第五十話 『お泊まり騒動』
ユネとフレディと夜通し、魔術戦の試合を観戦した翌朝。
浪漫魔術研究部の部室からそのまま教室へと向かっていたところ、廊下で見知った顔を見つける。
「おお、フィナ。おはよう」
オレ達が一緒に住んでいることは学校の人に内緒にしている。
周りに人がいれば挨拶はしなかったが、あいにく今はどちらも知り合いを連れていなかった。
軽く手を上げて挨拶すると、フィナは目を見開きながらこちらの手首を掴んだ。
そのまますごい力で引っ張られる。
「おい? ちょっと」
道行く生徒の存在を無視して、どんどんと進んでいくフィナ。
あまりに怖い顔をしていたため、引っ張られるまま従うことにする。
人気のない階段下のスペースにたどり着くと、ようやくフィナが口を開いた。
「ねえ、どこ行ってたの⁉ 昨晩帰ってこないで!」
「あっ……」
大事なことを忘れていたのに今、気がついた。
昨日フィナに学校に留まるって言ってなかったわ。
我が家の家事は分担制だ。
料理の担当はフィナであり、昨晩の夕食もフィナが作っていたはずだ。
ご飯を用意しなくていいと言い忘れたことに申し訳なさを覚える。
「ごめん。夕食要らないって言い忘れてたわ」
「それもそうだけど! そうじゃなくて、心配したんだよ? 帰ってこないから!」
「ああ、そっちもあるか……」
それは悪いことをした。
何も言わずに急に帰ってこなかったら、普通は心配するよな。
もし逆の立場になって、フィナが帰ってこなかったらオレでも心配する。
「ごめん。言い忘れたんだ。今度からちゃんと事前に言うようにするから」
「へぇー、そういうこと言うんだ」
「えっ? 怒ってる? ちゃんと謝ったのに?」
「肝心なこと謝ってないじゃん。反省もしてないみたいだし」
睨みを利かせてくるフィナ。
彼女が何に怒っているか、皆目見当もつかなかった。
ご飯のことも、事前に言わなかったことも謝ったよな?
となると、あれか?
昨日の分の分担された家事をやってなかったことか?
小首をかしげていると、フィナは口を開く。
「約束破ったこと謝ってくれないの?」
「約束? なんのことだ?」
「もしかして忘れてたの?」
さらに目つきを鋭くするフィナ。
昨日、フィナと約束なんてしてたっけ?
食材などの買い物は普段フィナ一人で行っている。
どこかに遊びに行くなんていう約束もしているわけないしな。
孤児院にいた頃行っていた魔術戦の指導や手合わせも、今はフィナの研究部が忙しかったり、オレが戦術級魔術の勉強に集中したかったりで止めていた。
約束の内容とやらに何も心当たりがなかった。
「ごめん。本当になんで怒ってるかわからないんだけど」
「オーラルド、前に言ったじゃん。誰かと付き合ったり女遊びとかしないって」
それは言ったけど。
って待て。このタイミングでその話題が出てきたってことはあれか?
フィナは盛大な勘違いをしていることになるぞ?
慌てて弁明することにする。
「いや、違うぞ。昨日帰らなかったのは。そういうんじゃなくて――」
「いいよ、嘘つかないで。男子がそういう生き物だっていうのはわかってるから」
「何もわかってない! いいから話を聞いてくれ!」
フィナの両肩を揺すって、事情を説明する。
「昨日は学校に泊まっただけだから。魔術戦の勉強がしたくて。フィナが思っているようなことは何もなかったから」
「本当に?」
「ああ、本当の本当だ。ただ部室で魔術戦の試合映像をずっと観てただけだ」
「じゃあ、そこに女の子はいなかったんだね?」
「……えっ?」
一応ユネがいたから、女子がいなかったわけではない。
不自然な間に気がついて、フィナは小さく呟いた。
「いたんだ……」
「確かに一人いたけど! フィナが思っているような関係じゃなくて――」
「じゃあ、浮気じゃん!」
「なんでそうなる⁉」
そもそもオレ達は付き合ってないから、たとえユネとそういう行為をしていたとしても浮気じゃないのでは?
