第三十七話 『入学試験当日』
リーリエ魔導学園の入学試験の日がやってきた。
この学校は入学するにあたっていくつかの学科に分かれているが、オレ達が目指すのは戦闘魔導科と呼ばれる最難関の学科だ。
平民と貴族でそれぞれ約五十名ずつ。
計百人ほどしか入学できない計算だ。
他の学科も合わせた一学年の定員がおよそ八百人のため、戦闘魔導科に入るのはリーリエ魔導学園に入学する者の中でも狭き門であった。
リーリエ魔導学園の入学試験は二日に渡って開かれる。
試験内容は学科によって異なるが、戦闘魔導科だと一日目は基礎教養と魔法理論の筆記試験。
あとは魔力量測定と生体術式の確認である。
二日目はより実技的な試験となり、術式発動試験と魔術戦の試験が予定されていた。
今日は試験一日目。
これから最初の基礎教養試験が行われることになっている。
教室に入ると、既に八割方の少年少女は着席していた。
リーリエ魔導学園の入学試験は受験者数も多いため、受験者はいくつかの教室に割り振られている。
かく言うオレとフィナも別々の教室で試験を受けることになっていた。
一人歩きながら、受験番号がかかれた机を探す。
自分の机を見つけると荷物を椅子の下に置き、席につくことにした。
教本をめくって試験の最終確認をしている受験者が多かったが、あいにくオレはその類の本を持ち合わせていない。
ウルター孤児院から持ち出せる教材に限りがあったというのもあるし、その限りある教本はすべてフィナに預けていた。
まあ、教本に書いてある程度のことは全部覚えたし、今さらパラパラめくっても得られるものはないだろう。
オレが解けないのはむしろ、ウルター孤児院にあった教本に載っていない類の知識を扱う問題。
そういった問題はカバー不可能なため、端から切り捨てるつもりであった。
最初の教養試験で取れるのは、良くて平均点ちょい下といったところか……。
学校に通っていたり、専属の講師を雇っている貴族組の平均点には届かないだろうが、平民組の中ではそこまで悪い成績を取ることはないはずだ。
二年生前までは学校に通っていたわけだしな。
成績も悪い方ではなかったので、今のオレでも他の科目の足を引っ張らない程度の点数は取れると踏んでいた。
「さあ、席についてください」
受験官の女性が教卓の前に立ち、話を始める。
試験についての説明が終わると、ようやく試験問題が配られることになる。
「それじゃあ、鐘が鳴ったと同時に問題を解くように」
その言葉の三分後に鐘の音がなった。
試験開始の合図である。
問題用紙を裏返して、ひとまずすべての問題にざっと目を通す。
うわっ、やっぱり孤児院での勉強ではやっていないところの問題たくさんあるな。
これはだいぶ苦戦を強いられるかもしれない。
ここは予定通り、初日の筆記試験で高い点数を取るのは諦めて、二日目の実技試験で点数を稼ぐ方向性でいくか。
そんな心持ちで問題を解き始めるのであった。
*
魔力量の測定が終わると、本日の試験は終わりとなった。
本当はこの後に所持している生体術式を学校側に申請し、確認が取れれば生体術式の有益度合いによって試験の成績を加算することができたが、これに関しては自己申告制だ。
過去視の魔眼は他人に易々と存在を明らかにしていい生体術式ではないし、この試験に関してはパスすると決めていた。
家に帰り、室内でできる術式を用いて無詠唱魔術の練習をしていたところ、鍵の回される音が。
どうやら生体術式の試験を終えて、帰りの遅くなったフィナが戻ってきたようだ。
魔術の発動を止めて玄関に目を向けると、暗い表情を浮かべた彼女が立っていた。
「どうしたんだ? そんなところで黙って突っ立って」
「オーラルド……」
フィナは靴を脱いで、オレの目の前まで来ると床に崩れ落ちた。
「試験全然できなかったよ~」
こちらの肩を掴んで、ガシガシと揺すってくる。
「何、あれ⁉ 見たことない問題ばっかりだったんだけど! 難しすぎるよ~」
「リーリエ魔導学園の入学試験が難しいことなんて想定内だっただろ。そんなに落ち込むことか?」
「落ち込むよ! だって、絶対落ちたもん!」
「絶対って……。そんなに駄目だったのか?」
無言でこくこくと頷くフィナ。
その瞳は若干潤んでいた。
どうやらフィナは相当落ち込んでいるらしい。
正直、困る状況だ。
こういうとき、かける励ましの言葉なんて知らないしな。
まあ、同じ試験を受けた身としては、この半年頑張って勉強をしてきたフィナがそこまで壊滅的な点数を取るとも思えない。
予想より手ごたえがなくて、過剰にナーバスになっているだけだろう。
