第二十五話 『決別』
「今回は大事な話があってやってきました」
いつになく真剣な顔をしてウルター孤児院へとやってきた、シェンとその取り巻きの一人であるミネルカ。
「あたしとしては、別に話すことなんてないんだけど」
いつも通りニーネは門前払いしようとするが、武装をしたミネルカが前に立ちはだかった。
「そうはいかねえんだよ。この建物の契約に関わることだからな」
取り巻きの女の中でも一番の武闘派であるミネルカを連れてきた辺り、シェンは強硬手段に出るつもりなのだろう。
仲間を助けるためなら手段を選ばないと、前に話したときにシェンは言っていた。
そしてサゼスの権力に対抗できる状況を作らないと、シルバーウルフの仲間の身が危ないとも。
ウルター孤児院を医療施設に作り替える計画は、シェンにとってサゼスに対抗する切り札のようなものだ。
孤児院の主であるニーネに反対され続けているからと言って、容易に諦められるものではない。
孤児院に所属するオレが強硬手段を採ることに賛同したことも、彼が決意したのに関係していた。
「そうです。ニーネさんはノルのお父さん――シルバーウルフの元ボス――から、この土地と建物を借用している。それは間違いないですよね?」
「うん。借用って言っても、ほぼ譲ってもらったようなものだけど……」
「で、ここにその借用の契約書があります」
シェンが持ち出したのは数枚の紙切れだ。
紙をめくり、二枚目の中段を指差して言う。
「ここに有事の際は建物や土地の使用方法、また契約の存続や破棄についてシルバーウルフ側に決定権があると書かれています」
「本当に?」
長い契約書を隅々まで読んでいなかったのだろう。
ニーネは目を近づけて、その一文を見つける。
「本当だ。でも、この有事の際って地震とか戦争みたいな出来事が起こったときのことじゃないの?」
「そうです。そして、シルバーウルフはこれから、この街の領主であるサゼスと全面戦争を行うつもりです」
「えっ、領主と――⁉」
これにはニーネも初耳だったのだろう。
彼女は顔に驚きの表情を浮かべる。
「さっき言いましたよね。有事の際の条件の中には戦争が入ると。これからの戦争に備えるためにウルター孤児院を病院へと作り替える必要があります」
「いや、この場合の戦争っていうのは国と国が争うようなものじゃ……」
「そんな文言どこにも書いてないですよ。それにサゼスとの戦いはシルバーウルフの存続がかかった極めて重要な争乱です。充分有事ですよ。それにシルバーウルフが敗れれば、この建物や土地もサゼスに没収される可能性があります」
シェンの言い分は理に適っている。
契約書には有事としか書いてなく、この場合有事かどうかを判断するのは、立場が上の大家側になってしまう場合が多かった。
極論を言えば戦争でなくても大家側が有事と言い張れば、どんなことでも有事になってしまう可能性があるのだ。
しかも、この街の法的機関は賄賂でどうとでもなる。
資金面で負けているニーネはシルバーウルフに比べて不利な状況だ。
そもそも反社会組織に法的勝負を挑むことの有用性も疑わしかった。
シルバーウルフ側が武力に訴えかければ、ウルター孤児院側に勝ち目はない。
そもそも最初から詰んでいる状況だったのだ。
「それでもあたしが協力しないって言ったら、どうするつもりなの?」
「そのときは契約を破棄して、この建物から出て行ってもらいます」
「貴方、何を言っているかわかってるの⁉ ここの子供達はここを出て行くことになったら、住む家がなくなるのよ⁉」
「わかっているつもりです。そうならないためにも、ニーネさんがこちらの要求を呑んでくれることを願っています」
あくまでもシェンは強気の態度を崩さないつもりのようだ。
ニーネの協力が取り付けられなかったら、ウルター孤児院を医療施設に作り替える計画は実行が不可能になる。
高度な治癒術が使える者と、治癒術を子供に教えられる教育者の両方が計画には必要不可欠であった。
だから、ニーネさえ首を縦に振らなければ、シェンの方が折れる可能性もあった。
いわば、これはチキンレース。
強気に出た者が勝利を手にする戦いだ。
勝負の終着点はどちらかが折れるか、共倒れするかの三択。
シェンはこの争点の本質を理解しているが、チキンレースを仕掛けられた側のニーネは自分の勝ち筋に気がついていないのだろう。
怒りを露わにしながら、唇を噛む。
「あたし達のことを脅すつもりなのね……」
「脅すなんて人聞きが悪いですよ。ニーネさんが意地を張らなければ、みんながみんな幸せになれるんです」
「貴方、オーラルド君の友達なんでしょ? よく友達相手にそんな酷い仕打ちができるわね」
「オーラルド君は僕達側についてくれるみたいですよ? 彼からは了承を得ています」
ニーネの鋭い視線がこちらに向けられる。
彼女の恨みを買うとはわかっていたとはいえ、胸にくるものはある。
思わず目を逸らしてしまった。
「オーラルド君は責めないでください。彼は懸命な判断をしてくれていると思いますよ」
「責めるつもりはないわよ……」
ニーネはゆっくりと息を吐きながら呟く。
シェンもこちらを気遣ったのだろう。
話の焦点をオレからずらすために、話を纏めにかかった。
「まあともかく、ニーネさんは選んでください。つまらない意地を張って、子供達を路頭に迷わせるか。僕達に協力して、みんなが幸せになる選択をするか」
「それは……」
「もちろん今すぐにとは言いません。僕達のアジトの居場所を教えます。結論がでたら、会いに来てください」
*
シェンとミネルカが立ち去ると、猛スピードで詰め寄ってくる人影が。
先ほどまでシェンと話していたニーネではない。
