第五十七話 『堕ちた天才VS二世魔術師』
「我が体躯、幾ばくかの刻に、解放されよ――持続強化」
「我が体躯、幾ばくかの刻に、解放されよ――持続強化」
戦いが始まるにあたって、お互いは持続強化をかけ直す。
こうして氷鬼の娘、クルシャ・エーデルティーとの戦いの火蓋は切られた。
「管掌する領域よ、迸る氷結によって、静寂の地となれ――氷面世界」
クルシャは即座に氷面世界という魔術を発動する。
氷面世界は地面を平らに凍らせ、氷のフィールドを作り出す魔術である。
展開された氷の面は摩擦が少なく、滑りやすくなっている。
一般的には相手の動きを封じる妨害系魔術とされているが、この魔術にはもう一つの使い道がある。
「滑走」
クルシャは自身の靴に仕込まれた魔法陣を起動する。
滑走は名の通り、地面との摩擦を減らして、滑りながら進めるようになる魔術である。
摩擦を減らすといっても、効果自体はそこまで大きくない。
摩擦の減少度合いを鑑みると、単体では斜面を下るときくらいにしか使えない魔術であった。
けれど、氷面世界と組み合わせると話は別。
二つの魔術は相乗効果を生み出し、術者にスピードスケーターが氷の上を駆けるような速さをもたらすことになる。
レイピアを片手に猛スピードで迫ってくるクルシャ。
どうやら彼女は接近戦をお望みのようである。
氷魔術のスペシャリストである彼女と氷上で戦うのは分が悪い。
オレも接近戦には自信があったが、それは普通の地形での話。
滑りやすく足場の悪いこの状況では本来の力を発揮できなかった。
氷面世界の上での戦いの経験値は天と地ほどの差がある。
氷面世界下の接近戦では、クルシャに勝てるはずもなかった。
「お前の得意分野に付き合ってられるかよ」
背を向け、距離を離すべく駆け出すオレ。
敵に背を向けるのはリスクもあるが、今は逃げるスピード重視だ。
後ろ向きで走っている余裕なんてない。
クルシャは氷面世界を再度発動して、氷のフィールドを広げながら迫ってくる。
「……ちょこまかと逃げて」
なかなか距離が縮まらないことに、苛立ちの混じった声を上げるクルシャ。
滑走での移動とただの持続強化下での走りじゃ、機動力に軍配が上がるのは前者である。
普通の魔術戦なら簡単に距離を詰められたが、あいにくこれは普通の魔術戦じゃない。
リーリエ魔導学園の学科特殊試験であった。
戦いの場所はケスラ大森林。
整備された魔術戦のフィールドではなく、草や木が生い茂る土地である。
木々が邪魔して直線的に進むことはできないし、地面も木の根や石でデコボコしている。
その上凍った草木が障害物となり、滑走が万全に発揮できない状況であった。
もちろん、これは偶然じゃない。狙い通りの展開だ。
今日の試験に備えて、オレは何度もクルシャとの戦いをシミュレートしていた。
その結果、ケスラ大森林という戦いの場では、氷面世界と滑走の合わせ技はそこまで脅威的ではないという判断を下していた。
こうして考えるとケスラ大森林が試験会場になったことはオレにとって有利に働くように思えるが、一概にそうとは言えない。
この地は草木に溢れている。
しかも、今は冬。空気が乾燥している時期だ。
炎魔術を使えば、一瞬で草木に火が引火し、森林火災が起こってしまう。
よって、試験では炎魔術を使用することを禁止されていた。
氷魔術の対策の一つとして、炎魔術で溶かすというものがある。
その対策は試験のルール上、使えないということだ。
氷魔術を得意するクルシャにとって、これは非常に追い風となる条件だ。
自分の得意戦法の対策法が一つ勝手に封じられたんだから。
炎魔術を使用して、氷面世界を解除することもできない。
だから、こうして逃げの一手を強いられているわけである。
「近づけない。なら――」
クルシャの握るレイピア型の魔道具に魔力が込められる。
滑走を解除。魔道具に刻まれた法陣術式が起動する。
