第三十六話 『同棲生活初日』
「いやー、とりあえず帰ってこれたね」
「だな」
プリシラの街で生活するための買い物を終えて、新居へと戻ってくる。
現在の時刻は午後七時過ぎ。
布団やら机やら料理道具など色々と買っていたら夜になってしまった。
しかも、これで必要なものが全部買えていないというのだから困ったものだ。
今日は遅くなって店も閉じ始めたので買い物を中断し、残りの生活用品を集めるのは翌日へと持ち越しとなった。
この調子だとあと数日は買い物に明け暮れる日が続くかもしれない。
「机とか適当に配置していいか?」
「いいよ。この部屋の広さだと布団は敷いたままにできないから、端に寄せちゃうね」
「ああ、助かる。鍋はどこにしまう?」
「これから夕ご飯を作らなきゃいけないから、しまわないでいいんじゃない?」
「それもそうか」
こんな感じで買った物を整理していると、フィナが言う。
「そうだ。私達、今日から一緒に暮らすわけじゃん? 生活するにあたって色々と決めておいた方がいいんじゃない?」
「それもそうだな」
ここは一人暮らし用の一部屋だけの家である。
それをお金がないオレ達は二人で共同して借りることにした。
部屋の区切りがあるわけでもなければ、脱衣所があるわけでもない。
そういう関係でない男女が一緒に暮らす以上、様々な取り決めは必要だろう。
そんなことを思っていると、フィナが言う。
「やっぱり最初に決めるのは家事の分担だよね」
「ああ、そっちか」
ウルター孤児院では家事を子供達みんなで分担してやっていたが、家を借りて暮らすとなると、自分達ですべての家事をこなさなければならないのか。
二人で暮らす分、分担することはできそうだが、それでも面倒なことには変わりがなかった。
「料理に洗濯に掃除でしょ? あとは買い物とか?」
「なあ、フィナ。孤児院にいた頃は試験勉強に専念できるように手伝いを肩代わりしてやったよな? その恩返しとしてこの家の家事を全部やってくれるってのは?」
「私の分まで手伝いをしてくれたのはありがたいと思ってるけど、それとこれとは別じゃない? そもそも前半は手伝いサボりまくってたじゃん。それで帳消し」
ちっ、騙されなかったか……。
上手くやりくるめれば、家事を全部押し付けるチャンスだっただけに残念であった。
「じゃあ、ドラフト制にするか」
「いいね。お互いがやりたい家事を選んで取り合うって感じで」
「やりたい家事なんてないけどな」
「そういう屁理屈はいいの。じゃあ、『せーの!』で一つ目を選ぶよ」
「わかった」
「せーの!」
「「料理」」
二人の声が重なる。
まさか第一ドラフトが被ってしまうとは。
「じゃんけんでもしてどっちがやるか決めるか」
そう言って袖を捲ると、フィナが猛スピードで首を横に振る。
「いや、駄目だから! オーラルドが料理だけは!」
「なんでだよ。被ったんだから、ここは平等な方法で決めるべきだろ?」
「そうだけど! これだけは例外だから! オーラルド、料理ド下手じゃん!」
フィナは勢いに任せてとんでもない暴言を吐いてくる。
ド下手とは酷い言いようだ。
オレは過去視の魔眼でレイル・ティエティスの人生を覗き見ている。
前いた世界では料理などしたことない彼であったが、この世界に来てからは日本の味を再現しようと熱心に料理をしていた。
そんな彼の暮らしぶりを見てきたオレである。
料理についても人並み以上の知識は持ち合わせていた。
「そもそも料理に上手いも下手もあるか。あんなものはな、レシピ通りに食材を揃え、レシピ通りに作れば誰だって美味しく作れるものなんだよ」
「どの口でそれを言ってるの⁉ あの焼け焦げた野菜炒めとか、にんじんが丸ごと入ったスープはなんだったの?」
「いやな、レシピを目の前にするとつい考えちゃうんだ。どうにかして時間を短縮できないかって。そうして火力を全開にしたり、野菜を切らないで一気に鍋に放り込んだ結果があれだ」
「絶望的に料理に向いてない性格!」
そんなこと言われても困ってしまう。
