第三十五話 『新天地での生活』
オーギスの街から魔法都市プリシラへの旅路は一週間ほどかかった。
道中は車中泊や馬小屋で夜を過ごしたりと、旅費を抑えるためにだいぶ苦労をしたわけだが、もうすぐこの生活も終わりとあれば心が安らいでいく。
馬車の行列が進み、大きな橋を過ぎると辺りの景色が一変した。
家屋が多くなり、その先に進むと集合住宅や店舗が増えていく。
明確な境界があるわけではないが、どうやらプリシラの都市部に到着した様子だ。
王都とは微妙に似て異なる整然とした街並みが待ち構えてあった。
「うわぁー、すごいね。オーギスとは全然違う!」
「だな」
「オーラルドはプリシラに来たことあるの?」
「ああ、何度も行ったことはある」
プリシラはアルジーナ王国の中でも魔術戦が盛んな都市である。
情報を集めるために自ら赴くことはあったし、低年齢向けの魔術戦の大会に参戦するために訪れたこともあった。
「じゃあ、この街のこと案内してよ。私、観光してみたい!」
「そんなめんどくさいこと誰がするか。これから入学試験が控えてるんだぞ? 観光なんて舐めたこと試験が終わってからにしろ」
「ごもっともな意見だね……。じゃあ、試験が終わってからしようね」
「いや、観光なんて身にならないことに時間を費やしたくないから、一人でしてくれないか?」
なんてやり取りをしていると、馬車が停留所に到着する。
オレ達二人は荷物を持って路上に降りることにした。
現在の時刻は昼の真ん中くらい。
街が活発に動き出した時間帯である。
この時間にプリシラに着くことができたのは幸運だ。
今なら大体の店が開いているので、色々と動けるはずだ。
「さて、何しようか。って言っても、やっぱり最初は泊まるところ探しだよね」
「そこら辺が妥当な選択肢だな」
「とりあえず宿探しちゃおうか」
しばらく大通りを歩いていると、宿屋が目に映る。
いわばホテルといった五階建ての豪勢な建物だ。
「ここ入ってみるか?」
「えっ、見るからに高そうじゃない?」
「別にだろ。もっと高いホテルなんていくらでもあるぞ?」
「それはそうかもしれないけど、今はお金ないんだからね。貴族時代の物差しで考えないでよ」
フィナの言う通り、長年貴族として生活していたオレは金銭感覚が狂っているところがある。
よって、ニーネから預かった生活資金や学費はすべてフィナの管理下にあった。
ここに来るまでも散々指摘されたしな。
気軽にレストランでご飯を食べようとしたり、割高の個人馬車に乗ろうとしたのを注意されていた。
とりあえずホテルのフロントに行き、金額と空き状況を確認する。
部屋には空きがあったようだが、一人部屋一泊一万二千セスであった。
「却下。もっと安い宿にするよ」
すぐさまフィナのNGが出たため、別の宿を探すことにする。
次にオレが見つけたよさそうな宿は見るからに高そうということでスルーされ、フィナが見つけた少ししょぼい宿に入っていった。
受付で提示された金額は一人一泊六千九百セス。
充分安いように思えたが、フィナは満足しなかったようで別の宿に。
次の宿は七千四百セス。
その次の宿は六千五百セス。
その次の次も似たような価格で、七件目に見つけた宿が最安値で一泊四千八百セスであった。
全部で十件ほど回った後、フィナが口を開く。
「ねえ、宿取るのってこんなにお金かかるの?」
「宿だからな。金は取られて当然だろ」
ウルター孤児院で長年暮らしていたため忘れているのかもしれないが、本来雨風を凌ぐための拠点を得るというのは無料でできるものでもない。
ましてや、ここはアルジーナ王国で三本の指に入るほど栄えている都市なのだ。
宿代が高いのは当然のことだった。
「ねえ、オーラルドってこの街に来て、どこで生活するつもりだったの?」
「学園の寮にでも入れればって思っていたけど、よく考えたら入学するのって二ヶ月後とかなんだよな……。この間の空白期間のことすっかり忘れてた」