ヤバい。あの攻撃が来る。
「撃ち出す鉄杭、その標を辿り、双方を手繰り寄せよ――射出移動」
オレは詠唱魔術を発動し、右手から鉄杭を発射した。
鉄杭はただの鉄杭じゃない。
杭の後端にはワイヤーがついていて、オレの手元へと繋がっていた。
鉄杭が向かう先はレイピアを構えたクルシャの方ではない。
明後日の方向にある大木に向けてだ。
杭が大木に刺さって固定されたことを確認すると、杭と右手の間にあったワイヤーを勢いよく縮める。
ワイヤーに引っ張られ、宙に浮く身体。
その僅か一秒後、さっきまでいた場所が木々とともに凍り付いていた。
輝剣アイシクルペイン。
それがクルシャの持つレイピア型の魔道具の名前だ。
その剣先に込められた法陣術式の効果は、刺突方向に寒波を放つというもの。
そして、生み出される寒波は氷点下を優に超える。
刺突の先にあったものは大気中の水分とともに凍り付き、一瞬で氷像へと成り代わった。
輝剣アイシクルペインの寒波を放つ効果の範囲は刺突速度に比例する。
クルシャの剣捌きはただでさえ洗練されているにもかかわらず、そこに直前まで行っていた氷面世界と滑走を合わせた高速移動の速度も加算されるときた。
何重もの要素が組み合わされた、必殺の一撃。
全力で放たれたアイシクルペインの寒波の効果範囲は、百メートルを越えることになる。
それは近距離武器の出していい射程ではない。
遠近両方に対応した、万能の奥義だ。
「本当に反則じみているよな……」
射出移動で横方向に移動していなかったら、今頃氷漬けにされていたことだろう。
輝剣アイシクルペインの寒波の射程は強力だが、弱点もある。
寒波の範囲は横方向に広くないのだ。
よって、アイシクルペインの攻撃を避けるなら、横方向に逃げるのが一番である。
その弱点を知らずに回避方向を間違えていたら、一発で勝負を決められていた可能性もあった。
「我が肉体よ、業火を燃やし、寒冷を挫け――加温状態」
射出移動によってオレとクルシャの距離が開き、戦いに息継ぎのタイミングが生まれる。
早期での決着は望めず、長丁場になると判断したのか、クルシャは加温状態という魔術を発動した。
氷魔術を複数展開していくと、場の気温が低下するという副次効果が発生する。
気温が下がれば、体温も低下する。
体温が低下すれば肉体の運動能力も低下し、そのまま体温が下がり続ければ凍傷などの致命的な怪我を負うことにもなった。
それを活かした氷攻めなんて戦法があるくらいだ。
かく言うオレも、氷攻めを入学試験でのジュイスとの戦いでブラフとして用いたが、気温低下によるスリップダメージを食らうのは何も攻撃を食らう側だけじゃない。
攻撃を仕掛ける側も対処しなければならないスリップダメージであった。
クルシャの父である氷鬼ギスフォン・エーデルティーは寒さ耐性の生体術式を持っていたおかげで氷魔術を使い放題だったが、娘である彼女は生体術式を持っていない。
よって、詠唱魔術によって対策する必要があった。
氷攻めに有効な魔術は主に二つ。
周囲の気温を上げる温暖領域という魔術か、自分の身体の体温を上げる加温状態という魔術である。
オレがジュイスとの戦いに使ったのは前者だったが、今回クルシャが使ったのは後者であった。
定石としてはこちらも氷攻めの対策魔術を展開していくべきだが、この戦いに限っては発動しないことを選ぶ。
魔術戦はフィールドの限られた範囲で戦わなければならない。
温暖領域や加温状態のような対策魔術は必須とされていたが、今回はケスラ大森林といった広大な範囲での戦いだ。
氷魔術の爆心地に居続けなければ、体温低下によるデバフはそこまで重くない。
クルシャから距離を取っていけば、氷魔術のスリップダメージからは逃がれることができた。
「大気に漂う氷粒よ、その身を凝集させ、洪大なる塊を作れ――氷塊落下」
「怒れし雷神、獰猛なる怒号を、大地に轟かせよ――雷撃降誕」
