第三十四話 『卒業』
オースティン家を追い出され、オーギスの街に流れ着いてから二年近く。
長らく暮らしていたウルター孤児院での生活も今日で終わりとなる。
最初はただの雨風を凌ぐための場所としか考えていなかったが、終わってみれば愛着が湧いているのだから不思議なものだ。
長年暮らしていたフィナほどまではいかないけれど、寂しさを感じているのも事実であった。
「じゃあ、今日はフィナちゃんとオーくんの卒業パーティーということでご馳走をたくさん作ったからじゃんじゃん食べてね」
ニーネが子供達を前に言う。
食堂のテーブルには普段では見られない量の豪勢な料理が並んでいた。
これからオレ達の学費で財政が苦しくなるはずなのに、どうしてここで贅沢をしてしまうのだろう。
苦言を呈したい気持ちでいっぱいだったが、ご馳走に目を輝かせている子供達を見ると文句を言いたい気持ちも薄れてきた。
「いただきまーす!」
食事始めの挨拶とともに子供達は皿に盛りつけられた料理に手をつけていく。
オレも近くにあったチキンを皿に取っていくことにした。
「ねえ、フィナちゃん本当にいなくなっちゃうの?」
食事があらかた進むと、フィナの周りに子供達が集まり始める。
子供達に好かれていることもあって、別れを惜しむ声がたくさん聞こえてきた。
「オーラルドと違って、フィナ姉ちゃんは人望あるなー」
「うるせえ。人がせっかく穏やかに食事しているのに水を差しにくるな」
孤児院の子供の一人であるバルトと呼ばれる少年が近くにやってくる。
オレが手を外に扇いで追いやるような素振りを見せると、口を尖らせてくる。
「なんだよ。一人寂しくご飯食べてるから来てやったのにその態度は」
「余計なお世話だ。誰がそんなこと頼んだ」
「そんなこと言ってるから、フィナ姉ちゃんと違って人望がないんだよ。そんなんで学校で友達できんのか?」
「このクソガキが。好き勝手言わせておけば」
なんてこの孤児院でもお馴染みのやり取りをしていると、バルトと同い年の女の子カーマが会話に加わってきた。
「でも、顔はいいから女の子だったら寄り付いてきそうじゃない?」
「えっ、こいつのどこがイケメンなの? ブサイクじゃん」
「誰がブサイクだ。どっからどう見てもイケメンだろ」
「それを自分で言っちゃうのはどうかと思うけど……」
どうしてカーマに呆れた視線を向けられなければならないのだろう。
事実を口にしているのだから、引かれる要素はどこにもなかった。
「っていうかカーマ、オーラルドみたいな奴がタイプなのかよ。趣味悪くね?」
「性格は残念だけど、ほら顔はいいから。誰かさんと違って」
「ぐぬぬ……こいつに負けるなんて……」
「やっぱりカーマは男を見る目があるな」
「いや、オーラルド。お前も性格は残念って馬鹿にされてるぞ……」
性格が残念なのはオレも認めるところだしな。
そういうところも含めて、見る目があるとしか言いようがなかった。
「オーくんのところも盛り上がってるねー」
遠くからニーネのそんな声が聞こえてきたような気がしたが、別れを惜しまれているわけでもなく、明らかにちょっかいをかけられているだけである。
こんなんで盛り上がっていると言えるのだろうか?
