第五話 『報い』
オースティン家から追放されたオレは、その足で最寄りの馬車乗り場へ向かうことにした。
この世界の主な交通手段は馬車である。
馬車という言葉の響きは向こうの世界と同じだが、こちらの世界の馬車は向こうの世界の馬車とは微妙に異なる。
まずこの世界の馬はモンスターであり、自身の魔力を使って、ものすごいスピードで駆けることができる。
そのため、馬車自体のスピードも向こうの世界の馬車より速かった。
この世界の公共的に使われる馬車のサービスには二種類ある。
一つは定められた目的地に向かって走る集団用の馬車。
もう一つは指定した目的地まで向かってくれる個人用の馬車だ。
向こうの世界の交通サービスで当てはめるなら、バスとタクシーみたいなものだろう。
オースティン家にいた頃なら家にあった馬車を使うことができたが、既に勘当された身。
公共の馬車を使わなくてはいけないのが、悲しいところである。
とりあえず個人用の馬車を頼むことにする。
今のオレは一億セスもの大金を持っている。
あとは元々自分が持っていた高価な魔道具など。
それがオレの全財産のすべてだ。
この金が盗まれるわけにはいかないので、たとえ割高だったとしても個人用の馬車を取ることにした。
「じゃあ、今すぐ出してくれ」
「行き先は?」
「うーん、そうだな……。プリシラにしようか」
プリシラはアルジーナ王国でも有名な都市の一つだ。
この王都エクゼシリアから南東に位置する都市であり、アルジーナ王国の第三の首都とも言われている街である。
魔術の研究で有名であり、王都にも匹敵するレベルの教育機関もある。
最先端の魔術を学ぶためには絶好のロケーションだろう。
付け加えるなら、王都からかなり距離があるため、顔見知りが少ないこともありがたい。
オレが打倒異世界人のために動いていることは、直接レイルと矛を交えるときまで伝わってほしくないしな。
「プリシラですか……。遠いですね……」
「何か問題か? 金ならあるぞ?」
「そっちの問題もありますけど、この時間に出るとなると、日が暮れる頃にオーギスの辺りを通ることになりますから……」
「ああ、あそこは治安が悪いんだっけ?」
オーギスはアルジーナ王国でも有名な貧民街だ。
王都の近くにあり、王都で夢破れたものが住み着く吹きだまりである。
あの街には盗賊やギャングといった裏世界の住人も多い。
オーギスを取り締まるのも財を溜め込むことしか考えていない悪徳貴族のため、近辺は無法地帯と成り果てていた。
一晩王都で過ごしてからプリシラに馬車を走らせるという選択肢もあったが、自分は王都で悪評高かった貴族である。
誰に恨まれているかわかったもんじゃなく、オースティン家という後ろ盾を失った今、いつ報復されてもおかしくなかった。
夜にオーギスの近辺を通るのはリスクがあるが、王都で一晩過ごす方がリスクは高いように思える。
それに街の中を直接通るわけでもないし、そこまで危険ってわけでもないだろう。
「構わん。今すぐプリシラに向かってくれ」
「いいんですか? 知りませんよ?」
「構わないって言ってるだろ。さっさと出してくれ」
御者にそう指示を出すと、車体の中に乗り込む。
車体の前に拵えられた座席に座る彼もこちらの指示に納得したのか、馬車が発進した。
いくらこの世界の馬車が速いと言っても、プリシラまでは数日かかる。
その長い移動時間を無駄に過ごすこともないだろう。
オレは生きられる時間が限られているのだ。
打倒レイルに向けて、できることを今からでも始めていくべきだ。
まず手を付け始めることといえば、無詠唱魔術を習得することだろう。
レイルに勝つには少なくとも、今の時点でオレが異世界転生者に劣っている点を補わなければいけない。
現地人がもっとも劣っている点といえば、やはり魔術に詠唱が必要なことだ。
魔術の発動にラグがあるのとないのでは、戦いにならない。
それに早期に無詠唱魔術を会得することは、魔力量を上げることにも繋がる。
よって、優先順位が一番高い事柄のように思えた。
「あとは、どの魔術を無詠唱化するかだよな……」
いくら異世界の知識があるといえども、一つの魔術を習得するには時間がかかる。
異世界転生者のレイルですら一つの魔術を覚えるにはそれなりの時間が必要だったようだ。