互いに距離が離れたということもあって、接近戦のフェーズは終わりだ。
中距離以上の射程の魔術を撃ち合っていく展開になる。
ちなみにオレが放ったのが氷塊落下、クルシャが放ったのが雷撃降誕だ。
氷塊落下はその名の通り、巨大な氷塊を生成して相手にぶつける攻撃魔術。
雷撃降誕は雷を狙った場所に落とす魔術である。
「流麗なる水竜よ、蜷局を巻きて、嵐を起こせ――水流竜巻」
「荒ぶる風々、砲門に宿りて、一筋の破壊をもたらせ――突風流砲」
加温状態も発動しなかった分、攻撃の先手を打つことができた。
こちらが攻撃魔術を放って、クルシャがそれを避けた後に反撃となる攻撃魔術を撃つことになった。
それをオレが避けて、また攻撃魔術を撃ち返すというリズムができてくる。
何発か魔術の応酬をやり取りした後にクルシャが口を開いた。
「この私に氷攻めを仕掛けてくるのね。随分と生意気じゃない」
「なんだ。もう気づいたか」
氷魔術と水魔術に偏った攻撃をしていた分、気づかれて当然といったところか。
そう、オレは氷魔術のスペシャリスト相手に、向こうの得意分野で挑もうとしていた。
クルシャほど氷攻めに精通している魔術師となると、もちろんその対策方法も熟知している。
自分が好んで使う戦法な分、色々な相手に対策をされてきた経験があるからだ。
だけど、この勝負に限っては氷攻めこそが、クルシャ攻略の鍵になると考えていた。
氷攻めの主な対策方法は二つ。
先にも言及した通り、温暖領域で一定範囲内の気温を上昇させるか、加温状態で自身の身体を熱するかである。
そして、その二つにはそれぞれ利点と欠点がある。
温暖領域の利点は気温自体を正常な範囲内に戻すため、術者が普段通りのパフォーマンスを発揮しやすく、発動する魔術も寒さの影響を受けない。
水魔術を発動しようと、凍りつくこともなくなる。
逆に欠点は消費魔力が多いのと、エリア外に出た時点で温暖領域の恩恵を受けられなくなることだ。
逆に加温状態の利点は消費魔力が少ないことと、エリアに縛られることなく自由自在に動けること。
欠点は常に体温が高い状態で戦わないといけないため、体力消費が激しいことだ。
両者の欠点は一つの魔術に絞らないで、もう一つの魔術も組み合わせていくことによって補うことができる。
けれど、今回の戦いに限っては加温状態のみしか使用することができなかった。
というのも魔術の分類上、温暖領域は炎魔術に入ってしまうのだ。
炎の精霊よ、その抱擁にて、安息の場を制定せよ――温暖領域。
気温を上昇させる効果を持つ温暖領域だが、その詠唱が示す通り、炎魔術が起源となる術式である。
逆に加温状態は名前からは炎魔術だと思われがちだが、厳密な定義を用いると持続強化のような身体強化魔術の一種であった。
起源になるとはいえ実際に炎を扱わない温暖領域が炎魔術の分類に入ったままなのはおかしいんじゃないかと自分でも思わないでもないが、こればかりは魔術の世界にありがちな謎裁定なので仕方ない。
権威のある魔術師が決めたことなので、一学生の身分では覆しようがなかった。
そして、この学科特殊試験では森林火災を防ぐために、炎魔術は一様に禁止されている。
そう、温暖領域もその禁止魔術の中に入ってしまうのだ。
氷魔術の気温低下にクルシャは加温状態でしか対処することができない。
それは体力面で大きな不利を背負うということだ。
しかも、今戦っている場所はケスラ大森林の中腹。
試験が始まってから、オレが持続強化を常に発動し続けて、たどり着いた地だ。
追いついてきたということは、クルシャも試験が始まってからずっと持続強化をかけ続け走ってきたということ。
戦いが始まる時点で、それなりの体力を消費しているはずであった。
そこに加温状態での戦いを強いられるとなると、かなりの負担となる。
長期戦はまず不可能なはずであった。
「氷攻めなんかが私に通用するとでも?」