効率性を求めてしまうのは魔術師である以上当然の性というか、むしろ他の人間がどうして効率を追求しようとしないのかがわからないくらいだ。
なんだよ、弱火で十分って。
どう考えても強火で五分に短縮した方がお得だろ。
「そんなんだから料理当番禁止にされるんだよ? 何、ポトフ作りRTAって。オーラルドが変なことをやり出したせいで、男の子達が真似しだしてウルター孤児院の食卓が崩壊したことあったじゃん」
「RTAはリアルタイムアタックの略だ。要はポトフ作りをどれだけ早く終わらせるか競い合っていたわけだ」
「早さじゃなくて、味を競い合って!」
懐かしいな、ポトフRTA。
他にもシチューRTAだったり、ラザニアRTAだったりと色々と種目が存在した。
最終的には食べ物で遊ぶなとニーネに大叱りを受けて、全部禁止となったんだけどな。
「っていうか、なんでわざわざド下手な料理希望するの? オーラルドに料理だけはさせたくなくて、家事の分担決めようとしたのに!」
「いや、料理が一番時間短縮できる余地あるかなって。洗濯とか適当にやると汚くなるだろ? でも、料理だったら味が落ちるだけで済むしな」
「その発言聞いて絶対やらせたくなくなった!」
フィナは置いてあった鍋や包丁をオレから離していく。
そのまま買ってきた食材までも囲い出して言った。
「あれは味が落ちるってレベルじゃないからね! オーラルドに料理だけは任せられない!」
「一応食べれるものは作ったつもりだぞ?」
「どこが? ちゃんと食べれてたのオーラルドだけだったよね?」
「そういえば、そうだったかもしれないな……」
「なんであんな不味い料理を食べれたのかが謎なんだけど……。もしかしてオーラルドって味音痴?」
誰が味音痴だ。
貴族だった頃は専属シェフが作った料理を毎日食べていたんだ。
そんじょそこらの人よりは舌が肥えている自信はある。
ただ今のオレは味に興味がないだけだ。
食事なんて、カロリーや栄養素を取れれば充分と考えていた。
「とりあえず料理は私がやるから! これは決定事項!」
「はぁ……」
有無を言わせない態度で告げてくるフィナにため息をつく。
そこまで料理がしたいなら、フィナにやらせてやるか。
別にオレは料理じゃなきゃ嫌というわけでもないしな。
「わかったよ。その我儘に免じて、料理はフィナに任せてやる」
「我儘とかじゃなくて当然のことだからね! 買い物もお金の管理をしている私がやるから、オーラルドは掃除と洗濯でもしてて」
「はい……」
こうして二人の共同生活の家事分担は勝手に決められるのであった。
*
「じゃあ、電気消すよ」
「ああ」
「おやすみ、オーラルド」
「おやすみな」
フィナが電気を消すと、部屋中が暗闇に包まれる。
オレとフィナは眠るために、布団に入ることにした。
今の時間は夜十一時ほど。
引っ越し初日とあってやることが多く、孤児院での就寝時間よりも遅くなっていた。
窓の外に目を向ける。
まだカーテンは買っていないため、外の様子が丸見えだった。
オーギスと違って夜の街は街灯に照らされている。
その分、空に浮かぶ月明かりが薄らいで見えた。
やっぱり環境が変わるとすぐには寝付けないな。
ウルター孤児院に来た当初もそうだった。
いつからオレはあの場所ですんなり寝ることができるようになったんだろう。
そんなことを考えながら、隣の布団で横になるフィナに視線を移す。
瞬間、目が合った。
どうやら彼女もまだ眠れていなかったらしい。
「なんだ、お前も寝付けないのか?」
「お前もってことはオーラルドも?」
「まあな。やっぱり布団や枕が変わるとなかなか眠れないよな。やっぱりあの店にあった高いベッドを買うべきだったか?」
「何、贅沢言ってるの……。そもそもこの部屋にベッド二つ置いたらそれだけで他のスペースなくなっちゃうでしょ」
「ベッド一つだけ買って、フィナは床で寝るってのは?」
「人の心ってものがないの?」
暗闇の中でフィナの目が細められる。
いや、冗談だからね。本気で言ってるわけじゃないよ?