それを実践レベルに昇華するとあれば尚更なこと。
よって、特訓する無詠唱魔術の種類も選別しなければならない。
とは言っても、一番初めに習得する無詠唱魔術なんて一択だろう。
近代から続く魔術戦の基礎となる身体能力向上系の魔術しかあり得ない。
それはこの世界の魔術戦に通じる者なら、誰しもが納得する事柄だ。
そもそも近代魔術戦とは何か。
それは魔術を用いた人類の長い戦いの歴史の中で、ここ二百年で編み出された戦法に用いられる言葉だ。
二百年以上前の人類はそれこそゲームやラノベのファンタジーのように、魔術専門で戦う魔術師と肉弾戦専門で戦う戦士に分かれていた。
魔術の発動には詠唱が必要で、発動までタイムラグがある。
距離が離れた戦闘には有用なものの、近接戦闘に魔術を織り込むのは至難の業だ。
眼前にいる敵を数秒間のラグがある魔術で倒すよりは、剣で斬った方が手軽であったのだ。
ただよくある剣や魔術のファンタジー世界とは違ったのは、肉弾戦を専門とする人間も魔術を行使したことだろうか。
遠距離魔術師が数多もの魔術を使い分けるとするなら、近接戦士が使用する魔術はたった一つである。
全般的な身体能力を向上させる効果を持つ、「身体強化」という魔術だ。
魔術を使わないで殴るより、魔術で強化した肉体で殴った方が強い。
単純明快な理だった。
しかし、詠唱を用いる魔術は同時に一つしか発動することができない。
人間の口は一つしかないため、これは詠唱魔術を使用する上での大原則だった。
戦士は身体強化を展開している間、詠唱を続けなくてはならず、他の魔術を行使できないということだ。
よって、古代の魔術戦は敵を近づける前に倒す遠距離魔術師、身体強化で距離を詰めて肉弾戦で敵を倒す近距離魔術師という構図になっていた。
そんな古代の魔術戦を一新したのは、あるとき発明された、たった一つ魔術であった。
その名を「持続強化」という、この現代において、もっとも有名な魔術だ。
最初に持続強化という魔術を発明したのは、とある遠距離魔術師だった。
身体強化で強化された肉体で素早く距離を詰めてくる近接魔術師に対抗すべく、編み出された魔術である。
その魔術の原理は至って単純。
三分という限られた時間だけ、身体能力を向上させるとプログラムされた魔術であった。
持続的な身体強化の魔術を得られたことによって、魔術師は持続強化を展開して、後は遠距離魔術を使って攻撃していくという戦法が取れるようになった。
その後の魔術戦の革命は凄まじいものだった。
一度遠距離魔術師に持続強化を発動されてしまえば、身体強化による身体能力にものを言わせて距離を詰めるのは難しくなってしまう。
近距離魔術師はどうやって数メートルの距離を詰めるのかに命を注いでいたのに、その距離が数十倍にも伸ばされてしまったようなものだ。
そんなわけもあって、持続強化が発明された後の時代では、一時的に近距離魔術師が絶滅に近い形まで追い詰められてしまった。
そんな苦行に立たされた近距離魔術師はどうしたか。
それは近距離魔術師ですら、持続強化を用いることだった。
持続強化は身体強化よりも向上する身体能力が低いという弱点がある。
だが、それにもまして他の魔術を使えるようになるというメリットが大きかった。
結果、近距離魔術師は持続強化を展開しながら、遠距離攻撃魔術を防御系魔術で防ぎ、距離を詰めて戦うという戦法に置き換わったのだ。
そして、近代魔術戦の時代が長らく続き、現在の魔術戦環境へと移行していった。
現在までに様々な戦法の流行があったが、現代魔術戦の基礎はすべて近代魔術戦と同じだ。
持続強化を展開した後に、魔術や体術で戦う。それに尽きる。
よって、持続強化を使えない魔術師はいない。
戦争などの大規模な戦闘を除けば、誰しもが戦いを行うにあたって使用する魔術であった。
現在では持続強化も発展してきて、持続時間を短くした分、さらに身体能力を向上させる一分持続強化。
魔力の燃費や性能は劣るが、その分持続時間を長くした五分持続強化など。
様々なものが発明されている。
他にも機動力だけを重視した速度持続強化。
力の強化に重きを置いた膂力持続強化など。
持続強化だけでも奥が深く、持続強化を極めしものは現代魔術戦を制すとまで言われるほどだ。