「確かに前半の基礎教養のテストは難しかったけど、後半の魔法理論のテストはそこそこできたんじゃないか? 割と勉強していた範囲が出てたし」
「前半のテストで頭がいっぱいいっぱいになっちゃって、全然できなかった……」
「そ、そうか……」
それはご愁傷様としか言いようがなかった。
オレは学校に通っていた頃に似たような試験は何度も受けたことがあったが、フィナにとっては初めての経験だ。
普段通りのパフォーマンスが発揮できないのも、考えてみれば当たり前の話だった。
こればかりは自分のミスでもある。
勝手に本番に強いタイプだと思って、ぶっつけ本番で挑ませてしまったことが悔やまれた。
「戦闘魔導科は二日目の点数の比重が大きいしな。今日の試験の出来で悲観することもないだろ」
「ううん、もう無理だよ。どうしよう。ニーねえに試験費用出してもらったのに、これじゃあ合わせる顔がないよ……」
「あのな、試験はまだ半分しか――」
「ごめん。オーラルドには悪いけど、一人で学校に通ってもらうことになっちゃう……」
「いいから落ち着け」
錯乱しているフィナの頭を引っ叩くことにする。
「めんどくさい落ち込み方をするな。慰める方の身になれ」
「慰め? 私、今叩かれた気がするんだけど……」
「そこは急に冷静になるんだな」
つむじを両手で押さえるフィナに向かって言うことにする。
「まあ、今日くらいは家の家事全部やってやるから。明日に備えて気持ちを入れ替えておけ。試験はまだ終わったわけじゃないんだしな」
「いいよ。オーラルドにも試験はあるでしょ? 迷惑はかけられないよ」
「いいんだぞ? 今日くらい無理しなくても」
「無理をするというより、オーラルドの手料理が怖いっていうか……」
「それが本音か。優しくしようとして損したわ」
もう一度フィナの脳天を引っ叩くことにする。
こうして入学試験の一日目は終わったのであった。
*
日が明けて、試験の二日目がやってきた。
身支度を整えたオレとフィナは、ともに試験会場となる学校へと来ていた。
現在は魔術戦の実技試験の待機場所である講堂に集められているところだ。
魔術戦の実技試験は一人ずつ呼ばれ、何人かいる試験官の講師と手合わせすることになっていた。
講堂内ならどこで待機しててもいいため、今はフィナと一緒に自分の番が来るのを待っていた。
「どうしよう。いける気がしないよ……」
フィナは両手をすり合わせながら言う。
彼女は昨日から相変わらず落ち込んだままだ。
昨夜もショックで眠れなかったらしく、今朝起きたらげっそりとしたフィナが布団の上に座っててびっくりした。
「お前、メンタル弱すぎじゃないか?」
「オーラルドが強すぎなんだよ。なんでこれから大事な魔術戦の試験があるっていうのに、なんで平然としていられるの?」
それは踏んできた場数が違うからだ。
オレは小さい頃から低年齢向けの魔術戦の大会に出ていたし、それなりの人が見に来るような大舞台も経験していた。
それに比べれば、たかが入学試験の一つくらいどうってことがなかった。
「そもそもこれは入学試験だろ? 魔術戦の試合じゃないんだ。必ずしも勝つ必要なんてない。試験官に自分の実力を見せて、合格ラインまで届きさえすればいいんだ」
「そうは言っても……」
理論と感情は別なのか。
フィナは暗い顔をしながら俯いたままであった。
そんな彼女に向かって言うことにする。
「魔術戦魔導師になりたいなら、そのメンタル弱いの、早く直した方がいいぞ。魔術戦魔導師に一番必要とされる能力はメンタルの強さって言われるくらいだからな」
「そうなの?」
「魔術戦魔導師になれば、大勢の観客の前にしてリーグ戦やらトーナメント戦を戦い抜かなきゃいけない。成績がいいときは問題ないが、誰しも不調なときはある。そういうときにメンタルが弱ければ、パフォーマンスが落ちる悪循環に陥るからな」
魔術戦魔導師は藤村冬尊がいた世界で言うところの、プロスポーツ選手みたいな存在だ。
魔術戦という魔術を用いた対人戦闘をスポーツに見立てて、観客の前で興行的な試合をする職業。
プロスポーツと同じく、結果を残せなければ生き残ることはできないし、観戦マニアからも叩かれるようになってしまう。
いわば弱肉強食の世界。
長い現役生活をものにするには、強靭な精神力が求められていた。
「とは言っても、見たところ他の受験者も大概な感じだし、今はそこまで気にすることでもないけどな」
講堂には自分達以外の受験者も多数見受けられる。