遠目にクルシャがレイピアを構えているのが見て取れる。
けれど、その声は息が上がっているようにも聞こえた。
「現に通用しているだろ。だからこそ、虚勢を張って氷攻めを止めさせようとしてきてるんだろ?」
「どこまでも狡猾な男ね……。オーラルド・オースティン」
姑息と言われようと、氷攻めを応用した体力削りに活路を見出したのだから仕方ない。
かつて魔術戦魔導師を目指した者として、勝利にこだわるのは当然のこと。
狡猾なんて言葉は、むしろ褒め言葉として受け取りたいくらいであった。
「さてお前はこの状況、どう打開するんだ?」
氷攻めの突破方法としては温暖領域と加温状態の他にも、強引なものとして炎魔術を連発して、周囲の氷を溶かしていくというものもある。
だけど、学科特殊試験のルールの中じゃ、その強引な手段も取れない。
炎魔術は禁止されているからだ。
よって、クルシャの取れる打開策は主に二つ。
氷攻めから逃れるべく距離を離して勝負を仕切り直しにするか、消耗覚悟で無理やり接近戦に持ち込むかの二択である。
この森で長距離魔術以上のレンジに移行するということは、お互いの姿を目視できない状況になるということである。
そして、姿を隠した状態から攻撃するゲリラ戦の状況なら、圧倒的にオレに軍配が上がる。
ゲリラ戦は戦争などに用いる戦術級魔術の得意分野だ。
そして、オレはネオン・アスタルテを倒すべく戦術級魔術を学んでいた。
異世界転生者を倒すために用意したカードが、ここで活きてくるのだ。
対するクルシャは魔術戦専門の魔術師である。
この学園に来る前のオレと同じく、戦術級魔術に疎いはずであった。
詠唱が長かったらしかったり、複雑な法陣術式が用いられる戦術級魔術だが、向こうの攻撃を食らわない状態で放てるなら、これより心強いものはない。
威力や射程は魔術戦魔術の数倍あるし、効果も魔術戦魔術では見られないような複雑なものが多かった。
現にオレは戦いを始める前から白鳩索敵という戦術級魔術を展開していた。
これは鳩型の飛翔物体を空に飛ばし、その飛翔物体に取り付けられた目の視野を得られるというものだ。
飛翔物体は事前に定めた軌道上しか周回することができないという制約があるものの、この魔術が戦争に有効なのは自明の理だろう。
現に戦術級魔術の中では有名な魔術であった。
白鳩索敵は宝探しのために発動していた魔術だ。
オレの頭上を滑空するように飛行軌道をプログラムにしてあった。
けれど、この魔術はクルシャとの戦いにも利用できる。
このままゲリラ戦に移行していけば、白鳩索敵で一方的にクルシャの居場所を掴めるこちらが有利であった。
白鳩索敵は有名な魔術であるため、戦術級魔術を学んでいるものなら鳥が飛んでいる光景を見るだけで警戒するものだ。
けれど、クルシャは鳩型の飛翔物体に目を向けることもない。
こちらが白鳩索敵を発動していることに気づいていないようであった。
白鳩索敵もあることだし、オレとしてはクルシャが氷攻めから逃れるために距離を離してくれた方がありがたい。
けれど、クルシャにはもう一つの選択肢もある。
無理やりにでも接近戦に持ち込むというものだ。
そうなると、結果的に純粋な力比べをしていく展開となる。
自分としてはあまり歓迎しない展開だったが、その場合のプランもしっかりと立てていた。
接近戦に持ち込まれるのは分が悪い。
だから重要なのは距離を縮められる前に、どれだけクルシャのリソースを削れるかであった。
体力を大幅に削れた状態で接近戦に移行できれば、オレの勝ち。
不利な接近戦をリソース差で押し切ることができる。
逆に余裕を持った状態で近づかれてしまえば、クルシャの勝ちだ。
輝剣アイシクルペインの刺突や、もう一つの得意魔術である後方への広範囲攻撃、氷墓之翼に絡めとられてしまう。
「まあ、近づいてこれるなら来てみろよ。近づかれる前にお前を削り切ってやる」