あわよくばオレだけベッドで寝ることを許されないかな、とか考えて言ったわけじゃないから。
「っていうか、フィナも布団が変わると眠れなくなるタイプなんだな。馬車の中とかどこでもすぐに寝てたからそんなイメージなかったけど」
「いや、そういうわけじゃなくて、別のことで……」
急に言い淀むフィナ。
しばらくして、彼女は口を開いた。
「ねえ、オーラルドと二人で並んで寝ているってこの状況、よくよく考えたら色々とまずくない?」
今さら気づいたんかい!
盛大にツッコミを入れたい気分だった。
「オーラルドは男の子で、一応私も女の子なわけでしょ? 孤児院ではみんなで一緒の部屋で寝てたけど、二人きりで寝るってのはその特別な関係じゃないとやらないことじゃん」
「……」
「何、その目⁉ 私、変なこと言った⁉」
「いや、フィナにそういう一般常識が備わっていたことに驚いているだけだ」
「何、それ! 酷いっ!」
自分の掛け布団をパンパンと叩くフィナ。
そもそもそういう常識があるなら、一緒に住むって話になったときに気づいて然るべきだと思う。
ここに来るまでの道中も、二人で一緒の空間に寝る機会はあったしな。
「人のことおこちゃまだって馬鹿にしてない? それくらいのことはわかりますー!」
「正直、そういう話題に疎いタイプだと思ってたわ……」
「そういうオーラルドはどうなの? なんか平然としてるけど」
「そりゃあ女と寝たことがないわけじゃないんだし、別々の布団で寝るくらいで意識しないから」
「そうなん……えっ、寝るって? どういう意味で?」
あっ、しまった。
つい会話の流れでそっち系の話題を口にしてしまった。
いくら男女の一般常識を持ち合わせているといっても、そういう生々しい話は苦手だよな。
配慮が足りない発言をしてしまったことに申し訳なさを感じる。
「いや、今の発言は忘れてくれ」
「もしかして、オーラルドってそういうことしたことあるの?」
掘り返してくるんかい。
人がせっかくなかったことにして話題を変えようとしているのに、焦点を当ててこないでくれ。
「あるだろ。女を抱いたことくらい」
「誰と? さすがに孤児院の子じゃないよね……? もしかして、ニーねえと⁉」
「お前は自分の育ての親をなんだと思ってるんだ。ニーネが孤児院の子供にそんなことするわけないだろ」
オレが風呂に入ってるとき、勝手に入ってきたけどな。
というツッコミはしないでおくことにする。
「じゃあ、誰? 他に思いつかないんだけど」
「誰も何もオーギスの街に来る前のことだよ。全員お前の知らない女だ」
「全員⁉ っていうことは一人じゃないの⁉」
もはやフィナは横になるのを止めて、飛び起きる始末。
うるさい奴だ。
もう少し静かにできないのか?
