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第二十四話 『無償の愛』

 ウルター孤児院を医療施設にするというシェンの提案はニーネに却下されてしまったわけだが、ニーネが猛反対する理由に納得できないのも事実だった。


 シェンの提案はみんなが得をする選択のように思える。

 オーギスの街の住民は医療を受けられるようになり、孤児院の財政も豊かになる。

 子供達も学校に行けるようになり、治癒術を覚えることで将来の稼ぎも保障されるのだ。


 それの一体何が悪いのであろうか?

 ニーネは子供達に無償の愛を与えたいと言っていた。

 治癒術を学んでもらい、医療施設として作り替えられたウルター孤児院を手伝ってもらうという条件があっては、子供達に与える愛が無償でなくなってしまうとも。


 言いたいことはわかる。

 でも、無償の愛とやらは本当に子供達の将来を犠牲にしてまで優先することなのだろうか?


 子供達は孤児院で学校で習うような勉強をしているとはいえ、それが将来の職に活かされるかというと微妙なところだ。

 そもそもオーギスの街で稼げる仕事なんて、盗賊団やマフィアといった裏稼業の仕事ばかりだ。

 全うな仕事ほど稼ぎが少ないのが現実だった。


 ウルター孤児院を卒業した子供達の大半は、オーギスの街を出るための金も稼げず、この街で一生過ごしていくのだろう。

 貧しい生まれの者は、大人になっても貧しさから抜け出せない。

 貧困のスパイラルは藤村冬尊が生きてきた向こうの世界だけでなく、こっちの世界でもありふれていた現象だった。


 シェンからの提案はその貧困のスパイラルから抜け出せる限られたチャンスの一つだ。

 この機会を逃せばフィナ以外の子供が学校に通えることはなくなってしまう。


 フィナだって金があれば、さらに魔術戦の知識が学べるようになる。

 よりレベルの高い学校にも通うことにできた。

 お金さえあれば、夢が叶う道がぐっと近づくのだ。


「どうしてニーネはシェンの提案に反対したんだ?」


 ニーネと二人きりになれる機会を見計らって尋ねることにする。

 現在の場所はニーネの部屋。

 カーテンの隙間からは白い光を放つ月が見える時間帯だ。


「突然部屋にやってきて何かと思いきや、その話ね……」


 寝間着姿のニーネは、ため息を吐きながら答える。


「言ったでしょ? あたしは君達に何かを求めたくないの。元気に育って、好きに生きてくれればそれでいいと思ってる」

「それはわかってる。ニーネが無償の愛とやらにこだわっていることは。だから、それがなんでかって訊いているんだ」

「なんでって――」

「ニーネのこだわりっぷりを見ていると、何か理由があるのかと思っただけだ」

「よく見ているね……」


 ニーネは苦笑交じりに頬を掻く。

 日頃の暮らしぶりを見ていればわかるが、ニーネは決して主義主張が強いタイプの人間ではない。


 そんな彼女がシェンには譲らない態度を見せたときた。

 そこに理由を感じるのは当然のことだった。


「やっぱりオーくんって不思議だよね。年相応な子供っぽさもあれば、急にあたしよりも大人っぽくなったりもする」


 ニーネがアンバランスさを感じるのも無理はない。

 オレは過去視の魔眼で、何十年間もの他人の人生を眺めている。

 体感時間であれば、ニーネよりも人生も歩んでいることになっていた。


 だけど、身体年齢は十四歳だ。

 オーラルド・オースティンとして歩んできた人生も十四年間しかない。


「理由を話したくないって言ったらどうする?」

「無理に訊き出そうとはしないさ。人間、秘密にしたいことの一つや二つはあって然るべきだろ?」

「秘密にしたいわけじゃないけどね。オーくん達に隠しごとをしたくないし。だけど、同時にここにいる子供に話すべきじゃないとも思ってるんだ。悪い影響を与えるんじゃないかって」

