第二十六話 『違和感の正体』
ニーネの引き留めもあり、結局はウルター孤児院を出ていなかったオレであったが、フィナとの関係は最悪と言っていい状態だった。
孤児院の今後の方針について揉めてから、彼女とはひと言も口を利いていない。
オレはフィナを嫌っていないし、彼女が怒っている理由も理解できるので普段と変わらないように振る舞ってもいいと思っているのだが、フィナの方がオレを避けていた。
食事や勉強時間の席では必ず一番離れた場所につき、廊下ですれ違っても挨拶はないときた。
日課だった魔術戦の指導にも来ず、もちろん朝の体術練習の時間にも姿を見せなかった。
どうやらフィナは完全にオレとの関わりを断つつもりらしい。
オレが彼女の立場なら魔術戦魔導師になるという自身の夢を叶えるために、たとえ大嫌いな相手だったとしても魔術戦の指導だけは受けることにするが、彼女はそこまで割り切れるほど器用な人間ではなかったみたいだ。
フィナに魔術戦を教える時間がなくなったということは、自身の魔術練習にかけられる時間が増えたということである。
これでより一層、異世界転生者を倒すという目標に近づくことができる。
オレにとっては喜ぶべきことのはずなのに、心の中で引っかかっているものがあるのも事実であった。
なんだろう。この感情は。
言葉で言い表すとすると、違和感といったところであろうか。
本当に自分は正しいことをしているはずなのに、全く満足感がない。
それどころか根本的な間違いをしているような。
何か重大な見落としをしているかのような切迫感まで覚えていた。
何故だ? オレの選択は正しいはずだ。
お金があった方がニーネもフィナも、他の孤児院の子供達だって幸せになれるのだ。
たとえ今はニーネの主義やフィナの想いを踏みにじるような選択だったとしても、後になって振り返れば正しい選択だったと思えるような。
結果として誰にとってもプラスに転じる決断のはずである。
「おい、バルト。お前もお金があった方がいいよな?」
近くにいた子供の一人に尋ねることにする。
「お金くれるの? もちろん欲しいに決まってるじゃん!」
ウルター孤児院の変革にまつわる詳しい事情をまだ知らないのだろう。
問いかけられた男の子は純粋な眼差しで答えた。
この孤児院にいる子供でお金なんてどうでもいいと思っているのなんて、オレやフィナくらいのものだろう。
後の大半はお金を手にして、美味しいものをお腹いっぱい食べたいはずだ。
「あげないわ。ただ訊いただけだ」
「ケチ! なら訊いてくるなよ!」
と言い残して、バルトという男の子はオレの下を立ち去る。
勝手にあげるものだと誤解したのはそっちだろうにと思いつつ、年下の子供相手に口論をするのも大人げないので、見逃してやることにする。
「あれ? オーくん。フィナちゃんがどこに行ったか、知ってる?」
フィナと顔を合わせても気まずいだけだし、魔術の練習のでもしようかと外に出かける準備をしていると、ニーネに声をかけられる。
ニーネもシェン側についたオレを恨んでいるはずなのに、何事もない様子で話しかけてくれるのはフィナとは一回り以上離れた大人だからだろうか。
彼女は今もオレを、ウルター孤児院の家族の一員として扱ってくれていた。
「フィナ? 知ってるわけないだろ。ここ数日、口も利いてもらってないからな」
「話してなくても、どこかで見たみたいな情報でもいいんだけど……」
「どうしたんだ?」
「夜ご飯の買い出しをお願いしてたんだけど、時間になっても姿を見せないの。昼ご飯の時間まではいたっぽいんだけど……」
フィナがニーネからの頼みをすっぽかすか。
珍しい話だな。
彼女は律義な性格で割り振られた孤児院の手伝いは必ずやる人間だ。
ニーネが心配に思って、確かめてくるのも無理はないのかもしれない。
「反抗期ってやつじゃないか? 誰にも手伝いをサボりたくなる時期くらいはあるさ」
「オーくんじゃないんだから。フィナちゃんは理由もなしに手伝いをサボらないでしょ」
「誰が反抗期だ。これが平時の状態だ」
「手伝いをサボるのが平時の状態でも困るんだけどね……」
ニーネは横髪をいじりながら、苦笑を浮かべる。
幸いにも彼女との間には冗談を言い合えるほどの空気がまだ残っていた。
「ありがとね。他の子にも訊いてみるから、オーくんもフィナちゃんを見たら教えてね」
「そんなに心配することか? 何時間か見なかっただけだろ?」
「そうだけど、何かに巻き込まれていたら嫌だなって。普段と違うことがあると、どうしても胸騒ぎがしちゃうんだよね」
この街は治安が良くないしな。
ニーネが不安を感じるのも無理はないのかもしれない。
まあ、フィナには魔術戦の技術を叩き込んでいるし、生体術式によって詠唱なしで身体能力を向上させられるため、普通の魔術師よりも奇襲への対処も得意ときた。
そこいらのチンピラ相手なら、簡単に返り討ちにできるだろう。
「大丈夫だろ。フィナはニーネが思っているよりも、しっかりしているからな」
「だったらいいんだけど……。ここ最近、ずっと思い詰めている顔をしてるから……」
最近のフィナの様子がおかしいのは、百パーセントオレのせいだ。
ニーネの呟きに胸がチクリと痛む。
彼女は責めるつもりで言ったわけではないのだろう。
純粋にフィナのことを心配して、言葉が口から出ただけだ。
こんな些細な発言にすら後ろめたさを感じてしまうのは、オレが間違ったことをしている自覚があるからなんだろうか?