「ああ」
「ねえ、何人? 何人なの?」
「なんで経験人数を言わなくちゃいけないんだよ。そもそも覚えてないわ」
「覚えてられないくらいってこと?」
「そういうわけじゃないけど、ほらオレってイケメンだろ? 金も持ってたし、言い寄ってくる女は多かったから。来る者拒まずの姿勢でいたら、そういう機会が多かっただけだ」
「よくそんな自信満々にイケメンを自称できるよね……」
文句がありそうな視線を向けてくるフィナ。
しょうがないだろ。事実イケメンなんだから。
実際貴族時代はかなりモテたしな。
オースティン家という立場を失ってから、オーギスの街ではそこまででもなかったけど……。
「あと来る者拒まずって……。なんか不潔」
「なんでそうなるんだよ。断る方が相手に悪いだろ。そもそも、そういうことをしている人間が不潔っていうなら、お前を産んだお父さんとお母さんは――」
「それは話が違うでしょ」
そうすっぱり言い切って、並べた布団の距離を離していくフィナ。
あの、そういう露骨な行動止めてくれない?
意外に傷つくんだからね。
「っていうか、前に許嫁がいたって言ってなかったっけ? 許嫁がいたのに、そういうことしてたの?」
「……」
どうやらお前は気づいてはいけない闇に触れてしまったようだ。
フィナにはウルター孤児院にいた頃に、ここに来るまでの経緯を簡単に説明したことがある。
もちろん異世界転生者であるレイル・ティエティスの存在は伏せていたが、婚約破棄をされたエメリダのことは話してあった。
「いや、婚約者と恋人は別物だから、浮気にカウントされなくない?」
「そういうものなの……?」
さあ? オレ自身もよくわからない。
ただエメリダの方もレイルという別の男に熱を上げていたし、そもそも避けられていたこともあって、彼女とはほとんど会話を交わさない仲であった。
エメリダのことを少なからず異性として見ていたのに、別の女に手を出したことは責められるべきかもしれないが、あれは浮気とは言わないだろう。
まあ、浮気こそしていないものの、貴族界で出回っていた悪評の中には女絡みのトラブルも多かったため、そこのところを突かれると弱ってしまうのだが。
「フィナさん……さらに布団離すの止めてくれませんかね? 壁にぴったりくっついちゃってるじゃん」
「襲われちゃうかもしれないし……」
「襲わねえわ。言っておくけど、無理やりそういうことをしたことはないからな。オレがしたことあるのは全員言い寄ってきた女だけだ。全部合意の上だ」
そこのところは誤解しないでほしい。
いくら悪役貴族だといえど、そこの一線は弁えている。
だから、人を性犯罪者を見るような目で見ないでくれ。
「やっぱりオーラルドと一緒に住むのやめようかな。家に帰ったら女の子連れ込んでる場面に出くわしそうだし」
「連れ込まねえよ。あのな、女遊びをしていたのは貴族だった頃の話だからな。オーギスの街に来てからは一切そういうことはしていない。誓って断言できる」
「ほんと?」
「本当だ。あれは若かりし頃の過ちみたいなものだから。今はちゃんと改心している」
「若かりし頃の過ちって言うには、今も充分若いと思うけど……」
確かに実年齢で見たらその通りだったが、オレには藤村冬尊とレイル・ティエティスの過去を視てきた三十五年分がある。
レイルに過去視の魔眼を使う前と後では、性格は多少なりとも変わっていた。
そもそも今のオレには女遊びをするほどの余裕はない。
過去視の魔眼の代償によって、残された寿命は限られている。
異世界転生者を倒すという果てしない目標を達成するためにも、異性にかまけている時間はなかった。
女を抱けば強くなれるっていうんだったら、話は別だけどな。
今のオレは誰に言い寄られても、そういうことをするつもりはなかった。
「今後も一切不純異性交遊はしない。だから、安心してくれ」
「まあ、そこまで言うなら一緒に暮らしてもいいけど……」
よかった。フィナさんからお許しが出たようだ。
こんなことが原因で家から追い出されて、住むところがなくなったら笑えなかった。
ほっと息を吐いて言うと、フィナが言う。
「でも、そっちももうちょっと布団は離してね」
「やっぱり許されなかったかぁ……」
これからの暮らしが前途多難に思える、同棲生活一日目なのであった。




