第四十三話 『二世魔術師』
リーリエ魔導学園に入学してから一週間。
いつものように登校して自分の席についていると、教室がざわめきだした。
何事かと顔を上げると、教室に見知った顔が姿を現していた。
顎髭を生やした短髪の中年男性。
自分の魔術戦実技試験を担当していた、元魔術戦魔導師のジュイス・ミュラーであった。
彼はこの学校で魔術戦を教えている講師の中でもトップの存在であり、最上級生である三年の魔術戦講義を担当している。
そんな彼が一年生の教室になんの用だろう。
不思議に思っていると、近くにいた生徒達の話し声が聞こえてきた。
「もしかしてあれじゃない? 毎年一番有望だと思う生徒を魔術戦研究部に勧誘するっていう、あれ」
「今週から研究部を選べるんだもんね」
研究部とはこの学校のいわば部活みたいなものだ。
各々が好きな研究部に入り、魔術戦やら魔術理論の構築やら魔道具作成やらと好きな研究に放課後の時間を費やすというもの。
そして、魔術戦研究部は設けられている授業とは別に魔術戦を学べる研究部だ。
いくら魔術戦に力を入れている授業カリキュラムだと言っても、トップクラスの魔術戦魔導師になるためにはそれだけでは足りない。
魔術戦魔導師を目指している生徒はほぼ全員が加入し、リーリエ魔導学園でも花形とされる研究部であった。
ちなみに学校ごとの魔術戦大会も魔術戦研究部から選ばれることになっている。
学生時代に魔術戦魔導師になるための結果を出すには、魔術戦研究部に入る必要があった。
「今年は誰が選ばれるんだろうね。去年選ばれた先輩は二年生のエース的存在なんでしょ?」
「毎年実技試験の成績トップの生徒が声をかけられるって聞いたけど、Aクラスに来たってことはネオンって人じゃないってことだよね……」
「じゃあ、クルシャさんじゃない? 実技試験の成績二位だった」
「あっ、そうかも」
女子生徒達の会話で、教室中の視線が一人の下に向く。
水色のロングヘアー。背筋を伸ばし、凛とした顔つきで座っている生徒の名前はクルシャ・エーデルティー。
魔術戦実技試験の結果でネオンに続き二位だった人物である。
クルシャ・エーデルティーという名前は、王都での同世代の魔術戦コミュニティーの中でも有名だった。
その実力もさることながら、やっぱり一番の原因は彼女の父あってのことだろう。
ギスフォン・エーデルティー。
その名前はこの国で魔術戦観戦を趣味としている者なら知らない人間はいない。
氷魔術を主軸とした攻撃スタイルが特徴で、氷鬼の愛称で魔術戦ファンから親しまれている超一流魔術戦魔導師。
そして、その娘がクルシャ・エーデルティーであった。
クルシャ・エーデルティーも氷鬼と呼ばれる父と同じく氷魔術をベースにした戦法を得意としている。
オレが出場していた王都の魔術戦大会でも何度かぶつかったことがあり、その度に彼女の氷魔術に手を焼かされていたのが懐かしかった。
「クルシャが勧誘されるとあれば納得か……」
クルシャの実力は知るところだし、オレが表舞台を離れたこの二年で彼女の実力も相当上がったはず。
異世界転生者であるネオン・アスタルテは現代の魔術戦理論とはかけ離れた戦い方をするため、ジュイスが次点の成績を取ったクルシャを勧誘相手に選ぶのも納得できた。
ジュイスが彼女の席の近くまで足を進める。
クルシャは澄ました表情のまま立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。
「おはようございます、ジュイス先生」
「おう、おはよう」
「もしかして魔術戦研究部へのお声がけですか?」
「まあ、そうだが」
会話を交わしていくクルシャとジュイス。
教室の中央で話しているため、この場にいる全員の注目が彼らの方に向いていた。
クルシャは自分の胸に手を当てて言う。
「お声がけありがとうございます。私も魔術戦研究部に入りたいと思っておりました。その勧誘是非とも受けさせてください」
「いや、悪いけど君じゃなくて、そこの坊主に声をかけようと思ってたんだが――」
そう言って、ジュイスはオレへと指さす。
オレ以外の全員の視線がこちらに向いた。
教室内に気まずい沈黙が流れる。
「ねえ、ニノンが変なこと言うからクルシャさんが勘違いしちゃったじゃん!」
「えっ、わたし⁉ マルカだって同意してたじゃん!」
責任を押し付け合う先ほどの女子生徒達。
その会話もあって、教室中がいたたまれない空気に包まれる。
クルシャは耳を真っ赤にして俯いていた。
さすがにこの状況を放置するのはまずいと判断したのか、気まずい空気を作り出した元凶の一人であるジュイスが慌てて弁明する。
「き、君のことも優秀だってのはわかってるんだよ! ぜひ魔術戦研究部に欲しい人材だから! 良かったら入部してくれないかい?」
「ジュイス先生、無理にフォローしていただかなくて結構です……勘違いしたのは私ですから……」
そう言いながらもクルシャの身体はぷるぷると震えていた。
身体の横に置かれた拳を握りしめながら呟く。
「許すまじ、オーラルド・オースティン……」
おい、待て。それで恨まれるのは理不尽すぎない?