「忘れてたんだ。オーラルドってしっかりしているように見えて、意外と抜けているところあるよね……」
意外も何もないだろう。
勝手に期待されても困ってしまう。
そもそもオレは長年貴族として暮らしていて、一般常識には疎い方である。
お金に対しても普通の人と違って執着心がかけており、適当に宿でも取ればいいやくらいの軽い気持ちで考えていた。
もちろんオレ達に持ち合わせのお金がないわけじゃない。
宿に泊まれる程度の金額はニーネから預かっていた。
でも、これはリーリエ魔導学園に通うための学費やその後の生活資金である。
こんな序盤の二ヶ月で使い果たしていいお金じゃなく、フィナもそれがわかっているから必死に節約しようとしているのだ。
「一泊の費用が二人で合計一万セスと見積もっても、二ヶ月で六十万セスでしょ? さすがにそんなに払えないよね……」
「六十万セスあったら、家賃五万セスの家一年分くらいは借りれるしな……」
「だったら、もう家借りちゃった方が早いんじゃない?」
「それもそうかもな」
「じゃあ、いっそ家でも借りちゃう?」
簡単に言ってくれるものだ。
確かにボロい家でいいなら家賃五万の部屋なんていくらでもあるだろうが、色々と問題が出てくるのも事実である。
「家具とかどうするんだ? 住む環境を整える費用を考慮するとどっこいどっこいになりそうじゃないか?」
「家具も寮に持っていけば余計な費用にはならないんじゃない?」
「お前な……引っ越しを自力でやるつもりか……」
フィナの腕力ならできないこともないだろうけど、オレとしてはそんな手間のかかること勘弁願いたかった。
「そもそもベッドとかは寮の方に用意されてると思うぞ」
「ちなみに学校の寮ってどのくらい家賃かかるの?」
「調べてないからよくわかんないけど、食事とかその他込み込みで月二、三万くらいは取られるんじゃないか?」
「じゃあ、そのまま借りた家に住んじゃえばいいんじゃない?」
何を言っているんだ、こいつは。
反射的に反論しそうになったが、よくよく考えてみると悪くない案かもしれない。
さすがに合計金額で見たら寮に入った方が得をするだろうが、家を自分達で借りるのもそこまで大損というわけではないように思えた。
それに寮に入れば門限などの制限があるだろう。
夜遅くの魔術の練習も制限される可能性もある。
オレとしては家を借りられるなら、そっちの方が助かるところだった。
そもそもお金がなくなったら途中で寮に入ればいいしな。
宿を取って初っ端二ヶ月で六十万セスを失うよりは、家を借りた方がいいように思えた。
「そうだな。部屋を借りる方向性でいくか」
「どう? 私、冴えてるでしょ?」
「調子に乗るな、馬鹿」
ドヤ顔をするフィナの頭を叩くことにする。
叩かれたフィナは頭を擦りながら、むくれっ面を浮かべる。
「馬鹿って酷い! ちょっとくらい褒めてくれてもいいじゃん!」
「どうせ部屋借りるんだったら、リーリエ魔導学園の近くにするか」
「あっ、話逸らした!」
「話を逸らすも何も建設的な話をしているんだ。どうせ家を借りるなら、学校に通いやすい場所の方がいいよな?」
「だね。じゃあ、馬車に乗って学校近くの不動産屋さん見てみることにしよ」
といった形で今後の生活の方針を立てていくことにした。
*
「どうですかね、ここは」
不動産屋に行き、色々と物件を紹介された後、現在は部屋を見に来ていた。
集合住宅の二階の一部屋。
玄関を上がって部屋に入り、あらかたの説明を終えたところで不動産屋は尋ねてくる。
「家賃五万セス。ワンルームしかありませんが、シャワーもトイレもついています。ここら辺では格安の家ですよ」
「すぐに住むことはできるんですか?」
「もちろん今日から借りることはできますよ」