オレと同様、話の様子を近くで窺っていたフィナであった。
「どういうつもりなの⁉」
オレの胸ぐらを掴み、そのまま壁へと身体を押し付けてくる。
さすがに身体強化の生体術式は使用していないが、それでもすごい力だ。
肺から息が吐き出される。
「おい、痛いぞ。一体どういうつもりだ?」
「どういうつもりかは私が訊いているの! ニーねえを裏切って、あんな人達に協力するってどういうつもり⁉」
「ちょっと止めなさい、フィナ! 暴力は駄目っ!」
詰め寄ってきたフィナとの間に割って入ろうとするニーネ。
「どうして止めるの⁉ オーラルドはこの孤児院をなくそうとする人達に協力しているんだよ! ニーねえに育ててもらった恩を忘れて!」
「あたしのことはいいから! 怪我をする前に止めて!」
ニーネの必死の制止もあって、フィナは襟元から手を離した。
拘束を解かれたオレは呼吸を整えながら、皺になった服を手で直す。
「いきなり暴力とは物騒だな」
「殴らなかっただけありがたく思って。私、今オーラルドに本気で怒ってるから」
息を荒らげながら、こちらを睨んでくるフィナ。
ここまであからさまな敵意をぶつけられると、逆に清々しい気持ちまで湧いてくる。
「別に許されることをしたとは思ってないよ」
「だったら、どうしてシルバーウルフの人らに協力するの⁉」
「そっちの方が正しいと思ったからだ」
オレは淡々とした口調で告げることにした。
「シェンの言い分の方が理に適っているだろ。シルバーウルフを病院へと作り替えれば、街の人は医療を受けられるようになるし、ウルター孤児院の財政も裕福になる。ここのみんなだって美味しいものを食べられ、学校にも通えるようになる」
「そんなにお金が大事? ニーねえの気持ちを無視しても?」
「人一人の気持ちより、たくさんの人の幸福の方を優先すべきだろ。シェンがサゼスを失墜させて街を治める地位につけば、医療保険のような福祉制度も成立させると言っていた。今ここでニーネが納得さえすれば、みんな幸せになれるんだよ」
正直顔も知らない街の人の幸福なんてどうでも良い。
オレはただ、ニーネやフィナ、そして孤児院の他の子供達が幸せになってもらいたいだけだ。
だけど、そんなことを口にしても、きっとフィナやニーネはオレの気持ちを理解してくれないだろう。
私達のことを思っているなら、こっちの味方になってくれ。
そう思うはずだ。
フィナ達の肩を持つことは短期的には彼女達を慰めることになるけど、長期的に見たらフィナ達のためにはならない。
シェンの提案を受け入れることが、将来のフィナ達の笑顔に繋がるとオレは信じている。
そんな本心を隠すために嘘で塗り固められた動機を口にしていた
「わかんない、わかんない、わかんないよ! オーラルドの言っていることが全く!」
フィナは首を振りながら、声を荒げる。
「病院? 医療保険? 全然意味がわからない! そんなのがニーねえの気持ちより大切なものなの⁉」
「ああ、さっきからそう言っているだろ」
オレは突き放すように、冷たい声色で言った。
フィナと正面から視線がぶつかる。
お互いに目を逸らすことのないまま数秒間。
ようやくフィナの方から口を開いた。
「最低っ。見損なった……」
拳を震わせながら、フィナは睨んでくる。
「オーラルドはいつもそう。人の気持ちがわからない」
「なんとでも言え」
「オーラルドがシルバーウルフの人を連れてきてから、全部滅茶苦茶になった。オーラルドなんて私達の家に来なければ良かったのに……」
「フィナちゃん! それは言っちゃ駄目!」
「なんで⁉ 本当のことじゃん!」
胸をえぐるような言葉を投げかけてくるフィナ。
彼女にオレを悪く言う権利はあるわけで、言わせておけばいいのにニーネは律義に止めにかかる。
「全部あたしが悪いの。契約書をちゃんと読んでなかったあたしが悪い。オーくんは悪くない」
「いいよ、わざわざ止めなくて。フィナの言っていることは正しいわけだし」
オレが最低な奴なんて、自分が一番わかっている。
親の金と権力を使い込み、私利私欲を満たしていた悪役貴族。
そんな奴が家を追い出されて、引き取られた孤児院で家族と呼べるような人を見つけたからといって人間性が変わることはないのだ。
「じゃあ、フィナはオレがここを出ていけば満足か?」
「オーくんもそういう悲しいこと言わない! あたしはオーくんに出ていってほしくないよ」
ニーネという人間はどこまでお人好しなのだろうか。
自分が作った孤児院の経営方針を主義に反した方向に捻じ曲げようとしている、オレのことまで慮ろうとするなんて。
いっそフィナのように率直になじってくる方が楽だった。
そうすれば、オレは心置きなく嫌われ役に徹することができる。
「とりあえずフィナちゃんもオーくんも落ち着いて。これはあたしの問題だから。あたしの問題で二人に喧嘩してほしくないの」
「喧嘩? そんな生易しいものじゃないよ。オーラルドのこと、本気で失望したんだから。もう口を利きたくもない!」
「フィナちゃん!」
「勝手にしとけ。オレから話しかけることもないから」
「オーくんも!」
これ以上言い合いをしていても、オレとフィナが分かり合うことはないだろう。
フィナが言う通り、これは喧嘩じゃない。決別だ。
お互いに自分達を育ててくれたニーネの幸せを願っているはずなのに、その方法だけが決定的に違うからぶつかり合う。
そして、この溝は決して埋まることはなかった。
オレは間違ったことをしていないはずだ。
お金があった方が絶対にニーネやフィナは幸せになれる。
そう思い込みでもしないと、大事な関係が切れてしまった痛みをやり過ごすことができなかった。