オレはまだ自分が行った選択に自信が持てないでいた。
*
「ちょっと君。ウルター孤児院の子だよね?」
ちょうど外に出たところ、若い男の人から声をかけられる。
振り向くと、どこかで見たことのある顔だった。
確かウルター孤児院の卒業生でニーネのところに何度か顔を出していたのを覚えていた。
「そうだけど。どうしたんだ? 息を切らして」
「ニーネはいる? 大変な話があって」
「急を要する話か?」
なんか今日は人の居場所をよく尋ねられる日だな。
なんて思いながら、男の質問に答えることにする。
「さっき見たぞ。出かけてはいないはずだから、部屋かリビングとかにいるんじゃないか」
「ありがとう!」
男はお礼を言うと、孤児院の建物の中に駆けだした。
このまま魔術のトレーニングに向かってもいいのだが、男の様子が引っかかるのも事実である。
大変な話って言ってたな。一体、どんな要件なんだ?
魔術のトレーニングは急を要するわけでもないしな。
ニーネへの話の内容とやらを確かめてから、外に出かけることにしてもいいだろう。
そう思って、踵を返すことにする。
「本当なのっ⁉」
ニーネの部屋の前まで行くと、彼女の大きな声が聞こえてきた。
盗み聞きをするのも悪いので、ノックもなしに扉を開け、無断で部屋に入っていくことにする。
「オーくんっ!」
「どうしたんだ? 顔を真っ青にして」
「大変なの! フィナちゃんが!」
オレの下に駆け寄ってきて、肩を掴んでくるニーネ。
焦っている彼女の肩を逆に掴んで、ゆっくりと話しかけることにする。
「落ち着け。フィナがどうしたんだ?」
「フィナちゃんがシルバーウルフのアジトに乗り込んだみたいなの!」
「――は?」
意味がわからなかった。
ニーネに話を告げにきた男の方へ顔を向ける。
「そうなんだ。僕もついさっき知り合いの人から、お前の孤児院にいた子がシルバーウルフのアジトに乗り込んで、騒ぎを起こしているぞって聞いて。詳しく訊いてみたら、どうやらその子はフィナちゃんみたいなんだ」
何やっているんだ、あいつは。
馬鹿なのか?
オレは開いた口が塞がらなかった。
シルバーウルフはああ見えても、立派な盗賊団だ。
シェンの物腰柔らかな態度に誤魔化されがちだが、オーギスの街に蔓延る裏社会の組織の一つである。
暴力で物事を解決する物騒な人間も多数在籍しており、かく言うオレも一億セスを奪われたときには半殺しにされた。
そんな場所に単身で乗り込むなんて、馬鹿のやることだった。
フィナの脳筋思考は理解していたつもりだったが、まさかここまで考えなしに突っ走るなんて。
いや、思い悩みすぎた上で、暴走してしまったといった方が正しいのだろうか?