「いいですね。どう? オーラルド的にここは?」
そんなこと訊かれても、部屋の良し悪しなんてわかるわけがない。
貴族時代に住んでいた屋敷に比べれば、どこもしょぼく見えるしな。
面倒になって、フィナに丸投げすることにした。
「フィナがいいって言うんだったらいいんじゃないか?」
「ねえ、適当すぎない? 何年間も住む場所になるかもしれないんだよ?」
「フィナを信用して任せるって言ってるんだ」
「絶対めんどくさくなってるだけでしょ……。オーラルドのことだから、部屋選びなんてさっさと終わらせて魔術の勉強したいって思ってるんじゃないの?」
なんだ、バレていたか。
部屋なんて雨風が凌げればどこでも同じようなものだ。
そんなものを選ぶことより、有意義なことに時間を使いたいと思うのは当然のことだろう。
特にプリシラに着くまでは前回の盗賊に襲われた反省を活かして、魔力を切らさないよう無詠唱魔術の練習をセーブしていた。
その分、今までやってこなかった治癒術の発動訓練などをやっていたわけだが、一刻も早く無詠唱魔術の習練を再開したいというのが本音であった。
「オレの考えていることがわかっているんだったら、尊重してくれ」
「はぁ。私、オーラルドがちゃんと生活できるか不安だよ……」
「まあ、なんとかなるだろ」
「なんとかならなそうだけどね。あっ、不動産屋さんこの部屋で大丈夫です」
「かしこまりました。ありがとうございます」
そうして不動産屋と契約の話を進めていくフィナ。
不動産屋が契約書類を片付け、ひと段落ついたっぽいところで言うことにする。
「フィナの部屋も決まったことだし、次はオレの部屋か」
「何、言ってるの? 二人でここに住むんだよ?」
「えっ、二人で? ここに?」
六畳ほどしかないワンルームの部屋を呆然と眺める。
「どう見てもここって一人暮らし用の部屋のような……」
「仕方ないじゃん。お金ないんだから」
「確かにそうだけど。さすがにこの家に二人で暮らすっていう選択肢は――」
「二つ家借りたら家賃の合計が十万セスになっちゃうんだよ? もう一部屋ある家でも家賃八万くらいになっちゃうし……」
「そのくらいの相場でしか、部屋をご紹介することはできませんね」
不動産屋が相槌をうつ。
まさかオレがいないところでそんな決断が下されていたとは。
全く話を聞いていなかったことが仇となっていた。
「っていうか、これからフィナと一緒に暮らすのか?」
「そのつもりだけど、何か問題ある?」
いや、問題だらけじゃないか?
結婚しているわけでもなければ、そういう関係になっているわけでもない男女が一緒の家で暮らすときた。
しかも、一部屋しかない一人暮らし用の家で。
いくら彼女が倹約家と言えども、これはやりすぎじゃないだろうか?
「オレと一緒の部屋で暮らすことになるんだけど、フィナはそれでいいのか?」
「なんで? ウルター孤児院の頃から一緒に暮らしてたじゃん」
「それはそうだけど……」
至極全うな正論だけど、それをなんの躊躇いもなく言い切るのには驚いた。
普通好きでもない男と一緒に同棲するなんて、女なら少しは抵抗を覚えるものじゃないか?
まあ、本人がいいと言うなら問題ないか。
彼女が意識していないなら、変な間違いは起こらないだろうしな。
「まあ、それでいっか」
「もしかして、一人暮らししたいとかあった?」
「いや、別に。一緒に暮らすんでいいよ」
オレがフィナと暮らす分には何の不満もない。
彼女の性格の良さは知っているし、今まで長い時間をともに過ごしていたが、一緒にいても苦痛には感じなかった。
強いて言うなら、毎日がうるさくなりそうなことが懸念点だが、それ以外は何も文句はない。
一緒に暮らせば、生活費もだいぶ抑えられるだろうしな。
こうしてオーギスの街から始まったフィナとの共同生活は、プリシラの街でも続くことになったのであった。




