの不安を他所にして、ニーネは「オースティン」という名前に気取られることなく言う。


「じゃあ、オーくんって呼べばいいのかな?」

「……ああ、好きにしてくれ」

「で、お父さんとお母さんは? 今、どこにいるの?」

「家からは追い出された。で、あてもなく彷徨っていたところ、街の外で盗賊に襲われた」


 嘘は言っていなかった。

 確かに家から追い出された経緯や一億セスのことは伏せていたが、そこまでは正直に言うこともないだろう。

 そう判断してのことだ。

 そんなオレの発言にニーネは目を伏せる。


「この教会に運び込まれた時点で訳ありなのかなって思ったけど、案の定ね……。一応聞くけど、家には帰ろうと思えば帰れるの?」

「無理だろうな。家族には完全に縁を切られたから」

「他に帰る場所は?」

「ないな」

「やっぱりね……」


 ニーネは深く息を吐いた。

 ため息を吐きたい気持ちもわからないでもない。

 拾った子供が、文無し家無しの人間だったら困り果てるのも当然だ。


 現にオレですら、自分の置かれた状況にため息を吐きたい気持ちでいっぱいだ。

 はて、これからどうしたものかと頭を悩ませていると、ニーネは大きく息を吸い込んで胸を叩いた。


「わかった。 そういうことなら、うちに来なさい」

「えっ?」

「さっき言ったでしょ。ここは孤児院だって。正直ね、うちはお金にも余裕がなくて、人一人増えるのも全然楽なことじゃないけど。困っている子がいたら見捨てられないもの。だから、今日からここが君の帰る場所よ」

「はぁ、そうか……」

「何、その反応⁉ こっちは結構な一大決心だったんだよ! それをあっさり受け流して!」

「別にあっさり受け流したつもりじゃないんだが……」


 確かにこの孤児院に住まわせてもらえるなら助かることは助かる。

 オレには住む家もないことだしな。

 まあ、だからといって感動ドラマのように涙を流したりしないのも事実だけど……。


「ここは『……ありがとうございますっ』ってあたしの胸に飛び込んでくるところじゃない?」

「そんなキャラに見えるのか?」

「見えないけど! 飛び込んでくるなら今のうちだよ!」

「いや、遠慮しておく」


 どうやらニーネはガチガチのテンプレ展開を期待しているようだった。

 期待に沿えなくて悪かった。

 というか、それを自分で言った時点で台無しだと思う。


「というわけで、これからよろしく」

「ああ、よろしく」

「そうだ。お腹も空いたでしょ? フィナ、こっち来て!」


 ニーネは扉に向かって大声で叫ぶ。

 しばらくすると、ドタドタという足音とともに一人の少女がやって来た。


「何? ニーねえ」

「今、この子が起きたから。お水と残ってるご飯持ってきてあげて」

「わかった」


 金髪のショートカット。茶色の瞳。

 くりくりとした目の明るい顔つきの女の子は、そう返事をすると、扉の向こうへと消えていった。


「今のは?」

「この孤児院の子だよ。フィナちゃんって言うの。とっても優しくて、いい子だよ」

「そうか」

「今年で十四歳だから、ひょっとしたら君と同じくらいじゃないかな?」

「じゃあ、同い年だな」


「それは良かった。今はフィナちゃんと同じ年代の子がいないからね。同い年の仲間が欲しかったと思うんだよ。良かったら、仲良くしてあげてよ」

「まあ、考えておく」

「素直じゃないなぁ」


 ニーネとそんなやり取りをしているうちに、金髪の少女が戻ってくる。

 手に持ったおぼんの上には湯気が上がったスープとパン。

 そして水の入ったコップが置いてあった。


「助かる」


 おぼんを受け取り、コップに入った水を飲んでいるとニーネが口を開く。


「で、自己紹介ね。この子はフィナ・メイラスちゃん。しっかり者で優しい女の子。ここではお姉さん的な感じで小さい子達の面倒を見てくれて、あたしとしてもとっても助かってるの」

「そんなっ! ニーねえに比べたら……」


 フィナと呼ばれる少女は恥ずかしそうに俯く。

 どうやらニーネに褒められたことに照れているようだ。


「良かったら、オーくんにもここでの生活のこと教えてあげてよ。オーくん、今日からあたし達の家の仲間になるからさ」

「うん、わかった!」

「あっさり受け入れたな」

「だって、ニーねえが決めたことだもん。文句なんてあるわけないじゃん」

「フィナちゃんはどっかの誰かさんと違って、素直でいい子ねー」


 そう言って、ニーネは近くにいたフィナの頭を撫でる。

 ニーネの意味ありげな視線がこちらに向けられている辺り、どっかの誰かさんとはオレのことなのだろう。


「で、自己紹介の途中だったね。新しい仲間のオーラルド・オースティンくん」


 ニーネはそう言うと、今度はオレの肩を叩いた。

 とりあえず会釈でもした方がいいのかだろうか?

 フィナの方を向いて反応を窺うと、彼女は目を見開いていた。


「オースティン……」

「どうかしたか?」

「オースティンってあのオースティンだよね……」


 フィナの瞳と声が震えている。

 ニーネには気づかれなかったが、どうやらフィナはその家名に心当たりがあったようだ。


「やだっ! こんな人、家に入れるなんて!」


 そう叫ぶと、オレが床に置いていたコップを持って、こちらに投げつけてきた。

 幸いにもコントロールは外れて直撃することはなかったが、残っていた水が床や布団を濡らしてしまう。


「フィナちゃん……」


 ニーネのその呟きで我に返ったようだ。

 唐突に暴力的な行動を取ってしまった自分に驚いていたのか、両手を見つめている。


「だって――」

「フィナちゃん!」


 その先を言い切る前にフィナは駆け出してしまった。

 すごい勢いで扉を閉じ、廊下へと消えていく。


「フィナちゃん……」


 ニーネはというと、フィナの突然の変貌ぶりに戸惑っているようだった。

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