第四話 『勘当』
妹のアイステラと一緒に執務室へと行くと、父は背もたれのある革張りの椅子に腰をかけていた。
ふくよかな体型に、伸びた顎髭。
胸を張り、人に威圧感を与える風貌をしているものの、目つきには内心に持つ臆病さが見え隠れしていた。
彼こそが今代のオースティン家当主、ゼファルド・オースティンだ。
オレも十分悪評高い貴族だが、かく言うゼファルドはこの国で一番悪評高い貴族と言っても過言ではなかった。
国家の中枢に巣食い、財や権力を貪りつくす強欲の権化。
都合の悪い者を排除するなんて当たり前。
自分の保身しか考えず、このアルジーナ王国に巣食う害虫であるという評判を得ていた。
そんな彼が国家の重鎮としての立場を確立しているのも、オースティン家の威光があってのものだ。
オースティン家は他の四大貴族と違って、特異な特徴がある。
それは代々、魔眼の生体術式を持っていることだ。
オースティン家の血筋には遺伝的に魔眼の生体術式が発現するようになっていた。
発現する魔眼の種類は当人によって違うが、どれも強力なものばかり。
その血筋の力によって、オースティン家はアルジーナ王国で頂点に近い地位を築くことができた。
オレの過去視の魔眼もオースティン家の遺伝によって与えられたものだ。
父であるゼファルドが持つ生体術式は「真偽視の魔眼」だ。
他人が嘘をついているかどうかを見破ることができる、過去視の魔眼とはまた違った意味で破格の性能を持つ生体術式である。
デメリットと言えば、本人の意思によって効果をオンオフ切り替えられないことだろうか。
常時発動となってしまうため、否が応でも他人の嘘を見破ってしまう。
その影響もあってか、父は他人を信じない猜疑心の塊みたいな人間であった。
せっかく人を信じられる生体術式を持っているのに、そのせいで逆に人を信用できなくなるときた。
なんとも皮肉なものであった。
ちなみに妹のアイステラには魔眼の生体術式が発現していない。
魔眼を受け継ぐオースティン家といえども、誰しもが魔眼を持って生まれるわけじゃない。
決して多いわけではないが、アイステラのように時々たまに魔眼を持たない子供が生まれることもあった。
そんなわけもあって、アイステラはこのオースティン家では落ちこぼれという扱いを受けている。
だからといったわけじゃないが、そんな扱いの違いもあって、オレとアイステラは非常に仲が悪いのだ。
「おい、オーラルド」
野太い声が執務室の中に響く。
どうやら父の機嫌は良くないらしい。
これはろくな展開にならないな、と思いつつ返事をする。
「ああ、なんだ?」
「なんだじゃない! お前は何をしたかわかっているのか!」
えっ、いきなり怒られても困るんだけど……。
一体、オレは何で怒られてるんだ?
普段の振る舞いに心当たりがありすぎて、全くわからない。
怒るんだったら、せめて理由くらいは言ってくれ。
「わしが怒っているのは、勝手にエメリダとの婚約を破棄したことだ!」
ああ、そのことか。やっと状況を理解した。
「どれだけの根回しをして、わしが王女との婚約を取り付けたと思っているんだ! それをお前は簡単に捨て去りやがって!」
「別に好きで婚約破棄したわけじゃない。オレとしても、決闘で負けたのは予想外だったんだ」
「そんなのは知らん! わしは勝手にエメリダとの婚約を決闘の条件に賭けたこと自体にも怒っているんだ! お前はオースティン家が王家の血筋と成り代わる、そんな一族の悲願を台無しにしたんだぞ!」
そんな一族の悲願、初めて聞いたんだけど……。
どうせこの父親のことだ。ただ自分の権力を増やすためだけに、息子であるオレを利用しようとしているだけだろう。
オレも人のことは言えないけど、かなりのクズ人間だ。
「しかも、反省の色を見せないときた。お前はいつもそうだ。わしが稼いだ金をさも捨てるかのように使いつくし、どれだけわしがお前のやらかしたことの尻拭いをしてると思ってるんだ! もう限界だ! 多少魔術戦の才能があるから見過ごしてやったものを、今回ぼろ負けしたことでお前の才能もたかが知れた!」
唾を飛ばしながら、机を叩くゼファルド。
顔を真っ赤にする父を眺めながら、なんだか出来立ての肉まんみたいに湯気が出そうだなと呑気なことを考えていると、彼は言い放った。
「オーラルド、お前なんて勘当だ!」
勘当⁉
さすがのオレもこの父の言葉には驚きが隠せなかった。
「……本気か?」
「わしが嘘を何よりも嫌っていることは知ってるだろ? 今日をもってオーラルド、お前はオースティン家とは離縁してもらう」
「待ってくれ! えっ⁉ っていうことは、オースティン家から追放されるってことか⁉」
「そうだ」
父、ゼファルドは泰然と言い切る。
嘘だろ? オレ、貴族じゃなくなっちゃうの?
