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第四十八話 『空を飛ぶ魔法』

 朝のホームルームと一限目の授業が終わって、現在は二限目の授業の時間だ。


 科目は座学でなく実戦形式のものだったため、授業内容とは関係ない戦術級魔術の教本を落ち着いて読むこともできない。

 授業で学べる内容も異世界転生者の打倒には役に立ちそうなものではなかったので、授業をサボって校舎外のベンチで教本を読んで過ごすことにした。


 こうして授業をサボるのも一度や二度ではない。

 毎度おなじみのことだ。


 出席日数は数えているし、授業を聞かなくてもテストの点数を取れるような教科に絞ってサボっているため、留年の危険性はない。

 パラパラと教本をめくっていると、鳥の羽ばたく音が聞こえてきた。


「あれって……」


 正面の木に止まる一羽のフクロウに目を向ける。

 プリシラの街中で野生のフクロウを見かけることはない。

 この場にフクロウがいるのは不自然な光景だった。


 自分の記憶が正しければ、あれはネオン・アスタルテが飼っていたフクロウだったはずだ。

 名前はジローって言ってたっけ?


 この世界では馴染みのない名前だったため、耳に残っていた。

 藤村冬尊たちが住む日本では、男児やペットの犬になどに時々用いられる名前だ。

 異世界転生者であるネオンが自分のペットに「ジロー」と名付けたのも、彼女が日本の住人であったことを考慮すれば、特段おかしいことではなかった。


「それにしてもよくお前は飛べるよな」


 自身の翼をくちばしでつついているフクロウに向かって話しかける。


 現在の戦術級魔術練習の進捗状況は比較的順調と言える。

 何個かのメジャーな攻撃魔術は無詠唱で放てるようになった。

 ネオンが用いていた防御魔術、絶対防御(パーフェクトブロック)も無事習得していた。


 だけど、ネオンが用いていたもう一つの魔術。

 箒に跨って空を飛ぶ魔術、飛行(フライ)になると話は別だ。


 空を飛ぶという、この世界に存在しない未知の魔法。

 仕組みもわからなければ、魔術の体系もわからない。

 見たまま真似をして習得しようと意気込んだはいいものを、全くといって習得の手ごたえがない状況だった。


 一応、風魔法を下に強く吹き付けることで身体を浮かすことは成功した。

 無詠唱魔術によって絶え間なく風を吹かせることで、十秒以上は身体を浮かすことができる。

 だけど、ネオンが行っていた前後左右上下、縦横無尽に駆け回る空中飛行とは程遠かった。


 ネオンが扱うのは飛行(フライ)という魔術だ。

 オレが行っている風での空中浮遊を名付けるとするなら、せいぜい浮遊(フロート)といったところだろう。


 やっぱり見よう見まねで飛行(フライ)を身につけるのは無理難題なのかもしれない。

 寿命を削るのは惜しいが、ネオンの過去を過去視の魔眼で視るのも手として考え始める頃合いだった。


「お前みたいに飛べたらいいんだけどな」


 鳥ってよく飛べるよな。

 たった二つの翼で自由自在に空を駆けられるときた。


 自分も翼を魔術でかたどって羽ばたいてはみたものの、身体を浮かすことすらできなかった。

 いくら翼を激しく動かしてみても、自重を支えて空を飛べる気がしない。


 翼の再現度に問題があるのか、それとも別に問題があるのか?

 そもそも空を飛ぶ原理すらわからないため、お手上げの状態であった。


「観察でもしてみるか」


 目の前のフクロウを凝視する。

 この鳥から空を飛ぶ方法のヒントが得られればと考えてのことだ。

 しばらくの間見つめることにする。


「……」


 フクロウは目をぱちくりしたまま、一向に木の枝から動く素振りを見せない。

 あの、早く飛んでくれないか?

 これじゃあ、なんのヒントも得られないんだが……。


 このままじゃ埒が明かないと、フクロウに近づくことにする。

 空を飛ぶ姿が見れないなら、せめて羽の形状などを見ておきたかった。


 飼われているペットということもあって、人間に対して危機感がないのか。

 オレが近づいても、ジローは木の枝に止まったままである。

 呑気に首を動かして、辺りを見回している。


 そういえば、フクロウの翼ってどんな感触なんだろうな。

 ちょっと触ってみてもいいだろうか?


