第三十話 『戦いは始まる前に終わっている』
「なんで僕が負けるんだ……」
意識を取り戻したシェン・アザクールが呟く。
現在、彼の身体はオレがかけた無数の拘束系魔術で縛られている。
この状態じゃ、いくらチート性能を持つ異世界転生者といえども容易に脱出することはできなかった。
「僕は異世界転生者なのに……。この世界の人達とは違って、選ばれし特別な人間のはずなのに……」
「その驕りが原因だろ」
呆然とした表情を浮かべる異世界転生者に向かって、オレは言ってやることにする。
「確かにお前は神に選ばれた特別な人間だ。違う世界の知識もあるし、無詠唱魔術だって使える。反則じみた生体術式だって持っているんだろ? でも、それだけだ」
「それだけって……」
「お前はこの世界の人間を甘く見過ぎた。この世界の魔術の戦いは何百年もの間、人間が積み重ねていった叡智の結晶だ。それをお前はたかが現地人の知識と侮って、学ぼうとしなかった」
オレを圧倒した異世界転生者、レイル・ティエティスは違った。
前世での彼は事故で愛する幼馴染を失った。
そして、この世界での彼はもう二度と大切な人を失わないで済むよう、誰にも負けないくらい強くあろうとした。
日々自らの力を磨き、この世界での魔術の戦いの知識も貪欲に取り入れていった。
街をよくしたいとかいう変な正義感に突き動かされ、自らの鍛錬を怠っていたシェンとは大違いだ。
「オレはお前ら異世界転生者を倒すために、この一年、己のすべてを捧げてきた。無詠唱魔術を覚え、魔力量を底上げし、同じ無詠唱魔術を使う魔術師との戦闘を想定して戦い方を模索していった。お前とはこの戦いにかけている準備量が違うんだよ」
魔術戦の世界はいつだってシビアだ。
想いの強さや運といった要素が絡まないわけではないが、大抵は戦いの前に築き上げていった実力差で勝負が決まる。
事前の積み重ねなしに勝てるほど、勝負の世界は甘くない。
戦いは始まる前に終わっているものなのだ。
「ふざけるなよ……だからってこんな横暴が許されると思っているのか……」
シェンは辛うじて可動域が確保されていた首を動かして、こちらを睨む。
「僕達はこの街を牛耳る盗賊団だ。そんな組織と敵対するってどういうことだかわかっているのか?」
「脅しか。さすがは裏社会の人間だな」
「なんとでも言え。君はミネルカを傷つけた。絶対に許さない」
「許さないってどうするんだ? この状況で?」
魔術によって拘束され、身動きの取れなくなった白髪の青年を見下ろしながら問いかける。
彼は歯を剥き出しにしながら、激情をあらわにする。
「確かに今回は僕の負けだ。それは認める。でも、次も戦って勝てるって保証は君にもないだろ? 僕は強くなる。強くなって、君をぶちのめしてやる。そして、後悔させてやるんだ。僕を裏切って、コケにしたことを!」
その諦めない心意気だけは認めよう。
異世界転生者である彼がオレを倒すことだけに全霊を出せば、たかが一悪役貴族であるオレを圧倒することだって可能だろう。
だけど、お前は一つだけ重大な勘違いをしている。
「何を言っているんだ? お前に次なんてあるわけないだろ」
外も騒がしくなってきたし、そろそろ頃合いだろう。
オレは懐に忍び込んでいた銃を取り出すことにした。
銃口をシェンに――ではなく、戦いの余波で割れていた窓に向けて。
トリガーを引くことにする。
この銃はただの銃じゃない。
発煙弾を撃ち出すための魔道具だ。
銃弾は鮮やかな煙を伴って、窓の外へと飛んでいった。
「一体、何を?」
「すぐにわかる」
こちらの合図が伝わったようだ。
扉をぶち破ってきたのは、武器を持った男女十数人の集団だった。
「憲兵っ⁉ どうしてっ⁉」
「どうしてってオレが呼んだからに決まっているだろ?」
「もしかして、君……サゼスと組んだのか……」
「ご名答」
オレはどっかの脳筋女と違って、無策で盗賊団のアジトに突入するほど馬鹿ではない。
シェンに戦いで勝つことができたとしても、他のシルバーウルフのメンバーが残っている。
そいつら全員を倒せたとしても、その後の報復にも対処しなければならなかった。
というわけで、オーギスの領主であるサゼスの協力を得るために、ここに来る前に彼の屋敷へと立ち寄っていた。