自分の悪行で評判が落ちてくるならまだしも、今回はオレ何も悪くないだろ。
この学校に来てからというもの、事故みたいな理由で他人から恨みを買っている気がする。
これも全部オレが悪役貴族みたいなのが悪いのか?
「この流れで訊くのもどうと思うがオーラルド、お前さん魔術戦研究部に入らないか?」
頬をぽりぽりと掻きながら、勧誘してくるジュイス。
本当にこの流れで訊くのもどうかと思う。
近くにいた三馬鹿の一人、いつも最初に話しかけてくるジャンがジュイスに向かって尋ねる。
「なんで、こいつを勧誘するんすか? ネオンっていう隣のクラスの奴に負けたって話もあるのに……」
「ネオンは特別だからな。あれに負けるのは仕方ない。それにオーラルドの成績は四位だったが、正直基礎能力や駆け引き面では目を見張るものがあった」
「じゃあ、なんで四位だったんすか?」
「引き分け狙いなんていう舐めた意気込みで試験を受けてたからな。そこさえ修正できれば魔術戦研究部のエースを任せられるポテンシャルはあると俺は踏んでいる」
「はぁ、そうなんすか……」
口を半開きにしながら相槌を打つジャン。
ジュイスはこちらに向き直る。
「どうだ? 魔術戦研究部に入れよ。お前さんなら魔術戦魔導師になれるかもしれないぞ?」
オレの実力を買ってくれるのは悪いが、ジュイスは大事なことを忘れている。
泰然とした態度で口にすることにした。
「いや、結構だ。興味がないんで」
*
放課後の飛行習得に向けての魔術修練を終えて家に帰ると、早速フィナとの話題は研究部への加入についてとなった。
「フィナは入る研究部決めたのか?」
「うん、魔術戦研究部に入ることにしたよ」
フィナの夢は大勢の観客の前で興行的な試合をする魔術戦魔導師だ。
その夢を叶えるために孤児院という育ちの中、学校に通えるよう努力してきたのだ。
魔術戦魔導師になるには魔術戦研究部に入るのが一番の近道だ。
魔術戦研究部に入るのも当然のことと言えた。
「オーラルドは魔術戦研究部に入らないんでしょ? 話題になってたよ。先生からの勧誘を断ったって」
「なんだ、フィナも知ってたのか」
この学校って噂が回るのが早いよな。
今が入学したばっかりで生徒達が話題に飢えているというのと、所属している戦闘魔術科は二クラスしかなく、閉じた人間関係で構築されているからなのだろうが、それにしてもだと思う。
「びっくりしたよ。てっきりオーラルドも魔術戦研究部に入ると思ってたから」
「お前みたいに魔術戦魔導師を目指してるってわけでもないしなぁ……」
「私よりも強いのに? もったいなくない?」
「その分、別のことを勉強したいと思ってるからな」
魔術戦研究部は真剣に魔術戦魔導師を目指している人の集まりともあって、研究部の活動時間も長い。
魔術戦を勉強する環境としては悪くないんだろうけど、異世界転生者を倒すための無詠唱魔術の練習時間を取りたいオレにとって、拘束時間が長い研究部は困るところだった。
簡易的な魔術戦の修練だったら、独学でもできることだしな。
魔術戦研究部とは異なる研究部に入るつもりであった。
リーリエ魔導学園では一つの研究部に入ることを生徒に義務付けている。
研究部の活動がカリキュラムの一つとなっているのだ。
当初の予定では魔術戦の試合の動画をたくさん観られて、最近の流行戦法などが勉強できる魔術戦観戦研究部に加入しようと思っていたが、ネオンの戦い方を目の当たりにしたことで考えも変わっていた。
ネオンに勝つためには従来の魔術戦の戦法を参考にしていくのではなく、戦争などに用いられる戦術級魔術のような魔術戦とは別の分野を学ぶべきなのでは考えていた。
「それなら仕方ないね。やりたいことをやった方がいいもんね」
こちらの言葉に、フィナは温かい反応を見せる。
別にやりたいからやっているわけじゃなく、異世界転生者を倒すために仕方なくやっているだけなのだが、わざわざ訂正するのも面倒なので黙っておくことにする。
「でも、研究部見に行ったときクルシャって娘がいたけど、すごいオーラルドのこと目の仇にしてたよ。今後の意気込みを語るところで、『オーラルド・オースティンより強い魔術師になってみせます』って言ってたし」
「あいつ、そんなこと言ったのかよ……」
日中の勧誘騒動を思い出してうんざりした気持ちになる。
だから、あの一件でオレを恨むのはお門違いじゃないか?