「おい、ジロー」


 とりあえず呼びかけてみることにする。

 なんかジローっていうとペットの名前というより、日本で有名なラーメン屋の名前を思い出す。

 実際に食べてみたことがあるわけじゃないが、藤村冬尊が目にしていたテレビやネット上の知識として頭の中に入っていた。


「お前、なんか美味しそうな名前しているな」


 そのまま手を伸ばす。

 あと少しで指先がこげ茶色の翼に届こうという瞬間、鼓膜に声が響いた。


「一体何をしようとしているんですか⁉」


 後ろから感じられる魔力の奔流。

 振り向くと、そこには両手を前に突き出し、魔術を放つ直前のネオン・アスタルテがいた。


「おい、待て。この状況で攻撃してくるわけじゃないよな?」


 いきなりの臨戦態勢にこちらとしても冷や汗が流れる。

 今、この状況でネオンと争うつもりは全くない。

 両手を上げて敵意がないことを示す。


「何もしないから。というか、なんで攻撃されそうになってるんだ?」

「ジローに危害を加えようとしたでしょう」

「どうしてそうなる?」

「今言ってたでしょう。美味しそうって。どうせ決闘に負けた腹いせに、わたしの家族のジローを食べようとしたのでしょう。そのくらいお見通しですよ」


 確かに言ったけど! そういう意味じゃないから!

 単なる誤解で生命の危機に陥っていた。


「違うから! そういう意味で美味しそうって言ったわけじゃないから!」

「じゃあ、どういう意味で言ったんです⁉」

「……それはノーコメントで」


 ラーメン屋の名前に似ているからなんて言えるわけもない。

 異世界転生者を倒そうとしていることを隠すためにも、今はオレが日本のことを知っていることは隠しておきたい。

 いい言い訳が思いつかず、変な返答になってしまった。


「ジロー、危ないからこっち来てください」


 ネオンが呼びかけると、フクロウは木の枝から滑空して彼女の肩に止まった。

 あっ、飛んだ姿ちゃんと見れてなかった。


 いや、そうじゃない。

 今はそんな呑気なことを言っている余裕はない。


「まさか本気で撃つわけじゃないよな……?」

「わたしの家族を奪おうとする人には容赦しないつもりです」

「おい、冷静に考えてみろ。フクロウなんて食べるわけないだろ」

「そう言わればそうかもですね」

「だろ? 食べちゃいたいくらいかわいいって意味で言ったんだ」

「そうでしたか。てっきりこの世界の住人なら、ミミズクくらいペロッと食べるものだと早とちりしてしまいました」


 ネオンは両手を下ろし、無詠唱魔術の展開を止める。

 お前はこの世界の住人をなんだと思っているんだ。

 人様のペットを食らうような野蛮な文化があるわけなかった。


「でも、かわいいからって人の家族を無断で触ろうとしないでくださいよ。この子はデリケートなんですから」

「ああ、悪かった。どんな風に飛んでいるのか気になってな」

「そういうことですか。もしかして、わたしが空を飛んだ方法のヒントをこの子から得ようとしたんですか?」

「っ……」


 まさか、こんな些細な言動から飛行(フライ)を習得しようとしていることを察してくるとは。

 人を見下した発言しかしないこの異世界転生者への警戒度を、もう少し上げた方がいいかもしれない。


「この世界では鳥が空を飛ぶ方法も解明されていないんでしたね。いいでしょう、このわたしが直々に教えてあげましょう」

「――えっ?」


 てっきりこちらの敵意が見破られて咎められるのかと思ったが、反応は意外にも違った。

 ネオンは人差し指を伸ばしながら、呑気なことを口にする。


「……いいのか?」

「人より優れた者が劣った者に教えを施すのは当然のことです。天才に生まれてしまったからには果たさなければいけない義務というやつですよ」


 人を見下すような言動は相変わらず気に食わないが、飛行(フライ)を習得するためのヒントが得られるとなれば話は別だ。

 オレは異世界転生者を倒すためなら、手段を選ばない。


 たとえ敵から送られた塩であろうと、利用できるものは利用してやる。

 最後に勝つことさえできれば、どんな屈辱であろうと受け入れる覚悟はできていた。

 ネオンは口を開く。


「いいですか。基本的にですが、鳥というのは空気を下に押して、その反動で空を飛んでいるわけではありません。前に進む推進力を揚力という下から上へ向かう力に変換して空を飛んでいるんです」

「揚力?」

「はい。翼を広げたまま前に進むと、翼の上下に前から後ろへと空気の流れができます。翼の形状は上下対称じゃないため、上と下で空気の流れ方は違ったものになるんですよ。それによって、上と下で気圧差ができるんです。あっ、気圧ってわかります?」


 シェン・アザクールの前世である加賀美瞬一の高校時代の過去を覗いたことで、高校二年生までに習う科学的知識は頭に入っている。

 揚力という言葉は聞いたことがなかったが、気圧差くらいなら理解することができた。


「空気の質量によって生じる圧力のことです。気圧が高ければ高いほど、空気が強く周りを押すと考えてくれれば構いません。で、空気の流れによって翼の上は気圧が低くなり、相対的に翼の下は上より気圧が高くなります。結果、下から上へと押し上げる力が働き、自重を支えて空を飛べるというわけです」