首を傾げるオレであった。
*
「フィナちゃん、オーくんにこっち来て」
卒業パーティーもだいぶ時間が経って、みんながご飯を食べ終えた頃合い。
ニーネが手招きをしながら呼んできた。
呼ばれたとあっては行かない理由もない。
近くにいた子供達との会話を打ち切って、ニーネの下に向かうことにする。
「どうしたの?」
隣に来たフィナは不思議そうな表情を浮かべていた。
並んでいるオレ達に向かって、ニーネは告げてくる。
「じゃじゃーん! 実は卒業する二人にみんなでプレゼントを用意しました!」
そう言って、パチパチと拍手をするニーネ。
周りの子供達もそれに倣って手を叩き出す。
フィナはそんな光景に目をパチクリさせながら言った。
「ニーねえ達もプレゼントを用意してくれたの? 嬉しいっ! 私達もプレゼント買っておいてよかったね、オーラルド!」
「あれ? プレゼントの話ってサプライズで、渡す直前まで言わないんじゃなかったの? もしかしてこのタイミングで渡すの? まだ部屋に置きっぱなしなんだけど」
「あっ……」
咄嗟に口元に手を当てるフィナ。
すべての情報が筒抜けであり、既に手遅れの状態であった。
「もうフィナちゃんったら。今はあたし達がプレゼントを渡すって話をしてるんだから、フライングしないでよ」
ニーねえに諭され、食堂にみんなの笑い声が響く。
当のネタバレをやらかした人物は頭を抱えて、「やっちゃった……」と一人後悔の表情を浮かべていた。
「なんだかそっちもプレゼントがあるみたいだけど、あたし達から先に渡していい?」
落ち込むフィナを他所にニーネが問ってくる。
フィナは答えられる状況じゃなさそうなので、代わりに返事をしてやることにした。
「ああ、このアホのことは気にせず進めていいぞ」
「アホって酷いっ!」
そもそもサプライズにしたいと言ってきたのはフィナの方だ。
人に情報を漏らさないよう入念に忠告しておいて、自分がうっかり漏らしているのだからアホとしか言いようがなかった。
「はい、まずはフィナちゃんに」
そう言って、ニーネは小包を手渡す。
フィナは両手で受け取ると、目を輝かせながら尋ねた。
「開けていい?」
「もちろん。今開けてよ」
ニーネの返事を受けて、フィナは小包を縛っていたリボンを解く。
すると、中から出てきたのは赤い財布だった。
「わっ、財布だ!」
「フィナちゃん、昔にあげたのずっと使ってたでしょ? これからはお金を使う機会も増えるわけだし、新しいの持ってた方がいいかなぁって」
「ありがとう! ずっと欲しいと思ってたんだ! 嬉しい!」
大事そうに財布を抱きしめるフィナ。
この前のプレゼントを買いに行ったときも彼女は財布が欲しいと言っていた。
まさにフィナにぴったりのプレゼントとも言えた。
さすがは長年一緒に暮らしているだけある。
ニーネはフィナのことはなんでもわかっているようだ。
「そして、オーくんに」
オレにも小包が渡される。
フィナより二回りくらい大きいサイズの包装だ。
手に乗った感じ、重さは感じない。
少なくとも財布ではないようであった。
「さて、何が入っているんだ」
フィナの欲しいものをドンピシャで当てたニーネのことだ。
プレゼントの内容に期待する気持ちもあった。
中を開けてみると、入っていたのは二束の紙であった。
一つは便箋。そして、もう一つは花柄のデザインの封筒であった。
「なんだ? これ?」
「オーくん、ここ出ていったら絶対めんどくさがって便りを渡してこないでしょ? だから、それ用の手紙だよ」
「……」
要は連絡をよこせという脅迫じみたプレゼントだった。
「ニーねえ、オーラルドのことわかってるね」
親指を突き立てて、ニーネに笑顔を向けるフィナ。
確かにプリシラに行ったら連絡を取ろうとしないのは目に見えていたが、だからといってプレゼントを手紙と便箋にしないでもいいだろう。
オレも財布がよかった……。
「なんか人があげたプレゼントに不満そうな表情だね」
「ウルター孤児院に連絡を寄越すかどうかは置いておいて、手紙と便箋は普段使いできないものじゃないしな。まあ貰っておいて損はないか」