「なんかオーラルドが誘いを断ったことも怒っているみたいだったよ。魔術戦が興味がないなんて自分たちを馬鹿にしているとしか思えないとか――」
「そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな……」
「でも、クルシャさんってすごいんだね。実力を測る魔術戦のテストをやったんだけど、トップの成績だったよ」
「フィナはどうだったんだ? そのテスト」
「全然だったよ。真ん中くらいの成績だった」
身体強化の生体術式を持っているといえど、やはり最初の方は苦戦するか。
フィナの近接戦の才能は目を見張るものがあるが、本格的に魔術戦を勉強してから二年そこらしか経っていないのだ。
魔術戦を何年も学んだエリート達に勝てるわけもない。
まあ、平民出身で真ん中くらいの成績だったらいい方だろう。
魔術戦において、基本的に上位の成績を取るのは教育環境に恵まれた貴族達だ。
そういった貴族を平民が追い抜く光景が見られるようになるのは、大体最終学年の三年生になった頃である。
今の時点で半分くらいの成績となると、フィナなら二年で貴族達を追い抜かすことができるかもしれない。
「オーラルドがテスト受けたらどうだったんだろう。クルシャさんに勝てそう?」
「まあ、勝てないだろ。向こうは魔術戦の成績二位だったんだし」
「そうだ。クルシャさんって有名な人なんでしょ? オーラルドも貴族だった頃、戦ったことあるの?」
「ああ、あるよ。なんなら勝ったこともある」
「すごいじゃん!」
昔のオレはこれでも本気で魔術戦魔導師を目指していたのだ。
同年代の魔術師の中ではかなり強い方だったし、結果もそれなりに残している。
「昔はどっちが強かったの? クルシャさんとオーラルド」
「なんだかんだどっこいどっこいくらいじゃないか? 割と接戦だった記憶があるし」
「そうなんだ」
「今ではだいぶ実力差をつけられているだろうけどな」
こればかりは仕方ない。
貴族でなくなって、魔術戦の勉強から離れていた二年間のブランクは大きかった。
「あいつは親父が魔術戦魔導師だしな。直接教えを請えるのもいいよな」
「お父さんが有名な魔導師なんだっけ? 一緒に見学行った友達もそんなこと言ってたかも」
「お前、ギスフォン・エーデルティーのこと知らないのか……」
魔術戦魔導師の中でも超有名な魔導師の名前を知らないとは。
まあ、フィナは魔術戦の試合を小さい頃に一度だけしか見たことがないとのことだ。
氷鬼のことを知らないのも当然か。
「そんなに有名な魔導師なの?」
「Aクラス魔導師だしな」
「Aクラス魔導師?」
そういえば、いつも魔術戦の戦い方については教えていたが、競技リーグについては話したことがなかったな。
これを機に簡単に説明してもいいかもしれない。
「魔術戦魔導師の大会はリーグ戦やトーナメント戦など色々なものが設けられているけど、その中で一番規模が大きくて、中心となる大会がグランドリーグっていうんだ」
「あっ、名前だけは聞いたことあるかも!」
「まあ、この国にいてグランドリーグの存在を知らない方が珍しいしな」
そのくらいグランドリーグは魔術戦魔導師の試合の中でも有名な大会であった。
「グランドリーグはA~Eの五つのリーグに分かれて、一年を通してこの国の魔術戦魔導師の頂点を決めていく大会だが、その中でも最上位のAリーグを戦い抜く魔導師はAクラス魔導師と呼ばれるんだ」
「へぇ、魔術戦魔導師の中でもランク分けされているんだね」
「まあ、どうしても上位層と下位層じゃ強さの違いはあるからな。で、ギスフォン・エーデルティーはそのAリーグを何年も経験したAクラス常連魔導師。魔術師魔導師が百五十人近くいる中で、Aリーグに入れる魔導師が十二人なことを考慮すると、Aクラス魔導師の偉大さもわかるだろ?」
「要するにこの国で上から十二番目以内に強いってことね」
「簡単に言うとそういうことだな」
魔術戦魔導師の中でも、Aリーグに入る魔導師は化け物揃いだ。
それを通算何年も経験としたという実力者の中の実力者。
しかも、グランドリーグ以外の主要な大会では何度も優勝しており、有名タイトルも取っていた。
「ちなみにこの学校の魔術戦部門長のジュイスですらAリーグには入れてないからな」
「そうなの⁉」
「Aリーグに入れるほどの実力があったら、こんな学校で講師なんかやってねえよ」
Aクラス魔導師というのは世界に名の通るような魔導師になるということである。
いわば国の英雄のような存在。
Aクラス魔導師になることを目標にしている魔術戦魔導師もたくさんいるほどだ。
そのくらいAクラス魔導師は偉大な称号であった。
「クルシャさんってそんなすごい魔導師の娘だったんだ……」
「いわゆる二世魔術師って奴だな。そんな奴が父親なんて羨ましい限りだよ」
「でも、オーラルドの家もものすごいお金持ちだったんでしょ? 好き勝手やってたから、追い出されちゃったけど」
「……」
何も言い返せないオレであった。