こればかりは動揺を隠せない。
まさかレイルに負けたことが、ここまでの事態を引き起こすなんて。
「冷静に考えろ! オースティン家はどうするんだ? 次期当主は? オレ以外に最適な人なんていないだろ?」
「次期当主はアイステラだ」
マジかよ。そうくるか。
魔眼を持たないアイステラに当主をやらせるなんて、相当のことだ。
父はオレにかなり怒り心頭らしい。
これはまずいな。取り返しのつかない失態をおかしてしまったかもしれない。
「……ぷぷっ」
ちなみに次期当主に指名されたアイステラは後ろで笑いをこらえながら、小さくガッツポーズをしていた。
散々落ちこぼれ扱いしてきたオレを差し置いて、当主になれることが嬉しいのだろう。
それか単に嫌いな兄が痛い目を見て、喜んでいるだけか。
今すぐ飛び蹴りでもして泣かせてやりたかったが、父の目もあることだ。
ここは我慢するしかない。
「跡継ぎはどうするんだ? 魔眼を持たないオースティン家の人間の子供は親同様、魔眼を持たない確率が高くなるはずじゃ……」
「そんなのどうとでもなることだ。分家から魔眼を持つ養子を取ればよい」
「そんなことしたら、跡継ぎ争いになる可能性もあるぞ?」
「お前が当主になるよりマシだ。わしはこの判断を正しいと思っている。お前はオースティン家に置いておいても、害しか与えない。そうだろう? 何か弁明はあるか?」
「いや、別に」
真偽視の魔眼を持つ、父の前だ。
偽りの反省の言葉を並べても、簡単に見破られてしまう。
下手な弁明の言葉は逆効果だ。
そもそもオレは決闘に負けて、エメリダとの婚約を取り消しにしてしまったことに反省の気持ちを全く覚えていなかった。
貴族社会で台頭してきたレイルとは遅かれ早かれ争うことにはなっていただろうし、矛を交えることになれば異世界転生者である彼に勝てないのも当然のことだ。
オレがレイルに負けて、エメリダとの婚約が破棄されるのは約束されたイベントのように思えた。
それにオレは異世界転生者であるレイル・ティエティスを倒すと決意したばかりだ。
決意したからには、オレが使えるすべての力を使って、レイルを打ち倒す。
それはオレが使えるオースティン家の金や権力といったすべてのリソースを使い込むということ。
オレがオースティン家の当主になれば、この家は破滅に向かうのは確実だ。
使えるリソースを惜しんで倒せるほど、レイル・ティエティスは甘い敵じゃない。
そういう意味では父ゼファルドのオレを勘当して、妹のアイステラを次期当主に挿げ替えるという選択は正しいように思えた。
「異論がないようなら、今すぐ家から出ていく準備をしろ」
ただ、ここで黙って出ていくほど、オレもお人好しじゃない。
オースティン家にいることで使える金や権力というのは、オレがレイルに勝っている唯一のポイントだ。
この家から追放されてしまえば、レイルへ勝てる可能性はさらに低くなってしまう。
「一億セスだ。一億セスで出て行ってやる」
オースティン家の権力を使うのはもう諦めた。
何事においても諦めは重要だ。
オレがこの家から追い出されることが決定しているなら、せめて金だけはせびり取ってやることにした。
ちなみにセスというのは、この世界の人間圏の国家で用いられている通貨単位である。
この国の庶民が利用する一般的なレストランのメニューの相場が五百~千セスくらい。
日本で使われていた円とそう価値は変わらないはずだ。
「お前って奴は――」
「オレはタダで出ていくほど、お利口さんじゃないんでね」
「そういう態度を取っているから、お前を勘当することにしたんだ」
「それにこれは損切りだ。一億セスで馬鹿息子と縁が切れるとするなら安い話だと思わないか? オレがこのままオースティン家にいたら一億セスの損害じゃ済まないぞ?」
「勝手にしろ。一億セス用意してやるから、二度と顔を見せるな」
どうやら一億セスで手を打ってくれることしたようだ。
これは嬉しい誤算だ。
本来なら五千万セスくらいまで値切られる覚悟はしていたが、要望通りの金額が通った。
これならもうちょっと大きめの金額を吹っかけた方が良かったか?