「そう言うと思って、封筒には全部ここの住所書いておいたからね。その封筒はウルター孤児院にしか出せない特別製になってるよ」
「なんというありがた迷惑……」
二年も一緒に過ごしていただけあって、ニーネにとってはオレの思考なんてまるわかりらしい。
フィナのときと違って、本人に喜ばしい形で働いていないのが残念なところだけど。
「そうあからさまな態度取らないでよ。お姉ちゃん、悲しいよ」
「悪い。別に貰って嬉しくないってわけじゃないんだ」
「まあ、これじゃあオーくん喜ばないだろうなってもう一つプレゼントあるんだけどね」
「だったら、さっさと出せ。フォローして損したじゃねえか」
ニーネは苦笑を浮かべて、近くにいた子供から一冊の本を受け取った。
それをこちらに手渡してくる。
「はい、治癒術の本。やっぱりオーくんには財布とかよりこういうものがいいかなって。治癒術に興味があるんでしょ? 私のおさがりだけど、持っていってよ。治癒術を勉強するなら持っていて損はない本だから」
「いいのか?」
「基本的なことは頭の中に入っているしね。あたしには必要ない本だから」
これは嬉しいプレゼントであった。
この二年間治癒術を勉強していたが、まだ学びきれていないところもたくさんあったしな。
まさに求めているプレゼントそのものだった。
「なんだかんだ人のことよく見ているんだな」
「当たり前でしょ? ずっとオーくんのこと見てたんだよ。何が欲しいかなんてわかるに決まってるよ」
「だったら、あの封筒と便箋はなんだったんだ?」
「あれは私の持っている本だけじゃおさがりで悪いかなと思って、おまけとしてあげただけだから。よかったらフィナちゃんと二人で使ってよ」
「おまけって言う割には本命より先にやってきたけどな」
なんてやり取りをしていると、フィナに肩をちょんちょんと叩かれる。
何かと思って、振り向いて尋ねる。
「なんだ?」
「私達もこの場でプレゼント渡しちゃわない?」
「そうだな。誰かさんがバラしちゃったことだし」
「もうそれは言わないでよ! じゃあ、私持ってくるから」
そう言って、廊下へと駆け出すフィナ。
しばらくすると、彼女は用意していたプレゼントを手に戻ってきた。
「はい、ニーねえ。これは私からのプレゼント。長年育ててくれた感謝の気持ちです」
「いいの? 貰っちゃって」
「もちろん。私とオーラルドで選んだんだよ」
フィナはハンカチと化粧ポーチをニーネに渡す。
プレゼントを受け取るニーネの表情は涙ぐんでいた。
「泣かないって決めてたんだけどね。やっぱり駄目そうかも」
そう言って、瞳を拭うニーネ。
「フィナちゃんなんて、この家に来たときはあんなに小さかったのに。いつの間にか大きくなっちゃって」
「全部今日まで育ててくれたニーねえのおかげだよ」
「生意気だったオーくんもプレゼントをくれるくらい優しくなっちゃって」
「生意気で悪かったな」
「二人ともありがとうね」
ニーネは勢いそのままオレとフィナへ抱きついてきた。
二人して彼女の身体を支えることにする。
先に口を開いたのはフィナであった。
「なんでニーねえがありがとうって言うの。感謝しているのは私達なのに」
「それは違うよ。本当に感謝しているのはあたしの方。フィナちゃん達と暮らす日は毎日が楽しかった。本当はいけないことだけど、もうちょっとここにいて欲しいって思ってるあたしもいるの」
「私だってニーねえと離れたくないよ」
「ここまで元気に育ってくれてありがとうね」
ニーネは抱きしめる力をより一層強めてくる。
ここまで元気に育ってくれてありがとうか。
そんな言葉、生まれて初めて言われた。
血の繋がった父親にも言われたことがないものであった。
もし母親が生きていたらそんな言葉をかけてくれたのだろうか?
わからない。
でも、もしそうじゃないとしてもオレにはニーネがいる。
彼女からのこの言葉をかけてもらえたなら、それだけで充分な気がした。
「なんかありがとうな」
「オーくんまで。ずるいよ、急に素直になっちゃって」
「オレは元から素直だ」
「ううん、やっぱりいつものオーくんだ」
こうしてオレとフィナはウルター孤児院での最後の日を過ごしたのであった。