という言葉は飲み込んでおくことにする。
火に油を注ぐだけのような気がするしな。
他人の地雷をよく踏みがちなオレでも、それくらいは察することができた。
「浮気じゃないから! 怒らないでちゃんと話を聞いてくれ!」
こうして始業の鐘が鳴るまで、フィナへの弁明に時間を費やすことになるのであった。
*
「今から緊急会議を行おうと思う」
その日の四限目と五限目の間の休み時間が始まって早々。
オレとユネの席の周りに三馬鹿が集まりだした。
ちなみに今の発言は性欲馬鹿のグゲスのものだ。
相変わらずグゲスのことが嫌いなユネは、しかめっ面をしながら口を開く。
「会議でもなんでもいいですけど、机の周りで集まらないでくれます? 迷惑なんですけど」
「会議の出席者は挙手をしてから発言するように」
「えっ⁉ うち、いつの間に出席者の中に入れられてませんか⁉」
こいつらがなんの断りもなく巻き込んでくるのはいつものことだ。
追い返すことを諦めて、手っ取り早く会議とやらを終わらせるために話を聞いてやることにする。
「で、何について話し合うっていうんだ? どうせくだらないことなんだろうけど」
「実はこの中に裏切り者がいることが発覚した」
グゲスは机に肘を乗せて、手を組み合わせる
真剣な表情と声色だが、騙されてはいけない。
こういうときに出てくるのは、大抵くだらない内容だった。
「裏切り者の自覚があるやつは今すぐ名乗り出ろ。今なら火あぶりで許してやる」
「火あぶりって死ぬじゃねえか。ユネ、自首はしない方がいいぞ」
「なんでうちが裏切り者前提で話を進めようとしてるんですか! 何もしてないっすよ!」
「何、ふざけてんだ。裏切り者はお前だよ、オーラルド!」
「オレ?」
グゲスに指を突きつけられ、思わず目を見開く。
三馬鹿の仲間になったつもりないが、裏切り者と糾弾されるようなこともしていないはずだ。
戸惑いを隠せず、とりあえず思ったままのことを口にする。
「言っておくけど、何もしてないぞ。ただの勘違いじゃないか?」
「被告人は静かに。証拠は出揃ってるんだ。フレディ、あの情報を」
「はい」
眼鏡を中指でくいっと上げ、フレディは喋りだした。
「六月二十日の朝八時頃。北校舎東階段の下のスペースで被告人が女子生徒と揉めている姿が目撃されています」
「あっ……」
六月二十日は今日である。
今朝といえば、学校に泊まることを言い忘れ、フィナに怒られたことが記憶に新しかった。
しまった。目撃されてたか。
確かにフィナをなだめるのに時間がかかったもんな。
その間、フィナは周りの目も気にせず、恨みつらみをぶちまけてきた。
たとえ人気のない場所に移動したつもりだったといっても、他の生徒に見聞きされてもおかしくない状況だった。
「女子生徒の名前はフィナ・メイラスさん。同じ一年で戦闘魔導科のBクラスの生徒ですね。言い合いの一部始終は不明ですが、浮気がどうのこうのという内容でオーラルド君が詰め寄られていたみたいです。複数の生徒が同じような証言をしていることからも、事実である確率は99.9%かと」
しかも聞かれてたの、そこかぁ~。
よりによって、一番切り取られたくない部分であった。
「いや、違うぞ。それは――」
「だから、被告人は静粛に。情報はまだ続きがある。次はジャン、おぬしの番だ」
「おう、これはBクラスの生徒からの情報だな。オーラルドを糾弾していた女子生徒は、その足で教室に戻ったそうだ。しかし、クラスの中には一連の騒動を聞いていた者がいた。そして、なんで揉めていたか問いただしたそうだ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。そして女子生徒は素直に自白したそうだ。オーラルドとはこの学校に来る前にいた孤児院で一緒に暮らしていたこと。そして付き合っているわけじゃなないが、今も二人で一緒の家に住んでいることを」
言っちゃったかぁ~。
オレとしては頭を抱えたい気持ちだった。
学校生活を平穏に送るために、オレ達が知り合いなことは秘密にすると決めていた。
オレの評判は既に地に落ちているので、一緒に暮らしていることがバレてもそこまで問題がない。
しかし、フィナの方は大きなダメージとなるだろう。
学生にもかかわらず、男と同棲してるってだけで遊んでいるというイメージを持たれてしまう。
しかも、その相手が悪い噂の絶えない男ときた。
これは完全に言い逃れできない状況だろう。
フィナの学生生活、ご臨終のお知らせである。
まあ、あいつのことだから、問い詰められて嘘がつけなかったんだろうな。
良くも悪くも正直なところがある奴だから。
急な問いかけに頭を混乱させ、事実を口にしてしまった姿が容易に想像できた。
「被告人、この女子生徒が話した内容は事実であるか?」
「まあ、そうだな……」
「うわっ、反省の色もないときた! 付き合っていない女と一緒に住むなんていう爛れた性生活をしておいて! おぬしは学生の本分を忘れたのか!」
「顔と性格が爛れた性生活みたいな奴に言われたくないわ」
「それってわいの顔と性格が、爛れた性生活をしてそうなイケメンってことか?」
なんでそういうところだけ無駄にポジティブなんだよ。
顔はともかく、性格に関しては爛れた性生活をしてそうなところが一ミリもないわ。
「言っておくけど、フィナとはそういうことを一度もしたことがないぞ。家族みたいなものだし」
「はぁ? 家族だぁ? そんな言い逃れができるか! 年頃の男と女が同じ屋根の下で暮らして、セックスしないわけないだろ!」
「そんなことはねえだろ……」
お前はもうちょっとオブラートに包んだ発言をしろ。
大声で叫ぶから、クラス中のやつがこっち見てるじゃん。
女子なんてみんな顔をしかめてるし。
「こんな不条理が許されるのか。わい達は男だけで悲しい青春を送っているっていうのに……。かたや顔がいいというだけで、かわいい女の子とイチャイチャ同棲生活を送ってるなんて」
「お前に関しては、自ら悲しい青春を送ろうとしてるだろ……」
「わいもフィナたんに裸エプロンでお帰りって言われたいぃぃぃ!」
いや、オレもそんなことされたことないから。
フィナのことをなんだと思ってるんだ?