その中にはオレ達のように知り合い同士で来ているものもちらほらいた。
「なあ、聞いたか? 今日の試験官の話」
「ああ、元魔術戦魔導師の講師が担当するかもしれないんだろ?」
「その試験官に当たったら絶対合格できないよな……。元魔術戦魔導師なんかに勝てるわけないし……」
「もう神頼みするしかねえな。弱い試験官に当たりますようにって」
聞こえてくるのは弱気の発言ばかり。
どうやら試験前にナーバスになっているのはフィナだけじゃないらしい。
「ほら、他の奴も自信はないみたいだし、大丈夫だろ」
「今、元魔術戦魔導師が試験官にいるって言ってたよね⁉ 無理じゃない⁉ そんなの!」
「逆効果だったか……」
魔術戦魔導師になれるのはこの国でも一握りの魔術師だけだ。
そんな相手と戦う可能性があると知って、悲観したくなる気持ちもわからなくない。
この国の現役の魔術戦魔導師は百五十名近くしかいない。
魔術での戦闘技術を身につけている人口の多さを考慮すると、リーリエ魔導学園に入るよりも圧倒的に狭き門であった。
この学校でトップの成績を取って卒業できたからといって、魔術戦魔導師にはなれるとは限らない。
そのくらい魔術戦魔導師になるのは難しいことなのだ。
たとえ現役を退いていたとしても、そんじょそこらの人間では勝てるわけがなかった。
「まあ、ハンデなしの戦いだったら、オレ達が勝てるわけもないしな」
「オーラルドでも元魔術戦魔導師には勝てないの?」
「当たり前だ。現役時代にどのレベルにいた魔術戦魔導師かは知らないが、ハンデなしの戦いだったら九割九分勝てないと思うぞ」
もちろん無詠唱魔術を使えば話は別だが。
今回の魔術戦の実技試験は正々堂々、この世界に元からある詠唱魔術で戦うと決めていた。
「そもそもオレは才能やセンスがない代わり、知識面で補って結果を出していたタイプだ。そんな人間がここ二年間の戦法やメタを何も知らないとなると、かなり弱体化していることになる。全盛期のオレならともかく、今のオレじゃ天地がひっくり返っても勝てないな」
「そうなんだ……」
少し気が休まったのか、フィナは苦笑を浮かべた。
「じゃあ、一緒にその試験官に当たらないよう願うしかないね」
「何、言ってるんだ。そいつに当たった方がいいだろ」
「まさかの戦闘狂だった⁉」
ささっと身を引くフィナに言う。
「違うわ。確かに個人的に元魔術戦魔導師と手合わせしてみたい気持ちはあるが、そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味なの?」
「言っただろ? 魔術戦試験は勝つことが目的じゃないって。自分の実力をアピールして、合格レベルに達していると判断されれば充分なんだ。それなら見る目がある奴が試験官の方が合格しやすそうじゃないか?」
「いいね。合格できる実力があるって自信があって」
「もちろんだ」
決して自分に才能があるとは思えないが、二年前のオレは同年代の魔術師の中でもトップクラスの実力があったのも事実である。
たとえ魔術戦の舞台の最前線から退いたとはいえ、そこいらの同年代の魔術師よりも劣っているとは思えなかった。
「フィナも合格できる実力はあるんだ。長年魔術戦を見てきたオレがそれは保証する。だから、自信を持て」
「うん……」
そんな会話をしていると、自分の受験番号が呼ばれる。
どうやらフィナより先に実技試験の番がやってきたらしい。
「じゃあ、番号呼ばれたから先行くな」
「頑張ってね! オーラルド!」
フィナからの激励を背中で受け止め、講師に案内されるまま講堂を出ることにする。
魔術戦の試合会場に着くと、一人の男が待ち構えていた。
「おう、お前さんが次の受験者か」
髭を生やした三十代後半から四十代前半くらいの男性。
ラフな服装に身を包んだ到底学校の教師とは思えない男が言った。
「俺は試験官のジュイス・ミュラーだ。よろしくな」
ジュイス・ミュラー。
どこかで聞いたことのあるような名前だ。
かなり昔のおぼろげな記憶を頼りに尋ねることにする。
「もしかして、あんたが元魔術戦魔導師の試験官か?」
「おお、俺の名前を知っててくれたのか」
男は口を細く開けて、驚く素振りを見せる。
そして、口元をニヤリと歪めた。
「推察の通り、俺は昔に魔術戦魔導師をやっていた。今はリーリエ魔導学園に講師として雇われ、魔術戦部門長を任されているだけの者だけどな」
元魔術戦魔導師だけでなく、魔術戦部門長ときたか。
どうやらオレは幸運にも、この学園で最も魔術戦に精通している試験官を引き当てることができたようだった。