フィナはニーネのために、ウルター孤児院を病院へと作り替えようとするシェンの計画を止めたかった。
だけど、裏社会で生きてきた人間相手に、搦め手ありの戦いで勝てるわけもない。
土地と建物を人質に取るという小狡い手に、フィナとニーネはなす術がなかった。
だからこそ、強引な手段に頼ったのだろう。
「フィナちゃんはシルバーウルフを倒そうとしているらしくて、暴力沙汰になっているみたいなんだ。なんでこんなことに……」
事情を説明しにきた男は、顔面蒼白で狼狽えている。
これが当たり前の反応だ。
一般人が盗賊団に喧嘩を吹っかけたとあれば、タダで済まされるわけがない。
「どうしよう! どうしたらいいと思う⁉」
ニーネはこちらの肩を強く揺する。
「憲兵かな……憲兵に言えばフィナちゃんを助けてくれるかな……」
無理だ。この街の憲兵は女の子一人を助けるために盗賊団相手に討ち入るような正義を持ち合わせていない。
皮肉にもシェンが正そうとしている領主サゼスの悪政が、シルバーウルフを警察的組織の手から守っていた。
「今すぐ行かないと……!」
ビクッと身体を震わせたニーネは、着の身着のまま部屋を飛び出そうとする。
そんな彼女の肩を掴んだまま、止めることにする。
「無駄だ。この街の憲兵があてにならないことくらい、オレよりもオーギスに長く住んでいるニーネだったらわかるだろ」
「だったら、どうするの⁉ フィナちゃんが死んじゃうかもしれないんだよ! 無駄だとわかっていても、縋るしかないじゃん!」
そう言って、泣き崩れるニーネ。
オレがやりたかったことはこんなことなのだろうか?
フィナを危険な目に合わせて、ニーネを泣かせて。
彼女達を幸せにするための選択の結果が、これでいいのだろうか?
ちょっと考えればわかることだった。
追い詰められた人間が、時として無茶な行動に出るなんて。
それをオレは口先だけの論理を並べて、彼女達の気持ちを無視して。
自分の正しさを信じ続けようとした。
結果的にそれが間違いだったとしても。
それが抱き続けていた違和感の正体だったのだろうか?
こうなることが予想できていたから、ずっと心に引っかかっていた。
そうか? 本当にそうなのか?
オレはシェンの提案が悪いものだと思っていなかった。
お金を手にすれば、ニーネやフィナは幸せになれる。
シェンの方へつくことを決めたときは、本気でそう思っていたのだ。
「待て。シェンはそんなに悪い奴じゃない。オレの知り合いであるフィナにそう酷いことはしないはずだ」
「そんな保証がどこにあるの⁉」
ニーネは大きな声を上げる。
「シルバーウルフのアジトに乗り込んじゃったんだよ! オーくんはフィナちゃんのことが心配じゃないの⁉」
「少しは冷静になれ。オレだって心配じゃないわけじゃ――」
「だったら、なんでオーくんはそんなに平然としているの⁉」
ニーネから責められるような視線が向けられる。
――オーラルドはいつもそう。人の気持ちがわからない。
フィナからぶつけられた言葉を思い出す。
おそらく、その通りなんだろう。
オレは人の気持ちがわからない冷たい人間だ。
だから、ニーネや知らせに来てくれた男の人のように焦ることができない。
物事を俯瞰した視線で見ることしかできない。
それが違和感の正体なんだろうか?
人の気持ちがわからないから、人の気持ちを軽んじて間違った選択をしてしまった。
果たしてそうなんだろうか? それが正解なのだろうか?
違和感の正体が喉元まで出かかっているような気がするのに、肝心の輪郭が掴めない。
違う。もっと重要なことを見落としているような気がする。
ピースは出揃っているのに、視点が間違っているせいで正しい回答にたどり着けないみたいな。
そんなもどかしさを感じていた。
「平然としているというより、シェンとは知らない仲じゃないし、フィナには酷いことをしないはずだと思っているだけで――」
「あたしはオーくんほど、彼のことを知らない! だから、わかんないよ! 信頼していい人かなんて!」
「ニーネも知っているだろ。シェンはオーギスの街のことを思って、医療保険のような福祉制度を整えようとしている奴なんだぞ? そんな奴が悪い人間なわけ――」
そこまで言ったとき、急に自分の視界が晴れた感覚があった。
ああ、そうか。
そういうことだったのか。
オレは気づいてしまった。
違和感の正体に。
自分のしていた重要な思い違いに。
なんでこんな初歩的なことに気づかなかったのか。
気づいてしまえば、自分自身が馬鹿みたいに思えてくる。
危うくオレはとんだ間違いをするところだった。
手遅れになる前に気づけて良かった。
自分の愚かさを笑いたくなる気持ちを抑えて、ニーネに向き合うことにする。
そして、彼女の目を見つめながら、オレは自分の見つけた違和感の正体を証明するための質問を投げかける。
「ニーネ、一つ場違いな質問いいか?」
「何?」
困惑の色を浮かべる青色の瞳に向かって、オレは問う。
「医療保険ってなんだと思う?」