「そんなこと今さらオレ相手に気にするようなことでもないだろ。悪影響の塊みたいな男に」

「確かにね」


 そこは否定してほしかったんだが……。

 あっさりと流されたことに顔を引きつらせつつも、手伝いをサボるなどの日頃の行いのせいで強くは反論できなかった。


「オーくんはマルテッシュ家って知ってる? アルケリアの方ではそこそこ有名な貴族なんだけど」

「悪い。アルケリアには行ったことがないからな。あんまり知らないんだ」


 アルケリアはアルジーナ王国で四番目に大きい都市だ。

 王国の北の国境近くに存在する街。

 王都エクゼシリアから見たら北西に位置する都市だが、王都との間には大きな山脈があり、交通の便も悪いため交流が少ない都市であった。


 また他の同規模の都市に比べ、興行的な魔術戦も活発ではない。

 オレ自身あまり興味がなかったというのもあるかもしれない。


「やっぱりニーネはいいところの生まれだったんだな。高度な治癒術を身につけている辺り、そんなことだろうと思ったけど」

「残念、それは違うよ。あたしの生まれはここにいるみんなと変わらないよ。小さい頃に両親に捨てられた孤児でね。養子としてマルテッシュ家に迎え入れられたんだ」

「珍しいパターンだな」

「マルテッシュ家には跡継ぎの一人娘がいたんだけどね。生まれつき病気を持っていて、長くは生きられないかもってことで跡継ぎの代替として養子を引き取ったみたいなの」


 オースティン家のように血筋による生体術式(ギフト)を持っていなければ、そういうことも可能なのかもしれない。

 血筋による生体術式(ギフト)なんて早々あるものじゃないし、これに関してはむしろオースティン家が異端であった。


「結局その娘――っていうか、あたしのお姉ちゃんだね――は元気になって、今はマルテッシュ家を継いでいるから跡継ぎのこととか考えずにこうやって好き勝手生きているんだけどね。あたしが無償の愛を大事にしたいって思うのは、その経験が影響しているのかも」


 ニーネはソファーの背もたれに寄りかかって言う。


「お義父さんとお義母さんからはたくさんの愛情をもらった。お姉ちゃんとも仲が良かった。でも、マルテッシュ家での生活はどこか満たされないものがあった」

「満たされないもの?」

「跡継ぎの代替として引き取られたって知っていたからだろうね。お姉ちゃんが元気に生まれていたら、あたしはこの人達と家族じゃなかったんだって。ふとしたとき思っちゃうんだ」


 ニーネは宙に手を伸ばしながら続ける。


「高級な服を買ってくれたのも、高い学費を払って治癒術の学校に通わせてもらったのも、孤児院を建てたいという話をしてお金を出してくれたのも、お姉ちゃんの代替品だったからのかなって。本当に親不孝な子供だよね」


 どうなんだろう。

 同じ経験をしていないからわからないが、オレがニーネの立場なら同じように考えていたかもしれない。


「あたしは本当の家族が欲しかったんだよ。利害関係が一切存在しない、心の底から愛情を受け取れるような家族が。だから、あたしはウルター孤児院を建てたの」

「だから、ウルター孤児院を医療施設にするのは反対と?」

「うん。あたしは子供達に治癒術師になるよう強要するような環境を作りたくないの。あたしがそうだったように、子供っていうのは大人を穿って見ようとするところがあるから。与えられる愛情を素直に受け取れなくなっちゃうんじゃないかって思うの」