まあ、それだけオレをさっさと厄介払いしかたったってことなんだろうけど。
「わかったよ。わざわざ言われなくても、会いに来たりはしない」
そうして、オレはオースティン家から勘当されることになったのだ。
*
執務室から出ると、後ろをついてきた妹のアイステラが口を開いた。
「どうして謝らなかったの?」
「なんだよ、急に。嫌味を言いに来たのか? 良かったな、次期当主になれて」
「そうじゃなくて……。ちゃんと謝れば、パパも勘当まではしなかったんじゃないかって……」
アイステラは普段からオレに暴言を吐いてくるものの、根は素直な人間だ。
オレなんかと違って人望はあるし、友達だって多い。
どうしてあの父親からこの娘が生まれたのかと周囲の人から言われるほど、純真な性格をしていた。
ただ、よっぽど嫌いなのか、オレに対しては一切の容赦がないけど。
だからこそ、心配なところもあるのも事実であった。
この純真な妹が悪意の蔓延る貴族社会でやっていけるのか。
オースティン家の当主となれば、今までのように純粋なままでいることはできない。
父が手を染めている悪事をたくさん知ることになるだろうし、場合によっては自分が悪事に手を染める必要も出てくるかもしれない。
冬尊とレイルの三十五年分の過去を経験する前の自分なら、そんな妹への憐憫なんて考えもしなかっただろうにと思いつつ、口を開くことにした。
「お前も馬鹿だな。父様には真偽視の魔眼があるんだぞ? 誠意のこもっていない謝罪なんてすぐに見破られるし、火に油を注ぐだけだろ」
「でも、結局勘当されちゃったら意味ないじゃん。もう貴族じゃなくなっちゃうんだよ? あの傲慢おにいが普通の人として生きていけるの? あと馬鹿っていう方が馬鹿なんだから!」
「そのための一億セスだろ? よく考えろ、馬鹿」
幸いにも、オレには藤村冬尊の過去から得た現代知識チートがある。
一億セスあれば、それを元手にして金を増やすことだって可能なはずだ。
さすがに今までのような金を湯水のように使う生活はできないだろうが、貧しい生活はしなくて済むだろう。
「あっ、また馬鹿って言った!」
「だって、馬鹿なんだから仕方ないだろ。っていうか、お前も次期当主になったんだから、もう少し頭使うようになれよな。そんなんじゃこの先やっていけないぞ?」
「馬鹿やらかして、勘当になったおにいに言われたくないないんですけど」
もっともな反論だった。
婚約者と寿命の半分を失って、勘当もされる馬鹿よりはマシである。
まあ、オースティン家から出禁を食らった立場である。
こうして妹との話すのも最後になるだろう。
お節介ながら、一つ助言することにした。
「言っておくけど、これから先あまり人を信用しない方がいいぞ? 誰しもがお前の持つ権力を得ようと寄ってくるだろうからな。あと父様も信用するな。オレを容易く切り捨てたってことは、お前も役立たずと見なされれば切り捨てられるぞ」
「一番信用ならないのは、おにいなんだけど。どうせ悪おにいのことだから、わたしから次期当主の立場も取り返そうとしているんでしょ?」
「そんなことしねえよ。オレにはやらなくちゃいけないことがある。そんな些細なことにかまけている暇はないんだよ」
オレは残りの自分の人生を、この世界の神に抗うことに費やすと決めたのだ。
オースティン家当主なんていうちっぽけな立場なんて、必死になって奪うようなものじゃない。
「もしかして、なんか変なこと企んでるの? もういい加減やめなよ、そういうの」
「心配するな。お前の邪魔をしたりしないし、なんならもう姿を見せることもないから安心しろ」
「全然安心できないんだけど……」
不満そうな表情を浮かべるアイステラ。
色々と話しているうちに、いつの間にか自分の部屋の前まで来てしまった。
父からは早く家を出るようにと言われていることだ。
これ以上アイステラとの会話にかまけている時間もなかった。
「じゃあな、アイステラ。これでお前の顔を見るのも最後だ」
別れの言葉を告げ、自室へと入っていくのであった。