この街に来たばっかりの頃は門前払いを食らったオレだが、一計を案じたことによって今回は簡単に会うことができた。
現在はウルター孤児院で暮らしているオレだが、過去にはオースティン家というこの国の四大貴族だったという実績がある。
よっぽど王都の貴族の勢力事情に詳しくなければ、オースティン家の馬鹿息子が勘当されたことなど、オーギスの街の人間が知るわけもない。
オースティン家特有の生体術式である魔眼を門番に見せつけ、オレを貴族だと信じ込ませることによって、サゼスとの面会を取り付けたのだ。
さすがにサゼスはオレがオースティン家を破門された身だと知っていたようだが、面会さえできれば後の交渉は難しいものじゃない。
敵の敵は味方理論。
サゼスはシェンに付け狙われており、シルバーウルフの存在を鬱陶しく思っていた。
そこに同じくシェンを仇敵とするオレという人物が現れた。
オレの実力は元貴族ということもあり、サゼスも期待できると思ったのだろう。
こちらがシェンを倒し、シルバーウルフの戦力を削る代わりに、サゼスはこの街の憲兵を動かして、弱ったシルバーウルフの面々を捕らえていくという約束を取り付けることができた。
この交渉が上手くいったのは、サゼス側にリスクが少ないからというのもある。
オレがシェンを無事に倒せれば、サゼスは少ない兵力でシルバーウルフを排除することができる。
もしこちらが失敗したなら、そのときはオレを見捨てて兵を撤退させればいいだけである。
失うものがない二者択一。
私腹を肥やすことしか考えていない貴族がそういった提案に弱いことは知っていた。
「君はサゼスがどんな奴だか知っているのか? 自分の財を満たすためだけに税を使い込み、マフィアを取り締まるどころか賄賂を貰って協力するような悪徳領主だぞ?」
「そんなこと知ってるよ。だけどな、オレは正義の味方じゃない。悪役貴族だ。自分の異世界転生者を倒したいというエゴを叶えるためなら、悪人とでも手を組んでやるよ」
そもそもの話、シルバーウルフは盗賊団だ。
いくら慈善事業をしているからといって、清廉潔白な組織というわけではない。
現にオレも以前、一億セス盗まれているしな。
人から盗みを働く裏社会の組織を憲兵に通報して、どうして責められなくちゃいけないんだ。
「きっとサゼスは、お前を釈放することなんてないだろうな」
憲兵達に次々と捕らえられるシルバーウルフの面々を眺めながら言う。
この街の法律なんてあってないようなものだ。
悪徳領主であるサゼスなら、憎らしく思っているシルバーウルフの人間達をどんな手を使っても牢屋に閉じ込め続けるだろう。
「お前はもう外で自由に生活することはできない。だから、オレに挑む次の機会なんてないんだ」
ついに憲兵達は、白髪の異世界転生者へと手をかけた。
拘束系魔術で雁字搦めになっていた身体が、二人の屈強な男に担がれる。
担がれながら射殺さんとする勢いで凝視してくる彼に向かって、オレは言ってやることにする。
「残念だったな、シェン・アザクール。お前の異世界転生冒険譚はここでおしまいだ」
*
シルバーウルフの面々を憲兵達が捕らえ終えるのを確認した後、オレは孤児院への帰路につくことにした。
途中意識を失っていたフィナを憲兵がシルバーウルフのメンバーだと勘違いされて連れ去られそうになったというハプニングはあったが、それ以外は概ね問題がなかった。
そのフィナも現在はオレの背中に担がれて、寝息を立てている。
「うぅん……」
身体を揺らしてしまったからか、フィナが身じろぎをする。
どうやら彼女の目を覚まさせてしまったようだ。
「ここどこ……?」
うつろな声を上げながら、瞼を擦るフィナ。
すると、突然背中を激しく揺らしてきた。
「あっ、シルバーウルフとの戦いは⁉ どうなったの⁉」
「落ち着け。全部終わったから」
「全部って⁉」
「全部は全部だ。シェンは倒したし、他のシルバーウルフの奴らも憲兵に捕まえてもらった」
「じゃあ、私達の孤児院は⁉」
「大丈夫だ。もうシルバーウルフに手出しされる心配はない」
「ほんとっ⁉」
フィナは肩をギュッと掴んでくる。
こいつは自分が背負われているという自覚はあるのだろうか?