「っていうか、『フィナたん』とか呼んでるけど、お前フィナのこと知ってるのか?」
「俺とグゲスは一応知り合いだぞ。同じ魔術戦研究部の部員だし」
ジャンとグゲスって魔術戦研究部だったんだ。
フレディと同じく短くない付き合いだが、こちらも今になって初めて知った。
「フィナたんはわいが狙ってたおんにゃのこの一人だったのに……。先に手をつけおって……」
「おい、フィナに手を出したら殺すからな。冗談でもそういうこと言うな」
「……はい」
本気の顔で凄むと、こくこくと頷くグゲス。
オレには何を言ってもいいが、フィナにセクハラなんてしてみろ。
マジでただじゃおかねえからな。
「オーラルドも珍しくここまで言うってことは、一緒に暮らしてるだけってことはなさそうだよな。ユネはいいのか?」
「うちですか?」
「いつも一緒にいただろ。俺はてっきり、お前たちが付き合うものだと思ってたからさ」
ジャンのとんちんかんな発言に、ユネは手を横に振る。
「うち達はそういう仲じゃないですよ。ただの友達ですから。それにオーラルドくんに恋人っぽい人がいるのは薄々勘づいてましたから」
「えっ、そうなの?」
「はい。お弁当があからさまに女の子が作ったっぽいものでしたし。ハンカチとかも時々女物を使っていましたから。一緒に住んでいる女の子がいるのかなぁとは思っていました」
完全に初耳だったんだけど。
やっぱり女ってそういうのに敏感なんだな。
自分の脇が甘かったというか、今度から気をつけよ……。
「ってか、浮気について問い詰められたのって、昨日学校に泊まってたせいですか? 急な話だったからあれですけど、一緒に住んでいる女の子がいるならちゃんと説明してあげないと、かわいそうじゃないですか!」
「おい、待て! おぬし! 学校に泊まったとはなんだ? もしかしてユネたんと一緒に泊まったわけじゃないよな?」
「いや、ユネも一緒だったけど……」
「余罪を吐きよったな! 死刑じゃ! 即刻火あぶりにしろ!」
えっ、これでも反応するの?
本当に面倒くさい奴である。
「そこまで接点のないフィナたんはまだしも、ユネたんという我らのグループの紅一点を汚すなんて許せねえ! わいはガチで怒ったぞ!」
「汚してねえから。お前、そんなユネに本気だったの?」
「ああ、わいの二十六番目の本命の女や」
「二十六番目は本命って言わねえよ……。どこから来た? 二十六って数字」
「知ってるか? このクラスにおなごは二十六いるんだぞ?」
「誰がクラス最下位じゃ! ぶち殺しますよ、ほんとに!」
「安心しな。実際にイケそうなランキングでは一位やから」
「はい、殺しますー! 絶対殺しますー!」
机に両手を叩きつけながら、立ち上がるユネ。
グゲスは一度ユネに殺されてもいいと思う。
これ本当冗談とかじゃなく、マジで。
「ユネ、殺すんだったらバレないようにやれよ」
「はい。グゲス君を殺して捕まるのなんて馬鹿らしいですから」
「わいを本格的に殺す計画立てんなんや! あれか? この一致団結感が一晩を共に過ごした匂わせっていうやつか?」
「お前まだそんなこと言ってるのか……。っていうか、昨日学校に泊まったって、そこにいるデータ馬鹿も一緒だからな。何もなかったことはそいつから聞けよ」
「……えっ?」
グゲスは目を見開きながらフレディの方に視線を向ける。
そして、パクパクと口を開いた。
「さらに深刻な事態が発生した。我らの中に裏切り者はもう一人いたようだ」
「オーラルド君、それを言っちゃ駄目ですよ……」
フレディは頭を抑えながら、首を横に振る。
グゲスはフレディの襟首を掴んで立ち上がった。
「オーラルドの裏切りは百歩譲って許せるが、わい達側のフレディの裏切りとあっちゃ許せねえなぁ!」
「なんでそうなるんですか。ユネさんと何もなかった確率は99.9%ですよ」
「0.01%はあるってことだな?」
「違いますよ! ないです、0%ですから許してください!」
「いや、まず同類だと思ってたのにちゃっかり女子とお泊まり会をしていること自体が許せねえ! わいもユネたんとお泊まり会したいおー!」
「嫌ですよ、襲われそうですし……」
そんなこんなでうまい具合にフレディにヘイトが向かっていき、オレとしては命拾いしたのであった。
フィナの方は知らん。自業自得である。