 おそらくニーネにとって、シェンの提案は地雷のようなものだったのだろう。

 寛容な彼女が唯一許容できないこと。

 それが愛情の有償化だったのだ。


「まあ、自分の欲望を叶えるために子供達を利用しているって意味では、あたしの愛情も無償の愛なんかじゃないかもしれないんだけどね」


 ニーネは自嘲的に笑う。

 オレのような人間にも手を差し伸べてくれた立派な彼女にそんな顔をしてほしくなくて、思わず口から言葉が漏れていた。


「そんなことはないんじゃないか? 少なくともフィナ達はニーネからの愛を疑ったことはないと思うぞ」

「そうだと嬉しいけどね。今まで頑張ってきた甲斐はあったのかな?」

「さあな。そこら辺は自分で判断できるだろ」

「なんだ。せっかくオーくんが優しくなってくれたかと思ったのに残念……」


 オレはニーネみたいに優しい人間じゃないからな。

 場当たり的なことを言って、慰めるようなことはしないだけだ。

 ニーネとの個人的なやり取りを経て、シェンが彼女を説得するのは無理だろうなと思うオレであった。




    *




「個人的に探りを入れてみたが、ニーネを説得するのは無理だと思うぞ」


 毎月定期的に開かれているシェンとの食事会にて。

 ニーネの意思が揺らぐことのないことを彼に伝えることにした。


「やっぱりそうだよね……。あれから何度もニーネさんのところに行ったんだけどね。門前払いだったよ」


 がっくりと肩を落とすシェン。

 彼の方も手詰まりなことを感じていた様子だ。


「それにしても今回の一件は焦りすぎのようにみえるが? 本来なら直接ニーネのところに突撃する前に、一度オレに話を通しそうなものを」

「そう見える? だよね……。実際に焦っているのは事実だから」


 シェンは力なく息を吐きながら告げる。


「最近領主のサゼスとの対立も激化してきてね。仲間が何人も捕まっているんだ。このままだったら、シルバーウルフという組織自体が取り締まられるのも時間の問題かもしれない。その前にオーギスの民衆の指示を得て、社会的な地位を確保しておきたいってのが正直なところなんだ」


 シェンからの提案にも裏があるということか。

 ウルター孤児院を医療施設にすることは誰もが得をする選択だとシェンは言っていたが、冷静に考えれば資金を出すシルバーウルフ側は損をすることに気がつくはずだ。

 その辺りがオレも気にはなっていたのだが、シェンもボランティア精神だけで提案をしたわけではないと知って納得することができた。


「はっきり言って、シルバーウルフとサゼスとの直接対決は免れないと思う。どっちがオーギスの街の覇権を握るか。その重要なピースの一つにウルター孤児院はなってくれるかと思ったんだけど……」


 シェンは悔しそうな顔を浮かべる。

 シルバーウルフの動向は興味がなかったのであまり訊いていなかったのだが、どうやら想像以上に大変な事態になっているらしい。


「人の家を勝手に権力争いの舞台に巻き込まないでくれないか?」

「それは悪いと思ってる。でも、安心して。サゼスに対抗できる武力は持っているから。ウルター孤児院には簡単に手出しできないと思う。あとは街の民衆の支持さえ得られれば、サゼスに負けることはないんだ」