喜ぶのはいいが、前後に揺らすのだけはやめてくれ。
落としちゃうから。
お前、地面に落とされてもいいのか?
「嘘なんてつかないわ。シェンを倒した後、ちゃんとウルター孤児院の建物と土地の契約書も回収してきたからな。これで契約条件を盾に取られて孤児院がどうこうされるってこともなくなった」
異世界転生者であるシェンを倒すことが第一目標であったが、あのまま契約書を放置しておくと、シルバーウルフの私財を回収するであろうサゼスに悪用される恐れもある。
新たないざこざの芽となりそうなものは、早めに摘み取っておくべきだ。
「ありがとうね」
フィナはオレの耳元で噛み締めるように言う。
「本当にありがとう」
「なんだよ。しんみりして」
「だって、オーラルドが助けにきてくれて嬉しかったんだもん。ありがとうね。ニーねえのために立ち上がってくれて」
「それは違うな」
別にオレはフィナやニーネのためにシェンと戦ったわけではない。
シェンが異世界転生者だとわかったから、奴に好き勝手この世界をかき乱されないよう動いただけだ。
本当にフィナやニーネのことを思っているなら、彼女達が裕福な生活を送れるようにシェンを見逃して、彼の提案を受けるべきだったんだろう。
それにサゼスに対抗していたシルバーウルフが消えてしまえば、オーギスの街の悪政も強まってしまう。
オレがやったことは、なんらフィナに感謝されることではなかった。
「じゃあ、私のため?」
「は? 何、意味不明なこと言っているんだ? 戦いのダメージで頭でもおかしくなったか?」
「うーっ、酷い! 確かに私も自意識過剰なこと言っちゃったかもって思ったけど!」
表情を隠すように、人の背中に顔をうずめるフィナ。
そのまま何度か軽い頭突きをした後、押し黙った。
しばらくすると、肌越しに呟きが聞こえてくる。
「ごめんね……」
「どうしたんだ? いきなり」
「この前、酷いこと言っちゃったから。謝りたいと思って」
「なんだ。そんなことか」
急にしおらしくなったフィナを背中の住人を笑い飛ばしてやることにする。
「気にしてないから謝んなくていいぞ」
「でも、オーラルドなんて来なければいいって言っちゃった……。そんな酷いこと、絶対に言っちゃいけなかったのに……」
「現にシェンにウルター孤児院が目を付けられるきっかけを作ったのはオレだしな。言われても仕方ないことだろ」
「ううん。本当はそんなこと思ってないの。オーラルドがウルター孤児院に来てくれてよかったって思ってる」
「ああ、そうか」
「人が真面目に話しているんだから、軽く流さないでよ!」
人が気にしてないと言っていることを真剣に謝られても困る。
オレは重さで落ちていきそうになるフィナの身体を上げながら言う。
「っていうか、そんなこと悪く思うんだったら、自力で歩いてくれないか? ずっと背負ってくの辛いんだけど」
「うっ……まだ身体の痛みが……」
「変な茶番をしている余裕があるんだったら、今すぐ地面に落っことすぞ?」
「待って! 身体が痛いのは本当だから! 確かにちょっとふざけちゃったけど!」
人が頑張って背負っているのにちょっとふざけるな。
まあ、オレの方も楽をして、持続強化で身体能力を底上げしながらおんぶしているんだけどな。
背負うのが辛いというのも、完全な茶番であった。
「で、いつまでおんぶされるつもりなんだ?」
「孤児院に着くまで?」
「いいのか? ニーネ達におぶられている恥ずかしい姿見られるぞ?」
こうでも言えば、フィナもオレの背中から降りてくれるだろう。
自ら地面に足をつけやすくなるよう、手の拘束を緩める。
しばらく様子を窺うものの、フィナは降りる素振りを見せなかった。
「確かに恥ずかしいけど……。いいよ。むしろ、見てもらいたいから」
「なんだよ、それ」
「だって、この姿を見れば、ニーねえ達もオーラルドが優しい人ってことわかってくれるでしょ? みんながオーラルドのよさに気づいてくれるんだったら、恥ずかしい思いをしてもいいかなって」
なんというありがた迷惑だ。
本当にオレのことを思っているんだったら、背中から降りてくれ。
「本当に意味わかんない奴だな」
なんて笑いながら腰を上げて、フィナの身体が落ちることがないよう位置を調節する。
背中にもたれかかる体重を感じながら、まあ今日くらいはフィナの我儘を聞いてやってもいいかと思うのであった。