そんな現代魔術戦の環境において、異世界転生者というのは別枠の存在だ。
というのも、まず持続強化を使う必要がない。
持続強化が身体強化に勝っている点は、持続的な効果によって、身体能力を向上させている間にも他の魔術を使用できることの一つだけだ。
あとは魔力の消費効率も、能力の向上幅も身体強化に軍配が上がる。
よって、理想論を言えば、身体強化を展開しながら他の魔術を使って戦うことが最強の戦法である。
そして、魔術の行使に詠唱が要らなく、魔術を同時に二つ以上発動できる異世界転生者にとって、それは不可能なことではなかった。
レイルの過去を覗いたところ、例に漏れず彼も無詠唱化した身体強化を展開しながら戦っていた。
無詠唱で魔術を使えるってだけでも異世界人は反則なのに、体術でも軍配が上がるときた。
ズルもいいところである。
ボコボコにされるのも当たり前だった。
というわけで、彼に倣い、オレが最初に習得する魔術も身体強化にしようと思っていた。
魔術戦の戦法の変移にはしばし、メタゲームという言葉が使われる。
あっちの世界だと、カードゲームやネット上の対戦ゲームで使われる言葉だ。
意味も大体同じ。
強い戦法がでると、それに対抗されるメタ戦法が発明される。
そして、その対抗策が最強のトップメタとなると、それに対抗するメタがまた発明される。
そうして魔術戦の戦法はコロコロと移り変わる。
オレも魔術戦を嗜む者であり、魔術メタの遷移には人一倍敏感な自信がある。
そんなオレから言わせれば、新しいメタを頑張って開拓するよりも、現環境で強いとされているトップメタの戦法で戦った方が手っ取り早いし、自然と戦績も良くなる。
強いとされているからトップメタなのだ。パクリこそ正義。
オレがこれから行おうとしているのも、レイル・ティエティスの魔術、丸パクリ作戦だった。
おそらくまだ開拓されていない無詠唱魔術環境において、無詠唱身体強化は最初のトップメタになる。
そう推測できるからこそ、手始めに無詠唱の身体強化を練習していこうと思ったのだ。
もちろん、オレは詠唱ありの身体強化はできる。
ということは、後はそれを無詠唱化するだけである。
レイルが用いるオリジナルの無詠唱魔術を習得するよりはずっと簡単なはずだ。
それに身体強化の良いところは、魔術の発動に場所を選ばないところだ。
火を起こすような派手な魔術ではないため、こうして馬車に揺られている間にも特訓することが可能であった。
これからプリシラにたどり着くまでの数日間、ひとまずは身体強化の無詠唱化にすべての労力を費やしていくことにしよう。
*
「おい! 動くな! その場に伏せろ!」
夜も更けて、草木も眠る頃合いとなってきた時間帯。
オレはというと、馬車の外に立たされ、無数の人間に取り囲まれていた。
一体何が起こったのか?
オレもさっきまで寝ていたため、正確な状況はわからないが、この人物達の見た目で大体状況は想像できていた。
高価な服の割に、品位のない着こなし。
短剣や小盾といった実戦向きの魔道具。
そして、一同がつけている狼マークのペンダント。
これはあれだ。
オレは盗賊に襲われている。
寝ぼけた頭で現在の状況を整理する。
オレは夕食時まで身体強化の無詠唱化の練習をしていたはずだ。
案の定、身体強化の無詠唱化はそう簡単ではなかった。
なかなか感覚を掴めなくて、数時間ぶっ通しの練習となった。
結局、無詠唱魔術に成功する前に魔力を切らしてしまって、練習を打ち切る羽目となった。
その後は夜も遅かったし、魔力を使い切ったことによる疲労感もあって、眠ることにした。
そして、起きたらこの状況だったというわけだ。
オレを運んでいた馬車の御者は、既に馬と共に逃げた後のようだ。
馬車の車体だけが荒野の中にポツンと放置されている。
おそらく馬車が盗賊に狙われていたことを悟って、車体を切り離していち早く逃走したのだろう。
盗賊が狙うような価値のあるものは、大抵の場合車体の方にある。
乗員を生贄に御者だけが逃げ切ろうとすることがあると話で聞いたことがあったが、まさか自分がその被害者になろうとは。
確かに御者の反対を押し切って、治安の悪いオーギス近辺を走らせるように命令したのはオレだが、いくらなんでも薄情すぎないか?