 その辺りがシルバーウルフが盗賊団として活動してきたことの足枷なのだろう。

 シルバーウルフがいくら慈善事業に力を入れているとはいえ、盗賊団という裏社会の組織であることには変わりがない。

 一定数の住人は反感を覚えるだろうし、盗賊団に街を仕切られるくらいなら、まだ悪徳領主であるサゼスに街を牛耳られた方がマシと考える人がいてもおかしくない。


「もちろん僕たちがサゼスを失脚させれば、君達にも得はある。街の税金を使って医療制度を整えようと思うんだ。まずは医療保険みたいな制度を作ろうって」

「治癒術を格安で提供するって、赤字になって組織が回らなくなるんじゃないか?って思っていたが、税金を使うなら納得だな」


 医療保険のような福祉制度が作られるなら、この街の治安も良くなるかもしれない。

 そもそもアルジーナ王国自体、福祉制度が整っているわけではないしな。

 オーギスの街が始めとなって国のあり方を変えていくという可能性も出てくる。


「でも、ウルター孤児院の案が無理だと考えると、他の解決策を考えなくちゃだね……」

「そんなに簡単に諦めるのか?」

「えっ、反対しているんじゃなかったの⁉」


 こちらの言葉に驚いた表情を見せるシェン。


「誰がそんなこと言った?」

「だって、ニーネさんは反対してるって――」

「確かにそうは言ったが、ニーネとオレの意見は別だろ。オレはシェンの提案に賛成だ」


 ニーネはお金よりも愛が重要だと言っていたが、オレからみれば金も愛もあった方がいいに決まっている。

 お金さえあれば、フィナ達は好きなものが食べられるようになるし、良い学校に通えるようになる。


 シェンも言っていたが、金と愛情は両立しないものではないのだ。

 両方あった方が絶対に彼女達の幸せに繋がる。


 確かにニーネの危惧しているように、子供達が純粋な愛を受け取れなくなるという可能性はあるかもしれない。

 だけど同時に今さらニーネの愛情を疑うような子供なんて出てこないんじゃないかと、オレは思っていた。


 ニーネは心の底から他人を思いやれる、素晴らしい人間だ。

 そんなの一緒に暮らしていれば、誰でも理解できるに決まっている。

 ニーネからの愛情を疑う子供なんて出てこないはずだ。

 彼女はもう少し自分と子供達のことを信じてもいいように思えた。


「いいの? 賛成するってことはニーネさんと対立するってことだよ?」

「だろうな。でも、オレはシェンの側につくよ」

「どうしてか訊いてもいいかな? オーラルド君にとっては僕よりニーネさんの方が大切だと思うんだけど」


 その通りだ。

 ただの知り合いであるシェンより、自分の命の恩人であり、家族のような存在であるニーネやフィナの方が百倍大切だ。


「だからだよ。ニーネやフィナには幸せになってほしい。だから、彼女達と対立するとわかっていても、オレはシェンの方につく」

「言っておくけど、僕は完全な善人ってわけじゃないよ。正直オーラルド君と友達じゃなかったら、強引な手段を使ってでもウルター孤児院を手に入れようとしていたかもしれない」

「強引な手段? 大歓迎だ」


 ウルター孤児院の建物は名義上シルバーウルフが貸しているものだと、ニーネが言っていた。

 大家という立場を使えば、強制的にウルター孤児院を医療施設に作り替えることも可能だろう。


「そんなことをしたら、僕を引き合わせた君のこともニーネさんは恨むと思うよ」

「かもしれないな。でも、それってそんなに重要なことか?」


 オレはシェンに向かって、尋ねることにする。


「本当にニーネやフィナのためを思っているなら、嫌われてでも行動に移すべきだろ」


 シェンが強引な手段を取れば、ニーネ達はきっとオレのことを恨むだろう。

 孤児院の一員に加えなければ良かったと後悔し、オレを追い出すかもしれない。

 だけど、オレが恩を受けたことと、恨まれることの何が関係している。


 オレの人生は過去視の魔眼の代償のせいで先が長くない。

 その限られた時間だって、全部異世界転生者を倒すために使うと決めていた。


 オレが大きくなって、結婚をして、子供を作って。

 育ててくれたニーネに孝行をするという未来はやってこないのだ。


 だったら、今自分ができる限りの恩返しをしたい。

 たとえ恨まれ、謗られようとも、将来彼女達自身がその選択をして良かったと思えるような未来に繋がるなら。

 それで充分だった。


「本当にいいんだね? 僕としてはオーラルド君の考え方は歪んでいると思う。でも、同時に僕は僕の仲間も助けなくちゃいけない。後悔しても知らないよ?」

「いいって言っているだろ。誰かに嫌われるのには慣れていることだしな」


 人生、なんの犠牲もなしに何かを成し遂げるということはできないのだ。

 大切な夢や願いを叶えるためには、その対価が必要だ。

 何も失わずに全部が手に入るほど、世の中は都合の良いようにできていない。


 もしオレが失うものがニーネやフィナからの愛情といったかけがえのないものだったとしても。

 彼女達の幸せが手に入るなら、それは安い買い物のように思えた。

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