「前に進むことが大事だったのか」

「飛行機もヘリコプターだって同じ原理で飛んでいます。って言っても、この世界には存在しないんでしたね。あっ、ちょっと待ってください」


 そう言って、ネオンは鞄からノートを取り出すと、ページを一枚切り取った。

 そのまま折りたたみ、藤村冬尊の過去で見たことのある形状のものが出来上がる。


「これは紙飛行機というものです。見てください。揚力さえ発生させることができれば、エンジンや魔法がなくても空を飛ばすことができるんですよ」


 ネオンが飛ばした紙飛行機は空を三~四メートルほど進んで、地面へと落ちる。

 その空中を突き進む姿はまるで本物の飛行機のようであった。


「でも、お前が空を飛んでいたときにはその揚力というやつを発生させる翼はなかったように思えるが?」

「ああ、それは簡単な仕組みです」


 ネオンは右手を前に突き出すと、その手に箒が出現した。

飛行(フライ)」と小さく呟くと、箒に跨った彼女の身体が空へと浮かび上がる。


「はい、これでどうでしょう」


 彼女が指パッチンをすると、箒の両側に大きな翼が現れた。


「ただ魔法で透明にしていただけです。本当は鳥さんと同じように翼を羽ばたかせて揚力を発生させていただけなんですよ」

「なんで透明にする必要が?」

「何言ってるんですか。魔法使いって言ったら箒で空を飛ぶものじゃないですか。箒に翼を生やして空を飛ぶなんて、魔法使いらしくないですよ」


 なんだ。ただの見た目重視かよ。

 魔法使いが箒で空を飛ぶのは、向こうの世界の創作物だけの話だ。


 おかげでこっちは空を飛ぶ仕組みがわからなくて、苦労したっていうのに。

 意味のないかっこつけをしないでもらいたかった。


「この世界はいいですよね。魔法で風を起こすこともできるんですから。おかげで翼の作りが多少雑でも、簡単に揚力が発生させられます」

「自分じゃなくて風の方を動かせば、推進力がなくてもホバリングができるということか」

「そういうことです。って言っても、あなたには無理だと思いますよ。空を飛べるように翼を逐一操るのは自由が利かない詠唱魔術じゃできませんし、空気抵抗などを遮るために並行して障壁魔術を張る必要があります。あと肝心の推進力を得る魔法も。イメージだけで魔術をいくつも同時並行で発動することなんてできないでしょう?」


 ネオンはたかが現地人だと侮って、ここまで情報開示したのだろう。

 だけど、残念ながらオレは無詠唱魔術を使うことができる。

 無詠唱魔術の同時展開だって行うことはできた。


 結果的にお前はその驕りによって、身を滅ぼすことになるのだ。

 オレはお前の脅威となり得る敵だ。

 必ず空を飛ぶ魔法を身につけて、その喉元に刃を突き付けてやる。


「この世界って本当につまらないですよね。みんな弱いですし」


 こちらの内心を他所にネオンは肩をすくめて言う。


「あのくだらない世界から抜けだせて、魔法と剣の楽しい世界が待っていると思っていたんですけどね。期待外れです」

「だから、こうして授業をサボっているのか?」


 今はまだ油断をさせておきたいため、話を合わせることにする。

 授業をサボっているオレと校舎外で出くわしたということは、ネオンも授業をサボっているということだ。

 人のことは言えないが、彼女も学生として優秀な振る舞いをしているとは言い難かった。


 でも、おかげでこの学園に無詠唱魔術の情報が出回ってないのも事実である。

 噂が出回りやすい環境にある中で、無詠唱魔術を使う者がいるという話は一度も耳にしたことがなかった。


 ネオンが無詠唱で魔法を使えたり、空を飛べることを知っている人は、おそらくほとんどいない。

 異世界転生者による魔法技術を広めたくないオレにとって、この部分だけは幸運であった。


「はい、わたしが学べることなんてありませんし。面白い人に出会えるっていう夢の中の神のお告げに従って、入学したんですけどね。がっかりですよ。これなら今までみたいに森の奥で一人、引きこもって魔法の研究をしていた方が百倍マシでした」

「入学したばっかりなのに後悔してるんか」

「どの世界でも同じなんでしょうね。出る杭は打たれるというか。白い目で見てきて、距離を取ってくる同級生ばかりですし。学校なんて通う気なくしちゃいますよ」


 友達ができないのは出る杭が打たれてるんじゃなくて、お前の人を見下すような言動も関係していると思うのだが?

 入学していることを後悔しているんなら、さっさと退学して、一人山奥で引きこもっておいて欲しかった。


「まあ、色々と話しすぎましたね」


 ネオンは両手を叩くと、ベンチに置いていた鞄を取って身体を翻した。


「それじゃあ、いつかの貴族さん。さよならです。もう会話をすることはないと思いますが」


 ネオンはこちらの名前を覚えていないのか、一度もオーラルドという名前を呼ぶことのないまま背を向けて歩き出した。


 今はいい。いくら見下されようとも。

 いつかその舐めた態度を取るお前に吠え面をかかせてやるからな。

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