「おい、早く伏せろ!」
「……ああ」
正面に立つ女の指示に素直に従うことにする。
現代魔術戦の常識において、奇襲を仕掛けられることは、すなわち既に負けが決まっているようなものだ。
というのも、奇襲を仕掛ける側は先に持続強化を展開してから戦いの場に臨むことが可能であるからだ。
逆に受けに回る側は、戦闘になってから持続強化を展開しなければならない。
それは勝敗を決するに余りある一工程分の差だ。
持続強化を展開しないまま、持続強化を展開している魔術師に勝つのは余程実力に差が開いていない限り不可能であった。
それに一体多数の状況だ。
一体一なら持続強化の三分という効果時間の切れ目を狙って、こちらも持続強化を展開して、イーブンの状況に持っていくという打開策もあるが、多数相手となると持続強化の効果が切れる時間をずらされるだけで詰んでしまう。
もちろん、無詠唱身体強化を会得さえしていれば、この状況を打開できただろうが、まだ会得できていないのだから仕方ない。
そもそも夕方の無詠唱魔術の特訓にすべての魔力を使い切ってしまった。
仮に会得できていたとしても、現在のオレでは発動できない。
そういうわけで魔力を流すことで発動できる法陣術式が込められた魔道具は持ってはいたものの、なんの役にも立たない。
まさに詰みともいえる状況だった。
「お嬢! 馬車の中に驚くほどの大金がありましたぜ! やっぱりボスの勘は当たりますね!」
車体を物色していた盗賊の一人が金貨の入った袋を持ちながら降りてきた。
どうやら父からふんだくった一億セスが見つかってしまったようだ。
他にも持ち去った高価な魔道具達が外に出されていく。
「やっぱり貴族の坊ちゃんだったか。あたし達に見つかるとは運が悪かったな」
「で、この坊主どうするんです?」
「貴族の子供はなー。どいつもこいつも生半可に戦える奴だから、放っておくと報復だなんだと面倒なんだよなー。身ぐるみ剥いで、縛ってボコボコにしておけ。そうすれば、直にモンスターにでも食べられて死ぬだろ。そっちの方が証拠も残らないで簡単だ」
「はい」
「ちょっと待っ――」
制止の言葉を言い切る前に腹を殴られる。
一瞬で宙がひっくり返って、遅れて衝撃がやってくる。
痛い。っていうか、なんだこれ。重い。
内臓をそのまま殴られたような痛みだ。
当たり前だ。普通に腹を殴られただけでも痛いはずなのに、持続強化ありの拳で殴られたら殺人級の威力になってしまう。
腸あたりが破裂しているんじゃないか?
そう思えてしまうほどの痛みだ。
顔や足、腕への衝撃。
骨が折れる音が内側から聞こえてくる。
これもしかして、死ぬんじゃないか?
嘘だろ? オレ、こんなところで死ぬの?
全然レイル・ティエティスと関係ないところで。
異世界転生者でもない奴らに殺される?
確かに自分の悪行がたたってオースティン家から追い出された。
大金や魔道具を持ち出すといった欲をかいたばかりに貴族だったことがバレ、こうして暴力を振られているわけだが、それにしてもあんまりなんじゃないだろうか?
そういえば向こうの世界の言葉で、悪銭身につかずなんていうことわざがあったな。
卑怯なことをして得た金は結局自分の下に戻らないのかとか思いつつ、こんな反省も死んだら意味ないんだろうなと意識を失いながら考えていたのであった。
これにて序章 破滅への転落編おしまいです。
次回からオーラルド・オースティン再起の章であるオーギス貧民街争乱編が始まります。